2011年08月28日

ブラジル Brazil

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ブラジルは、南米にある、面積・人口・経済規模が最も大きな国です。

面積は世界第5位で、南米大陸の約半分を占め、アメリカよりは小さいものの、ロシアを除くヨーロッパ全土よりも広く、この広大な国土の中に、世界最大のアマゾン熱帯雨林などの雄大な自然を擁します。

航空機、自動車、エネルギー、鉄鋼、電気・電子等の産業を抱える工業国であるとともに、鉱物や石油などの天然資源も豊富に有します。
また、世界最大の農産物純輸出国で、今後、人口爆発にともなって食糧難の時代になると、世界の食糧供給の中心的な役割を果たすと考えられています。


「あなたの大切なものはなにですか?」

「カトリックの教えが世界中にひろがることです」

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ブラジルでは、もともとアジアからやってきた先住民(グアラニー人)たちが、原始的な農業をして暮らしていました。
しかし、1500年にポルトガル人に発見されると、それから約300年にわたってポルトガルの植民地としての歴史を歩みました。
この影響から、ブラジルではポルトガル語が公用語として使われており、ポルトガル語を話す人の人口が最も大きい国です。
また、国民の3/4がカトリックの信者で、カトリックの信者が世界で最も多い国でもあります。

国民の約半分がヨーロッパ系、その他をヨーロッパ系と先住民系との混血系や、アフリカ系が占めます。
19世紀半ばからはポルトガル以外の多くの国からも移民を受け入れ、移民国家特有の人種的文化的多様性を有します。

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日本からも多くが移民としてわたり、世界最大の日系人社会が存在します。
また、ブラジルから日本に移住する人も韓国・中国に次いで3番目に多く、古くから日本と強い結びつきがあります。

「あたしの大切なものは家族だよ」

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「僕はお勉強が大事」

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ブラジルは、建国以来、先進国からの累積債務によってハイパー・インフレが生じ、一時は財政破綻寸前に陥りました。
しかし、新通貨の導入など大胆な経済政策によって危機を回避。
その後は、広大な国土・豊富な人材・豊富な天然資源を背景に新興国と呼ばれるほど飛躍的な経済成長を達成しています。

新興国と呼ばれる国は、ブラジルの他に、ロシア、インド、中国があり、これら4つの国の頭文字をとって『BRICs』と総称されています。

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しかし、このような目覚しい経済成長をする一方で、その成果が適正に分配されておらず、世界的にも大きな所得格差を生み出しています。

そこで、ブラジルは、国民の最低所得を保障する『ベーシックインカム法』を法制化しました。
現在の受給者数は人口の3分の1にも及びます。
また、貧困層の子どもには子ども手当てを支給するなどして、貧困層の底上げにも力を入れています。
こうした政策がブラジルの経済成長を支えているとも言われています。

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「僕の大切なものは食べ物だよ」

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かつて日本は、輸入大豆の8割以上をアメリカから輸入していました。
しかしながら、アメリカは1973年に大豆が不作となると輸出を規制し、日本で豆腐などの値段が高騰して社会問題になりました。
そこで、日本は1980年代初頭からブラジル政府と共同で、ブラジル中西部の半乾燥地域セラードの農業開発を進めました。
セラードとは、首都ブラジリア一帯からアマゾン川までの広大な草原で、もともと土壌がアルミニウムを含む強酸性のため、農作物が育ちにくい不毛の土地でした。
日本政府は多数の専門家を送りだし、石灰で中和してセラードの土壌を改善し、品種改良にも成功しました。
この結果、不毛の大地は豊かな穀倉地帯へと生まれ変わり、大豆生産量は約40倍に増え、ブラジルはアメリカに次ぐ世界第2位の大豆生産国となりました。

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セラードの生産能力にまだ伸び白があり、最終的には、10億人分の食糧を賄えるようになるのではないかという予測もあります。

ただ、この農業開発の裏側で、セラードに生息する固有種が絶滅することを危惧する声も高まっています。
そこで、日本は、分断された生態系を巨大な緑の回廊でつないで動物が移動しやすくするプロジェクトを実施しました。

どのようにして農業開発と生態系の保全とを両立させるかが今後の課題となるでしょう。

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「わたしは世界の平和を望みます」

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近年、ブラジルはその経済成長を背景に、ブラジルは国際社会における地位の向上・発言力の強化を目指して積極的に活動しており、その活動は徐々に実を結びつつあります。

先進国首脳会議は、アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、日本、フランス、ロシアというG8から、アルゼンチン、インド、インドネシア、欧州連合、オーストラリア、韓国、サウジアラビア、中国、トルコ、南アフリカ共和国、ブラジル 、メキシコを含む『G20』へと移行しようとしています。

また、ブラジルは、日本、ドイツ、インドとともに『G4』(国連安保理常任理事国進出を狙う4カ国グループ)を形成し、将来の国連安保理の常任理事国入りを目指しています。

常任理事国入りへの道には障害もありますが、国際政治におけるブラジルの存在感はこれからも増していくでしょう。

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「ぼくの大切なものは家です」

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ブラジルのほぼ全ての大都市の郊外には、『ファヴェーラ』と呼ばれる不法居住者の建てた小屋の並ぶスラム街が存在します。
建物は非常に込み合っており、下水などの施設も不十分。
電気は盗電され、都市周囲の山の斜面にあるため、大雨の際には地すべりで犠牲者がでます。
また、麻薬の売買などの違法行為がはびこり、殺人などの犯罪もしばしば生じます。
このような劣悪な環境にもかかわらず、農村部から都市部への人口流入に歯止めがかからないため、ファヴェーラの住民は増え続けています。

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このような状況下、ドイツ人のウテ=クレーマー氏は、『モンチ・アズール』という団体を設立し、ファヴェーラの住民との協力しながら、健康・居住環境・教育などの分野についてシュタイナー教育に基づいて改善運動をしています。
シュタイナー教育とは、子どもが主体的に行動できるようになることを目的とし、そのために特に芸術活動を奨励する教育法です。
元々富裕層の子女にしか門戸の開かれていなかったシュタイナー学校が、ファヴェーラに住む子供たちにも開かれました。

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また、ファヴェーラで暮らしている子どもたちは、病気になって医師による治療を受けても、しばらくするとまた病気になってしまうことがしばしば起こります。
これは、子どもが不衛生な環境にもどってしまうことに原因がありました。
そこで、小児科医ヴェラ・コルデイロ氏は、『ヘナセ(再生)』という団体を創設し、子どもの母親に衛生に関する教育をすることによって、子どもが病気を再発してしまうことを防ぐ活動をしています。
この活動によって再入院率が60%も下がるという目覚しい効果がえられ、この活動を全国的に展開しようと尽力しています。

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「わたしの大切なものは家族と友達です」

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ブラジルは、インドについで、2番目にハンセン病が蔓延している国です。
ハンセン病は皮膚がただれて一目で区別できるため、歴史上もっとも忌み嫌われてきた病気です。
現在では、ハンセン病は感染力が非常に小さいことがわかっており、また完治する病気です。
ブラジル政府は、ハンセン病患者を社会や家族から強制的に隔離して療養所に入所させる政策を1920年から1986年まで実施しており、ブラジル政府はこの政策の犠牲になったハンセン病患者への賠償として終身年金を支給することを決定しました。

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「僕は森林が大切だと思います。」

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ブラジルには世界最大の熱帯雨林であるアマゾン熱帯雨林があります。
アマゾン熱帯雨林は、その二酸化炭素の吸引量の高さから『地球の肺』とも呼ばれています。
しかし、いま、このアマゾン熱帯雨林が急速に失われようとしています。
森林の不法伐採や焼き畑が横行しているからです。

この広大なアマゾン熱帯雨林が消失してしまうと、単にアマゾンの生物多様性が失われてしまうのにとどまらず、地球温暖化、砂漠化、気候変動など地球的規模の環境問題をもたらすと考えられているため、アマゾン熱帯雨林の状況には世界中の人たちが危機意識を抱いています。

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ブラジル政府は、このアマゾン熱帯雨林を保全するために、衛星画像により不法伐採を監視するシステムを導入しました。
しかしながら、このシステムでは地上が厚い雲に覆われると監視することができませんでした。
これを受けて、日本政府は『陸域観測技術衛星ALOS』を用いて雲の状況にかかわらず地上を監視できるシステムを構築するための技術協力を行っています。
このシステムが完成すれば、アマゾン熱帯雨林の不法伐採に歯止めがかかることが期待されています。

 
「わたしの大切なものは家族と自然です」

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アマゾン熱帯雨林の不法伐採を取り締まることは必要ですが、それだけでは不十分と考えられています。
なぜなら、アマゾン熱帯雨林の不法伐採の背後には、小規模農家などが生活を維持するためにやむなく行っているという貧困問題が横たわっているからです。

そこで、森林の保全と貧困問題とを解決するための方法として、農業と林業を組み合わせた『アグロフォレストリー(森林農法)』が注目されています。
アグロフォレストリーでは、樹木作物を中心に植栽し、樹間で動植物を育成する農法です。

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このアグロフォレストリーをアマゾン熱帯雨林ではじめて実施したのはアマゾン河口のトメアスという街にいる日系人たちでした。
トメアスの日系の移民たちは、1950年代まではコショウを単一で栽培していましたが、1960年代にコショウの病気が蔓延して大打撃を受けました。
その教訓を生かし、1980年代からはコショウが栽培されていた場所に果樹やカカオなどの植え付けを開始しました。
これがアマゾンにおけるアグロフォレストリーの始まりでした。
このアグロフォレストリーの試みが評価され、トメアス総合農業共同組合の代表として、小長野道則氏はルラ大統領より2010年度地域発展貢献賞の最優秀賞を受賞しました。

 
「あたしは大好きな自然豊かな風景を守りたいです」

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1992年に、ブラジルのリオデジャネイロで、『環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)』が行われました。
この会議で、持続可能な開発を旨とする『アジェンダ21』が採択されるとともに、各国は『気候変動枠組条約』と『生物多様性条約』に署名しました。
地球サミットの最終日、当時12歳だった日系カナダ人の少女セヴァン=スズキが各国の首脳を前にしてした語った言葉は語りぐさとなっています。
「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください」

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2002年には、南アフリカのヨハネスブルグで地球サミット(リオ+10)が開催され、アジェンダ21の進捗状況が確認されました。

そして、2012年には、再びリオデジャネイロで地球サミット(リオ+20)が開催されます。
このリオ+20では、貧困削減と持続可能な発展の両立を目指すグリーンエコノミーや、持続可能な発展のための制度枠組み等が主な議論となります。

環境破壊をしたい人なんて誰もいないはずですが、経済活動を営む結果として環境破壊をしてしまっているのが現実だと思います。
こうしたジレンマを打開するため、リオ+20で扱う議題はきわめて重要な意味をもちます。

地球環境問題は、私たちだけではなく、私たちの次の世代を生きる人たちに影響を及ぼす重大な問題です。
この美しい地球を次の世代に渡すため、人類の英知を結集してリオ+20が成功することを心から祈りたいと思います。


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絵と写真を集めた人:
ピースボートの人々、山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年9月3日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 18:05| 日記

2011年08月15日

ボリビア Bolivia


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ボリビア・・・といえば!
と、この国に対して何か思い付くことはどのくらいあるでしょうか?

南米5番目の面積を持ちながら、周りをブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチンなどの
国に囲まれる内陸国です。
国土の3分の1を6000m級のアンデス山脈が占めますが、
一方で国の東側には手付かずのジャングルも多く残っています。
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多民族・複合文化の国であり、大まかに先住民(インディヘナ)55%、
混血(メスティソ)32%、欧州系13%とされ、
南米の中でも先住民の割合が多い国です。
さらに先住民の中には多くの少数民族が含まれています。

国の正式名称はまさにその体を現し「ボリビア多民族国家」といいます。
因みに「ボリビア」は国名は独立運動を指導したシモン・ボリーバルに由来し、
また、首都スクレ(※)は初代大統領アントニオ・ホセ・デ・スクレに由来しています。
その他、ボリビアに因んだ人名由来の地名が多く存在しています。
※スクレは憲法上の首都ですが、実際の首都機能はラパスにあります。


【あなたの大切なものはなんですか?】
  美しい田舎の風景です

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ボリビアはアンデス山脈、ティティカカ湖、渓谷地帯、アマゾンなど
自然豊かな国です。

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ボリビアでは、森林破壊・ゴミ問題・水質汚染などの環境問題があり、
悪化の一途を辿っています。

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これらの問題は環境のみならず人々の健康にも大きな影響を与えています。
飲料水供給率は、全国71.7%
(都市部86.5%、地方部51.4%。2004年、ボリビア社会経済政策分析局)
となっており、安全な水を手に入れられない人々が多くいます。

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日本の途上国への支援である政府開発援助では
1990年から2015年の間に安全な飲料水を継続的に利用できない人々の割合を
半減するための事業など環境問題に対する事業展開をしています。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   学校です

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2001年時点の調査では、全国で約14%、
農村部では約26%の人が非識字者でした。
しかし、2006年からの約3年間にわたる識字教育の展開によって、
2008年12月20日、南米では2番目に『非識字からの解放』を宣言しています。

合言葉「アンデスから始めよう」のもと、原住民たちの多くがこの教育を
受けることになりました。

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このプログラムは識字教育を行う国際機関となっているUNESCO
(国際連合教育科学文化機関)の他、
先に非識字を達成した同じ南米のベネズエラから多くの支援を受けて
実現されました。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   家族が一緒にいること

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ボリビアの人口は約1000万人ですが、その中で海外へ出稼ぎに行く人口は
100万人を超えています。
人口の約1割以上が出稼ぎをしているのです。
主な行き先は隣国のアルゼンチン、ペルー、チリ、
そして旧宗主国であるスペインです。

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家族が仮に4人だったとして、実に2つに1つの家族の両親のどちらかが
海外へ出稼ぎに行っている計算となります。
また、海外への出稼ぎの他、国内の農村部から都市部への出稼ぎも
多く行われていることを踏まえると、
家族みんながそろって暮らすことさえ当たり前ではないのです。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   畑です

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ボリビアは鉱業・農業の国です。
アンデスではジャガイモ・とうもろこしを古くから生産し、
近年は換金性の高い大豆、サトウキビ、綿花、コーヒー、バナナが
盛んに生産されています。

ただし、大規模な農場を保持している人々はごく少数で、
多くは零細小農業に留まっています。

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ボリビアは南米の中で最も貧しく貧富の格差も大きい国です。
国民の60%が貧困層に属しており、農村部ではより多くの割合となっています。


【あなたの大切なものはなんですか?】
  ボリビアが一つになることです

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ボリビアの歴史

ボリビアはこれまでどのような道を辿ってきたのでしょうか。

アンデス山脈といえばインカ帝国のイメージがありますが、
その成立は以外に新しく13世紀です。

そのインカ帝国も1532年にスペイン人に征服され植民地となります。
現在のボリビア南部で発見されたポトシ銀山により、
1650年にはポトシは人口16万人を抱える新大陸最大の都市となりました。

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しかし都市の繁栄とは逆に、原住民は鉱山での過酷な労働やヨーロッパからの
疫病のためその人口は激減しました。

19世紀に入ると、南米の各植民地での独立運動に影響され
ボリビアでも過酷な鉱山労働に耐えかねた原住民や
「クリオーリョ」と呼ばれる現地生まれのスペイン人たちの間で反乱が起こります。
1825年、シモン・ボリバルの援軍を受けたスクレ将軍によって、独立を果たします。
これをボリビアでは「独立戦争」と呼んでいます。


【あなたの大切なものはなんですか?】
  失った海です。ぼくは海がほしい。

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ボリビアの領土は独立当事、現在の倍以上ありました。
そして、西部には現在はない海岸線の領地を有していました。
内陸国ではなかったのです。

今の国土は、20世紀初頭に起こった3つの戦争の結果です。
まずチリとの太平洋戦争(1879年〜83年)に敗れ、海を失いました。
その後、1903年にはアマゾンのアクレ地区をブラジルに割譲し、
1932年〜35年のチャコ戦争では南東部のチャコ地方の大部分を
パラグアイに割譲しました。

海は食料を含む多くの資源だけでなく、各国との交通においても
大きな役割を果たしえます。

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ボリビアでは政治的にだけでなく一般の人々の間で
「失った」海への憧れを抱く人々が多いのです。


さて、数々の戦争を経たボリビアは政治・経済が安定せず
国民の不満は募っていきます。

鉱山労働者、民族主義グループなどの支持を得た新しい政党が
1952年、伝統的な支配層を打破し政権を握ります。
彼らは社会主義的政策を大々的に行い成果を挙げました。
これらの社会の動きは「ボリビア革命」と呼ばれています。

革命を経験したものの、
一時は軍事政権による支配が20年以上も続くこともありました。
現在は文民による政治が行われています。

【あなたの大切なものはなんですか?】
   安心な社会です

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ボリビアの現在の情勢

2006年に南米で初めての先住民出身のエボ・モラレス大統領が誕生しました。

その基本路線は、先進国による政治的支配・経済的な搾取の打破や、
自由競争を促進し、政府の経済への介入を極小化する
いわゆる「新自由主義的経済」への対抗姿勢です。
虐げられてきた先住民の権利拡大などを指向した社会主義的な改革を
行おうとしています。

しかし、既得権を守ろうとする欧米系の移住者と激しく対立して、
社会不安を引き起こしています。
問題は山積みですが、ボリビアには他国にはない強みもあります。


ボリビアの資源

ボリビアはその貧しさからは想像できないほど豊かな天然資源が眠っている国として知られています。
「天空の鏡」と称されるウユニ塩湖はその美しさから日本でも有名となりましたが、
実はレアメタルである「リチウム」の宝庫でもあります。

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*GATAG Free Photo 1.0 の無料素材から掲載

リチウムは私たちの身近なものでは「電池」に使用されています。
その他水素爆弾など必ずしも平和的でないことにも利用されています。

現在先進各国が挙ってその権益獲得に乗り出しています。
日本もその中の一国です。

この開発がお金と引き換えに「天空の鏡」を
破壊するようなものでないことを住民も願っています。

開発においては長期的な視点で環境、そして観光資源としても
目を向けて計画を立てていかなければなりません。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   ボリビアの国旗です

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ボリビアの国旗は1851年に制定されました。
赤、黄、緑の三色旗で、中心にある紋章のコンドルは希望を象徴しています。
赤は独立戦争で流れた血、黄は豊かな鉱物資源、緑は森林資源を表します。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   お母さんが見に来てくれるサッカー

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ボリビアは南米だからサッカーが強いのか!
と思ったらそうでもないのです。
FIFAランク64位、ワールドカップに出場経験はあるものの、
今は昔の話となっています。
しかし、ボリビアでは群を抜いて人気のあるスポーツであることに変わりありません。
多くの子どもたちはサッカー選手になることを夢見ています。

貧困から抜け出せる、といった理由もありそうではありますが、
実際は純粋な将来の夢なのです。


【あなたの大切なものはなんですか?】
   私の夢です

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どんな子どもたちでも夢を無心に追いかけられる、
そんな社会になることをボリビアは目指しています。





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絵と写真を集めた人:
青年海外協力隊・阿部 かなえ(2008年)
青年海外協力隊・工藤 敦子(2009年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
佐渡 愛子

編集完了日:
2011年9月6日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 12:39| 日記

2011年08月10日

マレーシア Malaysia



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マレーシアは「1(One) Malaysia」をスローガンに掲げる多民族国家で
経済発展の著しい東南アジアの国です。
マレー系・インド系・中華系、
そして多数の部族で構成される先住民族など、
いろいろな人種の人々が共に暮らしています。



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国教はイスラム教ですが、他民族国家を反映して
イスラム教以外にも仏教やキリスト教、
その他の宗教を信仰している人もたくさんいます。

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国土はマレー半島部分とボルネオ島部分を合わせると
約33万平方キロメートルで
そのうちの約60%が熱帯雨林で覆われています。
マレーシアの熱帯雨林にはアジアゾウなどが生息する場所や、
たくさんの生き物を育んでいるマングローブ林など、
様々な生態系が存在しています。




あなたの大切なものは何ですか?
「私の大切なものは、ここから見える綺麗な山です。」



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マレーシアという国名は「ムラユの国」という意味があります。
ムラユとはサンスクリット語で「山脈のある土地」を意味する
「マヤラドヴィバ(Malayadvipa)」を語源としています。
マレー半島とボルネオ島の一部から構成されるこの国には
美しい砂浜や南国の熱帯雨林、
そして国名にも表されるような荘厳な山々があります。




あなたの大切なものは何ですか?
「僕は空港で飛行機を見るのが好きなんだ」


(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 _DSC0082a.jpg M_T_02a.jpg)





マレーシアの空の玄関口であるクアラルンプール空港。
この空港の建設には、日本の竹中工務店や大成建設が関わりました。
たくさんの日本の企業がマレーシアに進出しています。
東南アジア地域では、タイに次いで2番目に日系の企業が多い国なのです。
海外の企業が進出することによってマレーシアの経済は急成長してきました。



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マレーシアの経済レベルは世界200か国中、現在57位(2010年)です。
急成長しているマレーシアの経済の波に乗ろうと、
約1400もの日系の企業がマレー半島を中心に進出しています。
今後も日本はもちろん、たくさんの国の企業がマレーシアに進出していくでしょう。


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経済の発展に伴い、女性の社会進出も徐々に進んできています。
でも、子どもの数は昔と変わらないままです。
6人、7人と子どもがいるお母さんも珍しくありません。
女性の社会進出が急にすすんだものの、
それを支える体制はまだまだ整ってはいないのです。
そのため今、乳幼児に対する虐待や放置といった問題が起こってきています。



あなたの大切なものはなんですか?
「僕の大切なものは、家族と一緒にいられる時間です。」


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ユニセフはマレーシア政府と共同で特に5歳未満の子どもとお母さんを支援する
プロジェクトを始めています。
乳幼児に優しい保育施設をつくることでお母さんの負担を減らし、
こどもへの虐待をなくしていこうという試みです。
特に貧しい家庭の子どもにとって
このプロジェクトはなくてはならないものになりました。


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1980年代にユニセフ・マレーシアは乳幼児の死亡を少なくするために
ワクチンの配布や医療システムの構築を行ってきました。
その成果もあり、マレーシアの乳幼児死亡率は先進国並みに低くなっています。
これからはマレーシアが元気に子育てをすることが出来る国になることを目指して
ユニセフは頑張っています



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ところで。日本はエネルギー資源の9割以上(原子力は除く)を輸入に頼っています。
その中でも日本に輸入されている天然ガスのうち20%は
マレーシアからのものだということはあまり知られてはいません。


天然資源やパーム油を輸出することで
マレーシアの経済はどんどん成長してきました。
しかしながら著しい発展の中で、みんなが少しずつお金持ちになっているかというと
そういうわけでもありません。
お金をたくさん稼いでいる人もいる一方で
頑張って働いてもあまりお金を得られない人もたくさんいます。

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マレーシアは1957年にイギリスから独立しましたが、
多民族国家のため、民族間の対立などもあり
1965年にシンガポールが独立しました。
その後も宗教対立や賄賂といった問題を抱えたまま成長しているため
都会と地方では貧富の差がとても激しいのです。


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マレーシアには近隣のフィリピンやインドネシアから
仕事を求めてたくさんの移民がやってきています。
でも、なかなか良いお金を得られる仕事をみつけることが出来ない人も
少なくありません。
移民の問題や宗教対立のためにお金がなく
こどもたちが学校にも行けずに路上で生活をしているような地域もあります。




あなたの大切なものは何ですか?
「わたしの大切なもの、それはおうちです」


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NGO団体のCFFマレーシア(Caring Future For the Malaysia)は
特に移民が多いボルネオ島のサバ州に
「こどもの家」を設立しています。

ボルネオ島のサバ州は移民の問題に加え、
農村での貧困や都市部との経済格差、
なかなか行き届いていない福祉や教育、
宗教や民族による差別などたくさんの問題を抱えている地域です。



あなたの大切なものは何ですか?
「私の大切な物…勉強かなぁ」


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CFFマレーシアは「こどもの家」をつくることによって
貧しさの故に学校へ行けなかったり、
路上で暮らしているこどもたちに
教育の機会や食べ物・住居の提供を行っています。
よりたくさんの子どもたちが将来に希望を見出すことができる、
そんな未来を目指して。




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定年を迎えた世代の人々がその後の生活を海外で過ごす
ロングステイが近年増加しているといわれていますが、
その中でマレーシアは定年後に住みたい国第一位(2006年〜2010年)に
選ばれています。
人気の理由のひとつに豊かな自然があげられます。
特に東マレーシア、ボルネオ島には貴重な動植物がたくさん生息しています。




あなたの大切なものは何ですか?
「私の大切なものは、家の周りに溢れる自然です」

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多くの動植物の住処である熱帯雨林を宇宙から眺めてみると、
開発によって引き起こされた森林の減少や泥炭火災が確認されるのです。
マレーシアでは、600種類以上の植物と
450種類以上の動物が絶滅の危機に瀕しています。
マレー語とインドネシア語で「森の人」を意味する
オランウータンもそのうちのひとつです。




あなたの大切なものは何ですか?
「たくさんの生き物です」

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大切な動物や植物を守ろうと、JICAは地元の政府と協力しています。
「ボルネオ生物多様性・生態系保全プログラム」(BBEC)の中で
環境を守るために必要な知識を地元の人々に伝えているのです。
どんな生き物がいるのか、彼らを守るためには何をしていけば良いのか。
その地域に住む人たちと一緒になって考えています。
世界中で最も豊富ともいわれる生物多様性を守るために。



豊かな森が少しずつ失われていくことで動物たちが住処を失っています。
住処を失った動物たちが畑を荒らしたり、
開発の影響をうけてエビの養殖が被害をうけてしまったがゆえに
村の人々が現金収入を得ようと土地を売ってしまうこともあります。



あなたの大切なものは何ですか?
「僕の大切なものは…故郷です。自然が豊かでとてもきれいなところです」


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売られた土地は伐採されてしまったり
アブラヤシの農園にされることも多々あります。
土地が開発されることによって動物たちの住処は更に減少していくのです。
豊かな森が開発によって失われることを防ぐために
森の保全と村人の収入、この2つを共に得るために
BBECが提案してきた活動のひとつである
エコ・ツーリズムの導入も地元住民にも受け入れられ始めています。





あなたの大切なものは何ですか?
「僕の大切なもの、それは、海と山と空と・・・・」


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マレーシアは2020年までに先進国の仲間入りをすることを目標に掲げていますが、
急速な経済発展と伝統的な暮らしの狭間にたくさんのひずみがうまれています。
世界中で最も豊富といわれるたくさんの生物が暮らしているマレーシアという国で、
この国にに暮らす人々が、こどももおとなも皆笑顔で暮らしていける、
そのような発展がなされていくことを願ってやみません。



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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
エリーさん、Toddさん、小柳さん

画像データを編集し、文章を書いた人:
大川 絵美

編集完了日:
2011年8月11日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 08:51| 日記

2011年07月29日

ベトナム Viet Nam

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ベトナムは東アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義の国です。国土は南北に長く、北に中華人民共和国、西にラオス、カンボジアと国境を接していて、東は南シナ海に面しています。

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(外務省より)

ベトナムには約8600万の人たちが暮らしています。
言語はベトナム語です。宗教は約80%が仏教で、そのほかにもキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などがあります。

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ベトナムの首都は北部にあるハノイで、約620万の人びとが生活しています。ハノイは11世紀から『李朝』(ベトナムに1009年から1225年まで存在した王朝)の首都として定められ、国内の工業、農業の中心地として発展していきました。
1873年にはベトナム全土がフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地でもあったため、フランスの植民地時代の建物が多く残っています。
また、フランスの植民地支配を受ける以前から、隣国である中国からの影響を強く受けていたこともあり、中国風の旧市街などもあります。

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ヨーロッパ風の建物

ベトナムの気候は全体的に高温多雨ですが、長細い国土なので、地域によって気候は異なります。経済は主に農林水産業、鉱業、軽工業で成り立っていて、近年、急速な経済成長をしています。


・・・

ベトナム独立運動
ここでは20世紀のベトナムの歴史的な流れを見ていきたいと思います。

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1939年に第二次世界大戦が始まり、40年にフランスがドイツに降伏すると、同年に日本がベトナムに進駐し、日本軍によるインドシナ半島の支配が始まります。
その後、1945年に日本が無条件降伏をし、同年、東南アジア最初の社会主義国家としてベトナム民主共和国(北ベトナム)が誕生しました。そして、ホー・チ・ミンという人が初代国家主席になりました。

しかし、日本が戦争で負けたことをきっかけに、フランスはインドシナに復帰しようとしました。
そこで、ベトナム全土で『ベトミン』(後述)が指導する蜂起が起こりました。

『ベトミン』とはベトナム独立同盟会という、フランスの植民地主義からの独立を求め第一次インドシナ戦争を戦った独立運動組織のことです。

第一次インドシナ戦争は1946年に始まり、1954年にフランス軍が降伏するまで続きました。

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1950年に社会主義国家であるベトナム民主共和国はソ連と中華人民共和国から国家承認を受けました。一方で、フランスは1949年、ベトナム民主共和国対抗して、ベトナム国(南ベトナム)をサイゴンに成立させ、国家承認をしました。また、ベトナム国(南ベトナム)はアメリカやイギリスからの国家承認も受けました。
こうして、ベトナムはアメリカとソ連の冷戦体制の影響を大きく受けるようになりました。

1954年にフランス軍がベトナム人民軍に降伏し、ジュネーヴ和平協定が締結されてようやく第一次インドシナ戦争は終結し,ジュネーブ協定によって、ベトナムは北緯17度線で南北に分割することが決められました。

その後、フランスに代わってアメリカがベトナムに介入していきます。1955年の国民投票ではベトナム国(南ベトナム)を受け継いだベトナム共和国(南ベトナム)が成立しました。

そして、1960年代のはじめ、ベトナム戦争が始まりました。


・・・

ベトナム戦争

「あなたの大切なものは何ですか?」

「私は平和が一番大切だと思うわ」

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−2つの観点−

ベトナム戦争の本質は2つあるとされています。
1つめは、南北に分かれてしまったベトナムを統一し、新たな国家の建国を求めるために行われた戦争であるという見方。
2つめは、アメリカを中心とする資本主義とソ連を中心とする共産主義との冷戦対立を背景とした「代理戦争」であるという見方です。

そして、資本主義国家であるアメリカが南ベトナムを支持し、共産主義国家であるソ連や中国が北ベトナムを支持しました。

「あなたの大切なものは何ですか?」

「戦争のない世界が一番大切だと思う」

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アメリカ軍は北ベトナムに対し、ローリングサンダー作戦(北爆)という爆撃を行い、多くの民間人が犠牲になりました。

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ベトナム戦争中の1961年、アメリカ軍は大量の枯葉剤を撒きました。
枯葉剤は、除草剤の一種です。森林を枯らしてゲリラ(武器を持った一般市民)を見つけるため、また、基盤である農業にダメージを与えるために撒かれたといわれています。
米軍の枯葉剤の使用について、1965年のタイム誌は「ベトナムに使用される化学兵器は『人道的兵器』である」と記載しました。アメリカ側は爆撃は村の全てを焼き尽くすけれど、化学兵器は全てを焼き尽くすわけではないので爆撃よりは『人道的』だという見方を示しました。

しかし、実際には枯葉剤によって奇形児が生まれる例や、後遺症によって多くのベトナム市民が現在も苦しんでいます。

1992年の国連総会では、枯葉剤などの化学兵器の開発、生産、貯蔵、使用を禁止し、化学兵器の廃棄を定めた『化学兵器禁止条約』が採択されました。

2011年、米軍が枯れ葉剤の汚染除去作業を開始しました。対象となる地域は米軍基地があったベトナム中部のダナン空港周辺です。2013年までの除去を目指し、米国が約3200万ドルを援助することが決まりました。
しかし、ベトナム全土に28カ所あるとされる高濃度汚染地域の除去には20年かかると言われています。

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ホーチミンにある戦争証跡博物館では、ベトナム戦争時に使われた戦車や軍用機、砲弾などを展示しています。また、当時の写真や枯葉剤によるホルマリン漬された奇形児を見ることができ、戦争のありのままの様子を伝えています。


ベトナム戦争は1975年に、ベトナムの最大の都市であるサイゴン(南ベトナムに位置する)が陥落することによって北ベトナムの勝利に終わりました。その後、南北は統合され、現在のベトナム社会主義共和国として成立しました。
さまざまな国の思惑がベトナム戦争で見られました。
この戦争で、200万人近いベトナム市民が犠牲になったといわれています。

ベトナム戦争によってベトナムの人たちの平和への思いはより強くなりました。

そして、忘れてはならないのは、ベトナム戦争は日本の高度経済成長に大きな影響を与えたということです。日本はアメリカに対して軍事基地や燃料補給基地の提供をしました。日本の経済はベトナム戦争特需(大量の軍用トラックの製造など)によって支えられていたという事実があります。

またベトナム戦争によって、多くの難民が生み出されました。そうした難民の人たちを人道的な立場から守ろうと、UNHCR(国連難民高等弁務官)が立ち上がりました。UNHCRはベトナム国民の人たちの声に耳を傾け、難民となった人たちが第三国へ定住、または、帰還できるように取り組んでいます。


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「自然が一番大切です」

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近年ベトナムは、経済発展が続いています(GDP成長率7%以上)。
しかし、急激な経済成長によって水環境の汚染、廃棄物の増加、大気汚染などの深刻な環境問題を引き起こしています。

そのため、ベトナム政府は環境問題を改善して持続可能な社会のための取り組みを進めていく必要があるという考えを示しました。

こうした状況を受けて、JICA(国際協力機構)は水環境を改善させて水環境保護能力の向上のため2007年12月〜2011年12月の間、水環境管理技術能力向上プロジェクト(フェーズ2)を行っています。

JICAがODA(政府開発援助)を使って民間企業(開発コンサルタント会社)にプロジェクトを委託していて、『国際航業グループ』は多くの専門家をこのプロジェクトに派遣しています。


・・・

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ベトナムは、近年の経済の自由化に伴って貧富の格差が拡がっています。そして、売春やストリートチルドレン、麻薬に手を染める子どもたちが出てきて、大きな社会問題としてとりあげられるようになりました。

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この写真を書いてくれた子は孤児院で生活しています。

国境なき子どもたちというNGO団体(非政府団体)では、ストリートチルドレン収容所で暮らす6歳から16歳の子どもたちを対象に自立のための支援をしました。(2010年12月に活動終了)
国境なき子どもたちではスキルアップだけではなく、子どもたちが日々のストレスから解放されて、心のゆとりを作ることにも焦点を当てました。

このような、ベトナムの教育に焦点を当てているNGOは日本においていくつかあります。実際に現地へ行って直接子どもとふれあい、問題に取り組む草の根の活動は多くの子どもたちを支えます。


・・・

領土問題

−西沙諸島と南沙諸島−

西沙諸島はまたの名をパラセル諸島といい、南シナ海あるいくつかのサンゴ礁の小島です。
一般人は住むことはできませんが、豊富な海洋資源があるとされています。

第一次インドシナ戦争が終わった後、ベトナム共和国(南ベトナム)が西沙諸島の西を、中華人民共和国が東をそれぞれ占領しました。
そして、1974年のベトナム戦争時に、中国共産党軍は西に侵攻して南ベトナム軍を追い出し、諸島全体を占領しました。
この時西沙諸島の戦い(南ベトナムの船1隻が襲撃され、沈没)が起こっています。

その後現在まで、西沙諸島は中華人民共和国の実効的支配下にありますが、ベトナムと台湾も西沙諸島の領有権を主張しています。

南沙諸島はまたの名をスプラトリー諸島といい、南シナ海にある100以上の小島からなる諸島です。
南沙諸島もまた、一般人が住める環境ではありませんが、海底に豊富な天然ガスや石油があり、東アジアとインド洋を結ぶ通商ルートとしても大きな役割を果たしています。

1982年、『国連海洋法条約』が制定され、沿岸国の海洋資源の権利が大幅に認められるようになったことをきっかけに国家間の争いはますます激しくなりました。
現在、島を実効支配しているのはベトナム、台湾、中華人民共和国、フィリピン、ベトナム、マレーシアですが、ブルネイも領有権を主張しています。

ちなみに日本は、1951年の『サンフランシスコ平和条約』で領有権を放棄しました。

南沙諸島をめぐる戦争も起きていて、1988年、中華人民共和国とベトナムの間でスプラトリー諸島海戦が勃発。この海戦で70人以上のベトナム水兵が亡くなりました。
現在でも度々衝突が起きています。


・・・

このようにベトナムは、ベトナム戦争による大きな傷跡、市場経済化に伴った格差の問題や領土問題などといった問題を抱えています。

ベトナムは様々な国の影響を受けながらもその中で新しい、独自の文化を築いてきました。
ベトナムの人たちは多くの戦いを経験し、争いの悲惨さを誰よりも知っていると思います。
だからこそ平和への思いも強いのです。

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
2004年にpeace boatに参加した人たち
山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
三雲千穂

編集完了日:
2011年8月15日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 18:10| 日記

2011年07月23日

モンゴル Mongolia





モンゴル国はユーラシア大陸の内陸部にあり、南側を中国、
北側をロシアに囲まれた内陸国です。

高原の大草原とゴビ砂漠の国として知られています。


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大相撲の白鵬や朝青龍の母国でもあります。

「初恋の味」カルピスがモンゴルの乳製品をヒントに生まれた
飲み物だということはご存知ですか?


国土は日本の約4倍の大きさで、人口278万800人。
世界で最も人口密度の少ない国として知られています。

95%以上のモンゴル人と少数民族のカザフ人等で成り立っています。

モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、ゴビ砂漠以北の一帯に
ほぼ該当する領域がモンゴル国です。

これに対し、モンゴル高原の南部は「内モンゴル自治区」と呼ばれ、
現在は中国の領土となっています。



「あなたの大切なものは何ですか?」

「モンゴルの自然です。」



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実際の彼の生活は都市部に住み、TVゲ-ムの大好きな少年です。
美しい大自然もあり、現代的な物に溢れた生活もあり、と
現在のモンゴルの状況を象徴しているかのようです。


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「あなたの大切なものは何ですか?」

「昔からの遊牧民生活です。」


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かつてはチンギスハーンの下、世界史上、最大の国家を形成しました。

大草原を騎馬で行き交うのが伝統的遊牧民で、
遊牧民の歴史は数千年にわたります。

 



「あなたの大切なものは何ですか?」

「国旗です。自分の国に誇りを持ち、将来もっと素晴らしい国
にしていきたい。」



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モンゴル国の国旗は、赤は繁栄を表す火を、青は平和と永遠を表す青空を意味します。

左側の黄色い模様は国家を象徴し、上から炎(過去・現在・未来の意)、
太陽(民族の母の意)、月(民族の父の意)、上下の逆三角形が槍(敵の制圧の意)、
長方形が正直さを表します。
その間に2匹の魚(警戒心の意)、左右の長い長方形は国民の団結心の象徴とされます。






「あなたの大切なものは何ですか?」

「モンゴル族です。モンゴル族は、勤労、勇敢、悠久な歴史を
持っているからです。」


国名はモンゴル人に由来し「勇敢な人」と言う意味を持ちます。



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13世紀,チンギス・ハンやその後継者たちがアジア,ヨーロッパにまたがる
大帝国を築き上げました。

チンギスの孫であるフビライ・ハーンが派遣した元軍は,日本にも
二度襲来(元寇)しています。

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このように世界を席巻したモンゴル帝国(元朝)ですが,やがて漢民族の明朝
に追われてモンゴル高原へ撤退。

17世紀からモンゴルの諸部族は清朝の支配下に入りました。

1911年の清朝滅亡(辛亥革命)によって独立を宣言しますが,
まもなく中国軍閥の支配を受けるようになりました。

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「あなたの大切なものは何ですか?」

「歴史です。過去の出来事を忘れずにいたいからです。」



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1924年,ソ連の支援を受け、独立。
ソ連に次ぐ世界で2番目の社会主義国として,
モンゴル人民共和国が誕生しました。

それからモンゴルは約70年に渡って社会主義国でした。


その間、モンゴル文字が廃止されたり、歴史の教科書の中でチンギス・ハーン
は否定的にとらえられ、教えられませんでした。




「あなたの大切なものは何ですか?」

「チンギス・ハ-ンです。僕の英雄です。」



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1991年のソ連崩壊の影響を受け、1992年にモンゴルは民主化しました。
モンゴル人民共和国からモンゴル国となりました。

民主化以降の教育では、モンゴル文字やチンギス・ハーンが復活しました。






ノモンハン事件をご存知ですか?
1939年、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した
日ソ両軍の国境紛争事件です。

当時の大日本帝国とソビエト連邦の見方では、この衝突は一国境紛争に過ぎない
というものでした。
しかしモンゴル国は、人民共和国時代よりこの衝突を「戦争」と称しています。
たくさんの犠牲者を出しました。


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「あなたの大切なものは何ですか?」

「素敵なレストランで食事をすることが夢です。」

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長い間、社会主義経済システムを採用してきたモンゴルでは,
1990年前後に始まった市場経済への移行により、
旧ソ連の支援の引き上げ、国軍の大幅削減、国有企業の民営化、
不採算部門の切り捨てが進行し、大規模な人員削減、企業倒産によって
失業率の上昇や貧困の拡大が発生しました。



名目GDP:日本の約100分の1

一人当たりGDP:日本の約20分の1








「あなたの大切なものは何ですか?」

「五畜です。」


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モンゴルの経済の特徴として牧業があります。

主な家畜は、羊、山羊、牛、馬、駱駝(ラクダ)で、これらは「五畜」と呼ばれています。


従来は「小さな家畜」と呼ばれる羊、山羊のうち、羊を主な家畜として飼うことが
一般的でしたが、山羊からとれるカシミア原毛が現金収入につながるため、
山羊の頭数が年々増加し、山羊は羊と違い、草を根元から食べるために草原の
砂漠化を助長しています。

また、気候変動による気温上昇や降水量減少による牧草地が衰退し、
砂漠が進行しています。

加えて近年の雪害によって、遊牧民は家畜を失いました。

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その為、遊牧民の人々が仕事を求めて都市部に移住するため、

急激な人口増加が進み、都市の中に貧困に苦しむ人々がたくさんいます。


現在、首都・ウランバートルに人口の半分弱の
115万1,500人が住んでいます。







「あなたの大切なものは何ですか?」

「大都市で暮らすことが夢です。」


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貧困によって家庭が崩壊した多くの子供たちが
ストリ−トチルドレンとなり、5〜14歳の子供たちのうち約35%が
何らかの労働に就くなど、多くの社会問題が生まれています。




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国家崩壊や社会システムの激変が起きるとき、社会的弱者ほど
大きな影響を受けます。







「あなたの大切なものは何ですか?」

「私は歌手になりたいです。
歌が上手なことを皆に知って欲しい。
歌手になって、お金持ちになりたい。」



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彼女は4人家族。社会主義から自由経済の移行により、父親のお給料は
すべてアパ−トの家賃になってしまいました。
その為、母親も働いており、母親のお給料でなんとか生活費をまかなっている
という状況なのです。



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モンゴルでは、貧困の拡大や社会不安から来る家庭不和などによって
多くの子どもたちが家庭の保護を受けられなくなり、
学校にも行けなくなりました。

両親の失職、アルコール中毒からの子どもへの虐待などの困難な家庭事情
により、家出をする子どもが続出しました。

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零下40度にもなるモンゴルの厳しい冬、ストリートチルドレンたちは
マンホールの中に生活の場を求め、「マンホールチルドレン」となります。
マンホールの中は給湯管が通っていて、真冬でも15度と温かいからです。

しかし、マンホールは汚水が漏れている所、虫が湧いている所があるなど
その環境は劣悪で、子ども達は常に感染病や皮膚病の脅威にさらされています。

ほとんどの子ども達が3人〜5人でグループを組んで生活しています。

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5〜10歳の体格が小さい子どもがいるグループは、小さい子に物乞いを
させたり、歌を歌ってお金を稼がせます。

その間、他の子ども達は近くで遊びながらその子の様子を見守っています。
そして、1日の収入を皆で分け合って食料を買います。

10歳〜18歳の年齢で構成されたグループは、市場でのもの運び、車拭き、ガム
売りなど単発の仕事を探して生活の糧にしています。

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女の子は仕事に就くのが難しいため、レストランやホテルのゴミ箱から食べら
れそうなものを拾ったり、外国NGOのお弁当の配給を頼りに生活しています。


世界食糧計画が発表した「2011年世界飢餓現況地図」によりますと、
モンゴルは 北朝鮮やインドと同じく、栄養失調に陥った人の割合が比較的
高い国に分類されました。

モンゴルの住民の20%以上が栄養失調に陥っているとみています。








「あなたの大切なものは何ですか?」

「世の中のあらゆる悪い状況を、皆に知ってもらいたい。
そして、よい社会になって欲しい。」


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恵まれない子ども達を保護するために、都市には多くの孤児院が設置されました。

現在、政府系と民間NGOをあわせてモンゴルに孤児院は50程度あると
言われています。

ウランバートルにある子ども住所確定センターは日常的にマンホールや
路上を見回り、子ども達を保護する活動を行っています。


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保護された子どもは2週間〜1ヶ月センターで身元調査を行われ、
身寄りのある子どもは親元へ、身寄りのない子どもは孤児院へと
連れて行かれます。

モンゴル第二の都市ダルハン市では、マンホールに蓋をつけ南京錠をかける取
り組みを行っています。


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以上のように、国をあげて子ども達を保護する取り組みを行っており、
10年前には数千人いたといわれているマンホールチルドレンは、数百人にまで
減りました。

それでもマンホールで暮らしている子ども達がいなくなることはありません。

孤児院に行っても、集団生活に馴染めなかったり、孤児院の規律に従えなかったり、
孤児院よりも路上での暮らしを選ぶ子ども達がでてきたのです。



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また、最近では、マンホールに家族連れや青年達が住む姿が目立つようになっ
てきました。

以前、家をもてない家庭は、マンションの地下にある配電線室や管理人室に暮
らしていました。


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しかし、貧困層が増え、マンションの地下にさえ住めなくなった家族がマンホ
ールで暮らすようになってきたのです。

日本と異なり、労働需要の絶対数が少ないモンゴルでは、高卒で働ける機会は
非常に限られています。

レストランやスーパーで働くにも競争があります。そして、就職には高度の専
門性が必要とされます。


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孤児院運営の都合上、行き場がなくても卒業させる所が殆どですが、
その結果マンホールでの生活に逆戻りしてしまって貧困から抜け出せ
なくなったり、女性の場合だと性犯罪に巻き込まれたりすることもあります。


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また、運よく職につき、家庭ができたとしても、
低賃金のため子どもを養えないという人も多いのです。

結果、子どもを孤児院に預けたり、あるいは子どもがマンホールでの生活を余
儀なくされる場合もあります。

マンホールから出た子ども達が再び元の生活に戻り、
貧困のサイクルから脱却できなくなることがあるのです。


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NGOゆいま-るハミングバーズでは、こうした貧困のサイクルを断ち切るための
奨学金支援を行っています。

孤児院卒業後の進路の問題によって、 子ども達を真に自立へと導けていない
実情があります。

そこで、孤児院と協力関係を結び、孤児院卒業生の大学進学を応援しています。

貧困のサイクルを解消するためには、孤児院の子ども達が大学で専門性を身に
つけて就職し、モンゴルの明るい未来に貢献する立派な大人へと成長することが
必要だと考えるからです。










「あなたの大切なものは何ですか?」

「学校です。」


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彼女の家族は遊牧民です、ゲル(移動用テント)で暮らしています。
季節ごとに家族単位で移動をして暮らしていく彼女にとって、
唯一外との接点が学校なのです。

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社会主義崩壊後、所得格差による教育の不均衡が発生しました。

教育行政能力の不足、教育インフラの未整備、教員の質の低下、
高等・専門教育の未発達、地方における就学率の低下等
様々な問題が生じています。

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このような状況に対し、モンゴル政府は教育を国家発展の基礎と位置づけ、
教育の質の改善・効率の向上等を掲げた「教育改革基本方針」を
1997年に策定しました。

現政権においても教育に関する政策を重点課題とし、先進国への留学
促進を目指しています。

モンゴルは、貧困削減の国家戦略において、教育の質の向上と
アクセスの拡大及び2015年までの初等教育の完全普及の実現を
開発課題の優先目標の一つとして掲げています。


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ところが、以下のデータがあります。

識字率 (UNESCO)
成人識字率 97.8%(2000) 97.5%(2005) 97.3%(2007)
青年識字率 97.7%(2000) 96.1%(2005) 95.4%(2007) 

つまり、上記のような目標を掲げているにも関わらず、
識字率は、青少年でも、成人でも、低下してきているのです。

早急な対策が求められます。


ちなみに、教育関係に使われるGDPの割合は5%(CIA2004年)で、
経済協力開発機構(OECD)の平均が4.9%であるのと
比べると、平均的です。

識字率の低下は、それ以外にあると考えられます。


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日本政府では平成20年度、首都ウランバートルの小学校12校の教室や
机・椅子・黒板等の建設に協力しました。

この支援により、合計155教室が建設され、
新たに約1万2千人の生徒の受入が可能になりました。

今後ますます教育環境が改善されていくことでしょう。












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モンゴルの経済の中心は畜産業と鉱業ですが、主要産業は伝統的な
牧畜業から豊富な鉱物資源を背景にした鉱工業が
中心になりつつあります。

広大な土地柄、金や石炭、また今や話題のレアメタルにおけるまでの
天然資源が隠れているといわれています。

それは、モンゴル国の約7割が未開拓の土地や場所があるからなのでしょう。


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天然資源である石炭や金、レアメタルなどは年々価格の高騰が続いています。

今後,ほとんど未開発の大規模炭田や注目を集めるウラン,レアアースの
開発が進めば,モンゴル経済は名実ともに鉱物資源大国として
更なる経済発展が見込まれます。


菅直人首相は2010年、モンゴルのTsakhiagiin Elbegdorj大統領と
会談し、モンゴルの鉱物資源開発に向けて
戦略的パートナーシップを締結しました。


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これにより東芝では、ウランや希土類元素(レアアース)や希少金属(レアメタ
ル)などを対象に、モンゴルの持続的な経済成長に重要となる火力や原子力、
太陽光発電システムや送電網などの主要な社会インフラ整備の実現可能性を
検討するとともに、鉱物資源開発の安定した供給の確保に向けて
モンゴルの会社との相互開発を進める方針を出しました。

新興国として、資源国として、外貨流入なども盛んに行われ、モンゴルの経済
発展は続いていくでしょう。


なお、現在のモンゴルの、経済成長率は、6.1%(2010年速報値、世界銀行)
と、2%前後の日本に比べて好調です。


「初恋の味」カルピスのカルピス社は、創業者三島海雲が内モンゴル
(現:中国内モンゴル自治区)でモンゴルの発酵乳にヒントを得て
これをベースにした「カルピス」を作り出しました。


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カルピス社は経済産業省の独立行政法人 製品評価技術基盤機構(NITE)
との間で、モンゴルの発酵乳などから分離された微生物(乳酸菌や酵母)
を現地で収集し、食品への利用可能性を探る産官共同事業を開始しています。

モンゴルは寒暖の差が激しく、砂漠、高山、針葉樹林帯、草原、塩湖等の
バラエティーに富んだ環境や日本にはない特殊な環境があります。


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苛酷な環境に生息する微生物は、環境に適応するため特殊な能力を持って
いることが多く、例えば医薬品、健康食品、工業原料等の製造、有害物質の
分解による環境浄化等への活用がモンゴルにおいても、
また、日本の産業界においても期待されています。

2010年名古屋で生物多様性条約が締結されました。
先進国が途上国にある生物資源(遺伝資源)から
健康食品や医療品を作り出した場合、利益の配分を途上国に対し
行うというものです。

その生物多様性条約に基づき、カルピス社は収集した微生物は
商品化された場合は、製品評価技術基盤機構(NITE)を通じて、
収益の一部をモンゴルに還元するとしています。






「あなたの大切なものは何ですか?」

「モンゴル国の未来と幸せです。」


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経済産業省が2010年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料などの
世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に
進めていることが明らかになりました。

ロシアやフランスは原子炉と廃棄物処理とをセットに
国際的な原子力発電所の売り込みをしています。
処分場を自国内に持たない日本とアメリカは、このロシアやフランスに
対抗するのが主な狙いのようです。

そしてモンゴルは見返りとして日米からの原子力技術支援を受けるようです。
原子力エネルギーは気候変動を防ぐ有効策とされ、
原子炉1基数千億円のビッグビジネスとも言われています。
核廃棄物の国内処分地選定の見通しが立たない日米と、技術支援で
核燃料加工施設や原発を建設したいモンゴルの思惑が一致したということでしょうか。

モンゴル政府内には、見返りとして核燃料加工などの技術供与も得ることで、
核燃料の輸出国として経済を発展させたいとの思惑があるようです。




 
モンゴルは、こうした経済成長に伴い、今後大きく発展していくでしょう。

未来は明るく感じられます。

しかし、その一方では貧富の差が広がり、貧困に苦しんでいる人たちがいる現状も

あるのです。

では、幸せとは何なのでしょうか。

あなたの大切なものは、何ですか?





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
山本敏晴
(2006年9月)

画像データを編集し、文章を書いた人:
澤田 輪香子

編集完了日:
2011年7月30日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 14:54| 日記

2011年07月16日

ネパール Nepal





ネパールは、インドと中国に接する内陸国で、首都のカトマンズからはヒマラヤ山脈が臨めます。政治、産業(観光業)、医療、交通はカトマンズ周辺に集中しています。


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国花は真紅のヒマヤラシャクナゲであり、国旗の色にもなっています。



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「僕の大切なものは、国花の『ヒマヤラシャクナゲ』です。」



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また、真紅はネパールのナショナルカラーであり、勇敢さを表します。









ネパール国民の宗教は現在、ヒンドゥー教徒 約80%, 仏教徒 約10%, イスラム教徒 約4%, その他 約5% という割合になっています。



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ほんの数年前までの約250年間、ヒンドゥー教が国教として、政治や生活の基軸となっていました。



そのため、信仰の自由が認められるようになった今でも、ネパール人の生活にヒンドゥー教が深く根付いたままです。ヒンドゥー教に由来する、男尊女卑や身分差別がなかなか解消されません。



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「僕の大切なものは『心』です。どんな変わった人でもどんな身分の人でも、それぞれに『心』があります。」



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ネパールと日本の教育水準を比較すると以下のようになります。ただし、( )内は2010年度の人間開発指数(HDI)の順位を示します。



ネパール(138位)日本(11位)
 15歳以上識字率
 (%、2009年) 
57.999.0
 初等教育就学率
 (%、2004年)
78.899.9
 男性識字率に対する
 女性識字率
 (15〜24歳、%、2005年) 
60.199.9




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識字率は1990年の33%に比べると、大きく上がりました。これは、1990年代から共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)が自分の団体の支持獲得と共産主義教育を目的として、学校建設や教師派遣を行ったことが大きな原因と考えられます。


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「私の大切なものは『女の子に教育すること』です。ネパールでは女の子はあまり学校に行っていません。差別があるからです。でも、むしろ女の子に教育したほうがお母さんになったときに、産まれた子どもに学校に行く前から『読み書き』を習慣付けてくれるので、女の子に教育することのメリットは大きいと思います。」



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NGO ルーム・トゥ・リード (RTR) は、約10年前にアメリカでマイクロソフトに勤務していた社員が創設しました。彼は、ネパールに登山に行った際「現地の女の子が教育を受ける機会がほとんどない」ことを知り、本を届けることから始めたそうです。以後、女性の識字教育や学校建設などの活動を、ネパールのほかに、インドやカンボジアでも行っています。


ネパールにおける教育には、性別格差のほかに、地域格差や身分格差が見られます。



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ダリット(カースト最下層)の初等教育就学率を地域別に比べると、山岳地域が約74%、タライ平原が約38% となっています。

これにより、タライ平原におけるカースト社会はより差別が厳格であることが分かります。教育格差ゆえに、タライ平原のダリットは雇用機会を失いさらに貧しくなります。



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なお、カースト制度は人を ブラフマン(僧侶)、クシャトリヤ(貴族、武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷) の4つの階層に分けます。しかし、これらのカーストよりも更に下位にある人々「アウト カースト」がいます。彼らは、自らを ダリットと呼びます。不可触賎民(アンタッチャブル)という意味です。









ネパールと日本の医療水準を比較すると以下のようになります。ただし、( )内は2010年度の人間開発指数(HDI)の順位を示します。



ネパール(138位)日本(11位)
 5歳未満児死亡率
 ( 人/1000、2008年) 
504
 妊産婦死亡率
 ( 人/100,000、
 2003−2008年)  
8306
 平均寿命
 ( 歳、2010年) 
67.583.2
 病床数
 ( 床/10,000、2010年)  
50139




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「私の大切なものは『健康』です。能力を発揮して、自分を表現できるからです。」



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ネパールの医療問題に関して、日本の企業が取り組んでいる事例があります。ネパールでは、白内障やトラコーマなどの病気によって、高齢者が視力を低下させています。しかし既に日本では、これらの病気は適切な治療や予防で回避できます。そこで、メガネの田中チェーン株式会や株式会社メガネの松田がネパールにおいて、眼鏡やサングラスの提供、眼科検診、眼科薬の無償提供を行いました。



内陸国であるネパールにとって、川は生活に欠かせません。しかし、カトマンズ周辺を除いて下水道がほとんど無いので、川は未処理下水やゴミ投機、火葬死体の放流により水質は悪く、それを住民らが生活水にしていることが衛生状態を悪くしています。



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ネパール特有の医療問題として、リーシュマニア症(黒熱病)が多いことが上げられます。
汚れた川が原因で、リーシュマニア症の主な媒介虫であるサシチョウバエがいるのかもしれません。



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衛生の問題は学校にもあります。現在の公立学校では、過密、トイレの未整備 (特に女子トイレ)、校舎の老朽化などの問題があります。



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「私の大切なものは『学校』です。教育を受ければ、私は何でもできる大人になれるような気がするからです。」



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日本政府は、ネパール政府が策定した「万人のための教育」支援のための小学校建設計画 に無償資金協力と建設資材の調達、また周辺住民参加の教室建設の指導を行いました。これよって、子供たちが安全で健康に学習できること、またマオイストによらない自由な教育が行われることが期待できます。



また、数々の日本政府の支援への御礼として、ネパール政府は東日本大震災直後に、日本に毛布を 5,000枚送りました。

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1990年代にはマオイストが支持率を上げるために、女性運動を積極的に後押し、都市部には女性活動家が現れました。これにより、1991年には女性差別撤廃条約などの国際条約を相次いで批准しました。2002年にはネパール中絶法が成立しました。成立以前は (レイプによるものを含め) すべての中絶が違法とされ女性のみが投獄されていました。2006年には、ネパール憲法に「女性の性と生殖に関する権利は女性の基本的権利である」と明記されました。


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しかし、深く根を張った男尊女卑を解消することは一朝一夕では難しいようです。教育においては、近年でも女子の識字率が男子の3分の2以下です。考えられる理由としては、早婚、家事手伝い(特に長女)、女子トイレの未整備、などが上げられます。



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ダリットの女性は特に差別的な扱いを受けます。21世紀になっても、ダリットの女性が身に覚えの無い罪を着せられて村中から暴力を振るわれた、ということが実際にありました。



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「私の大切なものは『学校で読み書きを習うこと』です。読み書きができるようになれば、新聞が読めたり、文章が書けるようになるからです。」



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年間 5000〜7000 人の貧しいネパール人少女がインドへと人身売買されています。売買される少女は大半が 16歳以下であり、初潮を迎えていない少女も含まれているかもしれません。



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この問題に対し、NPO ラリグラス・ジャパン (Laligurans Japan) はネパールとインドの少女売買春・人身売買の廃絶を提唱し、HIV感染者とAIDS発症者の支援や、障害をもつ女性や子どものサポートを行っています。









1990年代から、ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト) が急速に支持を獲得し、長く王室と対立していました。2000 年頃から国土の大半を実効支配し、内戦状態が続いたため、政情不安、治安悪化により観光業が低迷しました。2006年に停戦合意、2008年に王制廃止、連邦民主共和制への移行が実現しました。



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「僕の大切なものは『国旗』です。国は僕らに、安全や安心を供給してくれます。」



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マオイストは男女同権を訴え、近代的な女性から多くの支持を獲得し、女性の地位向上の成果を上げました。しかしこれに対し、「ネパールの典型的な男尊女卑社会を考慮に入れると、男児は家系を絶やさないために都会に逃げ、いずれ嫁いで家を出る娘は兵士としてマオイストに供出されたのではないか」という見解があることは無視できません。



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内戦当時インドやアメリカは王室を支持していたのに対し、マオイストは外国の援助を受けず、兵士の住居や武器弾薬、資金は現地で自己調達していました。その結果、各地でマオ派兵士による家財の略奪、徴兵、上納金の要求が横行しました。この内戦によりネパール国内で家を失った人は5 万〜7 万人と言われています。



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マオイストによる政治活動は教育にも及びました。マオ派ではない教員は給料を不当に取り上げられて生活と雇用を失い、私立学校は資本主義的だとして攻撃の対象になることもありました。



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この事態を重く見た国連は、内戦後の2007年から代表団「国連ネパール政治ミッション(UNMIN)」を派遣しました。UNMIN の軍事監視要員は基本的に非武装で、マオイストキャンプや国軍の兵舎において、2011年3月まで武器と兵士監視を行いました。









次に、なぜ中国のチベット民族がネパールに移住してくるのかを、解説します。



中国政府はチベット民族の診療所や学校を接収したり、チベット居住地域を国定公園に指定して住民を追い出すなど、チベット民族に差別を繰り返しています。そこで、中国のチベット難民は、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府をめざして一度ネパールへ入ります。



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なぜネパールに入国するかというと、ヒマラヤ山脈があるため、中国からインドへ直接行くよりも、ネパールを中継したほうが地理的に易しいからです。ネパールを中継した人は、ネパールで難民認定を受けます。



しかし、中にはインドの気候、雇用機会などの理由からネパールに戻ってきて生活するチベット難民もいます。ネパールにいるチベット難民は現在約2 万人です。2007年の亡命者2337人のうち 18 歳以下は 44.8%でした。両親が金銭を工面して子供だけを送り出すケースが多いと考えられています。



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「僕の大切なものは『チベット』です。この場所で、僕らの文化を守っています。」



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NGO チベタン・チルドレンズ・プロジェクト (TCP) はネパールでチベット人支援活動を行っています。ネパールでチベット人支援を行うのは、中国政府の干渉を回避するためです。職業訓練(介護福祉)、語学(チベット語・英語・日本語) の2つのプログラムを提供する「トレーニングセンター」と、児童・乳幼児を対象とした「児童養護施設」、伝統的な予防医学を継承する「チベット予防医学室」をネパールの首都カトマンドゥのチベット人居住地区に開きました。








ネパールの人々は、我々が富士山を愛でるように、ヒマラヤ山脈を慈しんでいます。

我々がそうであるように、彼らも偶然生まれた国で、教育を受け、神を信仰し、生活しています。

我々との相違点は、彼らが 深く根付いた男尊女卑、低い教育水準、衛生問題、政治問題、そしてチベット難民の問題など、様々な難問を抱えているという点です。

偶然にも豊かで自由な生活を手にしている我々がネパールにできることは何か、上に述べたNGOや企業の活動を参考に、今一度考えてみませんか。









・・・
・・・






絵と写真を集めた人:
山本敏晴 (2005年3月 )



画像データを編集し文章を書いた人:
小野明日美



編集完了日:
2011年7月29日



監修・校正:
山本敏晴



企画・製作をした団体:
NPO法人・宇宙船地球号


http://www.ets-org.jp/



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2011年06月24日

ボツワナ Botswana

ボツワナ共和国 Botswana

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ボツワナはアフリカの南部(その中でも内陸部)にある国です。

国土は日本の約1.5倍ですが、人口は195万人しか住んでいません。
そのため、世界で7番目に人口密度の少ない国として知られています。

ボツワナ人の約79パーセントがツワナ族という民族で、その他にもカランガ族、バサルク族などの民族で構成されています。

公用語はツワナ語(約78パーセント)と英語(約2パーセント)です。

ボツワナは、複数の政党によって民主主義に基づく政治を目指しています。そのため、他のアフリカ諸国に比べると、国全体が比較的安定している国でもあります。

また、ダイヤモンド鉱脈の発見で経済が発展し、今では「中所得層」に分類され、「アフリカの優等生」とも呼ばれています。

一方で、古くからの伝統文化や家族との関係も大切にしています。
また、いまだ多くの自然が残っています。

しかし、同時に、ボツワナには多くの問題があります。
1)失業率が高く貧困層が多いこと(ジニ係数)、2)ダイヤモンド産業への依存が高いこと、3)HIVの感染率が高いことなどがあげられます。

・・・

ボツワナの人たちが描いた、大切なものの絵を紹介します。


「あなたの大切なものはなんですか?」

「わたしの大切なものは鳥です」

Thatayotlhe Midas Maezeさん 29歳

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Thatayotlheさんは、
「鳥は美しく、私の国の観光地であるオカバンゴ・デルタ(地域の名前)でよく見られるので、私にとって鳥が大切です。鳥は、私の国が発展するための収入源になります。」
と言いました。


観光産業は、ボツワナの主要産業の第2位となっています。
そのため、観光産業を生活を支えにしている人が多くいます。

そして、その観光産業がボツワナの大自然なのです。

国土の約17%が、指定保護区とされていて、国立公園には多くの動植物が生息しています。

チョベ国立公園ゾウの生息密度は世界一だとも言われています。

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・・・

太陽光によるクリーンエネルギー

ボツワナは、電力供給の75パーセント以上を近隣諸国からの輸入に頼っています。
そのため、ボツワナ国内でエネルギーの自給率を上げることが大きな課題となっています。
また、エネルギーの自供率を上げるだけでなく、CO2削減を目指しているので、太陽光発電などといった再生可能エネルギーを取り入れようとしています。

太陽光発電の導入のために、日本のODA(政府開発援助)で無償の支援を行っています。

・・・

「わたしの大切なものは牛です」

Onkababile Ketlogetsweさん 21歳

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Onkababileさんは、
「学費を払うためにお金が必要になるなどの問題があるとき、牛を売ってお金を得ます。また、牛のミルクは、子どもに飲ませたり、食べ物を作るために使います。」
と言いました。

ボツワナでは、昔から牛を財産とみなし、生活の重要な糧として、大切に扱ってきました。

また、人々は牛だけではなく、伝統的な家やつぼなども大切にしています。

経済を発展させようとする一方で、古くからの文化が受け継がれていることがわかります。

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・・・

サン族

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ボツワナには「サン族」という先住民族が住んでいます。
サン族は、文字を持たないため、古い記録は残っていません。
また、サン族は狩猟採集民族で、村というものがなく、家族単位で生活しています。
彼らは、自然に関する知識が豊富で、厳しい生活環境の中でもたくましく生きてきました。

近年、ボツワナ政府はサン族にも近代的な生活を送らせようと、政府が建てた家に強制的に住まわせるなどといった政策をとっています。
これに対し、人権団体や、文化人類学者の間では、人権侵害や文化の否定であると批判の声があがっています。
近代化し、豊かに暮らすということだけが、人間にとって重要なのでしょうか。

・・・

「私の大切なものは車です。」

ケツェピーレ・ディカカーニョさん 20歳

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ケツェピーレさんは、
「移動手段として、車はとても大切だと思います。」
と言いました。

さて、みなさんは、「ジニ係数」という言葉を知っていますか?

ジニ係数とは、社会の所得分配の不平等さを測る指標のことです。
数の範囲は0から1で、値が0に近いほど格差が少ないことを表し、1に近いほど格差が大きいということを意味します。

ボツワナのジニ係数は0,605で、世界で5番目に悪いのです。

また、1995年〜2005年のUNDPによる調査によると、1日1ドル以下で生活をする人の割合が28パーセントで、世界で8番目に多いことがわかりました。

所得格差の問題はボツワナの抱える最大の問題の一つとして挙げられます。

そうした問題解決のために、2009年にボツワナでアフリカ開発会議が開かれました。
アフリカや他の国の総勢48の国の政府代表が集まりました。

そして、貧困層の70%が農村で暮していることから、農業研究や土壌の改善、小規模農家への支援を行い、農産物や食糧を増やしていく必要があるということになりました。

貧困層の人々の飢餓の問題が深刻化している中で、国連と企業が協力して取り組んでいるのが、たんぱく質を豊富に含んでいる「スピルリナ」という藻の生産と普及です。

コストが安く、生産性も高いため、貧困層のたんぱく質不足の問題を解決することと同時に、現地の雇用も生み出していくという、2つの貧困解決のための狙いもあります。

・・・

ダイヤモンド鉱山

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ボツワナの主要産業の第二位は観光業でしたが、第一位はダイヤモンドです。

ボツワナは、1967年に世界最大級のダイヤモンド鉱脈が発見されてから、経済はダイヤモンドによって成り立っています。

国内には4つのダイヤモンド鉱山があり、GDPの約40パーセントを占めています。

ボツワナ国内からは多くのダイヤモンドが採れますが、原石の大半はイギリスへ送られ、イギリスで加工され、二次産品として世界中で出荷されます。

ここで問題になるのが、ボツワナは一次産品の出荷が中心なことです。
一次産品は二次産品よりもずっと低い値段で取引されます。
そのため、ダイヤモンド原石をそのまま輸出してしまうと、あまり利益を上げることはできません。

また、大半を原石のまま外国に輸出してしまうため、商品としてボツワナ国内に残らないのです。

ボツワナはダイヤモンドのおかげで、豊かになりました。しかし、最近の金融危機の影響で、ダイヤモンドを購入する人が急減してしまいました。
国のGDPの半数近くが一つの輸出産品で占めることはとても危険です。
そのため、ボツワナ政府は、長期的は経済開発を目標として、現在、観光産業にも力を入れています。
ダイヤモンド以外の新しい産業の成長の必要性を認識し、その道を模索しています。


・・・

HIV/AIDSの問題

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ボツワナは世界で最もHIVの感染率の高い国の一つです。

HIVとは、AIDSを引き起こすウィルスで、母子感染、血液感染、性感染で人から人に感染していきます。
AIDSとは、HIVにより免疫力が低下し、さまざまな病気を引き起こします。

UNAIDS(国連合同エイズ計画)の2009年の報告によると、国全体でAIDSに感染している人は約32万人で、15歳から49歳の感染者は24.8パーセントとなっています。
親をAIDSで亡くした子ども(エイズ孤児)は、9万3000千人にものぼるといわれています。
そして、国全体では23.9パーセントと世界第二位です。(ちなみに一位はスワジランドです。)

ボツワナのAIDSの感染率が高い理由の大きな原因として、同時に複数の性的パートナーを持つ(Multi Concurrent Partner)ことが社会的に容認されていることがあります。
そのため、パートナーを特定の人に決めない人が多いのです。

UNAIDSは、ボツワナのAIDSの問題を深刻に受け止めて、AIDS撲滅に取り組んでいます。

まず、AIDSに感染した子どもたちに無償でウイルス治療を行っています。
子どもは大人よりも抗ウィルス治療を受けることが少ないのです。

また、女性の経済的自立を促しています。
女性の自立を促すことがどうして、AIDSに感染する割合を減らせるのかというと、貧しい女性は生きていくための手段として性交渉をする割合が高いのです。
そのため、AIDSの感染率を減らすためには、ジェンダー(女性の権利の向上)の問題も考えていかなくてはなりません。

その他にも、保健医療制度の強化などを行っています。


以上あげたとおり、ボツワナは国内に多くの問題を抱えています。

政府はこれらの問題解決、そして、様々な新しい社会事業に力を入れています。
しかし、かえってそれが人々の政府への依存を大きくし、しばしば人々の労働意欲の低下にもつながっています。

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ボツワナには手付かずの大自然や、多くの資源、そして伝統的な文化が多くあります。
そして、ボツワナの人々はそれらをとても大切に思っています。
その大切なものをどう守っていくかということが課題になると思います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
青年海外協力隊・平野 祐介
(2011年5月)

画像データを編集し、文章を書いた人:
三雲千穂

編集完了日:
2011年6月24日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 16:11| 日記

2011年02月23日

中国 China

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約13億人の人が住み、面積が日本の25倍と大きな国。
そして現在急激な経済成長をしている中国。

中国の正式名所は中華人民共和国。首都は北京です。
中国は90%以上を占める漢民族と、50以上の少数民族からなっています。

昔、清という王国があったのですが、
1912年に、革命家の孫文が、資本主義の国、
「中華民国」を建国しました。

その後、1949年に毛沢東が、共産主義の国、
「中華人民共和国」を建国し、
以後は中国に「2つの政府」が存在しています。

中華民国政府は台湾に移動しましたが、
現在にいたるまで中国の「2つの政府」問題は解決されていません。

一応、現在、国連に「国である」と認められているのは、
中国本土にある、中華人民共和国の方です。


・・・

「あなたの大切なものはなんですか?」

 
「わたしは天安門が大切だと思う。」
劉時鳳さん 36歳
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天安門事件(1989年)は、北京市の天安門広場で起こった事件です。

民主化を求めて集まった一般市民のデモ隊に、
中国軍が武力で対抗し、多くの死傷者を出しました。

以後も、デモ隊に参加した学生や人権運動家の人たちは、
中国の人びとの人権を守るために、政府と闘い続けました。

中国政府は、実際の死傷者数を公表せず、
政府を批判した人びとを弾圧しました。

(この天安門事件で殺された人の数は、
 数万人以上いる、とも言われています。)


また、国際人権団体の
ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)は、
「中国政府は、1989年に、天安門広場で、
 丸腰の一般市民を虐殺したことを認めるべきである」
という声明文を出して、中国を非難してきました。


・・・

「あなたの大切なものはなんですか?」


「わたしは自由自在に泳ぎ回る魚を描いたわ。」
袁王珍さん 47歳
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現在の中国は、共産主義国家です。

一般論として、共産主義国家の良いところは、
国民がみな平等であることです。

国民の間では、貧富の差がないはずです。
また、一般に、
義務教育の普及率は、資本主義国家よりも高いことが多いです。

しかし一方で、一党独裁政権により、
国家の権力がとても強く、
言論・宗教の自由が制限されてしまうことや、

「平等」という考えから、競争原理が働かず、
生産意欲(仕事をする意欲)がわきにくいという特色もあります。

どんなに頑張って働いても、
怠けている人と同じお給料だったら、
頑張る気持ちが下がってしまいますよね。

そのような中、劉暁波(りゅうぎょうは)さんという人権運動家が、
2008年に「08憲章」という、
「自由」「人権」「平等」「共和」「民主」「憲政」
を基本理念とする主張を発表しました。

彼は、さまざまな、人権・民主化運動に参加し、
天安門事件では投獄され、現在も監獄に服役中の人です。

劉暁波さんは、その活動が称えられ、
2010年に(刑務所にいながら)
中国在住の中国人として初のノーベル平和賞を受賞しました。

劉暁波さんのノーベル平和賞受賞に猛反発した中国政府は、
各国に、その式典に出席しないよう働きかけ、19カ国が欠席しました。

”中国は人権弾圧をしている”という見方もある一方で、
”ノーベル平和賞の選考には欧米の政治的な戦略もあり、
 公平な選考であるのかどうか疑問だ”
という批判の声もあげられています。

どちらが正しいのでしょうか?


・・・

「あなたの大切なものはなんですか?」


「子どもたちが山を抜け出し、貧困から抜け出すことが大切だと思いま

す。」
李嬌嬌さん 17歳

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2010年に、中国はとうとう日本を抜いて、
GDP(国内総生産)が世界第2位になりました。

(1位アメリカ14.6兆ドル、2位中国5.7兆ドル、3位日本.54兆ドル)

中国のように、
最近になって経済成長が著しくなってきた国を
「新興国」と呼びます。

また、自動車生産台数は世界第2位になり、
石油消費量も世界第2位になるなど、
中国はものすごいスピードで経済成長を遂げています。

中国は政治的には共産主義体制を保ちつつも、
北京や上海などの都市部を中心に、
経済の一部を「市場経済化(資本主義化)」しています。

このため、一方で、
中国国内での所得の格差(貧富の差)は広がり、
深刻な社会問題となっています。

もはや、共産主義の良い所の、
「みな平等」は、なくなってしまいました。

沿岸部の上海などでは市場経済化が進み、
経済が活性化していますが、
内陸部では現金収入がほとんどなく、
都会に出稼ぎに行く人が増えています。

でも都会に行ったからといって、
すぐに仕事が見つけられるわけではありません。
ホームレスになる人も多いです。

一部の中国人富裕層が、
東京銀座などにマンションを購入したり、
北海道などの土地を大量に購入するというニュースを
最近よく耳にします。
人々の所得の格差は拡大する一方です。

都市部と地方での貧富の差が拡大し、
貧困層の不満が溜まっているという事態が、
現在の中国を不安定にしている要素の一つです。

そして、最近では労働者のストライキも増え、
仕事や将来に対する不安から自殺する若者も増えています。

社会主義国家が資本主義に移行する時、
自殺率が上がるという現象は、
以前、旧ソ連圏でも起こっていました。


さて、上に掲載した李さんの絵ですが、
ほとんど収入のない内陸部では、もう食べていけないので、
貧困を抜け出すためには、
都市部へ行ってお金を稼がなければならない、
という思いが、山間部の子どもたちの中にはあるのでしょうか。


・・・

「あなたの大切なものはなんですか?」


「わたしは楽しそうにしているパンダの絵を描いたわ」
賀新新さん 20歳
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中国は、絶滅危惧種の多い国です。

446種の植物(世界3位)と、370種の動物(世界9位)が、
絶滅の危機に瀕しています。

人口の増加と自然破壊による開発を繰り返したことによって、
多くの動植物が絶滅の危険にさらされています。

2010年の10月に愛知県名古屋市で開催された、
「生物多様性条約・締約国会議(COP10)」では、
多様な生き物や、その生息環境を守り、
持続可能な環境づくりのための話し合いが行われました。

しかし、動植物の保護によって
経済発展の邪魔をされたくない中国と、
自然保護地域の面積について高い目標を掲げたいEUとの間で
対立が起こりました。

結局、双方の間を取り、
中国は2020年までに、生物多様性保全地域の面積を、
中国国土の18%にするという目標に落ち着きました。

本当は、生物保全地域を、もっと広くしたかったのですが。


・・・

「あなたの大切なものはなんですか?」

「地球が泣いているの」
王瑋さん 16歳
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2010年11月に、地球温暖化対策を話し合う
「気候変動枠組み条約・締約国会議(COP16)」が
メキシコのカンクンで開催されました。

(中国を含む)新興国と途上国は、
日本と欧州などに対してだけ、以前、「京都議定書」で決定された、
CO2削減義務の延長を訴えました。

そして、自分たちには
CO2排出量の上限の設定はしないことを主張しました。

ここで大きな問題となるのが、
世界一のCO2排出国は、現在、中国であることです。

中国は、2009年にアメリカを抜いて、
CO2排出量が世界一位になってしまった
経済大国なのです。

昔、作られた京都議定書のままでは、
中国は、CO2削減義務の、対象外になっています。

ちなみに、アメリカも、京都議定書から既に離脱しています。

京都議定書で、削減義務のある
日本(4%)、EU、ロシアなどの国は、
世界全体のCO2排出量の28%しか占めないのに対し、

削減義務のない国々からのCO2排出量は72%にもなります。
(中国21%、アメリカ20%、インド5%)

さらに、新興国である中国とインドは
急激な経済成長に伴って、今後も年々、CO2の排出量は増大しています。

中国、アメリカ、インドにCO2の削減義務が課されないままでは、
今後もCO2は増え続け、
地球温暖化に歯止めをかけることはできないでしょう。


絵を描いてくれた王さんは言いました。

「人々は地球を傷つけていますが、このままでは地球は耐え切れません。
 将来、水が一滴もなくなるかもしれません。
 将来、鳥の住む場所がなくなるかもしれません。
 将来、プラスチックのゴミだらけになるかもしれません。
 将来...人類がその被害を被ることになるのです。」


・・・

「わたしは中国の美しい自然が大切です。」
高向飛さん 20歳
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世界の人口が増加し、同時に、
新興国(中国、インド、ブラジル、ロシアなど)の経済発展により、
今まで以上に(石油などの)資源の需要が増え、
”限りある資源”への獲得競争が激しくなっています。

中国は広大な土地と資源を持っていて、
世界のレアアース(希土類元素)生産の、
なんと97%を占めています。

レアアースは、
ハイブリッド車や電気自動車の蓄電池の原料として使われています。

そして、日本は需要の9割を中国からの輸入に頼っています。

中国政府は2011年から、
一部のレアアースの輸出税を引き上げました。
さらに輸出制限もしています。

レアアースをめぐる各国の獲得競争は、一段と激しくなっています。

また、中国は、増え続ける世界人口
(国連によれば、2060年に百億を突破)
にとって重要な、
農業(穀物生産)のために必要な化学肥料の元である、
「リン鉱石」の産出量が世界1位(世界の30%)です。

日本はこのリン鉱石を100%輸入に頼っていて、
今まではアメリカからも輸入していましたが、
アメリカのリン鉱石が枯渇してしまったために、
中国の四川省鉱山から購入していました。

しかし、2007年に起きた四川大地震で
生産量が激減してしまいまいました。
また、今後、輸出が制限されるかもしれません。


さらに、さらに、
中国が持っている資源は
レアアースやリン鉱石だけにとどまりません。

中国が持っているもう一つの資源、それが”水”です。

世界人口の、60%以上が暮らしているアジアですが、
アジアの水資源は、世界の36%しかありません。

(つまり、足りないのです。)

そして、水の供給先である国際河川の上流域の多くが中国にあります。

もしも、中国政府が、それらの川にダムを作って、
水の流れを止めてしまえば、
中国はアジア地域の水資源を独占することが可能になります。

そして今、中国各地でダムが建設されています。

水というのは人間が生きていくために最も必要な資源です。

中国がこの国際河川の上流域にダムをつくり、
水の流れを止めて、水資源を独占したら、
インド、パキスタン、タイ、ベトナムなどの
国際河川の下流に住んでいる国の人びとはどうなるでしょうか。


世界銀行の副総裁は
「20世紀は『石油』の争いで戦争が起こったが、
 21世紀は『水で争うようになるだろう」
と言っていました。


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「わたしの夢見るふるさと」
張蘭さん 16歳
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ほとんど知られていない問題として、
中国のHIV/エイズ問題が挙げられます。

中国南東部から台湾へと、拡がって行きました。

中国では、「売血」により感染者数が増大したとみられています。

中国には「売血」制度があり、
農村などに住む貧しい農民たちは
生活費を手に入れるために自分の血を売っています。

そのため、
エイズ感染者が、自分の血を売った場合、
エイズなどの病気が
「輸血」でうつってしまう可能性があります。

また予防接種などの注射時に、医療関係者が針を使い回しすることも、
HIV/エイズ拡大の原因となっています。

(麻薬などの薬物使用者の間でも、
 注射器の針の使いまわしで、
 HIV/エイズ感染が拡大しています。)


こうした問題に対し、
中国の人権活動家・劉暁波さんの妻、曽金燕さんらが
エイズで親を失った遺児らを支援するための
NGO(非政府組織)を立ち上げ
取組んでいましたが、

このNGOは、2010年11月に、
中国税務当局の強い圧力により、
活動停止に追い込まれてしまいました。


最近、チュニジアやエジプトなどで
政治改革を求めるデモが怒り、
独裁政権が、相次いで倒れていきましたが、
これに乗じて、中国でも、
デモを呼びかける情報がインターネットで流れています。

これに対し、中国政府は、
ネット閲覧を制限するようになりました。

しかし、チュニジアで起きた政変、ジャスミン革命にちなんで、
2011年2月20日に、
「中国ジャスミン革命」と呼ばれる運動が始まりました。

北京や上海などの13都市に、たくさんの人が集まりました。

中国では政府の権限が大きく、
国民による民主化運動が起こらないように、
様々な制約があります。

しかし、中国に今、
民主化の波が押し寄せてきているようです。

これからいったい、どうなるのでしょうか?


以上挙げたとおり、
中国は、急速な経済成長をしていますが、
経済の市場化によって、貧富の差が広がり、
自然破壊とCO2排出量の増大など、環境問題も起こしており、
様々な社会問題を併発しています。


それでも、
とにもかくにも、世界第二位の経済大国となった中国です。

中国の今後の動きに国際社会は注目し、
また、
中国の今後の動きと共に、国際社会も大きく変動してゆくでしょう。


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絵と写真を集めた人:
1.青年海外協力隊・田中千代子
(2008年03月〜2010年03月)
2.山本敏晴(2000年頃)

画像データを編集し、文章を書いた人:
三雲千穂

編集完了日:
2011年2月24日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 11:26| 日記

2010年12月22日

バングラデシュ Bangladesh

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バングラデシュは、アジアにある国で1億6000万人の人々が暮らしています。


「あなたの大切なものはなんですか?」

「わたしの大切なものはバングラデシュ。」
Ukraching Marmaちゃん 11歳

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バングラデシュは、1)人口増加(貧困層の人口の増加)や、2)サイクロン(台風)などの自然災害が多いこと、3)ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM、女性の社会進出度)が低いことなど、国内にたくさん問題を抱えています。

そういった環境の中でも彼らは毎日たくましく生きています。

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多くの女性は、人が生きていくために必要な家事や育児、つまり再生産労働(男性が重要な仕事と、みなさない日常生活の雑用)をしています。

毎日の水汲み(川への往復に平均で2時間、煮沸消毒に20分)も女性の仕事です。

しかし、収入があるわけではないので女性は男性に依存する存在として見られ、女性が自立することを困難にしています。

こうした問題に対して、世界最大のローカルNGO(途上国側にあるNGO)の一つであるバングラデシュの「ブラック」(brac)はマイクロクレジットによる支援をしています。


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マイクロクレジットは貧しい人々を対象とした援助で、小額のお金やお米、牛などを人々に貸し出すことによって、事業を開始するための手助けをし、収入を得られるようにし、低金利で少しずつ返してもらうというものです。

そして、小さいグループ(五人組)を作って(借金返済の)連帯責任を負わせることで(夜逃げなどを防止し)お互いを監視しあうことで、98%の高い返済率を維持し、大きな成果を上げています。


マイクロクレジットは、元々は、バングラデシュにあるグラミン銀行の、経済学者であるムハマド・ユヌス(Muhammad Yunus)によって始まった新しい開発の形です。

彼はマイクロクレジットの提唱で、2006年にノーベル平和賞を受賞しました。


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「ぼくの大切なものは病院だよ。」
Sona Ratanくん 13歳

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Ratanくんの実家は農家です。
しかし、農家は十分な収入がないため奨学金で勉強して、人のためになる仕事をしたいそうです。

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バングラデシュは、妊産婦検診の受診率が低く、そのため出産前後において、適切な治療を受けることが難しいことや、1)出産時の大出血、2)子宮内への細菌感染(産褥熱(さんじょくねつ))、3)妊娠中毒症(妊娠中の高血圧による痙攣)などの緊急時に、その患者の輸送手段がないことなどから、妊産婦死亡率が高いのです。

こうした問題に政府機関であるJICA(国際協力機構)では、地域の保健医療サービスを充実させるために、NGO(非政府組織で、民間の国際協力団体)との連携による、1)母子保健サービスの質的向上と、2)サービス利用率の増加に取り組んでいます。

裕福な人や貧しい人に関わらず誰でも医療サービスをうけられるように地域住民に焦点を当てた「性と生殖に関する健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス・アンド・ライツ、出産の前後における女性の健康と権利の保護)」という概念のもと、多くの貧しい人が治療を受けられるように力を入れています。

病院というものは人々の生命線で、命を明日に繋げてくれる大切なものなのだろうと感じます。


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「私は田舎が好きです。」

(この子の名前は不明です。ロハガラさん?)

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バングラデシュは自然災害が多く、多発するサイクロンにより多くの人がなくなっています。

2007年11月15日に起こったサイクロンの豪雨と暴風で死者は1万人と推測されています。サイクロンは一瞬のうちに多くの犠牲者を生み出しました。

そして、被災地の仮キャンプでは、(トイレの数が十分なく、また清潔な水が手に入れられないため)衛生状態が悪いため、(下痢などを中心とした)様々な病気が発生しています。特に子どもたちが犠牲になっています。

このため、ユニセフ(国際連合児童基金)は、長期的な栄養不良の問題に取り組んでいます。5歳未満の子ども約34万人と、妊婦また授乳中の女性12万4000人に、栄養補助食品を配布し、栄養状態の悪化を食い止めようと活動しています。

様々な災害が起こる中で、大切な家族や友達と支えあい、そして生きていくことが、絵を描いた彼女にとって一番大切なことなのだと思います。


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BOPビジネス(貧困層向けビジネス)という言葉を聞いたことはありますか?

BOPとは”Base of the Economic Pyramid”の略で「低所得者」または「貧困層」のことを言います。

今まで貧困層を顧客としたこのビジネスは、「お金がない」「文字が読めない」ため(企業にとっての)顧客や労働者とは考えられていませんでした。

しかし、製品やサービスの工夫によって、貧困層でも顧客や労働者になることがわかったのです。

そして、彼らのニーズ(その地域の人々が望んでいる物品やサービスなど)にあった商品を提供することは、彼らの生活環境を改善することにもつながっています。

今、このBOPビジネスが注目されています。

日本の大手企業ユニクロを経営するファーストリテイリングは、バングラデシュで、新会社「UNIQLO Social Business Bangladesh 」を立ち上げました。

そして、現地での「服の企画、生産、販売」を通してバングラデシュの「貧困、衛生、教育など」の問題に取り組んでいます。

ユニクロは「企業の社会的責任(CSR)」のために、これからも日本の企業をリードしていってほしいと思います。



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社会企業(ソーシャル・ビジネス)として有名な企業に、マザーハウスがあります。服やハンドバッグなどを、バングラデシュで作っています。

社長兼デザイナーである山口絵理子さんは「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、2006年にこの会社を立ち上げました。

バングラデシュの「ジュート(麻)」や「レザー(革)」を使用した高品質のバッグを作っています。それにより、1)現地の人々の生活を支え、また、2)不当に低い価格にならないように配慮した商品の価格決定を行っています。


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「私の大切なものはショヒド・ミナールです。」
ナスリンさん 21歳

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バングラデシュがパキスタンから分離独立するまで、現在のバングラデシュ地域は、「東パキスタン」として存在していました。

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ショヒド・ミナールとは、バングラデシュの独立運動のきっかけとなったといわれるベンガル言語(『バングラデシュ』はベンガル語で『ベンガル人の国』という意味。)運動の犠牲者を祭っている国定記念碑のことです。

1952年2月21日、ベンガル語の対等な社会的地位を築くために活動していた主張者に向けて、パキスタンの警察隊が発砲し、たくさんの学生と政治活動家が殺害されました。

「僕の大切なものは独立記念碑。」
Shanti Bikash Chakmaくん 14歳

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言語や宗教の違いからたびたび内戦を繰り返し、ようやく人々は、1971年にパキスタンから分離独立を果たしまし、「バングラデシュ」という国家を建国しました。
この少年はバングラデシュ人としてのアイデンティティをしっかり持っていて、この国を大切に思っているのだと思います。


「私の大切なものはバングラデシュの国旗よ。」
Selina Akthanさん 21歳

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バングラデシュの国旗は、緑が豊かな大地を、赤い丸は独立に流された血を表しています。

お絵かきイベントに参加してくれたバングラデシュの多くの人たちが、ショヒド・ミナールや独立記念碑、国旗の絵を描いてくれました。

・・・

バングラデシュは、自然災害やジェンダー(女性の権利)問題など、様々な問題を抱えています。

しかし、バングラデシュの人たちは、彼らの国に誇りを持っています。もしかしたら日々、恵まれた生活の中で暮らしている私たちよりも、自分にとって最も大切なものは何かということを知っているのではないかと思います。

そして自立への手助けとして、1)民間のNGOたちによるマイクロクレジット体制の確立や、2)日本政府によるJICAを通した地域の医療サービスの向上への取り組み、3)ユニセフの自然災害時における栄養不良問題への長期的な援助、4)一般企業や社会企業の貧困層への取り組み、などが行われています。


グローバル化が進み、ますます相互依存が深まる国際社会の中で、バングラデシュのような途上国が抱える様々な問題は、この国だけの問題ではありません。
私たちが負うべき責任を、もう一度見つめ直し、お互いに理解を深め合っていくことが大切だと私は考えます。


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絵と写真を集めた人:
1.横浜市立大学学生・中村友紀
(2010年10月)

2.青年海外協力隊・奥野麻衣
(2007年9月〜2009年9月)

3.青年海外協力隊・竹谷和子
(2007年12月22日〜12月30日)

4.青年海外協力隊・宮下遼士
(2010年03月〜2010年06月)

5.青年海外協力隊・平島綾子
(2009年11月〜2011年11月)


画像データを編集し、文章を書いた人:
三雲千穂

編集完了日:
2010年12月22日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

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2010年12月02日

ニジェール Niger

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サハラ以南アフリカ諸国の中でも最貧国の一つであるニジェール。
この国は、人々の生活水準や経済の発展度合いを示す指標である人間開発指数(※)が、2007年に全世界177ヵ国中の最下位にランク付けられ、国民の6割が1日1ドル以下で生活しています。

(※人間開発指数とは、1)出生時平均寿命、2)成人識字率 (15歳以上)、3)初等・中等・高等教育総就学率、4)一人当たりGDP、以上の4つの指標から算出するもの。)

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「あなたの大切なものは何ですか?」

「私の大切なものは、村の学校と私のお母さんです。」

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ニジェールの成人識字率(国連開発計画(UNDP),2007)は、28.7%で、下から第三位。高校までの就学率(UNDP,2007)は、27.2%で、下から第二位と、教育水準においては世界でも最低ランクです。

また、ニジェールには約6,200人ほどの教員がいますが、その約8割が契約教員であり、そのほとんどが教育学に関する教育を一切受けていません。
他のサブサハラ諸国と比較しても、その低い教育レベルや政府の財政難により、初等教育総就学率52%、中等教育総就学率15%と低いのが現状です。(2006年時点)

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そうした教育現場や教育者が不足しているとゆう現状から、「学校」を大切だと答える彼女の、教育を欲する思いが汲み取れます。日本では「義務」である学校も、ニジェールの子どもたちにとっては大切な学びの場所なのです。

これらの現状に対し、国際協力機構(JICA)は、2007年4月から、住民参加型の学校運営を促す「住民参画型学校運営改善計画」を行っています。

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今回のプロジェクトでは、「教育開発10カ年計画(2003〜2012)」において、初等教育総就学率を2002年の41.7%から2012年には94%まで向上させることを目標としています。
また、ニジェールの中学生の理数科学力向上を目標し、質の高い教員の育成を目指したプロジェクトも行っています。

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「あなたの大切なものは何ですか?」

「私の大切なものは、赤ちゃんです。」

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ニジェールは、妊産婦死亡率が世界11位、五歳未満子ども死亡率が世界12位と、世界で最も当該死亡率の高い国のひとつです。(2008、WHO)
2008年のWHO調べでは、出生千人あたりの五歳未満子ども死亡率は、日本が6人なのに対して167人。つまり、生まれてくる子どものうち、およそ6人に一人が亡くなっているのです。

高死亡率の原因にはマラリア、呼吸器疾患、下痢症疾患が挙げられますが、特にマラリアは主要疾病の1位であり、そのほとんどがマラリアの中で最も死亡率の高い種類である熱帯性マラリアです。

子どもが亡くなっていくことが日常である環境に暮らす彼女にとって、「赤ちゃん」は儚く、大切な存在なのでしょう。
妊産婦死亡率、五歳未満子ども死亡率共に高いニジェールにおいて、子どもを生むことも生きることも、命懸けなのです。

国境なき医師団(MSF)は、こうした現状を受けて、ニジェールで繰り返される栄養危機に2001年から対応しており、2009年には、国境なき医師団の支援する栄養治療センターで8万6000人の栄養失調児が治療を受けました。

また、三井住友フィナンシャルグループは、CSR(企業の社会的責任)活動の一環として、ニジェールにおける産院での幼児と妊産婦のための医薬品の購入、ワクチンやマラリアの治療薬を住民に提供する事業に寄付をしました。

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「あなたの大切なものはなんですか?」

「森を守ることです。」

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ニジェールは国土の3分の2を砂漠が占め、北部は乾燥し、主な産業である農業は南部に限られています。しかし、南部全域がサヘル地帯(サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域)に属しており、近年砂漠化が激しくなっています。
また、森林の減少は、自然環境によるもののみでなく、人々が料理に使う燃料のために行う森林伐採も深刻な問題となっています。

農業が主要産業であるニジェール。既に国土の大半が砂漠であるのに、さらに砂漠化が進めば国の産業への影響は計り知れません。

こうした森林破壊への対策として、スペインバルセロナに拠点を置く「Tree-nation」は、ニジェール内の砂漠に巨大なハートの形になるように800万本の木を植える活動を行っています。
このプロジェクトでは、ウェブ上で一本千円から二万円の木を購入し、その木に名前とメッセージをつけることができます。
若手企業家により立ち上げられた、新たな収益モデルを持つ営利組織です。

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「私の大切なものは給水塔です。」

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自給農業が中心であるニジェールですが、降雨量は少なく灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業です。そのため降雨量に収量は大きく左右され、しばしば干ばつが起こります。

こうした現状に対し、日本外務省は、2009年、給水施設建設と施設の維持管理を目的に、7億3000万円の無償資金協力(お金を与えること。返さなくてよいもの)を行うことを発表しました。

森を守ることが大切だと言った少年も、給水塔が大切だと言った少年も、その背景にはこうした砂漠化に対する危機感が読み取れます。
生きていくためには木を切らなければならないこと。それを知っていながらも、「森を守ること」が大事だと答えた少年は、資源に感謝する気持ちを既に持っているのかもしれません。

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「あなたの大切なものは何ですか?」

「学校でドーナツを売ることです。」

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(残念ながら本人写真はありません。)

アフリカ諸国において、貧困による栄養失調は深刻な問題です。
ニジェールでは、3歳未満児がもっとも影響を受けており、その15.5%が急性栄養不良です。

幼い子どもたちの栄養不良率が高い理由には、年齢に適した食糧を入手できないこと、食習慣の問題、基本的な保健サービスが不足していることのほかに、女性や保護者となる人々に、子どもを守る情報、教育、支援サービスなどが行き届いていないこと等が挙げられます。

この絵を描いた少女も、家計を支えるために働いているのでしょう。お金を稼ぐことが生きていくことだと知っているからこそ描いた絵なのかもしれません。

これらの問題に対し、国連児童基金(UNICEF)は、栄養失調児に対し、母乳の推進や、補助食品の支援を目的とし、その目的達成のために、そうした活動を行う援助団体に対する援助を強化しています。

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以上挙げたように、ニジェールは現在、教育水準、妊産婦死亡率・五歳未満児死亡率や栄養失調、砂漠化による産業危機等様々な問題を抱えています。

また、同国は、ジェンダー不平等指数(2008、UNDP、計算できた138カ国中)が下から第三位であり、女性の権利保障環境が劣悪な国です。また、ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)については、計算することすらできない(国が統計指標を集めることができない)国でもあります。

このように、様々な問題を抱えているニジェールですが、問題を抱えている国であっても、自分の国はやはり自分の国。
文化と開発の共存は難しい問題ですが、そのような環境の中で力強く生きる現地の人々と、国際協力団体とで協力し合い、少しでもこの現状を改善・打破し、よりよい国になることを願います。

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補足情報:
最新の国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書2010」では
ニジェールの「人間開発指数」は169ヶ国中167位。





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絵と写真を集めた人:
1.青年海外協力隊・原田唯
(2008年07月〜2010年7月)
2.青年海外協力隊・三浦
(2004年12月01日〜2006年12月31日)
3.青年海外協力隊・看護師・大野真理
(2010年04月28日〜2012年4月27日)
4.青年海外協力隊・山田直之
(2010年06月〜2013年6月)
5.青年海外協力隊・柿沼久美子
(2010年09月〜2012年9月)


画像データを編集し文章を書いた人:
周東明美

編集完了日:
2010年12月9日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

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