
ケニアと聞いて、あなたが思い浮かべるものはなんでしょうか。
サファリ?
マサイ族?
箱根駅伝の選手?
灼熱の太陽?
日本ではまだまだ知られていないケニアの姿を、
ケニアの人々に教えてもらいましょう。

ケニアは、アフリカ大陸の東部に位置しています。

「僕の大切な国、ケニアは、こんなところです」

「北はエチオピア、東はソマリア、南東はインド洋に面していて、
南はタンザニア、西はウガンダ、北西は南スーダンに接しています。
ウガンダとタンザニアの間には、とても大きなビクトリア湖があります。」

ケニアは日本の約1.5倍の面積を持ち、
日本のおよそ3分の1ほどの3,980万人が暮らしています
(2009年、世界銀行)。
サファリの戦士として有名なマサイ族のほか、キクユ族、カレンジン族、ルオ族など、
42もの部族がともに暮らしています。
アフリカ諸国のなかでは比較的、安定した国です。
ケニアの国旗を、見たことはありますか?

中央にあるのは、交差する槍と、盾。
槍と盾はケニアの「名誉、伝統、自由を守る戦い」を示し、
背景の黒は漆黒の肌を持つ「ケニアの国民」を、
赤は独立のために流された「ケニアの人々の血」を、
緑は雄大な自然を有する「ケニアの大地」を、それぞれ表しています。
その間を結ぶ白い横線は、「平和と団結」です。

ケニアは、1963年に独立するまで、イギリス政府の支配下にありました。
1885年のベルリン会議で、イギリスやドイツ、アメリカなどの列強による
アフリカの分割支配が一方的に決められ、ケニアへの侵略が始まったのです。
ヨーロッパからの移住者に土地を奪われ、
イギリス政府の直轄植民地となったケニアを救ったのは、
ケニアの人々自身でした。
1952年、白人移住者を追い出すことを目的に起こった「マウマウの乱」は、
イギリス政府が5万人の軍を出し、ようやく制圧。
これをきっかけに、白人がケニアから撤退し始めます。
イギリス政府はケニア独立計画案を提示し、
1963年、ケニアは自らの手で独立を果たしました。

このとき日本政府は、独立国ケニアをすみやかに承認。
独立の翌年には、首都ナイロビに日本大使館を設立しています。
独立以来、ケニアはアフリカ諸国のなかでは珍しく、安定した情勢を保ってきました。
ナイロビは、アフリカでも有数の大都市となり、東アフリカ諸国の政治や経済、
文化の中心として他国を牽引しています。
ナイロビには国連環境計画(UNEP)の本部があるほか、
アフリカ最大級の日本人コミュニティがあり、JICA、JETROなど日本政府の
主要機関や、貿易商社などの地域本部が置かれています。

(大都会ナイロビ)
・・・
自立した国家となったケニアですが、国内では依然として
多くの問題を抱えています。
そのもっとも大きなものが、エイズです。
「私の大切なものは・・・」


9歳の女の子、Nyanbaraちゃんは、エイズによる知能障害のため、
マルの絵しか描けません。
ケニア人の平均寿命は、2011年時点で57.1歳です。
(2010年の日本人の平均寿命は、男79.55歳、女86.30歳)
1985年には、ケニア人の平均寿命は59.5歳でした。
しかし2000年には、52.3歳まで低下しています。
この原因が、エイズの蔓延です。

エイズは、1980年代にアメリカで初めて報告されました。
その後、検査方法が確立され、世界中に広がってしまったことが確認されました。
なお、最初、どの国からエイズが広まったかは、わかっていません。
世界には、現在、3400万人のHIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染者と
エイズ発症者がいるとされ、その多くがアフリカ諸国に集中しています。
ケニアの成人(15〜49歳)のエイズ感染率は、1990年は3.9%でしたが、
2009年には、6.3%に増加しました。
ケニア政府は、爆発的に広まったエイズの感染を抑えるため、
当初、「エイズは怖い」「エイズになると死ぬ」といったマイナスイメージを
広めました。しかし、これはエイズへの偏見を強めただけで、
感染予防には(あまり)結びつきませんでした。
そこで政府は、方針を転換。
「新規感染の予防」、「治療とケアの推進」、「社会的影響の軽減」を柱に、
エイズが予防可能な病気であること、もし感染・発症しても、
治療により命をつなぐことができること、
などの知識の普及に力を入れるようになりました。

(“If you have a healthy baby, you[=mother] will be happy.”
母子感染の予防を呼びかけるポスター。HIVに感染した母親から生まれる子どもが
感染する割合は15〜45%ですが、適切な処置とケアがあれば、2%にまで
抑えられるといわれています。)
ケニア国内には、無料でHIV検査を受けられる施設(VCT)があります。
しかし、エイズに対する偏見は根強く、HIV検査の受検率はなかなか上がりません。
また、2007年の調査では、HIVに感染していることが判明した者の83%は
過去に検査経験がないか、検査経験があってもHIVの知識が不十分であることが
わかりました。

日本の国際協力機構(JICA)は、HIV検査の受検数増加をめざし、
「HIV検査数の年間10%の増加」をプロジェクト目標とした
「エイズ対策強化プロジェクト」を実施。
自発的なHIV検査と、エイズに関する知識の普及を含めたカウンセリングを
スムーズに行うためのマニュアルの策定、人材の育成などの体制づくりを
支援しています。

エイズは、一度発症すると、毎日の薬の服用が欠かせず、
一生治療が必要な病気です。
予防だけでなく、その治療にも、先進国からの支援が行われています。
近年、世界的な不況により、先進国からのエイズに関する支援が
削減される傾向にあります。
「自国が大変なのに、よその国をみる余裕はない」という意見があります。
一方で、先進国の支援で命をつなぐ人がいます。
あなたは、どう考えますか?
・・・
「僕の大切なものは、学校です。勉強ができるのはうれしいです」


エイズ対策が進まない背景には、エイズが神から与えられた罰であるとか、
同性愛者や売春などをする人だけがかかる病気だとかいった、
迷信や偏見が根強いことが大きな壁となっています。
(これには、聖書のなかにある、同性愛が広まった町に神が神罰を下した、
ソドムとゴモラの話などが影響しています。)
そうした迷信や偏見を解くためにも、科学や保健などの知識を含めた、
子どもたちへの「教育」は欠かせません。
ケニアでは、2003年に公立小学校が無償化されました。
それまでは、お金を払えず、学校に行けない子どもたちが多くいたのです。

小学校は8年間で、2009年の就学率は82.6%と高い水準です。
誰もが基本的な教育を受けられる機会が与えられましたが、
それでも、制服代や必要経費、寄付などのお金を払えず、
途中で学校を辞めてしまう子どももいます。
また、小さい教室に多くの生徒が集まり、机などの設備のほか、
先生の数も不足しています。
2009年の、教師1人当たりの生徒数は47人です。

住友化学株式会社は、国際NGO「ワールド・ビジョン」と協力し、
ケニアをはじめ、ウガンダ、タンザニアなどのアフリカ各国で
小中学校の校舎・先生の宿舎、給食設備の建設などに取り組みました。
2011年頭で、住友化学が支援した校舎は8件となり、現在は、学費支援、
備品援助などの教育支援活動が長期的に行われています。
(住友化学は、ケニアで蔓延している感染症のひとつ、マラリアを予防するための
『防虫剤入りの蚊帳(かや)』を開発しました。
その製造・販売による売り上げが、教育の支援に利用されています。)
なかには、84歳という高齢でしたが、無償教育を受けることが認められ、
小学校に通ったキマニ・マルゲというおじいさんもいました。
マルゲは、2005年の国連ミレニアム・サミットに出席し、
初等教育無償化の大切さを訴えるスピーチを行っています。
マルゲの話は、「おじいさんと草原の小学校」という映画にもなっています。
・・・
アフリカ諸国の中では比較的発展し、安定しているケニアですが、
貧富の差は拡大しており、失業率は40%にのぼるといわれています。
ケニアの成長の「影」の部分を表すかのように、
ナイロビには、アフリカで1、2を争う大規模スラム「キベラ」があります。

キベラには、およそ80〜100万人が住んでいるといわれ、
政府もその正確な数を把握していません。
地方から仕事を求めてナイロビにやってきたものの、職を得られず、
流れ着いた人々が大半とみられています。
トタン屋根の小さな小屋に、大家族が身を寄せ合って住んでいます。
上下水道の整備は不十分で、衛生状態は悪く、
下痢などの感染症やエイズで亡くなる人も多くいます。

国連大学と、東京大学大学院の「新領域創成科学研究科サステイナビリティ学
教育プログラム」は共同で調査を行い、開発途上国の人々が、一時的にでなく、
未来にわたってもずっと持続していける開発の方法を提唱しています。
(環境問題を起こさず、先進国からの援助にずっと頼りきったりせずに、
人々の生活を改善する方法を模索しています。)
たとえば、キベラの人々が共同出資し、排泄物を利用したバイオガス施設を作る。
そこで生み出されたガスを住民が買って、料理や明かりに使う。
自分たちの資源を使い、利益を生み出し、生活向上につなげる――――
こうしたビジネスモデルは、スラムの衛生設備の改善や、感染症の流行の抑止にも
有効だと考えられています。

ケニア政府は、物理的・技術的な支援のほかに、
政策に関する助言も他国から受け、
2008年から2030年までの長期経済開発戦略として
「Vision2030」を発表しています。
Vision2030は、
●経済 …毎年の経済成長率10%の維持
●社会 …衛生的かつ安全な環境で人々が住め、平等で公正、結束力のある社会
●政治 …法に従い、すべてのケニア国民の人権と自由を守る政治の上に成り立つ
民主政治システムの実現
の3本を柱に、2030年までの中所得国入りをめざす、総体的な国づくり計画です。
産業の工業化やインフラの整備、政治の透明性の確保(汚職の防止)などの
具体的目標が各分野で挙げられ、取り組みが進められています。
・・・
「僕の大切なものは、生きるために必要なものぜんぶです」


農業につかう熊手や鍬(くわ)などの道具がありますね。
ケニアの人々の生活を支えている主な産業は、農業です。
農業生産はGDPのおよそ3割を占め、国民の7割以上が農業に関わっています。

ケニアの主食はウガリという、トウモロコシの粉を練って蒸したもの。
ケニアでは、アメリカのような大規模農家ではなく、個人レベルでの
自給自足型の農家が多く、ウガリに使うトウモロコシのほかに、
じゃがいもや米なども栽培されています。

(白いかたまりがウガリ。シチューや野菜と一緒に食べます)

(トウモロコシを粉にしているところ)
ケニアでは、農村部の貧困率が高いことも問題となっています。
Vision2030では、農村部の貧困解消と経済成長のため、自給自足型の農業から、
市場向けの農業への転換も、課題に挙げられています。
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「私の大切なものは、雨です。水を与えてくれるからです。
誰も、水なしでは生きられません」


「アフリカの角」と呼ばれる地域をご存じでしょうか。
エチオピア、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ケニアを含む、
インド洋と紅海に向かって「角」のように突き出たアフリカの東側の地域のことです。
この地域は、以前からたびたび、雨季に雨がふらず、大地が干上がってしまう
干ばつに悩まされてきました。

2010年秋からの大干ばつは、過去60年のなかで最悪のものでした。
2年連続の雨不足が続き、大規模な食糧危機が発生。
2011年7月、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は、
「1,100万人以上が生命救助のための支援を必要している」との声明を発表し、
各国に「アフリカの角」支援を強く訴えました。
エサである草が枯れてしまったことで、国立公園の野生動物や、
家畜である牛や羊もたくさん餓死しています。
個人農家が多いケニアでは、家畜で生計を立てていた人々も
打撃を受け、飢餓の危機に襲われることになりました。

国際NGOの「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」は、2011年10月から、
干ばつ被災者の支援として、ケニア北東州での水・衛生事業を実施しています。
水の確保が困難な地域では、人々は地面の水たまりから泥水をくんで
利用することもあり、衛生面が問題となっていました。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、人々が安全な水を利用できるよう、
雨水の貯水容器や水の浄化剤を配布。
また、干ばつで暮らしが苦しくなったケニアの人々は、
家の大事な財産である家畜を最後まで手放さず、
代わりに子ども(女の子)を強制的に結婚させて現金収入を得る、
ということがありました。
しかし、この方法では、根本的な解決になっていないことは明らかです。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、干ばつが起きたときの防災教育(DRR)も
子どもたちに実施。
子どもを結婚させるのではなく、家畜を早めに売り、新しいビジネスを始めるなどの
方法を伝えています。
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独立以来、国民一丸となって国づくりをし、
周辺国の平和調停にも積極的に関与してきたケニア。
しかし近年、ケニアの安定に不穏な影がみえるようになりました。
隣国のソマリアは、1991年に内戦が勃発。
事実上の無政府状態に陥りました。
暫定政権と反政府勢力の抗争が泥沼化し、
国としての機能が停止している状態が続いています。
ソマリアからは、多数の難民が発生。
ケニア政府はこれを受け入れ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)により、
ケニア北東部に世界最大の難民キャンプ「ダダーブ難民キャンプ」が設置されます。
当初、9万人の収容が想定されていたキャンプですが、
現在、46万人以上の難民が避難生活を送っており、
その数は今も増え続けています。

2010年からの「アフリカの角」の大干ばつでは、
ソマリアでの影響はとくに深刻なものとなりました。
これにより、ソマリアからケニア国内へ逃れてくる難民の数はさらに増加。
予想を上回る難民の数に、水や物資の不足、治安の悪化などの問題が起き、
特に子どもたちは、難民キャンプに到着後、数日以内に亡くなるケースが
多くありました。
UNHCRでは、難民キャンプの拡大、テントや毛布、栄養強化食品の提供のほか、
栄養失調を改善する緊急プログラムを実施しました。
その結果、難民の死亡率の低下に一定の効果を上げ、
5歳未満の子どもたちの栄養失調の割合は大幅に低下したといいます。
・・・
「家族がいて、家があって、神様にお祈りする、
普通の暮らしが一番大切です」


ソマリアから大量の難民を受け入れたことで、
ケニアの治安は悪化していきました。
2011年には、ダダーブ難民キャンプ近くで、
イギリス人観光客やスペイン人国際NGO関係者らが
ソマリア側へ拉致される事件が発生。
これには、ソマリアの反政府イスラム過激派組織「アル・シャバーブ」が
関与していると見られています。
ケニア政府は、アル・シャバーブによる犯罪行為を阻止するため、
ケニア軍によるソマリア進攻を決定しました。
これを受けて、アル・シャバーブは
「(ケニア軍進攻の)報復のためのテロ攻撃をする」と宣言。
2012年6月〜7月には、モンバサの居酒屋やダダーブキャンプ近くの教会に
手榴弾が投げ込まれる死傷事件が起き、ケニア国内は緊張を強いられています。


・・・

1963年、独立したばかりのケニアで、初代大統領となったジョモ・ケニアッタ。
ケニアッタは、「ハランベ」という言葉をモットーに、
「新しい国家を皆で築きあげよう」と国民に強く訴えました。
ハランベ(HARAMBEE)とは、ケニアに古くから根付いている言葉・精神で、
みんなで助けあう
みんなで支えあう
みんなで築き上げる
という意味です。
困っている人を見たら、まったく知らない人でも、
みんなで協力し合ってお金や知恵を出しあいます。

42もの部族が協力しあって、今のケニアがあります。
世界では、今も紛争が絶えません。
でも、国同士がお互いにハランベできたら。
困っていること、苦しんでいることを、みんなで補っていけたら。
ケニアがそうできたように、
みんなが笑顔で暮らせる世界に、近づいていけるかもしれません。
「笑顔の自分が、一番好き!」


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絵と写真を集めた人:
山本敏晴、丹野梓
画像データを編集し、文章を書いた人:
田島久美子
編集完了日:
2012年9月4日
監修・校正:
山本敏晴
企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/