2012年01月27日

コソボ Kosovo

コソボ共和国は、
ヨーロッパの南東部にある
バルカン半島の中心に位置する国です。

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「私の大切なものは、地球です。
そして、この地球をこの先もずっと守っていくことです。」
この絵を描いたのは、Elmedima Bajrame、14歳の女の子です。

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この国は、2008年に2月にセルビア共和国から独立を果たした、
世界で二番目に新しい国です(2012年2月現在)。
人口は約200万人、
国の面積は、日本の岐阜県と同じくらいです。

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(コソボ周辺の地図:外務省ホームページより)

オレンジ色の国がコソボです。
首都はプリシュティナにあります。

国民は、ほとんどがアルバニア人で、
そのほか、セルビア人やトルコ人などの民族がいます。

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主な言語として、アルバニア人はアルバニア語、
セルビア人はセルビア語を話します。

アルバニア人はイスラム教、
セルビア人はキリスト教宗派の一つであるセルビア正教を信じています。

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国の主な産業は、商業などのサービス業、
大麦や小麦、トウモロコシなどの農業で、
褐炭(石炭の一種)、亜鉛などの鉱物資源ももっています。



・・・

現在のコソボがある土地は、
以前、セルビア王国があった場所の一部、南端でした。

6〜7世紀以前の時代は、アルバニア系の先住民が住んでいた
とされるこの地ですが、
7世紀に、東からセルビア人や別の民族がやってきて、
この土地を統治しました。

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12〜13世紀になると、
セルビア人はここにセルビア王国を建て、
この地をセルビア正教の発祥の地としました。
セルビア王国とセルビア正教が誕生した地であるコソボは、
セルビア人にとって神聖で大切な場所となりました。

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ところが、14世紀にイスラム国家のオスマン帝国が
セルビア王国に勝利すると
オスマン帝国はイスラム教徒であるアルバニア人を
コソボへ連れてやってきました。

コソボにアルバニア人が多く住むようになった理由は、
このオスマン帝国によるアルバニア人の移住でした。
20世紀になるとセルビアはコソボを奪い返したのですが、
そのころには、コソボ人口のほとんどを
アルバニア人が占める状況になっていました。

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この民族構成の変化が、
今に至るまでコソボの抱える大きな問題を生み出しました。
コソボの土地を支配するのはセルビア政府ですが、
そこに暮らすのはほとんどがアルバニア人であるため、
セルビア人とアルバニア人の間に対立ができたり、不平等が生じて、
お互いの仲がうまくいかなくなってしまったのです。

この状況を「不公平だ!」と感じたアルバニア人は、
自分たちの力でセルビアから独立をしようと動き、
1990年に独立宣言をするところまでこぎ着けたのですが、
歴史上、セルビア王国とセルビア正教が生まれた
大事な場所を失いたくなかったセルビア政府は、
アルバニア人による独立運動を力づくで抑えようとしました。

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セルビア政府は、人々がアルバニア語を話すことを制限し、
軍隊をつかってアルバニア人の独立集会や反政府運動を
やめさせました。
また、セルビア政府は確かな理由もなしにアルバニア人を捕まえて
殺害しました。
すると、アルバニア人も武力を備えた組織をつくり、
セルビア人への仕返しとして、攻撃、殺害など
残酷な行為をしました。
対立はさらに暴力的な闘争へとエスカレートし、
コソボの治安は急激に悪くなりました。

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ヨーロッパ地域にあるコソボがこのような状態になっていることを
危険と感じたNATO(北大西洋条約機構
=ヨーロッパの国々と北アメリカとによる軍事同盟)は、
セルビアを爆弾で攻撃し武力で争いを止めようとしました。
1996年から1999年に起こったこの紛争を、「コソボ紛争」といいます。

NATOによる爆弾攻撃の結果、
セルビア側の軍隊がコソボから撤退すると、
国連がコソボの政治を行うことになりました。

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その後、2008年にコソボ共和国は独立し、
2011年5月現在、75ヵ国がコソボを国として承認しました。
国づくりは始まったばかりで、
解決するべき課題は多くありますが、
コソボは新しい時代を切り開き、歩みだしました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「平和と、人種を越えて自由に人を愛せることです。」
この絵を描いたのは、Ardianna Azemi、14歳の女の子です。

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この子は、「自分の大切なもの」として、
PEACE(平和)の文字と、
愛をあらわすハート、
そして、
「それぞれの指の色(肌色)が異なっている手」
を描きました。


「あなたの大切なものは何ですか?」

「世代を越えて、みんなが一緒に暮らせることです。」
この絵を描いたのは、Drilona Sejgiu、14歳の女の子です。

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 120(80)a-thumbnail2.jpg KSV_053a.jpg)




この子は、絵の右側から、
子どもたち、おじいさん、お父さんお母さん、
車椅子に乗っているおばあさんや、おじさんというふうに、
何世代もの人が家族一緒に暮らす様子を描きました。

コソボがその歴史を歩むなかで直面してきた、
民族同士の対立は、コソボという国にとって大きな問題です。
セルビア人とアルバニア人の争いは、
コソボ紛争という悲惨な結果を招いてしまいました。

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争いにより多くの人が命を落とすなかで、
NATOはセルビアの軍隊をコソボから撤収させました。
しかし、紛争で心も体もボロボロになってしまった人々は
不安でいっぱいです。

「どのようにしたら、
これからのコソボを平和にすることができるだろうか。」
ということを相談するため、
国連安全保障理事会は会議を開きました。

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国連安全保障理事会はこの話し合いにおいて、
国連コソボ暫定行政ミッションをつくり、
混乱状態にあるコソボの政治を、しばらくの間は国連が行う
ことを決めました。

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国連コソボ暫定行政ミッションは、
主に以下4つの範囲に関して、プロジェクトを行いました。
1.人道(人間の苦痛を取り除くこと):
  紛争により被害を受けた人に家や食べ物、医療を提供したり、
  地中に埋まっている地雷を取り除くこと
2.臨時統治:
  雇用、教育、運輸、清掃、警察と消防、郵便と通信など、
  コソボで生活する人々にとって必要なことをすべて指揮すること
3.組織と制度づくり:
  人材育成を行い、選挙を実施し、国の民主化を進めること
4.復興:
  コソボの経済を立て直すために土台をつくること

国連コソボ暫定行政ミッションは、
コソボを少しずつ回復させ、独立への大きな力をもたらしました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「国が豊かになることです。」
この絵を描いたのは、Gemtrii Veliu、12歳の男の子です。

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もともとセルビア共和国の一部だったコソボは、
(実際は)経済的に、
セルビアから助けられていた面もありました。

コソボは、独立した現在も自分たちの力で経済を成り立たせることが
難しく、多くの国民の生活が、外国からの支援に頼っているのが現状です。

国の主な産業である農業は、
ほとんどが家族で経営している小さな規模のものです。
コソボには鉱物資源があるのですが、
コソボ政府は、まだ有効に活用できていません。
この結果、コソボの経済状況は赤字が続いています。

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人口の7割は35歳以下の若者です。
ところが、彼らには、仕事がなく、
失業率が非常に高い状態です。
このため、国は税収を得ることができず、
国家予算は、赤字になっています。

長い紛争を乗り越え、独立を果たし、
これから国をつくっていくコソボにとって、
経済を成長させることが重要な課題です。

株式会社ウイは、コソボが経済的に自立することを目指して、
コソボワイン事業をはじめました。

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コソボは、降り注ぐ太陽の光とぶどう育成に適した気候によって、
品質の高いワインを生産しています。
現在コソボは、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国へ
ワインを輸出していますが、
この会社は、コソボワインを日本へ輸入し、
紹介、販売をすることで、
コソボと日本における架け橋の役割を果たしています。

また、この活動による利益の一部は、
コソボへ送られ、子どもたちへの支援となる予定です。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「学ぶことのできる機会と、たくさん勉強して将来大学に行くことです。」
この絵を描いたのは、Dorentina Gashi、14歳の女の子です。

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子どもたちが教育を受ける場である学校でも、
異なる民族が争いをせず一緒に学べるかということが、
課題となっています。

これをうけて、
国連児童基金(UNICEF)は、
複数の民族が通う小学校の支援をしています。

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コソボの首都プリシュティナに、エレナジカ小学校という学校があります。
紛争が起こるまで、この地域ではアルバニア人(イスラム教、多数民族)、
セルビア人(セルビア正教、少数民族)、そしてトルコ人というふうに、
違う民族の子どもたちが一緒に勉強をしていました。

ところが、
1989年にセルビア人を優遇する政策をセルビア共和国がはじめると、
エレナジカ小学校では、
人数としては少ない側であるセルビア人の先生と子どもたちが
学校施設のほとんどを使い、
大人数であるアルバニア人の先生と子どもたちは
少ない教室を交代制で使わなくてはならなくなりました。

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すると、これを不平等だと感じたアルバニア人が、
逆に、セルビア人やほかの少数民族を迫害し、
お互いが相手を傷つけるようになりました。
エレナジカ小学校は学校を続けられなくなってしまいました。

このように、教育の場面でも、
もともと同じ場所で学んでいた民族の仲が悪化するなか、
エレナジカ小学校の先生たちはどうすれば、
学校をもう一度はじめることができるか話し合いを重ねました。

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コソボ紛争の結果、セルビア人は他の国へ避難したため、
学校に戻ることはなかったのですが、
国が紛争をしている時に、セルビアの側についたトルコ系の人々は、
学校が再開したとしても、
アルバニア人は自分たちと仲良くしてくれないのではないだろうか
と心配しました。

「紛争での対立でお互いに辛い思いをしたけれど、
これからは、子どもたちのこと、未来のことを考えよう。
もう一度、みんなが同じ場所で勉強できる環境をつくろう。」
そう呼びかける先生と、子どもたち、保護者が努力した結果、
エレナジカ小学校は、アルバニア人もトルコ人も一緒に学ぶ場として
再開校することができました。

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国連児童基金は、民族の壁を乗り越えたエレナジカ小学校における
教育の仕方や、授業内容をさらに広い地域に伝える活動をしています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「赤ちゃんです。
一生懸命生まれてきてくれたから、うれしいです。」
この絵を描いたのは、Aojrare、5歳の女の子(写真左側)です。

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コソボ紛争により、多くの死者、難民がうまれました。
また、病院や診療所、薬局などの医療機関もほとんど壊れてしまいました。

これをうけて、
NPO 日本医療救援機構は、コソボの医療支援プロジェクトを行いました。
日本医療救援機構は、破壊の状況が特にひどい地域に向かい、
治療に必要な医療器具や薬を人々にあげたり、
診療所を建て直したりしました。

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これにより、
医療を受けられなかったコソボの人々が
治療の望みをもてるようになりました。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界保健機関(WHO)、
国連コソボ暫定行政ミッションは、
日本医療救援機構の活動を高く評価しました。

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この評価により日本医療救援機構は、
医療支援プロジェクトの運営をコソボ現地の医療組織へ引き継ぎ、
現地の人々が自分たちの力でプロジェクトを続けられる体制を
つくることができました。
国連コソボ暫定行政ミッションと現地の市は、
日本医療救援機構に感謝状を贈りました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「僕たちが生きる地球です。」
この絵を描いたのは、Zeqir Sekiraqa、14歳の男の子です。

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国づくりをはじめたばかりのコソボは、
経済面での復興に力を注いだため、
環境の分野における活動はあまりしてきませんでした。

そのため、環境問題に関する課題がたくさんあります。
環境問題の中でも、コソボで特に深刻な問題となっていたのが、
廃棄物の管理でした。

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コソボでは、ごみ収集車が古くなったり足りないことで、
ごみを回収する効率が悪くなりました。
しかも、コソボの首都やそのほかの都市では、
人口が急激に増えているため、ごみの収集が追いつきません。
ごみ問題への対応を少しでも早く行うことが必要です。

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これをうけて、国際協力機構(JICA)は、
環境やエネルギーに関する日本の技術を
コソボの人々に伝える活動を行っています。

この計画は、
1.ごみが出るときに進む環境汚染を少しでも抑えること
2.コソボにおけるごみ収集の仕組みを改善すること
3.ごみを減らして(Reduce)、再利用して(Reuse)、
  再資源化する(Recycle)という「3R」を実践すること
により、環境に負担をかけない国づくりを目指しています。



・・・

おわりに。

コソボの子どもたちが描いてくれた、
100枚近くに及ぶ絵を見ていて、
future(未来)という言葉が何度も目に入りました。

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「大切なものは何ですか?」ときかれて、
大切なものは、未来である、
私たちがつくりあげていくこれからのことである
という言葉がすぐに浮かぶ子どもたち。

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コソボの未来を導く子どもたちと、
彼ら彼女らが描く活き活きとした絵から
真剣な、明るい、希望に満ちた力を、筆者は強く感じました。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
安田 弓

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2012年3月23日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 09:50| 日記

2012年01月23日

モロッコ Morocco

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モロッコ王国、通称モロッコはアフリカ大陸北方の国の中で唯一の王国です。
アフリカ大陸の北西端に位置しており、
面積は西サハラを除いて44.6万平方キロメートル。
日本のおよそ1.2倍に相当します。

人口は3,199万人(2009年時点)で、日本の4分の1程度です。
首都はラバトで、民族はアラブ人、ベルベル人、
そして両者の混血の人々が暮らしています。


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公用語はアラビア語とフランス語です。
フランス語は、モロッコが昔
フランスの保護国であったという歴史に関係しています。


「あなたの大切なものはなんですか?」


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「ぼくの大切なものはモスクです。
イスラム教徒としてお祈りはかかせません。」


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国が定めている宗教はイスラム教で、
国民の99%がイスラム教のスンニ派です。
しかし、国がキリスト教もユダヤ教も禁止をしていないことから、
穏健的なイスラム国家として、イスラエルとも良好な関係を維持しており、
中東和平に大きな役割を果たしています。

また、世界遺産でもあり、国内外から多くの観光客が集まる都市、
マラケシュの旧市街には、クトゥビーヤ・モスクという
市内で最も大きく、有名なモスクがあります。
これらの歴史的な建物は、国内経済の中心に観光業をおいているモロッコにとって
とても重要な存在になっています。


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産業の面では水産業とリンを中心とする鉱業がさかんです。
この両方で日本政府はモロッコの支援をしてきました。
特に水産業では、水産物の加工や
海運に関わる船員の教育などに力を入れてきました。

こうした取り組みは、モロッコの技術向上に限らず
日本との良好な外交関係作りに大きく影響を与えてきました。


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また、モロッコは日本から学んだ
漁業や水産物加工の技術を
更に他のアフリカ諸国に教えてあげています。



「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは車です。
お買い物に行くのに便利だからです。」


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モロッコは日本と同じく、石油や天然ガスなどのを持たない国です。
そのため、エネルギー需要の95%を輸入に頼っています。
一方で、経済発展によりエネルギー需要は年々増してきています。

そこで、モロッコ政府はエネルギー源の多様化や
エネルギー依存の軽減等を目指して、新しいエネルギー資源を求めており、
太陽光発電に積極的に着手し始めました。


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これを受け、世界銀行はモロッコの太陽光発電プロジェクトに対する
4,320万ドルの融資を承認しました。

また、この計画の先駆けとなったのは、平成21年におこなわれた
日本のODAによる「太陽光を活用したクリーンエネルギー導入計画」です。
今後も、低炭素社会の実現を目指すため、日本の優れた環境関連技術を
活用し、このような取組の支援が進められようとしています。


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順調な経済発展をしているモロッコですが
その理由の1つとして欧州市場へのアクセス(地理的な近さ)の良さがあげられます。

特にフランスとは、かつてモロッコがフランスの保護領だったという
歴史的な関わりから、モロッコにとって最大の貿易相手国になっています。
モロッコは、経済のグローバル化を進めているのです。



「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは道路です。」



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経済のグローバル化は進んでいますが、それを阻む現状もあります。
モロッコは地方の高速道路や鉄道網の整備といった
基幹インフラ整備が不十分なのです。

そのため、国内外での人の移動やモノの流通が
うまくいっておりません。
またこの問題は、地域間の格差を広げる要因ともなっており、
バランスのとれた経済・産業促進が大きな課題となっています。


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そこで毎年、ローカルNGOが地方インフラの整備にあたっています。
このローカルNGOの活動には「草の根・人間の安全保障無償資金協力」
の制度として、日本は在外公館が中心となって資金協力を行っています。



「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは学校です。
みんなで勉強するのが好きです。」


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地域格差があるのは経済面だけではありません。
モロッコでは、教育面でも大きな格差があるのです。
例えば地方の識字率の低さがそれを物語っています。
以下は、モロッコの識字率のデータです。

全国平均→57%
都市→71%
地方→40%
※2004年時点

これらの識字率の低さは年々改善されていっていますが
いぜんとして地域格差は埋まらないままです。

これは、社会・経済的格差によるものです。
人口の約14%が貧困にあえぐモロッコでは
そのしわ寄せが、児童労働などによって
子どもにまでのしかかっているのです。


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また、就学率における格差も大きいです。
都市部を中心とする富裕層は、大卒であるのが当たり前ですが
それに対し、地方での就学状況はけして良くありません。
モロッコの小学校入学率は90%を超えるものの
6年生になるまでには10人に4人は小学校をやめてしまう現状です。
その理由としては、学校教育の質の低さにあると言われています。


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そこで、この現状を少しでも改善しようとユニセフは
【子どもにやさしい学校】づくりを支援しています。

この支援は、学校と地域が一体になり
自らで学校教育の問題点と、その改善方法を考え
計画・実行していくことをを促すものです。

例えば、文字を理解できないことが学校をやめてしまう
理由の1つにあげられ、
学校や親が自ら動き、改善をはかっている学校もあります。


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ただ支援をするのではなく
自立するための手段を教える……
そんなカタチの支援が今、おこなわれているのです。


「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは病院です。」


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経済、教育と並んで地域格差が大きいのが医療です。
モロッコは妊産婦死亡率が高い国で、全国平均が10万人中227人と
隣国チュニジアの平均45人と比べるとその悲惨さがわかります。

特に地方村落部の死亡率は高く、都市部と比べ1.5倍も多いという現状です。
その最大の理由として、地方の公的医療機関の設備
技術水準の低さがあげられます。


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そこで、対策として作られたのが「女性健康手帳」です。
これは、日本政府の無償資金協力によって来日したモロッコ人医師が
日本の母子健康手帳を参考にし、モロッコ女性のための健康手帳を
作りたいという報告書を提出したのがはじまりでした。

この報告書に保健省大臣が賛同したのを機会に、日本の専門家と
モロッコ人研修員たちが共同で原案を作成しました。
更にこの原案によってUNFPA(国連人口基金)から200万円の資金を獲得し
半年後には女性健康手帳の完成にいたりました。


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この女性健康手帳には、妊婦の血液型や妊娠中の経過などの情報が
記録されており、輸血対応の迅速化や問題の早期発見等
妊産婦ケアの質の向上につながりました。
また、地方では数の足りない助産師の負担の軽減など
具体的改善点がすでにいくつもあげられています。



「あなたの大切なものはなんですか?」


「ぼくの大切なものは国王です。
貧困のない国にしてくれるのを期待してます。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 Moro_17_a.jpg 17_omaru_11_a.jpg)





これまでに紹介した経済、教育、医療、あらゆる地域格差の是正のために
1999年に即位したモハメット6世国王は
貧困撲滅、失業・雇用等の社会問題や
教育問題といった国民に軸足を置いた政策をかかげました。

今、モロッコでは、この国民の立場に立つことのできる
国王に期待の目がそそがれています。


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また、国王は地域格差だけでなく
男女格差の改善をするような方針も打ち出しています。

しかし、他の中東諸国と比べると、その格差は次第に縮まりつつあります。
特に1993年にモロッコ政府が「女性差別撤廃条約」に批准したことが
大きく、また、1990年以降女性の不利な立場を改善するために
憲法の改正などもおこなっています。



「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは技術です。
美しい織物のマットを作れるようになりたいです。」


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進みつつある女性の社会進出ですが、
それでも農村部の女性の就業率は低く、問題になっています。
ここでも地域格差があるのです。

そこで、彼女たちが持つ伝統的な技術で作られた商品を
公正な価格で買い取り、販売するフェアトレードの動きがいくつもあります。


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日本のフェアトレードショップ「サハラへの道」も
ベルベル族の人々の作った織物のマットの販売を通し
彼女たち自立を支援しているお店の一つです。


「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは木です。」


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サハラ砂漠を持つモロッコで忘れてはならないのは、
降雨量が少ないがゆえの砂漠化問題です。
この砂漠化を防ぐのに重要な役割を担っているのが
乾燥に強いアルガンツリーです。アルガンツリーはサハラ砂漠で唯一、
自生している植物で、かつてはモロッコ全土に生息していました。
しかしこのアルガンツリーも開墾のための伐採で数が減少しています。


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そこで、活動の利益の一部をアルガンツリーの
植林活動に使用している組合があります。
モロッコの女性達による、タルガニン生産協同組合です。
アルガンツリーからとれるアルガンオイルを生産して利益を得ており、
この活動は、女性の社会的地位向上を促すものになっているのと同時に
得られた利益の一部を、女性達の職業・識字教育などにも使用しています。


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また、日本の企業である株式会社ニュートリションアクトは
タルガニン生産協同組合から購入したアルガンオイルを使った
化粧品を販売し、間接的に砂漠化防止やモロッコの女性を支援しています。

アルガンツリーを守ることは地球の砂漠化を防ぐと共に、
女性の社会進出と雇用創出の大きな役割も担っているのです。



「あなたの大切なものはなんですか?」


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「わたしの大切なものは花のある平和なモロッコです。」


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最後に、サハラ砂漠と関連して、モロッコにとって
大きな問題となっているのは西サハラ問題です。

スペイン統治後の1975年、西サハラと国境を接するモロッコとモーリタニアが
西サハラの分割統治を始めた所、それに対抗して独立を目指す
「ポリサリオ戦線」がサハラ・アラブ民主共和国の樹立を宣言しました。


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それを引き金に、モーリタニアは領有権を放棄しましたが
それを機会にモロッコは西サハラ全域を占領し、
モロッコとポリサリオ戦線の対立は激化。激しい闘争が行われました。

1988年に国連の仲介で、独立かモロッコに帰属か
住民投票で決するという和平案でモロッコとポリサリオ戦線は
停戦に合意したものの、未だに住民投票は行われず、
膠着状態が続いており、この問題は未解決のままです。


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また、西サハラには「砂の壁」と呼ばれる2000キロにも及ぶ
モロッコ軍がサハラ砂漠の砂を高さ数メートルに積み上げて作った
西サハラ領域内を南北に貫く軍事的な境界線があります。
この周辺は鉄条網と多くの地雷で防御されており
これらによって負傷・死亡する人々が絶えません。

この問題が解決し、西サハラの人々に一刻も早く
平和が訪れることを筆者は願います。


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このように、貧困問題や地域格差、男女格差、西サハラ問題など
まだ多くの問題を抱えているモロッコですが、
それらの問題は他国の協力を得て、少しずつ解決に向かっています。
そしてそれは、経済発展にも繋がっているのです。

モロッコがこれから、独自でアフリカ諸国を支援するような
自立した国になればいいなと筆者は思います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
森 やよい(2007年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部 加奈

編集完了日:
2012年1月30日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/

また、上記に掲載された地図は
以下の無料画像サイトから提供されました。
白地図専門店
http://www.freemap.jp/

posted by お絵描きイベント at 20:20| 日記

2012年01月16日

アメリカ合衆国 USA(United States of America)

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アメリカは、50州他から成る連邦国家で、国土面積と人口が世界第3位、経済規模は世界第1位を誇る超大国です。
アメリカの国内総生産(GDP)は、世界の2割強を占めます。
また、アメリカは世界の70か国以上に基地を建設し、圧倒的な軍事力を誇ります。
ストックホルム国際平和研究所がまとめたデータによると、2010年のアメリカの軍事費は6980億ドルで世界の44%を占めました。

この国の子どもたちが描いた大切なものを見せてもらいましょう。

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・・・

アメリカでは公用語は定められていないものの、英語が広く使用されています。
宗教はキリスト教が主流で、少数ながらユダヤ教やイスラム教などの信徒もいます。

アメリカはもともと、ヨーロッパからの移民が建国したこともあり、様々な人種が共存する多民族国家です。
民族構成は、白人が約72%、アフリカ系が約13%、アジア系が約5%、アメリカ先住民系が約1%などを占めます。
近年、中南米からスペイン語を母国語とするヒスパニック系移民が急増しており、21世紀の半ばには非ヒスパニック系白人の割合は半分を割ると予想されています。

「私の大切なものは祖国プエルトリコです」

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・・・

では、アメリカの歴史を振り返りましょう。

3〜1万年前の氷河期、モンゴロイドたちがユーラシア大陸から凍結したベーリング海峡の上をわたってアメリカ大陸にやってきました。
これがアメリカ先住民で、我々日本人と似た身体的特徴を備えています。

1492年、スペインのクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見すると、ヨーロッパから多くの人たちがアメリカ大陸に移住するようになりました。
以後、アメリカの東海岸はヨーロッパ諸国の植民地となっていましたが、1775年にイギリス領の13植民地が独立戦争を起こし、翌1776年7月4日に独立を宣言、1783年にはイギリスから独立が認められました。

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当時のヨーロッパでは悪天候のためにたびたび飢饉がおきました。
特に、1845−1849年にはヨーロッパ全土でジャガイモの疫病が流行し、人口の20%以上が餓死しました。
そこで、祖国で生活できなくなった人たちが新天地を求めてアメリカに移住するようになりました。
アメリカの人口は急増し、これが引き金になって19世紀の西部開拓へとつながりました。
1803年にはフランスからルイジアナを買収すると、領土を西へとひろげ、1848年にはメキシコとの戦争の末に西海岸にあるカリフォルニアも取り込みました。
その後、1867年にはロシアからアラスカを買収し、1898年にはハワイを併合するとともに、スペインとの戦争に勝ってフィリピン、グアム、プエルトリコなどを植民地にしました。

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アメリカは西部開拓によって広大な国土と豊富な天然資源を獲得し、イギリスを抜いて世界一の工業国になりました。
しかし、それは先住民たちにとっては涙の歴史です。
1860、1870年代には、先住民族たちによる蜂起が相次いでおきましたが、いずれも鎮圧され、先住民たちは不毛の土地(居留地)に強制移住させられました。
こうした行為は、著名なジャーナリスト(ジョン・オサリバン)が主張した以下の言葉によって正当化されました。
「神が与えた大陸全体を所有するのは、明白な使命である」

コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、アメリカ合衆国にいた先住民は約150万人と推定されていますが、1920年には約35万人に激減しています。
ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』を観ると、侵略された先住民の立場を感じることができます。

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・・・

アメリカは国土が拡がるにつれ、南部の大農場で労働力が必要になり、アフリカから黒人奴隷が連れてこられるようになりました。
1808年に奴隷輸入が禁止されるまで、約50万人もの奴隷が輸入されたといわれています。
他方、北部には大農場がほとんどないため、黒人奴隷などの労働力は必要なく、北部を中心に人権意識が高まると奴隷制度に反対する動きが広がりました。
そして、1861年には、奴隷制度の廃止を求める北部と、それに反発する南部とが争う『南北戦争』が勃発しました。
1863年、北部に所属するリンカーン大統領は、「人民の、人民による、人民のための政治」という一説が有名な演説をしました。
1865年に北部が勝利をおさめると、黒人たちは奴隷から解放され、選挙権が与えられるようになりました。

「私は幸せになりたいです」

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しかし、南部諸州では黒人たちに対する差別が根強く残り、学校や交通機関などさまざまな公共施設が白人と黒人とで分けられたり、白人と黒人との結婚を禁じたなど、人種差別的な法律がつくられました。
民間レベルでも、KKK(クー・クラックス・クラン)など白人至上主義を主張する団体が結成され、同じ思想を持つ警察官による黒人の不当逮捕や裁判所による冤罪が多発しました。

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時がたって1955年、アラバマ州の州都モンゴメリー市で、黒人女性がバスの座席を白人に譲らなかったのが原因で逮捕される事件がおきました。
そこで、キング牧師はインドのマハトマ・ガンディーの非暴力運動を参考にして、モンゴメリー市に住む黒人たちに対してバスをボイコットするよう呼びかけました。
同時に、キング牧師は、バスの人種差別は違憲であると連邦裁判所に訴え、翌年、裁判に勝ってバスの人種差別は禁止されました。

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その後、キング牧師の非暴力運動に触発されるようにして、全米各地で人種差別の撤廃を求める公民権運動が広がり、1964年には人種や宗教による差別を禁止する『公民権法』が制定されました。
キング牧師はこうした人種差別撤廃の取り組みが評価され、1964年にノーベル平和賞を受賞しました。
その翌年、キング牧師は暗殺されましたが、キング牧師の誕生日は祝日となりました。

そのキング牧師が1963年にした『私には夢がある』というスピーチに、以下の一説があります。
「私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。」


「私の大切なものは家族です」

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公民権法が制定されたとはいえ、黒人に対する差別は今も残っています。
都市の黒人街に住む子供の多くが貧しくて満足な教育を受けることができません。
この結果、黒人の犯罪率はきわめて高くなっているという現実があります。
一方で、2009年には、バラク・オバマ氏が黒人として初めてアメリカ大統領に就任するなど新しい動きもあります。

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・・・

アメリカは、独立以来、アメリカ大陸を勢力下におくかわりに、ヨーロッパには干渉しないという姿勢をとりました(モンロー主義)。

1914年に勃発した第一次世界大戦でも、アメリカは中立的な姿勢をとっていましたが、アメリカの船がドイツの潜水艦によってたびたび攻撃されると、連合国として参戦に踏み切りました。
以後、アメリカは軍事大国として国際社会での存在感を強めるとともに、世界一の経済大国となりました。

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ところが、1929年10月24日に株価が一斉暴落したのを皮切りに、アメリカの経済は一気に停滞しました。
国が主導して公共事業を増やすことにより雇用を創出する『ニューディール政策』を実施したものの、持続的な効果は得られませんでした。
しかし、1939年からの第二次世界大戦の特需により、軍需産業を中心としてアメリカの経済は息を吹き返しました。

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第二次世界大戦でも、当初アメリカは中立的な立場をとりましたが、1941年に日本による真珠湾攻撃がおきたのをきっかけに、連合国として参戦しました。
序盤は日本軍に押されていましたが、1942年6月のミッドウェー海戦で勝利を収めて形勢逆転しました。
そして、1945年8月に広島と長崎に原子爆弾を投下し、アメリカは日本に勝ちました。

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原爆投下は、軍人と民間人を無差別に殺してしまうため、明らかな国際法違反です。
しかし、アメリカの歴史の教科書では「終戦を早めるのに役立った」と記載されているため、アメリカ人の約6割が原爆投下を正当な行為であると考えています。
ただし、近年は荒野と化した広島を舞台にした漫画『はだしのゲン』が英訳されてアメリカ人にも読まれるようになったこともあり、アメリカ人たちの歴史観にも変化が生まれつつあるようです。

・・・

「あたしの大切なものは信念だよ」

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第二次大戦後、ヨーロッパが焦土と化したのに対してアメリカはほぼ無傷だったこともあり、アメリカはイギリスにかわって資本主義陣営を代表する超大国となりました。
このため、世界の基軸通貨はそれまでのイギリスのポンドから米ドルにかわりました。
そこで、アメリカは、資本主義・民主主義という自らの理想を世界に広めようというグローバリゼーション(アメリカナイゼーション)を推し進め、共産主義を世界に広めようとするソ連と対立するようになりました(冷戦)。
アメリカは、このグローバリゼーションを後押しするために、軍事力を強化し、世界の各地に軍隊を配備し、朝鮮戦争やベトナム戦争などでソ連と代理戦争を繰り広げました。

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1991年にソ連が崩壊すると、アメリカに対抗する勢力が消滅したため、アメリカ式のグローバリゼーションが一気に加速しました。
この結果、世界を一つの市場として競争原理が働くようになり、地域密着型の中小企業は淘汰され、多国籍企業が巨大な利益を得るようになりました。
このような潮流のなか、多国籍企業の売り上げが国家予算を上回るという現象がみられるようになり、企業の社会的責任(CSR)が問われるようになりました。

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・・・

次に、アメリカの政治をみてみましょう。

アメリカの政治の特徴として、まず、アメリカ大統領に権限が集中していることがあげられます。
アメリカ大統領は行政とアメリカ軍の最高責任者であり、また、議会の決議に対して拒否権を行使することができます。
このようにアメリカ大統領は強い権限をもちますが、アメリカの最高権力者ではありません。
大統領選挙を戦うためには企業からの莫大な資金を必要とし、その資金援助をした企業の意見もかなり聴かなくてはならないからです。

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大統領だけではなく、議員たちも企業によって買収されています。
アメリカには、政策に影響を及ぼすことを目的として政治家に働きかけるロビイストが約3万人もいて、企業はロビイストを通じて議員たちを買収しています。
特に、ユダヤ系財閥は大きな力をもっていて、アメリカ政府はユダヤ系財閥に逆らうことができません。
このため、アメリカは核兵器の保有やパレスチナ人の弾圧などの問題で、イスラエルを擁護しつづけています。

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たとえば、国連ではイスラエルが不利になる決議に対して、アメリカは30回以上も拒否権を行使して握りつぶしています。
また、イスラエルは、2000年以降だけでも7000人を超えるパレスチナ人を虐殺していますが、このイスラエルに大量の武器を輸出しているのがアメリカです。
さらに、アメリカは北朝鮮やイランが核兵器を保有することに対しては非難の声をあげるにもかかわらず、イスラエルが核兵器を保有していることに対しては黙認しています。
その上、イスラエルにとって最大の脅威だったイラクに対しては、「大量破壊兵器を保有している」と言いがかりをつけて攻め滅ぼしました。

アルカイダなどのテロ組織がアメリカを標的にするのは、アメリカがイスラエルを擁護することによって多くのパレスチナ人たち(イスラム教徒たち)が困難に遭っていることが一因だと言われています。


「僕の大切なものは神様さ」

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・・・

アメリカは世界中に軍隊を派遣しているため、アメリカ政府は企業の中でも特に軍需産業と密接な関係をもちます。
このため、アメリカ政府と軍需産業とが結びついた『軍産複合体』という概念が生まれました。


「私の大切なものはひらめきです」

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1961年、アイゼンハワー大統領は、軍産複合体が強大な力をもつようになると、自ら新たな脅威(実際は存在しない)を作り出して仕事を増やそうとする恐れがあることを警告しました。
残念ながらそれは現実となっており、軍産複合体は、冷戦時代には「共産主義の脅威」を声高に叫んで勢力を拡大し、ときには軍事行動をともなって世界中の国々を従わせてきました。
そして、冷戦後、アメリカの軍事費は縮小する方向にすすみましたが、2001年9月11日の同時多発テロ事件を機に、「テロとの戦い」という新しいスローガンを掲げ、ふたたび勢力を拡大していきました。


「僕は世界から戦争をなくしたいです」

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2001年10月には、タリバン政権がアルカイダのオサマ・ビンラディンを引き渡さないことを理由にアメリカはアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権を転覆して親米政権をつくりました。
戦争後、アフガニスタンの治安は悪化し、毎年2千人以上の一般市民が治安の悪化が原因で死亡しています。
テロも多発しており、ベトナム戦争と同様に泥沼化しています。

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また、2003年には、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)が「大量破壊兵器の決定的な証拠は見つからない」と報告しているにもかかわらず、アメリカは「イラクが大量破壊兵器を保有している」という理由でイラクにも侵攻し、フセイン政権を打倒しました。
イラク戦争後、イラクで大量破壊兵器は見つかりませんでした。
イラク政府の発表によれば、米軍によるイラク侵攻のために死亡した民間人の数は15万人に達しました。
また、ジョンズ・ホプキンス大学の調査によれば、米軍の空爆による水道等のインフラの破壊により(衛生状態が悪化し)二次的に死亡した人の数は64万人にも達しました。

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このアフガニスタンとイラクの二つの軍事行動は、チェイニー副大統領などの『ネオコン(新保守主義)』というタカ派の勢力が主導しました。
アフガニスタン侵攻後、アメリカはカスピ海からアフガニスタン経由でインド洋へと続くパイプラインを建設し、アメリカの石油企業は莫大な利益を得ました。
また、イラク侵攻後の石油利権を、チェイニーの古巣の石油会社・ハリバートン社等が独占しました。
このため、この二つの軍事行動は、アメリカ政府と軍需産業と石油産業の癒着によるものだと言われています。

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そして、アメリカの次の標的はイランです。
アメリカは、イランが従前から、核技術は原子炉などの平和利用に使用すると主張し、かつ国際原子力機関(IAEA)の視察を受け入れると主張しているにもかかわらず、『イランが核兵器を開発している』とことさらに糾弾し、軍事行動も辞さない姿勢を見せています。
イランを巡る情勢は今後も目が離せません。

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・・・

次に、アメリカの経済をみてみましょう。

アメリカの経済は世界最大で、主な産業は、農業、工業、IT産業、金融、軍需産業などです。
2007年、アメリカの低所得層向けの住宅ローン(サブプライムローン)が破たんしたのを引き金に、世界中で株価が暴落する世界金融危機を引き起こすなど、世界経済にとても大きな影響を及ぼします。

「僕の大切なものは家さ」

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アメリカには世界中の国から様々な製品が流入しており、じつはアメリカは世界最大の貿易赤字国・債務国でもあります。
また、ブッシュ政権(2001−2009年)以降、米軍のイラクやアフガニスタン駐留などによってアメリカの財政が悪化しています。
このように貿易赤字と財政赤字が併存する状態を『双子の赤字』といいます。
その上、2007年にはサブプライムローンが破たんしたため、アメリカの経済は一時壊滅的な打撃を受けました。
この結果、アメリカの失業率は9%と、高い数値を記録しています。

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このアメリカの双子の赤字を救うべく、日本と中国はアメリカが発行する国債を大量に購入していますが、2011年には、もう少しでアメリカがデフォルト(債務不履行)になるという局面も訪れました。

アメリカは超大国として世界の経済をけん引してきましたが、イラクとアフガニスタンへの侵攻以来、国内外の借金がふくらみ、今後の持続的な経済発展が危ぶまれています。

・・・

「あたしは自然が大切だと思います」

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ところで、アメリカは世界最大の経済大国ということもあり、莫大な量の資源を消費し、かつ環境に負荷をかけています。
世界自然保護基金(WWF)は、世界中の人々がアメリカと同じ水準の生活をするためには地球5.3個分の土地(地球の再生産能力)が必要になると試算しています。
それほど大量の資源を消費しているにもかかわらず、アメリカは地球温暖化を防止する『京都議定書』を批准していません。
また、アメリカは世界で最も動物の絶滅危惧種が多い国であるにもかかわらず、生物種を保護する『生物多様性条約』も批准していません。
世界最大の経済大国であるアメリカがこうした姿勢を取るため、地球規模の問題を解決するため取組みがすすまないというのが現状です。

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アメリカは他にも様々な条約を批准していません。
まず、アメリカは、『対人地雷禁止条約』、『クラスター爆弾の使用や製造を禁じる条約』、『武器貿易条約』、『包括的核禁止条約(CTBT)』などの武器の輸出を規制する条約も批准せず、大量の武器を輸出して世界に悲劇の種をばらまいています。
また、アメリカは、国連が規定した人権を認めず、『子どもの権利条約』や『女性差別撤廃条約』も批准していません。


「私は人類の幸福を願います」

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ただし、アメリカは毎年『人身売買報告書』を作成し、人身売買問題を改善する姿勢が見られない国に対してはODA(政府開発援助)を停止するなどの圧力をかけています。
この結果、各国は真剣に人身売買問題にとりくむようになり、実際人身売買が減った国もあります。

・・・

次に、アメリカの国民の暮らしをみてみましょう。

アメリカは世界一の経済力を誇りますが、富が適正に分配されておらず、アメリカの相対貧困率は経済協力開発機構(OECD)加盟国内で最悪です。
2011年、ビル・ゲイツの総資産は590億ドルに達しました。
一方で、2010年の国勢調査によれば、アメリカには年収約2万ドルの貧困ライン以下の人が15.1%もいて、この数値は年々上昇しています。
公民権法が成立したとはいえ、人種による経済格差は大きく、貧困ライン以下の人の割合は、黒人の場合は27.4%、ヒスパニック系は26.6%に達します。

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こうした貧困層の多くが肥満になります。
貧困な人ほど低価格で栄養の偏ったジャンクフードを食べる傾向があるからです。
このため、南部の貧しい州ほど肥満率が高く、2010年、ミシシッピ州の肥満率は34.4%に達しました。
アメリカ人の死亡要因としては、喫煙の次に肥満が高くなっており、深刻な社会問題になっています。

「私はスリムな体型を維持したいです」

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・・・

では、アメリカではなぜ相対貧困率が上昇しているのでしょうか。
まず、アメリカでは医療費が高すぎることがあげられます。
たとえば、日本では約30万円ですむ盲腸の手術が、アメリカでは約250万円もかかります。
このため、病気やけがをすると、その医療費が原因で貧困層に追いやられたり、自己破産する人が後をたちません。


「私の大切なものは健康です」

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加えて、アメリカは先進国で唯一国民皆保険制度がない国です。
民間の保険に加入できない保険未加入者は約4700万人で、保険未加入者はけがや病気をしても治療を受けることができずに死んでいます。
また、保険加入者といえども安泰ではなく、いろいろと難癖をつけられて保険金がもらえないことが多いのです。
このため、アメリカ人の平均寿命と乳幼児死亡率は先進国で最低レベルです。
マイケル・ムーア監督は映画『シッコ』のなかで、こうしたアメリカの医療制度の問題が、保険会社・製薬会社とアメリカ政府との間の強い癒着によって生まれていることを明らかにしています。


「私の大切なものは病院です」

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2011年、オバマ大統領は『医療保険制度改革法案』を成立させましたが、これは税金を使って国民の95%が民間の保険へ加入できるようにするにすぎず、公約として掲げていた国民皆保険制度といえるものではありませんでした。

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・・・

「私は十分な教育を受けたいです」

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アメリカで相対貧困率が上昇しているもう一つの理由として、教育費が高騰していることもあげられます。
アメリカの大学の学費は世界一高いため、多くの学生が学資ローンを組んで大学に進学することになります。
ところが、アメリカの大学の学費がものすごい勢いで高くなっているため、借金がふくらんで途中退学してしまう学生が後をたちません。
学資ローンには自己破産が適用されず、しかも金利がおそろしく高いため、学生は永久に返済することができない借金地獄に陥ります。

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また、たとえ大学を卒業したとしても、ローン会社から借金を取り立てる際に「刑務所におくる」と脅迫されたり、職場に嫌がらせの電話がかけられるなどの事態も多発しており、学資ローンは大きな社会問題になっています。
しかし、アメリカの政治家たちはローン会社に買収されているため、このようなローン会社の暴挙をアメリカ政府は放置しています。


「僕はいっぱい勉強がしたいです」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 _MG_6241_a1.jpg NY_Draw_281_a.jpg)




にもかかわらず、学資ローンを組んで大学に進学しようとする人は増え続けています。
いま、アメリカの大学生の2/3が大学に進学する際に学資ローンを組み、その規模は900億ドルにまで達します。
人の未来の可能性を広げるはずの教育にまで経済至上主義が入り込んでいる、これがアメリカの実態です。

・・・

アメリカの貧しい若者たちにとって最後の切り札となるのが軍隊です。
アメリカ軍に入隊すると、大学に進学するための奨学金がもらえたり、学資ローンが免除されるなどの優遇措置が講じられているからです。
しかし、実際にアメリカ軍に入っても、貧困ラインギリギリの生活を余儀なくされ、兵役を終えた後も貧しいままというのがほとんどです。
しかも、アフガニスタンやイラクから帰還した兵士の多くが重度の精神障害を負っており、家族が離散したり、まともな仕事に就けずにホームレスになることもあります。

「僕の大切なものは家族さ」

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こうしてアメリカの社会からあふれ出してホームレスになった人の一部が、貧困を苦に犯罪を起こして刑務所に行くことになります。
加えて、同時多発テロ後、アメリカではテロを取り締まるための『愛国者法』が制定されており、反政府的な人物が法的手続きを取らずに刑務所に送られるようになりました。

このため、アメリカの囚人人口は増え続けており、囚人人口は160万人以上で、世界の1/4を占めるまでになりました。
近年、こうした膨大な囚人たちを超低価格の労働力としてコールセンター業務などに利用する動きが活発化しており、労働市場が崩壊しています。
ジャーナリストの堤未果さんは『ルポ貧困大国アメリカU』のなかで、刑務所すら利用して利益をむさぼるという企業の実態を明らかにし、市場原理主義の行き過ぎに対して警鐘をならしています。

・・・

「私の大切なものはお金と神様です」

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いまのアメリカでは、規制緩和等を推進して政府の役割を縮小する『新自由主義(ネオリベラリズム)』が勢いを増していますが、その背後には企業によるアメリカ政府の買収行為が横たわっていると言われています。
企業が国民を搾取しているにもかかわらず、アメリカ政府はそれを野放しにしているのです。
このため、わずか1%しかいない富裕層が優遇され、アメリカの富の1/3を独占しています。

そこで、怒りを爆発させた若者たちが、2011年9月17日、『ウォール街を占拠せよ』をスローガンにウォール街でデモ活動をし、オバマ大統領に対してアメリカ政府と企業との資金を通じた結びつきを禁ずるよう求めました。
この運動は全米に拡散し、さらには世界中に拡散しました。

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アメリカ独立宣言には、以下の記載があります。
「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている。」

その言葉のとおり、いつかすべての人間が平等で幸せに暮らせるようになる日が来るのを心から祈りたいと思います。

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
山賀緩子(やすこ)、乾久美子、山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2012年1月19日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 17:28| 日記

2012年01月11日

フィジー Fiji

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白い砂浜に、青い海。
日本人が持つフィジーのイメージは「南の楽園」です。
日本からも観光客が多く訪れます。
四国とほぼ同じ大きさである18,300㎢の面積は、
直径数mの小島を含む332島で構成されています。
そのうち、222島は無人島です。

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フィジーは、伝統的に太平洋のハブとして存在し、
国連機関、各国在外公館のほとんどが事務所を置いています。


「私の大切なものは、神様です。」

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フィジーは、1874年にイギリスの植民地となりました。
1879年に砂糖のプランテーションのために、
多くのインド人労働者が移住させられました。
1987年にイギリスから独立しましたが、
現在も、人口の38%をインド系移民が占めています。
58%がフィジー人、5%がヨーロッパや太平洋の島民と華人などです。
定住したインド系の人々が、
後のフィジーの政治、経済に大きく関わります。

フィジーの政治は度々クーデターが生じ、混乱しています。
2011年12月現在、フィジーの政治は暫定の軍事政権が行っています。

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1999年の選挙により初のインド系首相が誕生しました。
しかし、その後、バイニマラマ軍事指令官が、
フィジー系民族の権利擁護や、政府の腐敗粛正を理由に
度々クーデターを起こしています。
2006年に生じたクーデターを、
国際社会、特にオーストラリア、ニュージーランド、EUが批判し、
民主主義体制を取るよう要求しました。
しかし、暫定政府は、国際社会からの要求を断り、
かわりに選挙制度を変えると主張しました。
この結果、フィジーは太平洋諸島フォーラム(PIF)と、英連邦から
参加資格を停止されました。

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暫定政府は2012年に憲法を制定、その後1年間準備をして、
2014年に総選挙を行うようロードマップを発表しています。


政治の混乱は経済にも影響します。
2006年のクーデター後、
2007年に経済成長率はマイナス6.6%と記録しました。
経済を立て直すためにも、政治を安定させる必要があります。

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フィジーの主要産業は、観光、砂糖、衣料です。
砂糖産業には、フィジーの全農地の50%、労働者の20%が関わり
主な輸出品となっています。
日本における砂糖の輸入国第4位です。
しかし、砂糖産業は年々衰退しています。
こちらにも、フィジー系とインド系の民族の対立が関係しています。
プランテーションが行われていた頃から、
フィジー系の民族が所有する土地を、
インド系の民族が借用して砂糖を栽培していました。
しかし、クーデターをきっかけに民族間の対立が表面化し、
異民族間で借地契約の更新が行われないなどの
トラブルが多くなりました。
この結果、インド系の民族には、さとうきび栽培を辞める人や、
借地契約に対する不安から、さとうきびの改植を
行わない人が多くなりました。
さとうきびは、改植(植物を植え直すこと)を行わないと、品質が下がるため、
年々、1ヘクタール当たりの産糖量が減少しています。

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また、2006年から行われたEUの砂糖制度改革も
砂糖産業の衰退に影響しています。
EUは、アフリカ・カリブ海・太平洋諸国から、
EU域内価格を基本とした高い価格で輸入していましたが、
世界貿易機関(WTO)が、規則に違反すると裁定したため、
フィジーの砂糖のEU向け価格が著しく下がりました。
これらに対し、フィジー砂糖公社は、
農家を対象とした改植や肥料購入などの費用を支援するため、
低利融資を行い、砂糖産業の衰退を防ごうとしています。


フィジーでは、国家が強い権力を持っています。
2010年、メディア産業振興法が布告され、
国家がメディアを管理出来るようになりました。
これは、フィジーの報道機関の株を
海外企業は10%までしか持てないと制限するものです。
そのため、オーストラリアのニュース・リミテッド社は、
それまで持っていた株の90%を手放すことになりました。

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フィジー労働組合会議(FTUC)の会長は、
団体交渉に向けた会議を開催したところ、
非合法な集会とされて逮捕されました。

このような状況のために、
日本労働組合総連合会(社会党右派系の労働組合)は、
国際労働組合総連合(ITUC)とともに、
フィジー軍事政権に対して、
労働者の基本的権利と自由な労働組合活動が
行えるよう強く求めています。


「私は将来、ヘリコプターの整備士になりたいです。」

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フィジーを囲む美しい海は、観光産業を発展させた一方、
人身売買などの越境犯罪の脅威が横行し、深刻な問題となっています。
2009年版の米国務省人身売買報告の中で、
フィジーはブラックリストに掲載されています。
麻薬の密輸では、中継点として指摘されています。
状況は、2006年にオーストラリア、ニュージーランド、
フランスの軍事協定が停止されてから、より悪化しています。
広範囲に渡る海域の航空監視が無くなり、
フィジーが監視活動を行うことはまれにしかありません。


「私の大切なものは、みんなが一緒に住める街です。」

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フィジーの貿易は輸入超過となっています。
そのため、フィジー政府は、鉱物資源の開拓による
経済振興に期待をしています。
政府は、銅金鉱山炭鉱プロジェクトを、
日本の鉱山会社グループ(三菱マテリアル(株)と、日鉄鉱業(株))、
オーストラリアのNexcrest Miningナモシ社と進めています。
しかし、現在のフィジー電力公社の発電能力では、
鉱山開発に必要な、膨大な電力を賄うことができません。

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発電能力を上げるためには、
火力発電を拡大させる事が現実的ですが、
環境へ配慮するために、
低二酸化炭素ガス排出技術を取り入れた火力発電と
地熱発電施設を組み合わせて、
発電能力を上げる予定になっています。
地熱発電は、現在も調査が進められています。
火力発電設備を導入するため、国際協力銀行(JBIC)は、
輸入・投資・事業等開発のための融資の
ソフトローンを行う予定です。


「私の大切なものは、きれいな海です。」

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フィジーの人々は、生活必需品の多くを輸入に頼っています。
輸入品は、使用された後、ゴミとなります。
国土の狭いフィジーでは十分な廃棄場を確保することは難しく、
廃棄物の処理に問題を抱えています。
さとうきび農場の契約切れに伴い、地方での失業者が増え、
都市部へと人口が流入してきたため、
都市部でのゴミの、多様化、多量化が進んでいます。

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国際協力機構(JICA)は、志布志(しぶし)市のゴミ処理体系の普及を行っています。
ゴミ焼却場を持っていない、志布志市の取り組みが、
フィジーの廃棄場の確保が難しい現状に活かされています。
志布志市の平成21年度のゴミリサイクル率は75.4%です。
志布志市の職員がフィジーへ派遣されるだけでなく、
フィジーからも研修団の受け入れを行い、技術支援や、市民参加を促し、
「ゴミはリサイクルして当たり前」と、意識改革が行われています。


農村部では、都市部、地方を問わず定職を持たない青年が多くいます。
フィジー政府は、こうした若者が生きる力を身につける場として
国立青年研修センターを設立しました。

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国際NGO オイスカは、フィジー政府の要請を受けて、農業技術研修、
規律訓練を行っています。
研修生には、オイスカが研修センター外で行う
社会貢献活動への参加を義務付け、
村に帰ってからも社会に貢献できる人材を育てています。
将来はオイスカの現地NGOであるOFETAが
センターを独立して運営できることを、目標にしています。
研修センターは、2007年から郵便貯金・簡易生命保険管理機構の助成を
受けています。


「私の大切なものは、勉強するための学校です。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 FIJ_001.JPG)





島国では、情報を共有するネットワークが重要です。
フィジーにはオセアニアの12の小規模島国が協同で設立した
公立の南太平洋大学(USP)があります。

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19000人の学生のうち、50%以上は遠隔教育を受けています。
1998年から、日本、オーストラリア、ニュージーランドが共同で
通信衛星ネットワークは整備をして
遠隔教育を受けやすい環境を整えました。
南太平洋には、高等教育を受ける機会の無い国も多く、
USPは重要な教育機関となっています。

日本からフィジーへの留学生者は2004年からの2年間で10倍へ増えています。
South Pacific Free Bard(株)は、欧米国と比較して安価で語学留学が出来るよう、
フィジーで語学学校を運営しています。
少子化が深刻となるフィジーで、政府から廃校となった学校を借りて、
政府が雇用できないフィジーの教師を雇用しています。
日本からフィジーを訪れる人を増やし、現地での雇用を増やすことで
地域の活性化に貢献しています。



「私の大切なものは、病院と家です。」

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感染症対策でも、ネットワークが活用されています。
南太平洋は、感染症が流行し易い環境にあります。
人口が少ないため、病院などの設備が少なく、
感染症対策に必要な物資の調達や、
必要とされている場所への運搬が難しい事が理由に挙がります。
また、漁業や観光で頻繁に人が移動するため、
感染症をもたらす原因菌が、人の移動に伴い、拡散します。

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そこで、南太平洋の各国の衛生担当者、臨床医、検査技師、医療関係者が
自発的にネットワークを作りました。
1996年、The Pacific Public Health Surveillance Network(PPHSN)が、
立ち上げられ、各国の情報が共有されています。

フィジーはフィラリア症の流行国です。
1999年より世界保健機関(WHO)のリンパ系フィラリア症の根絶を目標とする
広域プログラムに参加しています。
2002年より、全国民対象の集団治療薬投与が行われています。
抗フィラリア薬配布率の向上のために、
地域医療者等へのフィラリア症教育や、
住民に対しラジオによる広告および質疑応答コーナーを活用し、
情報提供が行われています。


フィジーは肥満大国です。
女性の肥満率は、アメリカと並ぶほどです。
フィジーの死因は82%が生活習慣病です。
また、公的医療機関は無料で診療を受けることが出来るため
膨大な保健衛生費が国家予算を圧迫しています。
外部から高カロリー食品が流入したことにより、
国民の食生活が変化したことが肥満の主な原因です。

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これまで、政府は栄養政策を何度も行ってきましたが
なかなか効果が出ませんでした。
栄養状態とは、住民の日々の食生活に密接していますが、
国レベルの政策が、地域レベルの活動へ
活かされていなかったためです。
正しいことを提言するだけでは、
人々の意識や行動を変化させることは出来ません。
国際協力機構(JICA)は、太平洋共同体(SPC)や、WHOと、
共同して地域でのワークショップを行いました。

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フィジーの国歌は
イギリスから独立する前に行われたコンテストで選ばれ
幸福と自由を歌っています。

フィジーのイメージは南の楽園です。
私は、言葉の通り、フィジーが幸福と自由を実感できる国に
なって欲しいと願います。

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
渡橋浩子(2007年)
山本敏晴(2007年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
姉崎沙緒里

編集完了日:
2012年1月16日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/

posted by お絵描きイベント at 12:28| 日記

2012年01月10日

ジブチ Djibouti

ジブチ共和国は、
アフリカ大陸の北東に位置する国です。

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この国は、アフリカ大陸と、ヨーロッパ、中東・アジアを結んだ、
地理的にも政治的にも重要な場所にあります。

国の大きさは、
日本の四国と同じくらいです。

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「サンダルです。
ジブチは毎日暑いので、サンダルが欠かせません。」
この絵を描いたのは、Souleiman、14歳の男の子です。

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国土の半分は砂漠地帯で、とても乾燥しています。
最高気温は50℃近くにもなり、
地球で一番暑い場所の1つといわれています。
雨はなかなか降らず、干ばつの多い国です。

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人口は約80万人で(日本の東京都は1300万人です)、
そのうちの半数がソマリア系のイッサ族、
4割近くがエチオピア系のアファール族です。

ジブチの国旗.gif
(ジブチ共和国の国旗:外務省ホームページより)

国旗の青い部分はイッサ族、緑の部分はアファール族を、
白い部分は2つの民族が平等であること、
そして、赤い星は国の独立をあらわしています。

平均寿命は56歳です。
国民はアラビア語とフランス語を話し、
ほとんどの人がイスラム教を信じています。

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ジブチは、アフリカ大陸の東側海沿いにあるエチオピアやケニア、
ソマリアなどの国とともに「アフリカの角」と呼ばれています。
(世界地図で見ると、この地域がサイの角に似た形をしていることから、
このように人々が呼ぶようになりました)

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(アフリカ大陸:外務省ホームページより)

「アフリカの角」地域では、
異なる民族や宗教が集まっているため、紛争が多く発生しています。
そのなかで、ジブチは多くの国と良い関係を築き、
落ち着いた政治をしているので、
「アフリカの角」を安定させる存在です。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「ジブチのゲレ大統領です。僕と同じ部族だから誇りに思います。」
この絵を描いたのは、Moussa、11歳の男の子です。

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19世紀、ソマリア系のイッサ族とエチオピア系のアファール族が
フランスにこの土地を受け渡しました。

フランスがこの地域を植民地とし、
フランス領ソマリランドとして統治する中、
イッサ族とアファール族は対立しました。
対立関係はおさまらず、その後はこの土地の名を、
フランス領アファール・イッサ(それぞれの部族名)
に変えました。

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第二次世界大戦後、アフリカ大陸の国が続々と独立するところ、
部族対立が原因で独立できなかった
フランス領アファール・イッサでしたが、
1977年にイッサ族出身の大統領のもと、
ジブチ共和国が誕生しました。

ところが、部族同士の対立はまだ続いていました。
1990年代に入ると、
政府側の軍と、政府に反対するアファール族の軍が
内戦をはじめました。

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国内紛争は3年にわたって続きましたが、
2001年に、両者は最終的な和解をして内戦が終わりました。
2011年にゲレ大統領が3度目の当選をし、
現在に至っています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「ラクダとヤギです。僕たちの生活に必要なものを与えてくれます。
ラクダは荷物を運んでくれます。ヤギは僕たちの食料となるんです。」
この絵を描いたのは、Mohamed、11歳の男の子です。

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ジブチは国民の多くが貧困状況にあり、問題となっています。
アメリカ中央情報局によれば、
2007年の失業率は6割にもおよび、
国民の半分以上が職につけない状態でした。

ジブチ政府は国の経済を立て直すために、開発計画を立て、
これをもとにして経済政策を実施しています。
政府は、主に以下の4つをもとにして政策を行なっています。

1.国としての経済的競争力を強めることと、
  経済の成長を長い期間つづけること
2.優秀な人材を育てること、基本的な生活力を上げること、
  環境を守ること
3.貧困をなくすことと、社会的に弱い立場の人を守ること
4.経済の管理力をより強いものにすること

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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「道路です。
食料などを運ぶ車が通る道路は、大切なものなんです。」
この絵を描いたのは、Choueb、11歳の男の子です。

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ジブチの経済を支えているのが、
主要産業であるジブチ港の施設サービスとジブチ鉄道です。
アフリカ大陸の産物を世界中に運ぶジブチ港は、
ジブチで大切な役割を担っています。
日本人にもおなじみのエチオピア産モカコーヒーは、
この港を経て私たちの食卓に届きます。

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・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「木です。ジブチには木があまりないので、大事なんです。
木は水をためることもできます。」
この絵を描いたのは、Ali、12歳の男の子です。

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「畑です。食べるための大切な野菜や果物を育てる場所だからです。」
この絵を描いたのは、Farah、14歳の男の子です。

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ジブチを含む「アフリカの角」地域では、
1950年代以来最高レベルの干ばつが起こっています。

ジブチでは、内陸部の農業作物が実りにくい地域で生活している人々が
以前から貧困や食糧不足に陥っていました。
今回の大干ばつは、これまでの食糧不足にさらなる打撃を与え、
深刻な食糧危機を招きました。

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多くの民族や宗教が密集している「アフリカの角」地域では、
紛争が多く発生しています。
ジブチの隣にあるソマリアでは、
1991年に大きな内戦がおこり、それが今も続いています。

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紛争の危険から逃れてきたソマリアの難民を、
ジブチは自分たちの国へ受け入れ、助けてあげたのですが、
これにより、ジブチの経済は苦しくなってしまいました。

このように、問題はジブチ一ヵ国で解決するものではありません。
周りの国における政治的状況も大きく影響するのです。

WFP(国連世界食糧計画)は、緊急食糧支援をはじめました。
穀物や豆、塩、砂糖、植物油、栄養価の高いビスケットなどを
ジブチの人々10万人以上へ届けました。

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WFPは、このプロジェクトの実施を通して、
ジブチの食糧危機において、少しでも助けになるようにと、
日々活動しています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「清潔できれいな家や建物です。」

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ジブチでは、都市部でも下水処理の仕組みが不足しており、
不衛生な状況にあります。

一般に、ジブチの国立病院は、
高い診療費や医薬品代が必要なため、
貧しい人々は十分な治療を受けることができません。

このような中、ジブチ市内にあるポール・フォール病院は、
診療と医薬品を無料で提供しているため、
収入が低い人も安心して受診することができます。
さらに、この病院はWFPによる食糧支援を受けており、
ジブチ国内のNGOと協力して、
1日3食の食事を入院患者に配っています。

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ところが、院内の衛生環境がよくなかったため、
治療中の患者が病院から外へ逃げ出してしまう
ということが何度も起こりました。

患者が院外へ出ると、
その患者がわずらっている病気も
他の人々へ感染する恐れが出てしまいます。

この病院の敷地には、病院用の下水タンク(糞尿を貯めるためのもの)
があったのですが、このタンクから耐えがたい汚臭がしていました。
また、下水パイプは糞尿がつまって使える状態ではなかったため、
それを修理する必要がありました。

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NPO AMDAは病院の下水工事改修プロジェクトを実施しました。

AMDAは、具体的に以下の活動を行いました。
1.下水タンクを取り除き、下水管を整備すること、
2.トイレを修復し、別に新しいものをつくること、
3.病院内へ安全な水を供給すること

これにより、
病院の衛生状況はよくなりはじめました。

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「人々がこの病院で、少しでも心地よい毎日を過ごし、
病院の不衛生さから患者が逃げて病気が広まらないように。
ととのった医療環境の中で病気の治療に集中し、
健康な体と笑顔を取り戻すことができるように。」
と、活動を続けていく、とAMDAは言っています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「私は、学校の絵を描きました。
学校で勉強できるということが、大事だと思います。」

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ジブチでは、就学率の低いことが問題となっています。
国連人口基金(UNFPA)が発行している
「世界人口白書2011」によると、
1991年から2009年までの初等教育就学率は
50%以下と非常に低く、
世界最低10位の中に入ってしまいました。

ジブチにおける就学率が低い原因の1つは、
学校そのものが不足していることです。

現在ある学校は、すでに満員状態で、
一つの教室に70名近くの生徒が勉強していました。
日中の気温が50度を超えるなか、
隣の生徒と隙間もない状態で勉強することは、
子どもたちにとって過酷な状況です。

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さらに、ジブチ政府が教育制度を改善し、
基礎教育9年間を誰でも無料で受けられるようにしたので、
これからも生徒の数が増える見込みです。

農業に適した土地が少なく、天然資源をもたないジブチが、
国を豊かにするためには、
教育に力を入れ、優秀な人材を育てることが必要です。
しかし、経済状況が厳しいジブチは、
学校や教室を増やしたくても増やすことができず、苦しんでいます。


ジブチ政府から協力を求められた日本政府の要請を受けて、
大日本土木株式会社は、
小学校と中学校あわせて5つの学校を建設しました。

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プロジェクトが新しくつくった教室は100教室以上になりました。
これにより、何千人もの子どもたちにとって、
新たに勉強できる場が生まれました。

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今まで学校に行かれなかった子どもたちが
学校へ通えるようになり、
生徒一人ひとりにおいて勉強できるチャンスが増えました。
ジブチの未来を担う「人」を育てることができるよう、
人々は歩みはじめています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「家に電気が通っていることです。」

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高い気温と乾燥した気候のジブチは、
水資源や地下資源などの天然資源をもっていないため、
国内で使うエネルギーのほとんどを
海外から輸入した燃料によってつくっています。
現在の発電方法では外国に頼るしかないため、
自分たちの力でエネルギーをつくりだすことが必要です。

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国際協力機構(JICA)はジブチにおいてエネルギー開発計画を行いました。
このプロジェクトでは、
1.ジブチの政府機関である研究センターに太陽光パネルを設け、
2.太陽光発電による電力をつくりだすとともに、
3.持続可能な管理ができるように、現地の人へ技術を伝えました。

太陽光発電システムは、温室効果ガス
(そのガスによって周囲の気温が上がる気体)を減らし、
環境を破壊しにくいという利点ももっています。

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この活動を通して、ジブチの人々が自分たちの力で、
エネルギーを開発できる土台づくりができました。
今回の研究センターのように太陽光発電をもつ施設が増えて、
エネルギー開発がジブチ全土に広がるよう、
国際協力機構は願っています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「故郷で暮らす家族と、父が飼うラクダです。
普段は会えないけれど、僕にとってかけがえのないものです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 DBT_001a.jpg h3a.jpg)







一人ひとりは違うけれど、
あなたにもわたしにも、
心から大切にしているものがある。

お絵描きイベントで絵を描いてくれた人たちに、
私たち読む人が会うチャンスは、ほとんどありません。

でも、絵を描いてくれた人それぞれが、
大好きなもの、
宝物にしているもの、
支えとしているもの、

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それらを「大切にする想い」を読む人が感じ取った時、
今まで遠く離れていた存在が少し近くに思えるかもしれません。
そんな、「お絵描きイベント」の願いを、
これからも実感できたらいいなと筆者は思います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
原田匡剛

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2012年1月17日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 10:09| 日記

2011年12月18日

ロシア Russia

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ロシアは、ユーラシア大陸の北部に位置し、世界最大の国土と、世界第9位の人口を擁する国です。
この広大な国土に、石油や天然ガスなど膨大なエネルギー資源を有するエネルギー大国です。

旧ソ連諸国のなかで国土面積・人口とも最大で、国連安全保障理事会の常任理事国の立場をソ連から引き継ぎ、文字通りソ連を継承する国です。

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ソ連時代にはアメリカに対抗する超大国として世界を二分しました。
ソ連時代から、特に核兵器などの軍事面や宇宙開発などの分野に力を入れ、今でもロシアの核弾頭の保有数は世界一位で、宇宙開発技術でも最先端を誇ります。


「僕の夢は宇宙に行くことです」

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ソ連崩壊後、しばらく国内の経済は混乱しました。
しかし、いまでは新興国と呼ばれるほどの経済成長をしており、同様に順調な経済成長を遂げているブラジル、インド、中国、南アフリカ共和国とともに『BRICS』の一角を占めます。

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・・・

民族構成は、ロシア人が約80%を占めますが、他にもウクライナ人やチェチェン人など180を超える少数民族がいます。
公用語はロシア語です。
宗教は、キリスト教の中の教派の一つであるロシア正教が多数ですが、イスラム教、仏教、ユダヤ教などもあります。
ソ連時代には、政教分離の名のもとに全宗教が弾圧されてきましたが、いまはどの宗教も保護されています。

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・・・

「僕はおとぎ話が好きです」

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ロシアの広大な国土は、16世紀にイヴァン雷帝が行ったシベリア進出に基づきます。
16世紀の半ば頃にはヨーロッパにしかなかった領土が、150年後にはシベリアまで広がりました。

ロマノフ朝ロシア帝国時代には、領土を東欧・中央アジアへと広げ、1904年には首都モスクワと極東ウラジオストックを結ぶシベリア鉄道も開通しました。

しかし、1904年に勃発した日露戦争で苦戦が続き、ロマノフ朝ロシア帝国の国力は衰退しました。
1905年には貧困にあえいだ国民がデモ活動をおこし、これに対して政府が発砲して多くの死傷者がでました(血の日曜日事件)。
この事件が契機になって、ロシアでは革命運動が盛んになりました。


「僕の大切なものはクレムリン(ロマノフ朝ロシア帝国の宮殿)です」

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ロマノフ朝ロシア帝国は、1914年に勃発した第1次世界大戦で敗戦を続けると、1917年にウラジーミル=レーニンが主導して史上初の共産主義革命(ロシア革命)を成功させ、ロマノフ朝ロシア帝国は滅亡しました。
1922年には、ロシア、ウクライナ、白ロシア、ザカフカースの4カ国からなるソ連が成立しました。

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1929年にニューヨーク証券取引所で株価が暴落すると、資本主義国の多くで世界恐慌が起きました。
しかし、ソ連の経済は『計画経済(物の生産と分配を国がコントロールする経済体制)』であるため、世界恐慌の影響を受けずに順調な経済成長を遂げました。

しかし、ソ連は国力を誇示するために軍事面や宇宙開発に重点を置き、農業は犠牲になりました。


「僕はパイロットになって飢えて困っている人に食糧を届けたいです」

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1928年から、ソ連は個人から土地をとりあげて集団農場をつくる政策を強行しました。
この際、900万人近くの農民が農地を追われ、その半分が処刑されたと言われています。
こうして、各地に集団農場をつくりましたが、集団農場に入った農民の労働意欲はあがらず、収穫は大きく落ち込みました。
この結果、1932−1933年には数百万人が餓死する大飢饉がおきました。
特にウクライナ地方の被害は甚大で、ウクライナ政府はいまもこの対応をウクライナ人に対するジェノサイドであるとして非難しています。
以後、ソ連は1991年に崩壊するまで食糧難に悩まされ続けることになりました。

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・・・

1939年に第二次世界大戦がはじまると、ソ連は『ソ連・ポーランド不可侵条約』を破棄してポーランドを侵略しました。
ドイツとの戦いで一時は苦境に陥るも、最終的には勝利し、東欧に大きく領土を広げました。
また、1945年8月9日には、敗戦が確実になった日本に対し、『日ソ中立条約』を破棄して攻め込み、満州やサハリン南部などを掌握しました。
この際、約50万もの日本軍捕虜がシベリアに抑留され、過酷な環境での強制労働によって日本軍捕虜の多くが命を落としました。

また、日本が『ポツダム宣言』を受諾して降伏した後も北海道めがけて侵攻を続け、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島及び歯舞(はばまい)群島からなる北方領土を現在に至るまで支配しています。


「あたしはロシアの冬景色が好きです」

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日本政府は、日ソ中立条約が有効であったことと、ポツダム宣言受諾後に占領されたことを根拠に、いまの状況をロシアによる不法占拠であると位置づけています。
これに対し、ロシアは「第二次世界大戦の結果ロシアの領土になった」という立場をとり、色丹、歯舞の2島を返還する妥協案は提示するものの、択捉島、国後島については返還する姿勢をみせていません。

いま、ロシアは北方領土の近代化をすすめ、軍事力も強化しています。
また、中国や韓国にもよびかけて北方領土の資源開発を進めようとしています。

日本にとって北方領土をめぐる交渉は今後も難航が予測されます。

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・・・

第二次大戦後、アメリカやイギリスなどの西側陣営は『北大西洋条約機構(NATO)』という軍事同盟を結んで東側陣営に対抗しました。
これに対し、ソ連は東欧諸国と『ワルシャワ条約機構』という軍事同盟を結んで西側陣営と対抗しました。

ソ連とアメリカが直接戦火を交えることはなかったものの、両国は朝鮮戦争やベトナム戦争など世界の各地で代理戦争という形で対立し、この対立構造は『冷戦』といわれました。

国連の安全保障理事会では、ソ連とアメリカは自国にとって都合のわるい政策に対して互いに拒否権の行使を繰り返し、これが冷戦を長引かせる原因となりました。

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両国は、核兵器の開発に関しても熾烈な競争を繰り広げ、1962年にはあわや核戦争かという『キューバ危機』が起きました。

なお、ストックホルム国際平和研究所がした2010年の調査によると、ロシアが配備している核弾頭数は4630発で、アメリカの2468発をおさえて世界一位となっています。

・・・

ソ連は、アメリカに対抗する超大国でしたが、内部には多くの問題を抱えていました。

まず、社会主義は独裁政治に陥りやすいため、政敵の粛正や、言論の統制、民衆の弾圧が横行しました。
このため、政治に民意が反映されることはなく、トップダウン式の政策によって国民は翻弄されることになりました。

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また、計画経済のもとでは、国民の労働意欲をかきたてるのが難しく、西側陣営との間の経済格差が広がりました。

そして、汚職が蔓延し、一部の高級官僚たちが富を独占し、その他の国民が貧困にあえぐという状況が生じました。
これは共産党の政治理念に反するものでした。

さらに、1979年からのアフガニスタン侵攻が泥沼化したことや、石油価格の暴落によって経済が崩壊しました。


「私の大切なものは馬です」

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1985年からソ連の最高指導者に就任したミハイル=ゴルバチョフ氏は、ソ連の体制に限界を感じ、『ペレストロイカ(改革)』を断行しはじめます。
まず、それまで全ての企業が国営でしたが、一部で民営化を開始しました。
そして、国民の労働意欲をかきたてるために、生産性に応じて給料が変動する制度を導入しました。

また、ソ連がいかに多くの問題を抱えているかを国民に伝えるために、政府内部の『グラスノチス(情報公開)』をおしすすめました。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所で事故が起きましたが、政府の隠蔽体質が事態の収束を遅延させてしまいました。
この原発事故もグラスノチスを後押しすることになりました。

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そして、ゴルバチョフ氏は、1989年にはアメリカのブッシュ大統領(パパブッシュ)と会談し、核兵器の削減について合意して、40年以上続いていた冷戦が終結したことを宣言しました(マルタ会談)。
こうした一連の功績が認められて、1990年、ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しました。

ゴルバチョフ氏は経済を自由化し、国民が自由に発言できるようにして、国民の支持を得ようとしていました。
しかし、情報公開によってソ連政府の腐敗がさらけだされると、国民の不満がかえって高まりました。

1991年8月にはクーデターが起き、これが引き金となって同年12月にソ連は崩壊しました。
そして、代わりにロシアを含む15の独立国家が生まれ、そのうち11か国(後にグルジアも加わって12か国)が独立国家共同体(CIS)という緩やかな共同体を形成しました。

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・・・

こうしてソ連は崩壊し、冷戦が終結しました。
この出来事が世界に与えた影響をみてみましょう。

まず、ソ連のエンジニアが拡散し、これによりソ連の核技術が世界中にちらばりました。
これにより、テロリストが核兵器を用いるかもしれないという新たな脅威がうまれました。

また、ソ連の支配下にあった東欧諸国で相次いで革命が起こり(東欧革命)、世界的に民主化がすすみました。
この際、東欧諸国で不要になったAK−47(カラシニコフ)などの武器が大量に輸出されるようになりました。
この結果、アフリカなどの紛争で大量のAK−47が流通し、紛争を拡大する要因になりました。
AK−47は子どもでも扱えるほど小型で、これが紛争地帯で流通したことが、世界で多くの子ども兵が生まれる原因になりました。

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さらに、ソ連の支配下にあった国々で、それまで押さえ込まれていた民族運動が活発化しました。
この結果、それまでの東西の戦争という構図は崩れたものの、ユーゴスラビア紛争などの内戦が増加しました。


「わたしはマジシャンになりたいです。箱の中からうさぎが出てくるなんてすごいでしょ?」

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もう一つの大きな変化として、共産主義勢力が衰退したことにより、資本主義を世界に広めようとする経済のグローバリゼーション(アメリカナイゼーション)が進みました。
経済のグローバリゼーションが進むと、世界を一つの市場として激しい価格競争が起きるので、消費者は競争に勝ち残った品質の良い商品を安く購入することができるようになります。
しかし、その一方で経済格差を世界レベルで拡大し、最低限の暮らしすらできない貧困層が増加しました。
また、多国籍企業はより安い労働力を求めるため、人件費の安い発展途上国の子どもが労働にかりだされる、いわゆる児童労働も増加しました。

この、グローバリゼーションは世界貿易機関(WTO)が主導しており、2001年には反資本主義だった中国がWTOに加盟し、そして2011年にはロシアもWTOに加盟することが決まりました。
グローバリゼーションという潮流はこれからもとどまりそうにありません。

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・・・

次いで、ソ連崩壊後のロシア国内の情勢をみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアは価格統制の撤廃や賃金・所得の凍結など、大胆な経済改革をしましたが、その結果、ロシアの経済は混乱しました。

まず、ソ連時代の体制のもとでは企業は全て国営で、あらゆる商品について一企業による独占が生じていました。
このため価格統制が撤廃されると、商品の価格が一方的につりあげられ、ハイパーインフレが起きました。

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この混乱に乗じ、マフィアがヨーロッパから商品をもちこんで安く販売し、ロシアの経済を支配するようになりました。
マフィアが力をつけると、麻薬が大量に流通し、治安も悪くなりました。
そして、マフィアは税金を納めませんから、ロシア政府の財政が悪化しました。

1998年、ロシアはアジア通貨危機の影響をうけて、あと一歩で債務不履行(デフォルト)という深刻な財政危機に陥りました。
しかし、その後、石油価格が上昇したことにより、ロシアの経済状況は改善しました。
また、プーチン政権下で、通貨ルーブルの切り下げに踏み切ったところ、輸入が抑制されてマフィアが衰退し、これによってロシアの企業が息を吹き返しました。
プーチンが大統領をつとめた2000−2008年の間にロシアのGDPは8倍に増加し、ロシアは新興国と呼ばれるようになりました。

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さらに、プーチンはソ連崩壊の混乱に乗じて台頭した『オリガルヒ(新興財閥)』が所有していたエネルギー資源会社の再国営化をすすめました。
これにより、エネルギー資源を外交カードとして用い、国際政治での発言権を増すようになりました。

・・・

近年のロシアの経済成長の裏側には、国土に豊富に埋蔵する天然資源の開発があります。
しかし、こうした天然資源の開発は自然破壊とも隣り合わせです。

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たとえば、ロシアは石油や日本や韓国に輸出するためにシベリアの油田と太平洋沿岸をむすぶシベリア・太平洋パイプラインを建設しましたが、当初、このパイプラインは世界に約30頭しかいないアムールヒョウの生息地を通る予定でした。
これに対し、FoE(Friends of the Earth)や世界自然保護基金(WWF)などの国際環境NGOは、プーチン大統領に対してパイプラインの経路変更を訴える要望書を提出しました。
この結果、パイプラインの経路は変更され、アムールヒョウの生息地は保護されることになりました。


「わたしは猫がすきです」

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ロシアの経済は天然資源の輸出に大きく依存しているため、世界経済や石油や天然ガスの価格変動によってロシアの財政状況は大きく影響を受けてしまいます。
実際、2007年からはじまる世界金融危機で最も深刻な打撃を受けたのがロシアでした。
そこで、このような状況を打破するために、ロシア政府はITなどの工業にも力を入れており、アメリカのシリコンバレーをモデルとした研究開発拠点をモスクワ近郊に建設しようとしています。

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・・・

続いて、ロシアの外交を見てみましょう。
ロシアは広大な国土をもち、多くの国と隣接することから、外交での問題がたえません。

まず、冷戦終結が宣言されているものの、アメリカやNATOとの関係は依然として難しいものがあります。
1991年にワルシャワ条約機構は解体されましたが、これに対抗するNATOは解体されていません。
それどころか、ソ連の支配下にあった東欧諸国を吸収して拡大しつづけています。
旧ソ連を形成していたウクライナやグルジアもNATOへの加盟を目指しており、ロシアはNATOの拡大に警戒感を強めています。

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コソボ独立をめぐる問題でも、ロシアはアメリカやNATOと意見が対立しました。
そして、2008年にはグルジアが南オセチアに侵攻したことに対抗してロシアがグルジアに侵攻すると(グルジア紛争)、ロシアとアメリカやNATOとの関係は完全に冷え込みました。

新たな冷戦が展開されるという懸念もありましたが、2009年にバラク=オバマ氏がアメリカの大統領に就任すると、米ロ関係のリセットを宣言し、両国の関係は改善に向かいます。
その象徴として、2010年には、米ロの核兵器を削減する『新START』について合意しました。


「僕は世界がもっと喜びに満ちればいいのにと思います」

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しかし、ロシアとアメリカやNATOは依然として問題を抱えています。

アメリカはNATOとともに、イランなど中東からのミサイル攻撃から欧州全域を守るためのMDシステム(ミサイル防衛システム)を構築しようとしており、これが新たな火種となっています。
ロシア政府はこのMDシステムの本当の狙いはロシアをけん制することにあると判断し、この計画を推し進めるならば、アメリカとの間でかわした新STARTを破棄すると警告しています。

かつてロシアは中国とイデオロギーの違いや領土問題をめぐって対立したものの、今は貿易を通じて互いの関係を深めています。
ロシアは中国や中央アジアの国々とともに上海協力機構(SCO)を形成し、アメリカやNATOに軍事的・経済的に対抗する動きをみせています。

冷戦が終結したとはいえ、ロシアとアメリカとの間の駆け引きは今後も続きそうです。

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・・・

ロシアは、外交だけでなく、内政にも不安を抱えています。
その筆頭に挙げられるのが、黒海とカスピ海との間にあるカフカス地方の問題です。
特に、チェチェンでは分離独立を求めて二度の紛争が起きました。
いずれもロシア軍が鎮圧しましたが、チェチェンでは今でもテロ活動が続いています。
これに対し、ロシア政府はテロとの戦いという名目で、カフカス地方で拷問や虐待、国際法違反の殺害などして人権を蹂躙しています。
こうしたロシア政府の暴挙を告発する人権活動家もいますが、こうした活動家の多くが非業の死を遂げていることをアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際人権NGOは報告しています。

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・・・

次に、ロシア国民の暮らしをみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアでも市場原理主義が導入され、モスクワなどの都市部はニューヨークとみまがうほど発展しています。

「僕はビルを建設したいです」

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ソ連崩壊後、オリガルヒなどの富裕層がうまれましたが、国民の多くは貧しい暮らしをしています。
格差が急に拡大したのです。

ソ連時代は全員が公務員でしたが、ソ連崩壊後は最低限の生活が保障されず、多くの人が失業しました。
このため、不安にかられてウォッカを飲み過ぎ、アルコール中毒になる人が増加しました。
いまのロシア人の死因の第一位はアルコールの過剰摂取による肝臓病なのです。

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また、ロシアでは自殺者の数も多いですが、自殺をする人の多くがアルコール中毒だと言われています。
さらに、アルコール中毒になった男性の多くが、妻や子どもに暴力をふるいます。
ロシアでは、毎年約300万人の女性が夫から虐待を受け、毎年約1万2千人以上の女性が夫によって殺害されていると言われています。
また、親からの暴力から逃れるために家を出てストリートチルドレンになる子供も後をたちません。
ソ連崩壊後、ロシアでは麻薬が大量に流通しており、ストリートチルドレンの多くが麻薬中毒で命をおとしています。
そこで、国連児童基金(UNICEF)は、現地NGOと提携してストリートチルドレンたちを保護する活動を続けています。

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ロシアではHIV/エイズも深刻です。
国連児童基金(UNICEF)の報告によれば、2006年以降、ロシアではHIV感染者の数が7倍に増加しています。
ロシアでは、HIV感染者の多くが麻薬中毒者で、注射器の使い回しや危険な性行為によってHIV/エイズが拡大しているのが特徴です。
国連エイズ合同計画(UNAIDS)は、世界的に見れば感染者の数は横ばいであるのに対し、ロシアなどの東欧で極端に増加していることに強い懸念を示しています。


「わたしの大切なものは家族です」

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こうしたロシアのアルコール中毒、自殺、麻薬中毒、HIV/エイズなどの問題は、特に男性にとって深刻です。
それは男女別の平均寿命に反映されており、ロシア人女性の平均寿命は約73年であるのに対し、ロシア人男性の平均寿命は約60年しかありません。
ロシアは平均寿命の男女差が世界一大きく、男性にとっては世界一生きにくい国といえるかもしれません。

ロシアでは、男性の平均寿命の短さに加え、人材が国外に流出し、さらに社会的な不安によって出生率が著しく低下したことが原因で、人口が急激に減少しています。
いま、ロシアの人口は日本の1.1倍ほどですが、2050年ごろにはロシアの人口は日本の人口を下回るとみられています。
そこで、ウラジーミル=プーチン首相は、出産した女性に一時金を支給する政策を実施しました。
この結果、2008年の出生数は前年にくらべて7%増加しました。


「僕は軍人になりたいです」

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ロシアでは依然として徴兵制度がありますが、ロシア国民にとってこの徴兵制度は脅威です。
軍隊では新兵に対するいじめや暴力が横行しており、新兵が暴力を受けて殺されたり、またいじめを苦に自殺をしてしまうケースが後をたちません。
ロシア軍では、毎年約700人が戦闘以外の要因で死亡していると言われています。
また、生きて兵役から帰還したとしても、重度の障害を背負ってしまうこともあります。
わいろを払えば兵役を回避することができますから、貧しい家庭の出身者だけがこうした兵役の恐怖におびえることになります。
ロシア政府は徴兵制から志願制への完全移行を目指していましたが、少子化などの影響もあって、兵力を確保することが難しく、徴兵制への依存を強めています。

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警察官もロシア国民にとって脅威です。
ロシアでは警察官の給料が不十分なため、わいろを受け取ることを目当てとして罪のない国民を逮捕することが横行しているのです。
裁判所も腐敗しているため、逮捕された国民は警察官にわいろを払わなければ確実に有罪になってしまいます。
いま、ロシア国民の1/4が服役経験者だといわれています。

ロシア国民にとって、国家権力は脅威なのです。


「わたしはみんなが親切で、平和な世の中になることを望みます」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 P1010077_a.jpg Russia_36_Draw30_Mirra_13F_a.jpg)





筆者がロシア人の友人に「ロシアが抱える最大の問題は何ですか?」と訊いたところ、「ロシアの最大の問題は、国民に蔓延している政治的無関心です」と回答をいただきました。

ロシアでは、ソ連時代から民衆の弾圧が行われており、国民の多くは国家権力をおそれて政治について自ら声を上げることが出来ませんでした。
このため、国民の多くが事なかれ主義で、政治的無関心に陥りました。
その後、ソ連の崩壊にともなう社会の変化がありましたが、プーチン政権は「強いロシア」を標榜し、再び国家権力を強化する方向に舵を切りました。
ロシア国民はなすすべもなく、このような激動の歴史に翻弄されてきました。

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しかし、近年ロシアは新たな局面を迎えたようです。
ソ連崩壊から20年が経過する2011年12月、ロシア各地でソ連崩壊以来となる大規模なデモがおきました。
国際選挙監視団を派遣した欧州安保協力機構(OSCE)などの報告により、ロシア下院選で数々の不正が行われた疑いがあることが明らかになったからです。
デモ活動において、ロシア国民は「プーチンのいないロシアを実現しよう!」と叫びました。

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国民の運動はまだ始まったばかりで、今後のロシアがどうなるかは不透明です。
しかし、情報化と国際化が進んだ今、ロシアがソ連時代のような言論が統制される暗黒の時代に戻ることはなさそうに感じます。

ロシアは、憲法上で福祉国家であると宣言しています。
その言葉どおり、今後のロシアが、国民の福祉が保証された安全な国家になることを祈りたいと思います。

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
小柳純子、孤児院のマリア院長

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年12月21日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 16:49| 日記

2011年12月06日

フィリピン Philippines

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フィリピンは東南アジアにある、大小合わせて7107もの島々から構成される
多島国です。
セブ島は日本人にもおなじみのビーチリゾート地で、
島内は観光客向けに美しく整備されています。
そして言わずと知れたバナナの産地ですね。
多くの日本人はフィリピン産のバナナを一度は口にしたことがあるでしょう。

人口は約9,401万人(2010年推定値、フィリピン国勢調査)
その内、首都のマニラにはその周辺をあわせ約1,155万人が住んでいます。
近隣の東南アジア各国と比較すると、人口密度や人口増加率が高くなっています。

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民族はマレー系が主体で、ほかに中国系、スペイン系及び
これらとの混血並びに少数民族がいます。

国語はフィリピノ語(タガログ語を基礎として近年作られた新しい言語)。
公用語はフィリピノ語及び英語で、その他80前後の言語があります。

・・・

あなたの大切なものはなんですか?

「私の両親の愛と私を思う気持ちです」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 Phillippines_Draw014_SH_Alphonso_a.jpg C8ET0879_a.jpg)



フィリピンは世界最大の海外出稼ぎ大国の一つです。

海外で生活しているフィリピン人は2009年時点で、
約858万人とおそよ国民の10人に1人となる計算です。

海外からの送金は年々増えていて、
その額は対GDP比約12%、198億ドル(※)にもなっています。
(※出所:Commission on filipinos overseas 2009年 世界銀行)
これはあくまで銀行を経由した調査可能なお金のみを計算したもので、
実際は300億ドルを有に超えているとも言われています。
フィリピンの2011年の国家予算が約373億ドルということを考えても、
フィリピンにとって莫大な金額だということがわかります。

あなたの大切なものはなんですか?
「私を育む家族と地域です。
 亡くなった父親は私をいつも近くで見守ってくれています。」
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上の家族の絵を描いてくれたのは、
見たとおり、子どもではありません。
日本で出稼ぎをする前に日本語などの研修をする機関
(フィルテック開発財団)の生徒です。
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研修生の多くは20歳前後です。
今回訪ねた際に研修を受けていたのは
日本の会社が所有する船の船員として働く予定の方々です。
普段彼らは海の上で働いているため、私達が彼らと接することはありませんが、
客船を除く日本の会社が所有する船では非常に多くのフィリピン人が働いています。

フィリピン人は明るく、よく働き、そして英語力が高い、
というのがその理由だといわれています。
日本だけでなく世界の船はフィリピン人の労働に支えられている
と言っても過言ではありません。
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出稼ぎ先やその職業も最近は変化しています。
かつては欧米や日本などの先進国で女性が
メイドやダンサー、ホステスとして働く人が多かったのですが、
最近は経済発展が著しい中東(サウジアラビアなど)、
日本以外のアジア諸国(マレーシア、シンガポールなど)で
男性が各種建設工事従事や、先に述べた船員として働く人が
多くなっています。

日本とフィリピン政府の間での取り決め(※)によって、
最近はフィリピンから看護師や介護師を受け入れる方向で
調査から人材育成まで行われています。
(※経済連携協定(EPA)、2006年締結)

あなたの大切なものはなんですか?
「家族、そして私達が築く未来への道です。
 これまで家族が支えてきてくれたから今の私があります。」
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家族のよりよい未来のために
家族と離れ海外で出稼ぎをすることを選択するのです。

・・・

「ジャピーノ」という言葉をご存知でしょうか?

フィリピン人と日本人の間に生まれた子どもを指します。

正式に結婚している場合もありますが、そうでない場合も多く
父親の所在が不明・・・というこどもたちに対して
「ジャピーノ問題」とすることが多いようです。

先に述べた出稼ぎで日本に行き、そこで子どもを授かった場合や
フィリピンの性産業従事者が、日本から来た旅行者を相手にした結果
子どもを授かった場合などが父親不明の主な原因となっています。

問題というのは、
純粋に父親がいない、ということだけではなく、
ジャピーノの母親の多くは性産業従事者であるため
収入が低く不安定であり子どもの十分な養育費が払えない、
ということもあります。

日本で出産し父親が不明である場合は
国籍のない子どもとなってしまう場合もあります。
国籍がないとパスポートも取れず、選挙権もなし、
その他多くの国民としての権利が与えられません。

ジャピーノとその母親を支援するNGOは
日本、フィリピン両国に存在しています。

そのNGOの一つであるDAWNの
フィリピン事務所で大切なものを描いてもらいました。

あなたの大切なものは何ですか?
「DAWNと私の家族です」
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DAWNでは
相談、法的援助、健康管理、
そして教育と財政に関わる支援などをしています。

このような活動に反し、問題を抱えたジャピーノは今も増え続けています。

・・・

あなたの大切なものはなんですか
「私の未来の糧となる教育です。」
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フィリピンは識字率93.4%(2003年調査)となっており、
最貧困層でも小学校卒業レベルの知識を有しているといわれています。
実際は識字教育のみで、簡単な算数ができずに就労の機会を奪われている人が
多くいます。

都市部とそうでない地域の教育における問題は別のものです。

都市部では、公立の多くがマンモス校で、教育機会はあるのですが、
1日に2部、3部制をとっている学校が多く、
たくさんのの生徒を抱える先生は子ども達の状況を把握していないため
容易に落ちこぼれが出る環境にもあります。

中等教育へ進める人は決して多くなく、
高等教育(大学など)進学率となると
職業訓練専門学校レベルのものを含んでも約30%となっています。

都市部以外では、
教育施設、教材自体の不足が問題になっています。

両方に言えるのが教師の不足、質の問題です。
教師になる人々は条件の良い私立校へ就職してしまうためです。

教育格差を埋めるための努力は民間でも積極的に行われています。
その一つであるケソン市のシスターの家でも大切なものを描いてもらいました。

あなたのたいせつなものはなんですか?
「スクールバスです。私を学校に連れて行ってくれるから。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 phl_2010_k_05_A_a.jpg P1040041_a.jpg)


彼らは毎週土曜日にシスター達の基礎教育を受けに来る子どもたちです。
ここには両親は健在だけれども、貧困により毎日学校に行けない
5歳〜7歳くらいの子どもたちが通っています。

・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「私の宗教、カトリックです」
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フィリピンでは国民の83%がカトリックです。
残りは、その他のキリスト教が10%、イスラム教が5%となっています。

しかし、フィリピンにカトリックが伝わったのは実はイスラム教より後です。
フィリピン南方にイスラム教が伝わったのが1380年ごろ、
カトリックは大航海時代のスペイン人探検家、マゼランの到着(1521年)後です。
カトリックはスペインの統治により広く強く伝わり今に至ります。

ミンダナオ紛争

フィリピンのミンダナオ島という島の南部では、今でもイスラム教の比率が多く
宗教による文化の違いなどが原因で独立運動を起こしています。
独立運動はフィリピン国軍との内戦状態となり、長期化かつ過激化しています。
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ミンダナオ紛争解決のためにアメリカ、マレーシア、日本などが積極的に
支援を行っています。
つい最近(2011年8月)も日本で独立運動のリーダーと
フィリピンのアキノ大統領による初のトップ会談が行われました。

日本からは他にも道路、学校、給水施設のインフラ整備や、
現地行政組織の人材育成を行い、テロの温床となる貧困を削減することで
平和的解決へ導くことを目的とした支援をしています。

平和への道のりには紛争を止めることだけではなく、
さまざまな問題の解決が必要とされています。

・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「環境を守ることです」
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フィリピンは多島国であることから
温暖化の影響を受けやすい、と言われています。
温暖化により南極の氷が溶け、海面が上昇することによって
海岸沿いの人々の暮らしが脅かされるからです。

フィリピンでは温暖化を阻止するために自然を守ると同時に、
来るであろう変化に適応していくための取組みが行われています。

2010年、世界銀行はフィリピンの気候変動適応に関する
プロジェクトに約500万ドルの支援を決定しました。

これはフィリピンに多い農業、漁業、自然資源の管理などにおいて
費用対効果の高い戦略を練り、実証することで
気候変動適応のための枠組みを作ることを目的とした支援です。


フィリピンでの「環境破壊」は、自然を失う可能性の他、
ゴミの問題も大きなものとなっています。

一躍有名になったフィリピンの負の代名詞
「スモーキーマウンテン」がその象徴です。
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このゴミの山は首都マニラの郊外にいくつかあります。
一日約6000トンものゴミが捨てられる場所です。
膨大な量のゴミが積みあがり、
腐ったゴミから発生するメタンガスなどが原因で自然発火し
常にどこかで煙があがっていることから
「スモーキーマウンテン」と呼ばれています。

ここでは瓶や缶などお金になるようなゴミを拾って
生計を立てている「スカベンジャー」と言われる人がたくさんいます。
老若男女関わらず朝から日暮れまでゴミ山の中で作業しています。

ものすごい臭いが立ち込める中、
子どもたちの多くははだしでゴミ山に上ります。
多くの病原体、ゴミに埋もれる、ゴミ処理者に巻き込まれるなどの危険を冒して
一日に稼げるのは平均で200円程。
時には捨てられた注射針、割れたガラスの破片などが刺さって
感染症にかかり命を落とす人もいます。

現在はスカベンジャーも場所によっては登録制になったり、
ゴミに出される前に業者が換金できるものを買い取ったりなどして
だれもがゴミを拾って生計を立てられるわけではないようです。
しかし、ゴミ山の周辺に住む人々は減りません。
生活の場として人々はそこにいて、巨大スラム化しているのです。
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現在各国のNGOや企業が支援に乗り出しています。
中でもイタリアのPangea Green Energy社は、
ゴミ山から発生しているメタンガスを電力に代え、
周囲のスラム街で活用するという画期的な事業を行っています。


ゴミ山で暮らす子どもたちの大切なものは何でしょうか。

あなたの大切なものは何ですか?
「家族と私達の家です」
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「家族が大好きです。果物が大好きです。」
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とあるゴミ山に住む子どもから、私は質問されました。
「あなたの家にはマンゴーの木がある?」
私は答えました。
「ないよ。」
「パパイヤの木は?」
「ないよ。」
「何にもないんだね。
 私の家にはぜーんぶあるよ!」
ゴミ山に住む子は、自慢げに話してくれました。

彼らには私達より、今幸せかどうか
自分で感じる力があるのかも知れません。
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・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「島そして海です」
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美しい島々、海。
日本ではリゾート地としてはセブ島がもっとも有名で、
2010年の1月〜3月にセブ島を訪れた日本人は
約42000人にもなります。
(2010 フィリピン観光省調査)

美しい島々はリゾートにはもってこいですが、
問題もすくなくありません。

フィリピンでは地方のインフラの開発が遅れています。
観光地でない島では、道路、港、空港に加え、
電気、水道などの施設が未発達であることが多く
不便を強いられています。

また、台風や高潮など自然災害の影響も大きくなります。

これらの問題に対して、JICAは多くの
技術協力プロジェクト、有償資金協力事業(お金を貸すこと)
を行ってきました。

また日本単独の支援だけでなく、NGO、企業、政府が協力し、
2012年10月自然災害が起きた際に相互に緊急支援をするため、
フィリピン、日本、インドネシア、韓国、スリランカ、台湾の6カ国・地域が参加する
国際的連携機関となる「アジア太平洋災害支援プラットフォーム」(仮称)が
発足の予定となっています。


・・・

フィリピンの旗

フィリピンの旗の白は平等と友愛を、青は平和・真実と正義を、
赤は勇気と愛国心を象徴し、黄色い太陽は自由を意味しています。
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3つの星は主な島であるルソン島・ミンダナオ島・ヴィサヤ諸島を象徴しています。
太陽から伸びる8本の光条は、フィリピン独立革命の際
最初に武器を取ったルソン島所在の8州
(パンパンガ州、ブラカン州、リサール州、カビテ州、
バタンガス州、ラグナ州、タルラック州、ケソン州)を表しています。

2009年9月27日、国会は、スペインの占領中も屈服しなかった
ムスリムに敬意を表し、
光条を1本増やして9本とする議案を可決しています。
しかし現在はまだ変更されていません。


あなたの大切なものはなんですか?
「私の国、フィリピンです」
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これまで述べた中で、NGOが何度か登場しましたが、
フィリピンのNGOは能力が高く、
特に社会開発分野におけるサービス提供の一担い手としての地位は、
憲法及び地方自治において、相当程度確立していると考えられます。

約50万もの市民社会グループがあり、このうち5万の組織が
非政府組織(NGO)として登録されています。
フィリピンの市民社会には、
1)社会福祉事業など政治的活動がNGOの役割となっている
2)NGOが実施する福利活動は宗教団体や政府が実施するものと性格が異なる
 (有料サービスである)
3)NGOは政府から採算面を含めて保護されている
という特徴があります。

あなたの大切なものはなんですか?
「たった一つの地球、世界の平和です。」
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C8ET0513_a.jpg

フィリピンの人々は自分の国を愛し、
自分達の生きる社会・世界を自分の手でより良いものに、
と考え行動する人々が多いのです。

私達が見習うべきは、その明るい笑顔だけでなく
その奥の美しく強い心意気ではないでしょうか。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
二ッ谷カーラ(2010年)
山本敏晴(2004年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
佐渡愛子

編集完了日:
2011年12月12日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/

posted by お絵描きイベント at 12:15| 日記

エジプト Egypt

エジプト・アラブ共和国は、
アフリカ大陸の北東にある国です。

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リビア、スーダン、イスラエルと国境を接しています。
世界で一番長いナイル川がエジプトには流れています。

国の大きさは日本の3倍に近いくらいで、
人口は約8000万人、 日本の半分より多いくらいです。

首都はカイロにあります。
世界にいるアラブ人の4人に1人はエジプト人であるくらい、
アラブ人が多い国です。

人々はアラビア語を話します。
ほとんどの人がイスラム教を信じていますが、
キリスト教徒がいる地域もあります。

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農業、製造業、石油・天然ガス、小売・卸売などが主な産業です。

また、周りの国々における平和への取り組みや、
アフリカ大陸諸国の安定のために大きな役割を果たしており、
アラブにおけるリーダーのような存在です。

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そんなエジプトが今、
大きな転機を迎えています。



・・・

エジプトでは、
紀元前30世紀頃に、統一王朝ができあがりました。

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紀元前6世紀にペルシア、
紀元前4世紀にギリシア、
紀元前1世紀にローマがこの地を支配しました。

1世紀には、初期のキリスト教であるコプト教が教えを広め、
7世紀になって、イスラム教が布教をはじめました。

16世紀からオスマントルコ帝国が統治を行い、
19世紀にはイギリスがこの地を保護下に置きました。

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第一次世界大戦でイギリスとオスマントルコ帝国が
戦争をはじめたため、
1922年、エジプト王国は独立をはたしました。
1952年には、軍隊の指揮官たちがエジプト革命が起こし、
王様が国を治める王制から、
軍隊の最高指導者が国を治める体制へと移行しました。


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「僕が生まれ育ったエジプトです。」

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エジプトでは、
2011年2月に国民が反政府運動により革命を起こし、
30年間続いた政権を崩壊させました。

この政権崩壊は、2010年12月にチュニジアでおきた
革命をきっかけとして起こりました。
政府に反対する運動を行なった国民がもっていた、
不満の原因は以下です。

1.食糧価格が高騰したこと
2.失業率が高いこと
3.政権を担う側が独裁や利権の独り占めをしてきたこと
4.それに対する民衆の不安を国が抑えきれなくなったこと

この結果、
国民の不満が爆発して、エジプト政府は崩壊しました。

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その後も、反政府組織が、
北アフリカから中東にかけての「アラブ世界」をはじめ、
それ以外の各国でも反対運動を起こしました。
この革命の嵐を人々は『アラブの春』(または、中東の春)と呼びました。

この歴史的問題をうけ、
国際社会における平和と安全の責任をもつ、
国連安全保障理事会は会議を開きました。

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この会議で、
人権問題や民主化に対する支援をするかどうかについては、
各国が異なる意見を出しましたが、

1.エジプトがうまく次の政権へ引き継ぐことができるように、
2.選挙の手伝いや、憲法を改める際のアドバイスをして、
3.長期間にわたる開発の手助けをする。
これらのことをあまり干渉しすぎないように、
配慮しながら行う必要があるという点で、意見が一致しました。

「ベルリンの壁崩壊を思い起こさせる、歴史的瞬間だ。」
「今回の事態は、独裁政権でもイスラム原理主義国家
(イスラムの決まりを社会において厳密にあてはめようとする国)
でもない、民主主義国家という第3の選択が可能なのではないか。」
というように、エジプトの政変を重要な出来事としてとらえる意見を
各国が出しました。

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私たちが生きている今この時も、歴史的な瞬間がうまれている、
と筆者は感じます。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「家に、食べ物やプレゼント、いろんなものがいっぱいあることです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 CH5_001a.jpg)



エジプトは、「NEXT11」といって、
将来大きく経済成長するだろうと人々が期待する国のなかに入っています。

とはいうものの、この国は解決するべき経済問題を多くもっていて、
1.広がる貧富の差、2.高い食糧価格、3.高い失業率など、
国民は日々の生活において苦しい思いをしています。

エジプト政権が崩壊した原因には、
これら経済面での問題がたくさん影響しました。
史上に残る政治的危機は、
追い打ちをかけるようにエジプト経済に大打撃を与え、
国の損失額は、国内総生産(GDP)の9割にも及びました。
エジプトの外務大臣は、経済的な支援を各国にお願いしました。

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これを受け、日本の外務省はエジプトに対して、
5億円の無償資金協力をすることを決めました。

エジプトは政権が崩壊した後、
平等な社会と経済的に成長するよう、努力を重ねています。
この協力は、エジプトが自分たちの力で不平等をなくし、
雇用を創り出すなど、国を立て直すことを助けるものです。

たくさんの国がエジプトを支援しています。
もう一度勢いを取り戻す日がエジプトに早く来るよう、強く願います。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「みんなと一緒に行く学校です。」

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エジプト政府は、20世紀のエジプト革命が起きた時、
公的機関が行う教育の授業料を、
小学校から大学にいたるまですべて無料にしてあげました。
これにより、誰もが平等に学校に通えるようになりました。

ところが、
エジプトでは、近年人口が増え続けており、
20歳未満が人口の半数に及びます。
さらに政府が教育を無料にすると、学生の数は急激に増えました。
すると、1人の先生が受け持つ学生が多くなり、
先生が学生全員に指導を行き渡らせることができず、
結果的に教育の質が低くなってしまいました。

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優秀な学生は、質の高い教育を受けようと海外へ留学し、
エジプトに戻らず海外で就職することが多くなりました。
高い水準の知識や技術をもった人々は次々に国外に出て行ってしまうのです。
エジプトの教育はこのような悪循環に陥っています。

これをうけて2010年、エジプトと日本が共同で
世界トップレベルを目指す大学
「エジプト日本科学技術大学」をつくりました。

このプロジェクトは、
エジプト政府が日本の文部科学省や外務省、
京都大学、早稲田大学など12大学と協力して実施しました。

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1.少人数制の授業、2.大学院と研究を中心とした教育
3.実践的で国際レベルの教育提供
など、エジプト国内で今までなかった特色があります。

エジプト政府は、この大学を開校することにより、
エジプト国内や中東・アフリカの国々における
経済的・社会的発展を導く優秀な人材を
長期にわたって生み出すことを目指しています。

教育の分野でも、未来を担う人々が育っていきます。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「きれいな水を飲んだり、そこで魚釣りをしたりすることです。」

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エジプトでは、国としての保健サービスはよくなりつつあります。
健康診断、予防接種、感染症や飲料水への対策など
国は多くの制度を整えました。

ところが、都市と地方の格差が広がっており、
地方の貧しい人々にはこれらのサービスが行き届いていません。
彼らは、発育不良、貧血、寄生虫による病気など、
まだまだ多くの問題を抱えています。

これまでの支援は、
乳児や幼児、出産前後の女性を対象にすることが多く、
学校に通うくらいの子どもに向けては、あまり活動をしてきませんでした。

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NPO HANDSは小・中学校に通う子どもたちの健康を改善するための
支援をはじめました。

HANDSは、主に以下の活動を行いました。
1.学校保健を行う医師や看護師への研修
2.指導要項の作成
3.健康教育に関する教材の開発
4.計画に対する評価制度の体制づくり

このプロジェクトは、小・中学校において充実した保健活動を進めること、
そこに通う子どもの健康状態がよくなることを最終的な目標としています。

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2008年に始まったこのプロジェクトは、
2012年まで行われる予定です。
ここまでの成果をうけて、
現地の人が活動を全国に伝えたいと普及する動きを広めはじめました。

エジプトの健やかな子どもたちが、今日も元気を取り戻しています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「大きな木が大切です。
下の地面にもいっぱい草が生えていたらいいなと思います。」

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エジプトは国土のほとんどが砂漠であり、
緑地はほんの少ししかありません。

ところが、
今は砂漠である場所の中に、
数千年前はナイル川が枝分かれして流れており、
自然が豊富だった地域があることを、近年の調査が発見しました。

この報告を受けたエジプトは、
可能な場所にもう一度水をひき、
その区域を農地として開拓しようと決めました。

そして、そこで300万人もの人々が生活できる新しい街をつくろう
という壮大な計画を立てました。

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株式会社日立製作所は、
エジプトの緑地を増やすための国家開発計画である、
ポンプ・ステーション建設プロジェクトに協力しました。

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実施したのは、
1.人工的な湖であるナセル湖の岸に、
2.日立製作所の製品である、大型の渦巻きポンプ約20台を取り付けて、
3.東京ドーム20杯分以上におよぶナイル川の水を毎日注ぎ込み、
4.砂漠地帯に水を入れよう。
というものでした。

このプロジェクトが緑地化した面積は、
東京都を越える広さになりました。

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ポンプ・ステーションの完成後、
人々は、トマトや玉ねぎ、ピーマン、メロンなど農作物を育てはじめ、
新しい街づくりを着々と進めています。

古代エジプトの水を呼び戻すため、
そこに新しい暮らしを生むため、
エジプトの人々は、夢の計画を叶えるでしょう。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「エジプトがエジプトであること、が大切です」

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この絵が描いてある、紙のようなものは『パピルス』といいます。
パピルスは、古代エジプトにおいて人々が使ったものでした。
紙の原型としては世界最古のもので、
エジプトで受け継がれた大切な文明の一つです。

薄く切った植物の茎を、縦と横に並べ、
その上に重い石をのせ乾かしてつくります。

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昔、エジプトは、多くの神を大事にする多神教の国でした。
1000以上の神々を人々は尊んでいました。
何千年も前に人々がつくった、
世界最古のピラミッドが、エジプトにはあります。
エジプト文明は、四大文明の中でも一番古い歴史をもっています。

ところが、現在のエジプトで、
人々が信じるのはイスラム教とキリスト教です。
古代エジプト時代の多神教を信じる人はいません。

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かつて、他の国や異なる宗教をもつ民族がエジプトを攻め、
混血化をすすめたために、古代エジプト人という純粋な民族は消滅しました。
しかし、古代エジプト人の遺伝子を受け継いだ人々が
明日も生きようとする気持ちは変わりません。

古くて大切なもの、新しくて希望あるもの、
それぞれが、パピルスの繊維のように組み合わさって
一つの強い力をつくりだす、
そんな風にエジプトが在りつづけますようにと、
筆者は心から願います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
寿 美和(トシナガ ミワ)
山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年12月13日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 10:22| 日記

2011年10月26日

デンマーク Denmark



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アメリカの調査会社が2010年におこなった報告では、
「住民が幸せと感じている割合が最も高い国」は、
デンマークでした。

つまり、デンマークは、
世界で一番幸せな国と、言えるのかもしれません。

さて、一体どのような国なのでしょうか?

・・・

デンマークは(ドイツの北の)ユトランド半島と400以上の島からなる
九州と同じくらいの大きさの国です。
首都はコペンハーゲンです。

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多くの人が小さい頃に読んだことがあるであろう、
「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」などの
有名な童話を世に送り出したアンデルセンの出生地でもあります。

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(アンデルセンの像)

デンマークの国旗は、
「赤い布」を意味する「ダネブロー」と呼ばれています。

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この旗には、
1219年にデンマークがエストニアの異教徒と戦っている最中に、
赤地に白十字の旗が天から舞い降りてきて戦況が一転し、
デンマークが勝利をおさめたという伝説が残されています。

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・・・

デンマークの『政府』は、EU(欧州連合)の活動を重視しています。

1973年には他の北欧諸国に先駆けて欧州共同体(EC)の加盟国となっています。
2002年後半にはEU議長国を勤め、EU拡大交渉を成功に終わらせました。

しかし、デンマークの『国民』の多くが
ヨーロッパ諸国が一つになることに慎重な姿勢を示しています。

2000年9月に実施されたユーロの参加に関する国民投票では、
反対が53.1%、賛成が46.9%という結果になり、
参加が否決されてしまいました。

現在もなお、デンマークはユーロに参加出来ていません。

・・・

「ぼくの大切なものは地球。
  世界中の人の家は地球だからです。」

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デンマークは環境対策先進国として、
地球温暖化、気候変動などの、
地球規模の環境問題に対し積極的な取り組みを見せています。

2009年には気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)議長国として、
コペンハーゲンにおいて首脳会合、官僚級会合を主催し、
「コペンハーゲン合意」に向けて力を尽くしました。

(コペンハーゲン合意とは、2020年までに
 先進国は明確なCO2削減の数値目標を設定し、
 途上国は、CO2削減のための行動目標を作成する、
 などという内容に対し、世界各国が、結局は合意せず、
 「留意(ある程度、気にすること、take note)」をし、
 完全な決裂は避けたもの。)

・・・

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・・・

デンマークは、
環境立国(環境保護先進国)と言われることがありますが、
「環境を保護しない」一面があります。

「私の大切なものはカラフルなデンマークの自然です。
だんだんデンマークから色がなくなっていくのは悲しいです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 RIMG0702_e.jpg DNM_11_e.jpg)



デンマーク人は、1人辺り年間800キログラムのゴミを捨てています。

オランダでは年間630キログラム、
イギリスでは570キログラムのゴミが捨てられていますが、
デンマークでは、その約1.5倍のゴミが捨てられています。

これでは、環境保護先進国の名が汚れてしまいます。

このような現状に
Network for Ecological Education and Practice(ECO-NET)という
デンマークの団体は、
教育関係者や環境問題に興味のある人々に向けて、
環境に関する先導的な取り組みの紹介をしています。
"Eco-net Newsletter" というものを年に6回発行しています。

・・・

デンマークについて、
よく知られているのが教育です。

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デンマークでは小学校から大学までの授業料が無料。
そのため、高校までの就学率は世界で4位といった位置にあります。
(参考までに日本は43位)

「私のたいせつなものは家族と友達です。
 こうして勉強が出来て遊べるのも家族のおかげだからです。」

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デンマークの教育方針は「労働力を育てる」ということです。
初等教育から成人教育まで職に繋がるような教育の枠組みが出来ています。

(2011年の総選挙で社会民主党を中心とする中道左派が勝利しています。)

しかし、この教育制度には、落とし穴があるようです。

教育を受けることが出来ずにいる若者が20万人以上おり、
無職である若者が6万人以上います。
さらにインターンシップの受け入れ先が見つからない者が
7千人以上いることが分かっています。

そのため、国の方針として、
教育機会にアクセス出来る環境をつくり出すことを
目指しています。

・・・

デンマークの経済に教育制度を良くするゆとりはあるのでしょうか?

実は、
他のヨーロッパ諸国同様にデンマークの経済も良くないと言えます。

2008年4月には歴史的に低い失業率の1.7%を記録したものの
2009年9月には4%にまで上がり、それ以降上がり続けています。

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・・・

もう一つの大きな社会問題は、
個人の所得税額の高さです。

デンマークの個人の所得税はとても高く、最高税率は59%と
お給料の半分以上を取られてしまいます。

そのため、最近では、
稼げる間はデンマークにいたくないという人も増えているようです。

しかし、この税金制度のおかげで、
福祉がとても充実していて、
「福祉国家」としても知られているのはご存知でしょうか?

誰もが無料で病気の治療を受けることが出来ますし、
さらには出産のための入院に、お金がかかりません。
(日本はかなりお金がかかります。)

失業手当、低所得者、ホームレスなどに対する
手厚い助成金制度もあります。

このことが原因で、
最近では若者が就職せず、
あえてホームレスを選ぶデンマーク人が増えているようです。

・・・

さらに、デンマークには移民の問題があります。

かつて、周辺諸国が行ってきたように、
労働力不足を補うため、
難民や外国人労働者を意欲的に受け入れてきました。

しかし、あまりにも外国人が増えてしまったため
デンマーク人が自分の国で就職出来ないという
(当時は)予想していなかった状態になってしまいました。

・・・

「私のたいせつなものは平和と愛です。
  平和で愛に溢れていたらみんな仲良く生きていけるからです。」

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最近、デンマークの与党は外国人を追い出すための合意をしました。

しかし、外国人と言っても「反社会的」な外国人に限られます。

与党の定義する「反社会的」な外国人とは、
溶け込めないあるいは溶け込もうとしない外国人だとのこと。。

一方、
ただ追い出すのではなく、
母国に戻った場合には帰還手当として約50万円を渡すそうです。

また、新しい取り決めでは、
(自国へ)帰還し、デンマークの居住権を放棄すれば
さらに10万円をボーナスとして渡すそうです。

このような具合で、デンマークへの移民に、
(高い失業率の)しわ寄せがくるのは確実です。

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・・・

さいごに

日本とデンマークは、
江戸幕府の修好通商航海条約(1867年)からの、
とても長い外交関係があります。

また、
欧州最古と言われるデンマーク王室ですが、
世界最古の王室である日本の皇室と、
親密な関係を続けています。

先進国ということもあり、
日本のNGO(非政府組織)やJICA(国際協力機構)が
支援をしているといった例などは、あまり見受けられませんでしたが、
今回紹介したような、
デンマークに今ある問題は、
今の日本でも、よく探せば見つかることなのかもしれません。

ですので、是非この機会に
日本を見直すことをしてみてください。

きっとデンマークと共通するものがあることでしょう。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:

上記に掲載された写真のうち、人物が写っているものは、
以下の方が提供して下さいました。

山崎潤子

・・・

画像データを編集し、文章を書いた人:
寺町華子

編集完了日:
2011年10月26日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/



posted by お絵描きイベント at 15:58| 日記

2011年10月21日

グリーンランド Greenland



グリーンランドは、
北極近く、北米大陸の北東に位置する、
世界で一番北にあり、世界で一番大きな島です。

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この島はデンマークの領土ですが、
現在はグリーンランド自治政府が自分たちで政治を行なっています。

島の大きさは日本の約6倍です。
人口は約56,000人(たとえば、東京ドームを満席にすると
約45,000人になります)であり、人口密度が世界一低い国です。

島のほとんどを氷が覆っており、
その氷は厚さ3,000mになるところもあります。
気候はとても寒く、
一年間の平均気温がマイナス1℃を下回ります。

人々はキリスト教を信仰し、
グリーンランド語とデンマーク語、2つの言葉を公用語として使っています。

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島民のほとんどが先住民族で、
地域によっては外見が日本人によく似ています。

産業を支える資源として、
魚介類やアザラシ、クジラなど海の生きものと、
石炭や亜鉛、銀、ウラン、鉄などの鉱物が豊富です。

オーロラを観ることができる地域として世界的に有名で、
澄んだ夜空の日には、幻想的な光景が広がります。

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上の絵は、この島の子どもが描いたオーロラの絵です。
このように赤色や緑色をおびた鮮やかな光が大空にあらわれます。
夏の季節になると、夜でも太陽が輝く百夜が続きます。

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この絵には、グリーンランドには「ない」ものが描かれています。
それは、車、樹木、農業をいとなむ風景です。

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グリーンランドでは、内陸部の大部分が氷であるために、
人間の生活できる場所が海に近い沿岸部と限られています。
町と町は何百キロと離れており、そのあいだには道路がありません。
他の町へ移動するためには、ヘリコプターや飛行機が必要なのです。



・・・

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上の絵は、この島の子どもが描いた、
グリーンランドの地図です。
上(北側)は北極海、下(南側)は北大西洋で、
さらに南には北米大陸があります。
図のように、島の内側白色の部分がすべて氷です。
人々はそのまわり緑色の部分にだけ住むことができます。

グリーンランドの地では、
もともと4000年以上昔から人々が生活をしていました。

10世紀には、北欧のバイキングらが、この地に入り、
グリーンランドと名付けました。
当時、地球は「中世の温暖期」を迎えており、
グリーンランドは、まさに緑の大地で、
現在のような氷に閉ざされていた世界ではなかったからです。
そして人々は、開拓をはじめました。

15世紀、グリーンランドで生活するのは先住民だけとなりましたが、
その後、16世紀にもう一度発見され植民地化がすすめられました。

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こちらの絵は、この島の子どもが描いた、
グリーンランドの旗と都市の紋章です。

真ん中にあるのが、グリーンランドの旗です。
この旗は氷の地から朝日が昇る様子をあらわしています。
周りにあるのが、各都市の紋章です。
グリーンランドの都市は20ほどありますが、
この子どもは右上から時計回りに、
ナルサーク、イルリサット、カコトック、ウマナック
という都市の紋章を描きました。

1917年、デンマークがグリーンランドを自分の国における領土としましたが、
1979年にグリーンランドは自分たちで政治を行いはじめました。
現在、独立を目指して歩みつづけています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「お父さん、お母さんと一緒に暮らすことです。」

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絵を描いたのは、12歳の女の子ドゥパイナッです。
この絵は上と下でわかれており、彼女の大切なものを、
何かが二つに引き裂いてしまったことをあらわしています。

絵の上部に描かれているのは、彼女のお母さんです。
お母さんは、家の台所で料理をしています。
一方、下の部分に描かれているのは、彼女のお父さんです。
お父さんは、海でアザラシを捕まえようとしています。

ドゥパイナッの家庭では、
お父さんがグリーンランドの首都に行き、両親が離婚しました。
彼女のお母さんは看護師ですが、体調を崩してしまいました。

ドゥパイナッはとても傷ついています。
「お父さんに帰ってきてほしい。
前のように、家族みんなで一緒に暮らしたい」
という、彼女の願いがあります。


「あなたの大切なものは何ですか?」

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「教会へ行くことです。」

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この絵を描いたのは、9歳の男の子アグッチです。
アグッチは幼い時に兄弟を亡くしました。
彼の両親は、二人ともアルコール中毒にかかり育児ができなくなりました。

両親が子どもを育てる力を失ってしまったことで、
アグッチは一時的に児童施設へ預けられました。
彼は多動性障がいを患い、集中力が欠けたり、
そわそわして落ち着きがなくなりました。

そんなアグッチが描いたのは、教会でした。
彼は、現在お母さんと一緒に教会に行くことができます。
「教会はお母さんと僕をつなぐ大切なものです。」とアグッチはいいました。

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グリーンランドでは、
近代化を進める中でさまざまな弊害がおきています。
アルコール中毒が問題となっています。

この島の人々は、これまで自給自足の生活をしてきましたが、
近代化により、お金を使って生活をする貨幣経済が入ってきました。

グリーンランドの文化には、
もともとアルコールを飲む習慣がありませんでした。
しかし、20世紀におきた第二次世界大戦の後、
外国からの資本主義経済が、アルコールとともにやってくると、
状況は大きく変わりました。

今までなかった貨幣経済により、収入がひとまとめに入ると、
人々はそのお金をおいしいお酒につぎ込んでしまいます。
この結果、多くの人がアルコール中毒に陥ってしまいました。
同時に、自殺者や家族へ暴力をふるう人などが増えて、
グリーンランド全体での大きな問題となりました。

グリーンランドには、「子どもたちの家」という施設があります。
「子どもたちの家」は島に8ヵ所ほどあり、
アルコール中毒や育児放棄、虐待、家族や親戚の自殺などによって、
心と身体に傷を受けた子どもたちを受け入れています。

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辛い時期を乗りこえて、
アグッチは家族との生活に戻ることができました。

子どもたちに
「笑顔が一つでも戻ってほしい」と、
「子どもたちの家」は一人ひとりを支えています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「犬ぞりです。」

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グリーンランドでは、人々は移動するときに犬ぞりを使います。
人から人へ、島民は犬ぞりの文化を受け継いできました。

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この島では、先住民族が伝統を守ってきました。
生きるために必要な心のもちかた、厳しい環境の中で生活する技術、
人間として大切なものを親は子に教えてきました。
壮大な自然の恵みと周りにいる人々が、
子どもたちにとっての学校であり先生でした。

近代化が進むなかで、
教育の分野も課題に直面しています。
NPOエコプラスによれば、

グリーンランドでは、
伝統的な民族に対する学校での教育において、
多くの問題が生じています。

それは、世界の中で経済・政治的に力がある一部の国が、
文化や価値観がちがう他の民族に対して、
自分たちの教育方法をそのまま当てはめてしまっていることです。

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(この写真は、ウマナックという町にある学校を空から撮影したものです。)

教育を行う側の人々が十分に整っていないようです。

グリーンランドでは島にいる先生が足りないため、
他の国から応援の先生たちが来てくれるのですが、
すべての教員がグリーンランド語を話せるわけではないので、
生徒が授業内容を理解できないことがあります。

一方、自治政府の予算が理由で他の国からの先生がいない村では、
高い教育を受けられる高校や大学に入学するための授業が不足しています。
その代わりに、地元の漁師が実習などすばらしい授業を行っています。

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エコプラスは次のように述べています。
「どちらか一方を選ぶのではなく、子どもたちにおける、
多くの様々な可能性を育てるにはどうしたら良いのでしょうか」



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「人々を救う、愛です。」

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グリーンランドでは、
人々の暮らしを支える福祉の仕組みが充実しており、
島民は無料で医療を受けることができます。

しかし、
その医療を行う医師や看護師が足りません。

それぞれの町に病院は1つあればよいほうで、
病院がない村もあります。
あったとしても、そこに診察や治療をする人は十分にいません。
このため、現在は他の国から医師や看護師が
グリーンランドに行って治療を手伝っています。

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グリーンランド自治政府は1994年に、
自分たちの地域で医療にたずさわる人を育てる専門機関をつくりました。
この機関は、これまでに70人の看護師を世に送り出しました。
50人の生徒が今も学んでいます。

「20年後には、外国からの助けにたよらず、
自分たちの命は自分たちで救いたい。」ということを目標に、
指導者たちは未来の看護師をみちびいています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「グリーンランドの氷河です。」

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世界では、地球温暖化が問題になっています。
その被害を最も受ける地域の一つが、グリーンランドです。

世界気象機関(WMO)によりますと、
2010年における地球の平均気温は、
2005年、1998年と並び、
調査をはじめて以来の最高温度となりました。

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平均気温が上がることは、1度でも地球の環境を変えてしまいます。
気温上昇は以下のような影響を及ぼします。

1度:サンゴ礁が白くなり、北極の海水や一部の氷河がとける。
2度:水不足がおこる。農業生産力が低くなる。
3度:一年中凍っている永久凍土が速いスピードでとける。
   地球の温度を上げるガスが、発生し、
   地球温暖化に拍車がかかり、悪循環が始まる。

グリーンランドの気温上昇は特に激しく、3度以上あがりました。

国連教育科学文化機関(UNESCO)は、
2004年にグリーンランドのイルリサット氷河を、
世界遺産に登録しました。

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地球温暖化はこれからも進んでいく恐れがあるとして、
世界は気温の上昇を止めるために動いています。

2005年8月、グリーンランド自治政府はデンマーク政府と協力して、
イルリサットの町で気候変動に関する会議を開きました。
世界の大臣たちは2009年まで、
この会議を毎年さまざまな国でもうけました。

この話し合いには、国際条約である「気候変動枠組条約」の事務局をはじめ、
世界中から数十の国や地域が参加しました。

この会議では、
主に以下の点について、大臣たちが具体的な相談をしました。

1.地球を温める「温室効果ガス」を減らす活動に関して、
  各国共通の点と、それぞれの国や地域に応じて変えるべき点について。
2.途上国が行う温室効果ガスの削減と先進国が行う支援について
3.一連の行動に使う資金と技術における支援が必要とする、制度と管理について


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「魚です。」

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この絵を描いたのは、ルーチビングワック、9歳の男の子です。
上の絵は、「カラハリ」という魚です。
グリーンランドの人々は、昔からこの魚を大切にしていました。

カラハリを売ることにより、
人々は生活するために必要なお金を得ることができます。

日本もこの魚をたくさん輸入しており、
寿司のネタなどに使っています。

また、グリーンランドでは犬ぞりを使うために
犬を何匹も飼っている家が多いのですが、
飼い主はカラハリの頭の部分を漁師から無料でもらうことができました。
(現在は、頭も日本や他の国が買ってしまうので、もらうことはできません。)

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グリーンランドの経済を支えてきた漁業ですが、
これが近年、危機的な状況にあります。

理由は、
1.地球温暖化により氷がうすくなったため、
  犬ぞりに乗って氷の上で行う漁が危険になり、昔ほど漁ができなくなったこと。
2.近代化により、伝統的な漁で生活をたてていくことが難しくなったこと。
3.絶滅のおそれがあるクジラを獲ることが制限されたこと。
などがあげられます。

グリーンランドの総生産(GDP)はとても低い状況です。
アメリカ中央情報局の報告によると、
世界の国と地域は200ほどある中、グリーンランドの順位は177位です。
グリーンランドが漁業だけで自分たちの生活を支えることは難しく、
別の方法で経済力を上げる必要がでてきました。

1990年代、グリーンランドをおおう氷の下に、
原油がたくさん埋まっていることがわかりました。
これを利用して、自治政府は島の経済力を高めようとしています。

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グリーンランドの自治政府が経営する石油会社Nunaoilは、
日本や諸外国とともに、この事業に協力しています。

このプロジェクトは、国際的な共同調査です。
専門家たちは海の奥深くにある地質を調べて、
原油を掘りだすのにちょうどよい場所を探しています。

埋まっている原油の量は約500兆円になると、石油会社は伝えています。
人々はグリーンランドのことを今や「氷島」ではなく、
「宝島」とよんでいるのです。

人間がグリーンランドの原油をさらに掘り出しやすくするために必要なこと、
それは、実は地球温暖化が進んでグリーンランドの氷が解けることです。
地球温暖化が進むと地球にいる多くの生物は苦しみます。
一方で、人間がほしい資源は採掘しやすくなります。

世界にはたくさんの矛盾と葛藤があります。

これから先の地球温暖化がもたらす良いことと悪いことを客観的に判断し、
人間だけでなく地球全体が守られるような選択を人類がしていかれたらよいと、
筆者は願います。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「愛と祈り、希望、そして世界中の誰もが幸せになることです。」

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この絵の作者である女の子のイヴァルは、
ハート、十字架、碇(いかり)、
さまざまな肌や髪の色をした人々を描きました。

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イヴァルの部屋は、天井にも、ベッドにも、彼女の腕のなかにも、
ハートが溢れています。

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ハートは愛、
十字架は信仰、
碇は希望をあらわします。

3つとも、キリスト教における重要な象徴ですが、
実は、グリーンランドにこれらが存在します。

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正面にある大きな山が、「ハート」をあらわしています。
二つの山が根元で一つにつながっている形は、
ハートの上部分のようですね。

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上の写真、右側にあるのが教会です。
時計がついている建物の上に、「十字架」があります。

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そして、教会の前にあるのが、「碇」の記念碑です。
人々はこれを「希望の碇」と呼んでいます。

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この写真にはハート、十字架、碇のすべてがどこかにあります。
3つとも見つけることができれば、今日も明日も、
いいことがあるかもしれません。

愛をもって祈り、希望をもち続ける。
グリーンランドの人々は、島と一体になって、
強く優しく生きていると筆者は思います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
宮下 典子

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年11月1日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 09:05| 日記

2011年10月08日

インド INDIA

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インドは、面積・人口・経済規模とも南アジアで最大の規模を誇ります。
世界7位の広大な国土のなかに12億もの人口を擁します。
インドでは人口爆発に歯止めがかからず、2040年頃にはインドの人口は中国の人口を追い抜くとみられています。

近年、広大な国土・豊富な人材・豊富な天然資源を背景に順調な経済成長を遂げ、新興国と呼ばれ、同様に順調な経済成長を遂げているブラジル、ロシア、中国、南アフリカ共和国とともに『BRICS』の一角を占めます。

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また、先進国首脳会議は、アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、日本、フランス、ロシアというG8から、アルゼンチン、インド、インドネシア、欧州連合、オーストラリア、韓国、サウジアラビア、中国、トルコ、南アフリカ共和国、ブラジル 、メキシコを含む『G20』へと移行しようとしています。

このように、新興国として世界に影響を与える立場にある一方で、12億の人口のうち、1日1ドル以下で生活する人が3割を占めるなど、依然として深刻な課題を抱えています。

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インドは、歴史的に日本と強い結びつきをもちます。
第二次世界大戦後に戦勝国が日本の指導者たちを裁いた東京裁判では、11人いる判事のうちインドのパール判事だけが被告人全員の無罪を主張しました。
また、1950年以降、日本に鉄鉱石を輸出してくれる国はほとんどありませんでしたが、インドは大量の鉄鉱石を日本に輸出し、日本の経済成長を支えました。
さらに、経済面や安全保障の面でも協力について合意しています。
そして、いま、日本からみてODAの最大援助国がインドです。
インドとの協力関係はこれからも強くなるでしょう。

民族構成は、北部を中心に広く分布するインド・アーリア人と、南部に分布するドラヴィダ人とに大きく分けられます。

・・・

「僕の大切なものはヒンドゥー教の神様の一人の、
 ガネーシャ(商業・学問の神)です」

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インドの公用語はヒンディー語、準公用語は英語です。
しかしながら、州によって異なる言語が使用されているため、紙幣には17の言語が印刷されています。

宗教は、ヒンドゥー教徒が約80%、イスラム教徒が約13%を占め、残りをキリスト教徒やシーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒などが占めます。

・・・

「僕の大切なものはお祭りです」

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紀元前2300〜紀元前1800年まで、インダス川流域でドラヴィダ人によるインダス文明が栄えていました。
しかしながら、紀元前1500年頃になると、中央アジアからアーリア人が侵攻しはじめました。
この際、アーリア人が今も根強く残る『カースト制度』を持ち込みました。

カースト制度による身分制度は、『ヴァルナ』と『ジャーティ』という二つの枠組みからなります。
ヴァルナには、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(農民・労働者)という4つの身分があり、さらにカーストにすら入らないダリット(不可触民)という身分もあります。
ジャーティは、『職業』によって細かく分けられ、1901年の国勢調査によれば、2378もありました。

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ヴァルナは肌の色を意味し、バラモンには白、クシャトリアには赤、バイシャには黄、シュードラには黒が割り当てられています。
じつは、カースト制度は、色白のアーリア人が色黒のドラヴィダ人を支配するために導入したものだったのです。
そして、ドラヴィダ人との間で混血がすすまぬよう、異なる身分の者との結婚は禁止されました。

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現在、カースト制度は、インド憲法により禁止されています。
また、国連人種差別撤廃委員会は『世系に基づく差別』を策定し、インドのカースト制度は国際人権法の人種差別であると明記しています。

いま、ITエンジニアに代表される新しい職業ができたため、特に都市部ではカースト制度による身分制度は崩壊しつつあります。

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しかし、それでもカースト制度は農村部を中心として根強く残っています。
その理由としては、人の生まれついた身分は前世での行いの結果であり、いまの身分を全うすることによって来世はよりよい身分に生まれると考えられているため、低い身分に生まれついた人がその境遇を受け容れる風潮があることがあげられます。

紀元前5世紀頃になるとブッダが説いた仏教が広まりました。
ブッダは、「生まれによってバラモンとなるのではない。生まれによってバラモンならざる者となるのでもない。行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである」と説き、カースト制度を真っ向から否定しました。

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4世紀頃にバラモン教が土着の神々を吸収してヒンドゥー教として広まると、カースト制度を否定する仏教は弾圧され、ほぼ消滅してしまいました。
ですが、近年は、差別に苦しむダリット(不可触民)が一斉に仏教に改宗するなど、再生する動きもみられます。

11世紀頃になると北方からイスラム勢力が進出し、イスラム教が広まりました。
イスラム教徒が北方に多いのは、イスラム勢力が北方から進出してきたためです。

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16世紀にはムガル帝国がインドのほぼ全土を掌握するとヒンドゥー教徒を弾圧し、これに対抗する反イスラム運動がおこりました。
これが、ヒンドゥー教とイスラム教との対立のはじまりでした。
ヒンドゥー教とイスラム教との対立は根強く、今でもインド各地でテロ事件が起きています。

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(牛は、ヒンドゥー教では、聖なる動物とされています。)

17世紀になるとムガル帝国は衰退し、同じ頃にイギリスが東インド会社を設立しました。
そして、イギリスは高カーストの現地人を傭兵として雇って植民地戦争を勝ち抜き、インドを植民地として支配をするようになりました。
このため、インドにもキリスト教が広まりました。

「あたしの大切なものは神さまです」

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イギリスは、18世紀から、産業革命を経て機械製綿製品を大量生産できるようになりました。
すると、イギリスはインドでつくらせた綿を安価で仕入れ、その綿をつかって機械製の綿製品を生産して、その綿製品をインドで売るようになりました。
この結果、インドの綿工業は破壊されてしまいました。
機械製の綿製品はイギリスによる植民地支配の象徴だったのです。

そこで、マハトマ・ガンディーは、機械製の綿製品の購入を控え、インドの伝統的な手製の綿製品の生産を奨励する非暴力・不服従運動を行ないました。
この運動はインド全土に広がり、インドが独立する足がかりとなりました。

「私の大切なものは独立の父ガンディーです」

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イギリスは第二次大戦により国力が衰えるとインドの独立運動を抑えることができなくなりました。
こうして、1947年にインドは独立しました。


「わたしは宗教の違いを超えてインドがまとまることが大切だと思います」

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ガンディーはヒンドゥー教とイスラム教との間の対立を乗り越えて一つのインドとして独立することを望んでいました。
しかしながら、ヒンドゥー教とイスラム教との対立を抑えることはできず、イスラム教徒が多数を占める東西パキスタン(今のパキスタンとバングラデシュからなります)はインドとは別に独立しました。
そして、1948年、ガンディーが提唱するイスラム教との融和策などの政策に反発するヒンドゥー教の過激派によってガンディーは暗殺されてしまいました。

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(インドの国旗:外務省HPより)

今のインドの国旗は、ガンディーがインドの独立運動の象徴として使用したものを元にしています。
中央の紋章はチャクラ(法輪)で、伝統的な糸車に由来すると言われ、独立に対する決意が込められています。
また、オレンジはヒンドゥー教、緑はイスラム教、白は平和を意味し、宗教の対立を超えて一つのインドとして独立しようという思いが込められています。

・・・

「僕は生命をはぐくむ水が大切だと思います」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 C8ET5166_a.jpg India_d_09_a.jpg)


インドは独立を果たした後も平穏ではありません。
それを象徴するのが、パキスタンと中国との境界にあるカシミール地方の領有権を巡るカシミール紛争です。
カシミールはインダス川上流域に位置し、その水源を譲れないことも紛争を長引かせる原因となっています。

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1947年には第一次印パ戦争が起き、国連インド・パキスタン軍事監視団の調停により休戦となりました。
この戦いにより、カシミール地方の6割をインドが、4割をパキスタンが実効支配することになりました。
1962年には、中印国境紛争が起き、着々と準備を進めていた中国がカシミール地方の一部を奪いとり、また、これに連動して進軍してきたパキスタンとの間で1965年に第二次印パ戦争が起きました。
1971年には、東パキスタン(いまのバングラデシュ)がパキスタンから独立しようとする運動をインドが補助し、第三次印パ戦争が生じました。
これはインド・東パキスタンの勝利に終わり、バングラデシュが建国されました。

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1962年以降、インドと中国の間では戦争は起きていないものの、両国は難しい関係にあります。
インドが南シナ海で東南アジア諸国とともに資源探査をしているのに対し、中国はミャンマー・バングラデシュ・スリランカ・パキスタンとの関係を強化してインドを封じ込める戦略を展開するなど、敵対関係が続いています。


「僕は友情が大切」

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カシミール問題が重大な理由として、核戦争になる恐れがあることがあげられます。
中国は1964年に核実験に成功し、世界で5番目の核保有国となりました。
これに対し、インドは中国に対抗するため核兵器を開発し、1974年にインドは世界で6番目の核保有国となりました。
すると、パキスタンもインドに対抗するために核兵器を開発し、1998年にパキスタンは世界で7番目の核保有国となりました。
こうして、カシミール地方と隣接するインド、パキスタン、中国の三カ国とも核兵器を保有し、それぞれが牽制し合う構図ができました。

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インドとパキスタンは、国連安保理の常任理事国以外の国が核兵器を保有するのを禁ずる『核拡散防止条約(NPT)』は不平等条約であると主張し、加盟していません。
国連安保理の常任理事国である中国が核兵器を保有していることが引き金となって、インド、続いてパキスタンが防衛のために核兵器を開発したことを考えると、これは当然の主張と思われます。

インドとパキスタンとの関係は難しいですが、近年は、両国とも軍縮したり大使を交換するなど対話をしていく姿勢を見せています。

・・・

「わたしの大切なものは読書です」

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インド政府は、教育を重視しており、特に英語、理工系科目の教育に力を入れています。
これが現在の経済成長を支えています。

その一方で、インドの農村部にいる人の多くが読み書きが出来ません。
そこで、インド政府は農村部を中心に多数の学校を建設しました。
この結果、1985年には約43%だった成人識字率が66%に上がりました。

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しかしながら、地域によっては児童労働のために学校に通えない子供も多く、また、女性に教育は必要ないという風に考えられているため女性の識字率が低いなど、多くの課題が残っています。

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そこで、株式会社リコーは、地方にある学校にデジタル印刷機を寄贈し、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンや現地NGOと協力しながら教育現場をサポートする活動をしています。

・・・

「僕はコンピュータをマスターしたいです」

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近年のインドの経済成長は、1980年代からの経済自由化政策に端を発します。
特に1990年代からは、国内投資規制の撤廃や変動相場制への移行等の大胆な自由化政策を実施し、今日に至るまで順調な経済成長を続けています。

この経済成長を牽引するのはIT産業です。
インドのIT産業が急成長するのには複数の理由があります。
まず、インドはアメリカからみてちょうど正反対の場所に位置するため、アメリカのIT企業がインドにも拠点を置いて、アメリカとインドで連携しながら24時間体制でシステムを構築するケースが多いことが挙げられます。
また、インドでは英語と理工系の教育に力が入れられていることも追い風となりました。
さらに、ITエンジニアは新しい職業であり、カーストの中のジャーティ(職業による身分の違い)に規定されていないため、誰にでもチャンスがある夢のある分野であり、優秀な人材が多く集まることも一因となりました。

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いま、インドの都市部には、ITエンジニアなど3億人もの中間所得層がいます。
こうした中間所得者層が増加する一方で、所得格差や地域格差が拡大しています。


「私の大切なものは携帯電話です」

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インドの都市部は急速に発展していますが、社会の基盤となるインフラは依然として不足しており、経済成長をするうえでの足かせとなっています。

たとえば、コンテナの6割を受け入れるムンバイから首都デリーまでは約1500キロあり、コンテナの輸送に1週間ほどかかってしまいます。
そこで、インド政府は、日本の太平洋ベルトを参考にして、首都デリーと商業都市ムンバイとの間を高速貨物鉄道で結び、その沿線に様々な企業を集約させる11兆円規模のプロジェクトを進めています。
日本政府はこのプロジェクトに対して資金面・技術面で多大な援助をしており、沿線には日本からも多くの企業が進出するとみられます。


「私の大切なものは電気のある生活です」

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インドでは電力も慢性的に不足しており、工場を24時間稼働するためには効率の悪い自家発電に頼らざるを得ません。
そこで、インド政府はその不足分を賄うため、大量の原子力発電所を建設しようとしています。

諸外国は、1998年にインドで核実験が行われたのを引き金に、インドに対して経済制裁を課しました。
しかし、インドで原子力産業の巨大な需要が見込まれるようになると、アメリカ、フランス、日本、韓国は途端に態度をひるがえし、インドと原子力協定を締結して原子力発電所の建設を受注しています。
これは平和構築よりも経済活動の方が優先されてしまうという現実を端的に示しています。

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インドのシン首相は、日本の福島第1原子力発電所での事故を受けて国内で反原発運動が起きたにもかかわらず、引き続いて原子力発電所を建設していくと明言しています。
その裏側には、原子力産業などの巨大な市場を外交戦略として利用し、受注する国に対して国連安保理の常任理事国入りの支持をとりつけようとする狙いがあります。
この戦略はいまのところ成功しており、アメリカのオバマ大統領は、日本以外の特定の国としては初めてインドの常任理事国入りを支持すると明言しています。
中国との間には国境紛争以来難しい関係にありましたが、両国間の経済的つながりが強くなるにつれて中国も態度を軟化させ、インドの常任理事国入りを支持するようになりました。
日本、インド、ドイツ、ブラジルからなる『G4(国連安保理常任理事国進出を狙う4カ国グループ)』の中では、インドが一歩抜き出ているとみていいでしょう。


「僕はバイクを持つことが夢です」

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インドは大量の二酸化炭素を排出しており、その排出量は世界第5位です。
インド政府は、すべての商用車に対して圧縮天然ガス燃料を使用することを義務づけたり、自然エネルギーの開発を進めるなど、独自の環境政策を実施して対応しているものの、二酸化炭素の排出量を規制する『京都議定書』には批准していません。
また、インド政府は、2012年以降の枠組みを定めるポスト京都議定書についても、一人あたりの二酸化炭素の排出量が少ないことを理由に、消極的な立場をとっています。
これからインドの工業が発展すると、ますます大量の二酸化炭素が排出され、地球規模の環境問題をもたらす恐れがあります。
インドの環境問題は、国際的な問題なのです。

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インドでは、農業も重要な産業です。
12億いる人口の約6割を農家が占め、国内総生産でも約1/4を占めます。
インドでは人口爆発が続いているため、農作物の生産量を増加させる必要があります。
しかしながら、インドでは農作物を生産するために必要な水が慢性的に不足しています。
このため、そのうち自国の人口を賄えなくなる恐れがあります。

「あたしは雨水が大切だと思います」

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インドは、経済自由化政策によってIT産業などは成長しましたが、綿花などの農業は逆に打撃を受けました。
まず、アメリカのモンサント社が特許権を持つ遺伝子組み換え綿花種子が、インドの綿花種子市場を独占しました。
モンサント社が特許権を持つ遺伝子組み換え綿花の種子は伝統的に用いられていた綿花の種子よりも高額なため、農家は借金をして種子を購入することになります。
ところが、貿易の自由化により綿花の価格は下落し、しかも、慢性的な水不足にあえぐインドでは遺伝子組み換え綿花が育ちにくく、しばしば凶作になってしまうのです。
この結果、借金を返せないことを苦に自殺する農家が後を絶たず、社会問題になっています。

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このようにモンサント社が種子市場が独占することによって農業が破壊されることは、インドネシアなど他の国でも報告されています。
日本が『環太平洋経済協定(TPP)』に加盟すると、モンサント社が日本の種子市場を独占すると予測されますから、対岸の火事ではありません。

・・・

「私の大切なものは花です」

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インドの女性の立場は非常に弱いです。
インドで多数を占めるヒンドゥー教では、女性は元々けがれた存在であると考えられています。
また、葬式などの家庭内の祭事は長男が行なうので、女性にとっての使命は男の子を産むことです。
このため、男の子が産まれるまでは妊娠と出産を繰り返します。
インドの人口爆発が止まらないのはこうした背景があります。


「わたしは子供を産みたいです」

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インドは妊産婦が最も多く死亡している国です。
インドの女性の約80%は貧血なため、出産時の出血によって高い確率で死亡してしまいます。
インド政府は、2005年から、地方で出産前と出産時の無料ケア、入院サービスなどを提供して対応しています。
しかしながら、NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、医療ミスが繰り返し発生するにもかかわらず、その原因を究明しないなどの問題があることを指摘しています。

・・・

「ぼくの大切なものは手です」

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インドでは、児童労働も大きな問題です。
国際労働機関(ILO)の調査によると、14歳以下で働く子どもは世界に2億5千万人いますが、そのうちの1億人がインドにいます。
子どもたちの労働の形態は、借金の返済のために働かされている債務労働や、工場での労働、路上での靴磨き、住み込みの家事労働などさまざまです。
そして、児童労働をしている子どものほとんどが低カースト出身です。

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インドでは綿花が盛んに生産されていますが、綿花農場では、子どもに対する搾取や虐待、多量の農薬を散布したことによる人体障害などの深刻な問題が報告されています。
綿花農場で働く子どもの7〜8割が女の子です。
その裏側には、女の子は、結婚するためにダウリーという持参金を用意する必要があり、もしダウリーが足りないと迫害を受けたり殺害されることもあるという事情があります。
そこで、NGO・ACEは、農村部にいる子どもを労働から解放し、教育が受けられるよう促す活動をしています。

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ダウリーの額は、相手のカーストにもよりますが、「女の子が3人生まれると一家は破産する」と言われるほど高額です。
インドでは、ダウリーを用意できない親が女の子を堕胎したり、嬰児のうちに殺害することが横行しており、男女比がアンバランスになっています。
インド政府はダウリーを禁止する法律を制定していますが、あまり効果は出ていません。

・・・

「わたしは踊りが好きです」

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インドでは性的搾取を目的とした人身売買も横行しており、毎年約2万人の女性が売買されているといわれています。
インド国内では南部を中心に、国外ではネパールやバングラデシュから、デリーやムンバイなどの大都市に売られています。
こうした被害にあう女性のほとんどがダリット(不可触民)などの低カースト出身です。
ブローカーから「いい仕事がある」とだまされ、売春宿に売られてしまうのです。

そこで、NPO法人ラリグラス・ジャパンは、現地NGOと協力し、売春宿に売られた少女を救出、保護する活動をしています。

・・・

「あたしの大切なものは家族の絆です」

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インドでは、エイズも蔓延しています。
その主な感染経路は、予防策をとらない異性間の性交渉です。
農村部から都市部に出稼ぎに来ている人が売春宿に通ってHIVに感染すると、それが農村部にいる妻にも移り、さらに、母子感染まで引き起こすなど連鎖的に広がっています。
いま、インドは240万人ものエイズ患者を抱え、南アフリカ共和国を抜いて世界で最も多くのエイズ患者を抱える国になってしまいました。

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インドの企業は、欧米の製薬会社が特許権を持つ抗HIV薬をコピーし、安価なジェネリック薬として製造しています。
世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)は、このジェネリック薬をアフリカなどの貧しい国の主要都市の公立病院で無償提供しており、また、インドでもHIV感染者の約1割がこのジェネリック薬による治療を受けています。

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世界基金など、主要な国際機関が購入して発展途上国で使用する抗HIV薬の約80%がインドで製造されたジェネリック薬です。
ジェネリック薬が製造されて発展途上国で使用されると、欧米の企業は抗HIV薬の開発費用を回収することができません。
このため、EUは、ジェネリック薬がインドから発展途上国に出回らないよう、インド政府に対して圧力をかけています。
一方、国際NGO国境なき医師団は、貧しい人々に安く薬を届けたいという人道的な理由によりジェネリック薬の使用を支持しています。
開発者のインセンティブ(知的財産権の保護による新薬の研究開発の奨励)を確保するか、人道的な理由による特許権無視の特例を認めるか、意見が分かれるところです。

・・・

「私の大切なものは家です」

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ムンバイやデリーのような都市には高層ビルが建ち並んでいます。
しかし、道路を一つ渡るとそこには巨大なスラムがひろがっています。
特に、ムンバイのスラムは巨大で、1600万人の人口のうち約75%がスラムに住んでいると言われています。
スラムでは、電気や水道などのインフラは不十分で、不衛生で、住人のほとんどは低カースト出身です。

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このスラムは非常に多くの問題を抱えています。
まず、不衛生なためポリオ(小児麻痺)やハンセン病(らい病)などの感染症が蔓延しています。
じつは、インドはポリオ患者とハンセン病患者が世界一多い国なのです。
さらに、スラムに住む子どもたちの多くが低体重です。
インドは、低体重の子どもの数も世界一です。
また、スラムに住むほとんどの子どもが出生登録されていないため、教育などの公共サービスを受けることができません。

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そこで、国連児童基金(UNICEF)は、現地NGOと協力して、適切な施設での出産・出生登録の推進・出生証明書を発行したり、子どもに対して栄養を補給したり、子どもに予防接種を実施したり、夜間学校を開設するなど、スラムの住環境を改善する活動を続けています。

・・・

「私は家族のことが大好きです」

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インドにはスラムにすら住めないホームレスやストリートチルドレンもたくさんいます。
インドは、ストリートチルドレンの数も世界1位なのです。
ストリートチルドレンのほとんどは低カーストの出身です。
ストリートチルドレンたちは家族に見放され、暴力や搾取、麻薬中毒、人身売買などの危険にさらされ、その様子はイギリス映画『スラムドッグ$ミリオネア』でも映し出されています。

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インドにはこのようなストリートチルドレンを保護するため孤児院が多数あります。
また、インド政府、国連児童基金(UNICEF)、現地NGOなどが協力し、約50の都市で支援を要する子どもたちのための24時間無料の緊急電話サービスを実施しています。

・・・

インドは経済成長を続けていますが、国民のほとんどは貧しいままです。

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しかし、インドにはこのような貧しい人たちに寄り添おうとする人が多数います。
マザー・テレサもその一人でした。
マザー・テレサは、最も貧しい人たちのために働こうと決意し、カルカッタ(現コルカタ)の当時世界最大と言われたスラムに、ホスピス、ハンセン病(らい病)患者の施設、ストリートチルドレンのための孤児院や学校などの施設を開設しました。
マザー・テレサの活動は、以後、インド全土、さらに世界中に広がりました。
こうした活動が認められ、マザー・テレサは1979年にノーベル平和賞を受賞しました。

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そのマザー・テレサはこんな言葉を残しています。
「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」

マザー・テレサの施設には、世界中からボランティアが集まり、貧しくて困っている人に寄り添おうとしています。
そんな人たちの輪に加わりませんか?

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
石井洋子、山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年10月10日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 16:22| 日記

2011年10月07日

パラグアイ Paraguay




パラグアイ共和国は、
南米大陸の中央に位置する国です。
ブラジル、ボリビア、アルゼンチンに囲まれた内陸国です。

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国の大きさは日本と同じくらいで、
人口は約600万人、日本の半分です。

綿花、大豆などの農牧業や、
肉などの牧畜業が盛んな国です。

国民の9割以上が、
白人と先住民、両方の血統を受け継いでおり、
主にキリスト教カトリック派を信じています。

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言語としては、スペイン語と先住民の言葉であるグァラニー語、
2つの言葉を公用語として使っています。

一般に、
先住民の言語は、
年月が経つにつれて話す人が少なくなり、
消えてしまう傾向があります。

そのような中、
パラグアイのグァラニー語は、現在でも公用語とされ、
国民のほとんどに理解されています。
国民は、先住民の言語を話すことを誇りに思っています。

国旗は、表と裏でデザインが異なります。
国旗に表裏があることは珍しく、
パラグアイを含めて世界で3ヵ国だけです。

表のデザイン
800px-Flag_of_Paraguay_svg.png

裏のデザイン
800px-Flag_of_Paraguay_(reverse)_svg.png
(在日パラグアイ共和国大使館ホームページより)

また、パラグアイはサッカーが盛んです。

「僕は、サッカー選手になりたいです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 PRG_011a.jpg DSC_2314a.jpg)



子どもたちが通う学校では、
サッカーの話題があふれています。
たとえサッカーボールがその場になくても、
男の子たちは、いつも何かを蹴って練習をしています。

パラグアイは日本との親交がとても深い国です。
約7000人もの日本人と日系人がパラグアイで暮らしており、
2006年に、移住70周年を祝う記念祭典が開催されました。

2011年の3月11日に東日本大震災がおきた時には、
豆腐100万丁分にあたる大豆100トンと、
豆腐を作るための資金による支援を、
パラグアイ政府と現地に住んでいる日本人の移住農家が始めました。

パラグアイと日本、
地球の対にある2つの国ですが、
心は絆で結ばれていると、筆者は思います。



・・・

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上の絵は、この国の子どもが描いた、
パラグアイの地図です。
周囲を3つの国に囲まれており、
パラグアイの北側から時計回りに、

B=ボリビア
BR=ブラジル
A=アルゼンチン となっています。

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先住民のグァラニー人が、この地で生活をしていました。
その後、16世紀から、スペインが土地を領土としました。

1811年に、中南米地域では初めての独立国として、
パラグアイ共和国が誕生しました。

建国後は、政権を握った将軍が30年間以上独裁政治を続け、
日本と同じように鎖国を行いました。

1864年には、中南米における歴史の中で、
最も残酷な戦いといわれた、三国戦争が起こりました。

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三国戦争とは、
ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの
3ヵ国が同盟を結び、パラグアイに攻め込んだ戦いです。

国土の多くを、隣国のブラジルとアルゼンチンが奪いました。
そして、パラグアイの男性のうち、なんと9割もの人々が亡くなり、
国の人口が急激に減少してしまいました。

長く続いた独裁政権ですが、
1993年に、ワスモシ大統領が就任し、
民主主義政権が始まりました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「ラパチョの樹です。」

ラパチョの樹は、パラグアイを代表する樹木です。
日本にとっての桜に近い存在で、
パラグアイの人々はこの樹を見ると、
自分の国の大切さを深く感じるのだそうです。

パラグアイでは、
戦争によって、男性のほとんどが亡くなりました。

このため、生き残ることのできた男性は貴重な存在となり、
それは、多くの機会において国が男性を優遇する社会
という形で今も名残りがあります。

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1992年、政府は新しい憲法を制定しました。
新憲法は、男女平等を掲げましたが、
未だ、女性の人権は重んじられません。
女性を取り巻く環境が改善されないことは、
国全体の成長を妨げます。

NPOフンダションマーノ・ア・マーノは、
パラグアイにおける、
安定した仕事を得られない女性に向けて、
縫製技術の訓練を行いました。

女性が社会的・経済的に家庭を支えることは、
国全体の基盤をしっかりさせることにつながります。

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この事業は、以下の成果をあげました。

1.高いレベルの技術指導者が育ちました。
2.上記の指導者から訓練を受けた受講者が、
  縫製の基本的知識、ミシンの使い方、製品を作る技術を
  身につけました。
3.受講者が自ら経営を続けるために、
  生産を管理する力を学びました。
4.市場、展示会、国外輸出の体制など、
  製品を実際に販売することができるようになりました。

このプロジェクトは、
パラグアイの人々が昔から受け継いできた、
伝統的な刺繍の指導も行いました。

フンダションマーノ・ア・マーノは、失われつつある伝統を守りながら、
女性に対する差別を改善し、地域社会の生活を支えていきます。

 

・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「家族や周りの人みんなが、一緒に幸せになることです。」

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国民の経済的な不平等が、問題になっています。

国連開発計画(UNDP)が、
2007年と2008年に行なった調査では、
世界における貧富の差が大きい国の10位以内に、
パラグアイが入っています。

国民のたった1割が、国土の半分以上を独占しています。
その一方で、土地を持つことすらできない国民が3割います。

NGOのCAMSATは貧困を減らすため、
資金を流通させる融資事業を行なっています。

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CAMSATの事業方法は、
『マイクロクレジット』から学んだものです。

マイクロクレジットとは、
貧しい人や失業者、資本が足りない起業家など、
通常の銀行からはお金を借りることが難しい人々を対象にした、
資金を貸す事業です。

マイクロクレジットを考え出したムハマド・ユヌスは、
2006年にノーベル平和賞を受賞しました。

その特徴的な方法は、主に以下のものが挙がります。

1.お金が必要な人ならば誰でも借りることができる。
2.集団に対してお金を貸し、
  グループでの連帯責任を生みだす。
3.返済額をとても小さい額にする形で、
  資金を貸してあげることにより、お金を返しやすくする。

CAMSATは、カトリック教の神父が、
貧困の克服と地域の発展のために、立ち上げた団体です。

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CAMSATへの加入者は、毎月3セントを払うことで、
医療を受け、医薬品をもらえたり、
子どもが補習教室や給食施設を利用できること、
大人が職業訓練講座を受講できることなど、
様々なサービスを受けることが可能です。

CAMSATの事業により、
人々の収入は安定し、生活が向上して、
貧しさにおける負の連鎖を断ち切ることが
できるようになりました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「僕が通っている学校です。」

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パラグアイでは、
独裁政権が長く続いていました。

当時は、国が教育そのものを普及しなかったため、
学校が機能していませんでした。

1994年から教育改革を行なっており、就学率は上がっています。
一方で、教育の質を上げることが必要です。

生徒が1年間に受けられる授業日数と授業時間数や、
学校と保護者の連携が不足しています。

生徒の学習到達度が中南米諸国の平均を下回り、
その結果、特に低学年においては、
5人に1人が留年してしまうという状況です。

指導者の質を上げること、
また、指導者と保護者が報告・連絡・相談をお互いに行い、
生徒をとりまく学習環境に対する理解を、
指導者、保護者、生徒で共有することが課題です。

国際協力機構(JICA)は、
学校運営における管理能力を改善するプロジェクトを実施しました。

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国際協力機構は、
これまで教員に対する研修や、教材の配布などを行なってきました。

しかし、
教員を指導する立場にある、校長レベルの人々に対する研修を
まだ実施していませんでした。

1.ガイドラインをつくり、
2.研修を行い、
3.計画の進み具合をチェックし、
4.研修が終わった後に経過をみながら改善していく、
ということをしながら、一連の活動を行いました。

これにより、
年間の授業日数と授業時間数が改善されつつあります。
また、対象校において保護者会による支援が大きくなり、
学校と保護者とが協力し合って
学校教育を行うことができるようになりました。

プロジェクトの実施をうけ、
対象になった約100校の学校から、
全国に向けて研修の輪が広がっています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「大きな海くらい、たくさん水があったらなと思います。」

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雨季は、たっぷりの雨に恵まれます。
しかし、乾季になると水が不足するため、
安全な飲み水を確保することができません。

汚染された水を飲むことにより、
人々は病気にかかったり、
亡くなってしまうことがあります。

一般に、
南米は地理的に高い場所に位置するため、
気温があまり上がりません。

ところが、
パラグアイは平地に位置し、海と山がない盆地であるため、
気温が上がります。

乾季になると、雨が2ヵ月近く降らないこともあり、
人々が暮らす地域であっても、
45度というかなりの高気温になってしまいます。

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このような状況のため、
水を手に入れることが難しいのです。

人々は水を確保するために、
川や池まで何時間も歩いて汲みに行きます。
遠く離れた水源まで行くことが困難な人は、
近所の水溜まりにある水を使わなくてはなりません。

しかし、これらの水は衛生状態が悪く、
汚染されていることがあります。
この水を飲むことにより、人々は病気に感染し、
命を落とすこともあるのです。

世界保健機関(WHO)によると、パラグアイでは、
5歳未満の子どもにおける死亡率の10%が下痢によるものです。

国際連合児童基金(UNICEF、ユニセフ)は、
安全な飲み水を確保するプロジェクトを実施しました。

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雨季に貯めた雨水を、乾季にも使えるようにするものです。

まず、家の屋根やその近くの管に流れた雨水を、
専用のパイプを使って集めます。
次に、地中深く掘った井戸に貯めます。
そして、手動式のポンプを用意し、
必要に応じて貯めた水をくみ出せるようにします。

これにより、
人々は安全な水を利用することができるようになりました。

ユニセフは、この仕組みをパラグアイに20ヵ所つくりました。
パラグアイの政府と協力しながら、
他の地域でも、このプロジェクトを広めています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「木と土が大切です。」

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パラグアイでは、
農地における土壌の劣化が、問題となっています。

国民の半数が農村地帯で暮らしており、
農業で生計を立てる人のほとんどが、
規模の小さい、小規模農家です。

これらの農家では、肥料を使わず、
土地の栄養を補給しない農業を行なってきたため、
農業を行う農地において、
作物を育てる土壌の質が低くなってしまいました。

パラグアイは周りを陸地で囲まれた内陸国であるため、
突然の激しい雨が降りやすく、
質が低くなった土地で土壌侵食が起こります。
これにより、土壌の劣化がますます進んでしまうという、
悪い循環が起きています。

そこで、
土壌劣化が進行した土地へ植林活動を行なっています。

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三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社は、
国際農林水産業研究センターと、
パラグアイ政府国家森林院、国立アスンシオン大学などと協力して、
このプロジェクトを支援しました。

このプロジェクトは、
100戸以上の農家における、
劣化が進行した耕地(東京ドーム40個分以上の土地)に、
成長が早くて病気に強いユーカリなどの木を植え、
土の保全と、土地の生産力を回復させるものです。

2007年から2027年まで、
20年間という期間をかけて行う予定です。

今回の計画により植える木々が、
地球上の二酸化炭素を約3万トン吸収すると、
国際農林水産業研究センターは予測しています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「いろいろ大事なものがあるんですよ。」

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この絵は、
ある靴屋のおじいさんが描いたものです。

絵の左上から順に、ハート、木、手紙、オレンジの実、です。
おじいさんは、次のように説明してくれました。

ハート:「人間が生きていくのに一番大事なのは、ハートです。」
木:「木がないと人間は生きられません。」
手紙:「人から気持ちをもらう手紙は大切なものです。」
おじいさんの家になっているオレンジの実:「私はオレンジが好きです。」

多くのものを失いながらも、
温かい心を持ちつづけ、力を合わせて歩んできたパラグアイは、
2011年に建国200周年を迎えました。

受け継いできた大切な糸を、
新しい命へこれからもずっと紡いでいきたいという、
パラグアイの願いがあります。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
赤枝裕美
馬場桃子

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年10月14日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 08:32| 日記

2011年09月24日

カメルーン Cameroon

私の大切なものは『サッカー』です。

サッカー無しでは、夢は見られません。」

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カメルーンと聞いて
先ずサッカーを思い浮かべる人が
多いのではないでしょうか。

FIFAワールドカップ日韓開催では、
「いちばん小さな自治体をキャンプ地にした国」として
大分県中津江村と共に
多くの日本人に記憶されました。


カメルーンは、アフリカ大陸の中でも
特にサッカーが盛んです。

アフリカネーションズカップにて
これまでに4度の優勝を経験しています。

近年では、FIFAワールドカップでも
すっかりおなじみの国になりました。

これらの大会はヨーロッパのクラブチームにとって
絶好の選手発掘の場となっています。

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そして、カメルーンのサッカー少年にとっても
ヨーロッパのクラブチームにスカウトされることが
夢への近道なのです。

「ヨーロッパのサッカーチームで活躍して
使いきれないほどのお金を稼ぐんだ!」

そんな夢を見る少年とその家族は
一縷の望みを、渡航費や滞在費と共に
新人選手を紹介するエージェントに託します。

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しかし、家族が用意したお金を詐取したり、
書類の偽造をしたりする悪徳業者が少なくありません。

うまくヨーロッパに渡れたとしても
成功するのは何万分の一です。

チームとの契約も就職も出来ず
ホームレスとなり麻薬に溺れる少年が後を絶ちません。

この状況を重く見た、カメルーン出身のサッカー選手
ジャンクロード・ムブミン氏は
NGO団体 Foot Solidaire(フット・ソリデール)を立ち上げ
フランスに来たサッカー少年の相談や保護を行っています。

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また、日本の青年海外協力隊は
サッカーなどのスポーツを通して
協調性やチームワークを育てる教育を
小学校などで実施しています。

2010年にはサッカー日本代表の北澤豪選手が
国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーターとして
カメルーンの小学校を訪れています。

「自分がボールを持っていないときでも
チーム全体の動きを把握して、
チームが勝利するために自分に何ができるか常に考え
みんなで協力してほしい」

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サッカーによって得られるのは
お金だけではないのです。





「私の大切なものは『自然』です

家畜が生かされ、また私たちが生きていくために
自然の恵みが不可欠です。」

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「カメルーンはアフリカのミニチュアである」と
表現されることがあります。

そう呼ばれる理由の一つに、
多様性に富む自然があることが挙げられます。

南部は熱帯雨林
西部は渓谷と火山
中部は高原
北部はサバンナあるいは砂漠地帯
という具合にです。

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また、カメルーンはその雄大な自然と共に
約500種の絶滅危惧種を保有しています。


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なかでも、首都ヤウンデの東から南に延びる
ジャー動物保護区は世界遺産になっており、
絶滅危惧種も多く生息しています。
人間では、バカ族のみ居住を許されています。


「私の大切なものは『家畜』です。

でも、長い乾季のせいで
私の家の家畜が全て死んでしまいました。」

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地球温暖化は、カメルーンの自然と動物と
それによって生かされている人間の
生命を脅かしています。

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2008年頃から続く干ばつによって
5歳以下の子どもや、妊婦・授乳中の女性
およそ 12万 4000人が
急性栄養失調に苦しんでいます。

この干ばつによって世界規模で
食糧価格が高騰しました。
カメルーンでは暴動に発展し
死傷者が出ました。

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これに対し、カメルーン政府は
輸入食品の一部に減税の措置をとりました。
また食糧生産倍増を目標とする
2年計画を発表しました。

またカメルーン政府からの要請を受けたWFPは
ユニセフなどと協力しながら
食糧不足と栄養不良の打撃を受けた地域への
支援を行いました。


地球温暖化について科学者のあいだでも
日々様々に議論されており
真偽はまだはっきりしていません。

しかし、ここカメルーンにおいて
自然の楽園が急速に失われていることは
疑いのない事実なのです。

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「私の大切なものは『経済力』です

私の家では、テレビを買えたおかげで
最新のニュースや娯楽が手に入ります。」

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「アンゴラには原油が、
マリには綿花が、
コートジボワールにはカカオがある。

…そしてカメルーンにはそれら全てがある。」

と、世界的経済誌に言わせるほど、
カメルーンの経済は潤沢です。

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大陸に在って海に開かれた国であること
また資源が豊富であることに加え、

政治的安定や、整備された法や制度が
カメルーンの経済成長をますます期待させます。

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日本語でこれを読んでいる皆様は
カメルーンのことは知らなくても
地理も文化も近いベトナムのことなら
知っているという方も多いのではないでしょうか。

ご存知の通り、VISTAの一つとして
『有望新興国』と考えられています(→※1)。


実は、カメルーンの教育と経済は
このベトナムとほぼ同水準なのです。


2008年までに成人した人が教育を受けた年数は、
ベトナムが5.5年
カメルーンは5.9年です。

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国民一人当たりの平均所得(GNI/人口)は
ほぼ同じです(→※2)。

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しかし国連開発計画(UNDP)による
人間開発指数の総合ランクでは
ベトナムが113位なのに対し
カメルーンが131位と
大きく引き離されています。


カメルーンがベトナムに
大差を付けられているものは何でしょうか。

それは、医療です。


ベトナムの平均寿命が75歳なのに対し、
カメルーンは51歳です。

また5歳になる前に死亡する子どもは、
ベトナムでは1000人に14人
カメルーンでは1000人に131人
の割合でいることが分かっています。

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なぜ、カメルーンの医療水準は
経済や教育と共に伸びなかったのでしょうか。


理由の一つに、カメルーンでは現在でも
民間伝承による医療が
重んじられていることが挙げられます。


彼らは下痢を薬草と祈りで治そうとします。

もちろん、それらが精神的な効果として
有効なこともあります。
しかし近年被害が拡大しているコレラやエイズには
少なくとも効果が無いようです。

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2010年にはカメルーン北部で
コレラが流行しました。
コレラは、きれいな水と抗生物質を用いれば、
死亡率を1%以下に抑えられる病気です。

しかし、カメルーンのコレラによる死亡率は
7%以上といわれています。

北部の農村部では
適切な情報や医療機関へアクセスできないため
手近な民間医療に頼らざるを
得なくなっていると考えられます。

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この問題に対してユニセフは、
地元の携帯電話会社や小学校などと協力して
衛生に関する意識の啓発を行っています。

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次に、避妊普及率を数字で見てみましょう。

経済力と教育水準がカメルーンと同程度のベトナムでは
避妊普及率が79%です。

それに対して、カメルーンの避妊普及率は29%です。

低い避妊普及率と手薄い医療では
HIVの予防や感染者へのケアが
充分にできません


そこで、ソニー株式会社、UNDP、JICAは
2010 FIFA ワールドカップの際に
パブリックビューイングを
カメルーンとガーナで実施しました(→※3)。

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カメルーンはサッカーが盛んなことは
先に述べたとおりです。

その一方で、テレビの普及率は20%と
決して高くはなく、ほとんどの人は
自国の試合を応援できません。

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そこでまず、ソニーによって
太陽光などで発電した電気を使って
サッカー中継が上映されました。

集まった人々は一丸となって
自国の選手を応援しました。

そして、ハーフタイムには
UNDP、JICAのスタッフが
HIV検査や感染者のカウンセリングを行いました。

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このプロジェクトによって
2カ国合わせて、約5、000人に対して
HIV蔓延対策を行うことが出来ました。


カメルーンにおいてサッカーは
協調性と健康

そして感動を人に与えているのです。

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ちなみに、UNDPによる人間開発指数の総合ランクで
11位を誇る日本の避妊普及率は
59%と、軒並み低い数値です。

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日本は先進国の中で唯一、
HIV感染者が増加している国と言われています。

この点について我々は
改善していかなければならないでしょう





「私の大切なものは『伝統』です。

両親やおじいさん、おばあさんは
学校でも教えてくれないことを
私たちに教えてくれます。」

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コレラやHIVウイルスに対して
現代医療が民間伝承より効果的であることは
先に述べました。

しかし、ここで気をつけなくてはならないのが
性や生命の考え方に対して
どの価値観が正しいということはないということです。

そこで、現代医療をカメルーンにもたらすことが
先進国の価値観を押し付けるのではなく、
カメルーンの国民に選択肢を増やす機会となるべきなのです。


例えば、性の問題において
様々な解釈が存在します。

避妊が身近な人にとって
避妊具を用いない性交渉は
『不潔』そのものでしょう。

一方で、避妊具になじみのない人にとって
ゴムを隔てた愛で満足する人は
『哀れみと軽蔑の対象』なのでしょう。

どちらの解釈も間違いではないのです。

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大事なことは、考えうるリスクをてんびんにかけて
よりリスクの低い行動を選択することです。


先の例の場合
「HIVに感染するかもしれない」という
リスクを取るか

または「愛を体現する」という
リターンをとるか、という選択肢があり
どちらを選ぶかは個人の自由なのです。

現代医療を、新しい選択肢の一つとして
紹介するという姿勢が
多用な文化と健康的な生活の共存を
実現する国際協力なのではないでしょうか。

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民間伝承と最先端医療の共存は
難しいことではありません。

実際に、我々日本人は2つを
共存させています。

例えば、Jリーグのチームはシーズン前に
地元の神社で必勝祈願を行います。

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そして、試合で怪我をしたら
最先端の医療を利用します。


信仰と現代医療を、状況に応じて
合理的に選択することで、
日本のサッカー選手は思い切りプレーが出来るのです。

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「文化の保守か最先端技術の導入か」という問題は
医療に限りません。
国際協力をすれば必ず直面する問題です。

でも、多様性を受け入れれば
解けない問題ではないのです。

教育や経済は
着実に成長させてきたカメルーンです。

医療の向上と文化の保存にどう取り組むのか
これからも見守っていきましょう。


「私の大切な物は『カメルーン』です。

ここに私たちがいます。」

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注釈



※1

VISTAとは、ベトナム、インドネシア
南アフリカ、トルコ、アルゼンチン
の5カ国をのことです。


※2

GNIについて厳密に言えば
計算の仕方により数値が異なります。

それぞれの通過で、買える財やサービスの量を
等しくして換算した平均所得
(PPP方式によるGNI)によると

ベトナム: 約 3,000 米ドル
カメルーン: 約 2,200 米ドル


一方、市場為替レートで換算した平均所得
(アトラス方式GNI)では

ベトナム: 約 1,000 米ドル
カメルーン: 約 1,200 米ドル

となります。


しかし、順位のみを比較すると
2つの国に大きな開きはありません

そこで、ベトナムを
経済力がカメルーンと同程度の国
とみなして比較対象としました。

なお、PPP方式によるGNIのほうが
商品やサービスの価格を考慮しており
国民の生活水準を比較するのに適当だと言われています

UNDPの人間開発指数ランクでは
PPP方式によるGNIが
経済力を示す指標として用いられています。



※3

パブリックビューイングとは
スポーツなどを大型ディスプレイで
大勢が鑑賞することです。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
木下 晶子、山本 敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
小野 明日美

編集完了日:
2011年10月1日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 17:41| 日記

2011年09月17日

スリランカ Sri Lanka

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スリランカは、インド洋に浮かぶ緑濃い熱帯の島国です。
北海道を一回り小さくしたぐらいの国土に約2000万人が暮らしています。

首都は、スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。
小学校で世界一長い名前の首都、と覚えませんでしたか?


仏教、ヒンドゥ、イスラム文化などが混在し、
70%のシンハラ人、タミル人、スリランカ・ムーア人で成り立っています。

公用語はシンハラ語とタミル語、そしてこの2つの連結語としての英語があります。
宗教は仏教70%、ヒンドゥ教10%、イスラム教、ローマン・カトリック教があります。

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島の地形は変化に富んでいます。
長いビ−チが続く海岸。
いい波を求めて世界からサ―ファ−が集まるビ−チもあります。

あなたの大切なものは何ですか?
「ジャングルです。」

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多くの野生動物が生き続けているジャングル。
1000Mを超す山々。
古代から仏教王国として栄えてきた産物」である大遺跡。

スリランカとは、「光り輝く島」という意味です。
かつてはセイロンと呼ばれていました。
世界的に有名な紅茶のブランド名でもあります。
ルビー、サファイアなどの宝石が採れることでも有名です。

また、アーユルヴェーダという医療が、西洋医学と同居しています。

親日としても有名なこの自然豊かな島国、そこに暮らす心豊かな人々
をみていきましょう。



あなたの大切なものは何ですか?
「海岸です。」
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2004年12月のインド洋大津波がありました。
これによりスリランカでは3万人以上が死亡、約100万人が被災しました。

日本政府は直ちに緊急医療チームを派遣し、緊急・復旧支援として80億円の
無償資金協力などを行いました。

その時の感謝を忘れておらず、2011年3月の日本の東北地方太平洋沖地震・津波
に対し、スリランカは被災者支援として、義援金100万ドル(約8200万円)のほか、
紅茶の茶葉などを日本に提供しています。




あなたの大切なものは何ですか?
「ジャングルです。木を切り倒さないで。」

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植物の絶滅危惧種が多い国として、スリランカは280種と、第8位にあります。

自然保護区近くのゴミ捨て場の野生のゾウ、鳥、チョウ、蘭など
豊富な生物多様性を誇る地域として知られ、国土の10%が国立公園や
自然保護地区で、サファリなどでは野生動物も楽しむことができます。



あなたの大切なものは何ですか?
「蓮の花です。」

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一方で、人口の増加や開発が進み人々の居住地域が拡大することが原因で、
動物の生息域は減少しています。森林が国土に占める割合は2005年で29.5%、
その後も微減傾向のようです。
また、南部では港の開発や排水などにより、ここ数年で珊瑚が激減しました。

2011年1月の北中部州洪水被害により、この100年で1万2000頭あまりいたゾウは、
1/4に減っています。
以前の生息区域だった場所でゾウが人を襲うという事故や
人間のごみを食べ消化器官にビニールが詰まり死んでしまう例も・・・
ウミガメやシカにも同様の被害が出ています。

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また、気候変動の影響は、人間の生活のみならず動植物の生態にも
大きな影響を与えていることは、言うまでもありません。

将来性が期待されているエコツーリズムの開発にも大きな可能性が
あるといわれています。
今後の発展に向けて、環境と経済の両立が不可欠になるでしょう。




株式会社 ミチコ−ポレ−ションは、
「ぞうさんペーパー」によるソーシャルビジネスを行っています。

スリランカには、住民が農地を開拓し、住家のなくなった象が
人の住む領域に出てきて暴れるので住民は象を撃ち殺してしまう、
といった問題があります。

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そこで「象のふんから紙を作って売り、象を単なる害獣から
ビジネスパートナーにすることで、人間と象の対立を緩和する」
というところから、このビジネスが生まれました。

このゾウのフンをリサイクルした100%手作りの再生紙から作られた
ノートやフォトフレーム、メモパッドなどのグッズが、
日本の動物園をはじめ世界中の動物園へも輸出されています。

今ではゾウがより住みやすい環境づくりを進めるべく、スタッフや
地元の人達は植林活動やゴミの分別活動など、環境保全に力を入れています。

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このように、ゾウと人間が協力しあい、商品を製造して海外に輸出することで、
外貨を獲得し、そして雇用のチャンスもできるという流れが生み出されるのです。
さらに利益の一部はゾウや自然の保護のために使われ、人、モノ、そしてお金が
上手く循環する人間と野生動物の共生を可能にするビジネスモデルなのです。



・・・・・・・・・・



スリランカでは全人口の約3〜4割が貧困層とされています。
そのうち約90%は地方農村部です。
また、紛争による荒廃が大きい北・東部地域の貧困状況は他の地域より
深刻であるとみられます。


あなたの大切なものは何ですか?
「魚を取る人です。」

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産業の基盤となる農業・水産業等の開発にもつながる農漁村開発支援が
不可欠になります。

スリランカに対して支援を行っている主要な機関は、日本約47%、
アジア開発銀行(ADB)約19%、世界銀行約8%です。

ADB は、スリランカ政府と貧困削減パートナーシップ協定をくみ、
貧困削減や北・東部での復興事業に協力しています。
また今後4年間に亘って総額10 億ドルの支援を表明しました。

世界銀行は、平和の定着、経済成長、教育や保健などの平等の促進を
重要テーマとして設定し、今後4年間に亘って総額8-10 億ドルに上る
プログラムを計画しています。



・・・・・・・・・・



スリランカは、世界で初めて女性の大統領を輩出した国です。
他のアジアの国と比べると、女性の社会進出は進んでいます。
一方で、貧しい世帯の女性が、子どもを残したまま、
経済発展が著しい中東に出稼ぎに行かざるを得ない現状があるのも事実です。

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スリランカ国内NGOセーワランカは、そういった貧困農村の女性を支援しています。
女性は鉢を製造し、欧州のイケア(家具店)の店舗でその鉢を販売しています。



・・・・・・・・・・




医療は基本的に無料ということもあり、平均寿命は74.1歳で
南アジアの国々(インド:63.7歳 ネパール:66歳)と比較しても
長寿の国であると言えます。

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又、スリランカではJICAの支援による5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)活動
による保健医療施設のサービス向上が進んでいます。
1945年から行われているもので、
新生児感染症は5%が2%に減り、
帝王切開後の感染症が1.8%が0.9%に減った、
といった実績が出ています。
今後アジアやアフリカの国々でも、スリランカの5Sガイドラインを活用し、
保健医療サービスを向上させることが期待されています。





・・・・・・・・・・





あなたの大切なものは何ですか?
「学校です。」

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公教育は大学まですべて無料です。その為、91.4% と高い識字率です。
しかし、最終的に13校ある大学へ入学できる生徒は、全体の5%を
少し超えるくらいの狭き門でもあり、私塾なども存在します。

又、都市部と農村部の教育格差の問題があります。
特に内戦の影響を受けている地域や道路や電気などのインフラ整備が
遅れている僻地農村地域では、親の仕事を手伝うためや、
教科書代などの自己負担分を払えないために学校に通えない子どもが多数います。

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スリランカで貧困層と呼ばれる人々の生活での支出を見てみると、
貯蓄はもちろんなく、80%の支出が食費、衛生・健康への支出が3%、
教育への支出は1%であるという統計があります。
これでは、学校に通い続けることは、困難であるという現状があります。

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NPO法人アプカスは、KDDI財団の助成援助によりスリランカの僻地農村において、
子どもへのコンピュータ&インターネット技術の普及活動を行っています。
この活動を通して、コンピュータを見たこともなかった子どもたちが、
今では基礎的な知識・技術を身につけ、コンピューター上での文章作成などが
できるようになりました。
子どもたちは、新しい "世界" を体験し、興味・関心をますます高め、
意欲的に学習を続けています。



・・・・・・・・・・





あなたの大切なものは何ですか?
「ゴムの畑です。」
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スリランカ経済は、伝統的には米と3大プランテーション作物(紅茶、ゴム、ココナッツ)
を中心とする農業でした。

経済発展とともに製造業や卸・小売業等が拡大し、最近では衣類製品が
最大の輸出品目となっています。

内戦が終結し、経済活動の活性化等によって、高い成長率を達成しました。
経済の拡大を受けて雇用機会も拡大し、失業率は低下しています。

また治安の改善を受けて観光客数ととも、観光収入が大幅に増えました。

そして高い教育水準や良質な労働力を背景に輸出が拡大し、
海外からの直接投資も着実に拡大しています。


食器製造メーカーのノリタケは、1972年、スリランカに食器の製造会社(NLPL)を
設立しました。それ以来、食器の生産を継続しながら30年以上にわたり地域との
交流を続けています。 
工場の近隣の病院や孤児院、老人ホームなどの施設へ文房具、服、靴など
生活物資を寄付するなど社会貢献活動を継続しています。



あなたの大切なものは何ですか?
「水汲みです。」

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国際協力機構(JICA)は新興国での水ビジネスの立ち上げを
支援しています。そこで、2011年、豊田通商がスリランカで
水ビジネス事業化調査を名古屋市と協力することになりました。
スリランカのコロンボ市郊外など複数の都市で調査し、
現地の水道当局との調整や、水質改善につながる浄化技術を導入するために
需要動向、料金徴収の実態など広範にわたって調べる予定です。



あなたの大切なものは何ですか?
「シーギリアの壁画です。」

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スリランカ中央部シーギリヤで2009年7月、JICAが支援する「シーギリヤ博物館」
の開館式が行われました。

スリランカには国連教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産に登録されている
七つもの遺跡があります。
その中の一つであるシーギリヤ遺跡は、5世紀後半に建てられた王宮の遺跡が
残る巨大な岩山を中心として、古代都市が栄えた一画が世界遺産となっています。

JICAでは、博物館を中心とするシーギリヤ周辺の観光促進のために無償資金協力、
技術協力などの支援をしました。
スリランカは国の重要政策として、文化・観光開発事業に力を注いでいます。





あなたの大切なものは何ですか?
「バス停です。」
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スリランカは、1948年のイギリスからの独立以来、開発途上国の中でも
民主主義国家としての政治制度を保ってきた有数の国です。

スリランカの社会指標(平均余命の長さ、識字率の高さ、乳幼児死亡率の低さ等)
は、一般的に南アジア地域の中だけでなく、開発途上国全体の中においても
群を抜いて良好です。

これら指標からすると、先進工業国に準ずるレベルに
達していると見られます。

また巨大なインド市場開拓に伴う経済活動の発展性が海外から期待されています。





・・・・・・・・・・






ここで、26年にも及んだ内戦と酷く悲しい歴史をみてみましょう。


・・・・・王国から植民地時代へ・・・・・

北インドから移住したシンハラ人が王国を作り、
後からタミル人が、南インドから移住します。

以後、この両民族は民族的・宗教的に対立することになります。
両民族の人口の比率は、シンハラ人(仏教徒)が75%、
タミル人(ヒンドゥー教徒)が20%です。

スリランカはインド洋交易の重要拠点であり、そのため早くからポルトガル、
オランダ、イギリスの侵略にさらされたのです。


あなたの大切なものは何ですか?
「田舎の畑です。」

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イギリスは、スリランカ全島を紅茶の生産基地とします。
独立を求めて大規模な反乱が三度起きましたが、いずれも武力鎮圧されました。

そして、イギリスは多数派のシンハラ人を鎮圧させ、統治しやすくする為に、
少数派のタミル人を優遇しました。
それは多数派のシンハラ人の敵意がイギリスにではなく、タミル人に
向くよう仕向けた巧妙な策だったのです。
この分割統治が、現在も続くシンハラ人とタミル人の民族闘争の原因となったのです。

同時にキリスト教徒を優遇し、仏教を抑圧しました。
シンハラ人のほとんどは仏教徒で、教育を受けることも難しかったのです。


あなたの大切なものは何ですか?
「仏教の歴史です。」

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・・・・・独立から、民族間の差別の始まり・・・・・

100年以上に及ぶイギリス支配の後、イギリスがインドから撤退したのと同時に、
1948年 スリランカも独立しました。
この時、「セイロン」として国の主権を獲得します。
同時に、一人一票制による選挙が行われたため、多数派のシンハラ人による
政権ができたことにより、風向きが一気に変わりました。

1956年 「シンハラ人優遇政策」を掲げ、シンハラ語を唯一の公用語とする
シンハラ・オンリー政策など急進的な政治を展開しました。
タミル人はこれに強い反感を抱き、シンハラ人との間で大規模な衝突
が頻発するようになります。
そしてさらにタミル人の「民族浄化」(シンハラ人以外の民族は根絶すること)
を提唱しました。

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・・・・・タミル・タイガー(LTTE)の創設・・・・・


1972年 セイロン政府は、「スリランカ」に国名を変更しました。

この年、反発するタミル人が民族内での結束を強めて武装組織を次々と結成します。
これらの武装組織の中心となったのは、当時、高等教育を受けながらも
失業状態にあったタミル人青年たちでした。
その中で、傑出したカリスマ性をもっていたのが「プラブハカラン」
という青年でした。

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1975年 タミル・イーラム解放のトラ(Liberation Tiger of Tamil Eelam、LTTE)
が創設されます。 (以下、LTTEと略します。)
プラブハカランは、このLTTEの、議長に就任します。
しかし、彼はあらゆる非合法な方法で、 シンハラ人への復讐を始めます。

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1983年 政府軍とLTTEの全面的な戦闘状態へと突入します。
これらにより、両者の対立は深刻となり、以後、内戦が始まってゆきます。

1987年 LTTEが、ついに独立宣言し、首都コロンボで爆弾テロを起こします。

この時インドが平和維持軍(IPKF)をスリランカに派遣し、
LTTEとの仲介に乗り出しました。
しかし、事態の改善には至らないまま、1990年に撤退することになります。
政府軍とタミル人武装組織との間で激戦が再開しました。

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2002年2月、中東和平などで仲介外交の実績を持っていた
ノルウェーが仲介に入ったことで、一時的に停戦合意が成立します。
その背景には、2001年の米国同時多発テロ事件(9.11)以降、
国際社会が足並みを揃えて取り組んできたテロとの闘いがありました。

しかしその後和平に進展は見られず、停戦合意違反が恒常化しました。
2006年 再び戦闘が激化して停戦合意は事実上崩壊します。

そして、絶望的な「エンディング」をむかえるのです。



・・・・・最後の決戦・・・・・

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2009年シンハラ人政府は、LTTEとの停戦を破棄し、
LTTEへ猛攻撃し、LTTEの本拠地の町ムライティブを攻略します。

LTTEは、ムライティブ近くの海岸の一角に逃げ込み、
民間人20万人を、「人間の盾」にして立てこもりました。
シンハラ人政府は、盾にしていた民間人ごと殲滅します。

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LTTEは、「敗北宣言」をし、「武器を置く」と声明を出し、
「民間人も、すべて解放した」と言いました。

しかし、シンハラ人政府は攻撃をやめず、続けました。

この時、民間人の巻き添えを懸念する国連は シンハラ人政府に、
攻撃の自粛を求めましたが、これを聞き入れず、いっそう攻勢を強めたのです。

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戦争や内戦の最中でも、民間人の人権蹂躙(じんけんじゅうりん)を監視する
役目をもつ 赤十字国際委員会(ICRC)も、 この内戦のあまりの攻撃のひどさに、
現場からやむなく撤退することとなります。

国際人権団体のNGOたちも、 シンハラ人政府とLTTEの双方が、
戦争犯罪および重大な人権侵害をおこしている可能性があると指摘したのです。

このように、国連や国際機関、NGOから大きな批判を受けました。

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2009年5月逃げ出そうとした、プラブハカラン議長ら、LTTE幹部を政府軍が射殺。
跡継ぎの長男も、射殺。
シンハラ人政府は、殺害したプラブハカランの映像を防衛省のホームページで
公開し、完全に勝利したことを宣言しました。

これにより、約25年におよんだ内戦が最悪の形で終結したのです。

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内戦終結後.....

スリランカ政府(シンハラ人政府)は、この内戦により避難民となった人たちを
事実上全員強制収容所に閉じ込め、権利と移動の自由を違法に奪います。
その中で大多数が収容されているのは「マニック・ファーム(Manik Farm)」
と呼ばれる巨大な収容キャンプです。

これに対し、ヒューマン・ライツ・ウォッチは日本・米国・EU加盟国などの
国際的ドナー(資金提供)国に、国内避難民を拘束し続ければ、国際社会と
スリランカの関係に重大な結果を及ぼす、という明確なメッセージを
スリランカ政府に伝えるよう求めました。



あなたの大切なものは何ですか?
「自分の国の平和です。」

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26年間で7万人以上の犠牲者を出したシンハラ人とタミル人の対立。
内戦終結後、現在シンハラ人にはタミル語を、タミル人にはシンハラ語を
第2言語として学ばせるようにするなど、少しづつ溝を埋める努力がなされています。



この内戦が生んだいくつかの問題をみていきましょう。


内戦中の1991年 おそらく、世界で初めての、自爆テロがありました。
LTTEは、2年前のインドからの攻撃に対し、
元インド首相の、ラジーヴ・ガンディーを、「女性の自爆テロ」で殺害します。
世界で初めて「自爆テロ」を行ったのは、イスラム教徒ではなく
スリランカの、ヒンドゥー教徒の、タミル人ということです。








あなたの大切なものは何ですか?
「子を愛することです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 00501_RJ_a.jpg SriLanka2004Draw_085_Nuwanti_a.jpg)




1991年頃から、LTTEは、村の子どもを連行又は誘拐し、
子ども兵を大量に作ってゆくことを行いました。
連行された子どもたちは、イデオロギー教育(いわゆる、洗脳)を受け、
シンハラ人を殺すことをなんとも思わなくなり、
かつ、自爆テロなども、いとわぬ「生きた兵器」となっていったのです。

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(実際に子ども兵だった少年たちです。)

2003年からのユニセフの調査によると子ども兵は6000人とされていますが、
この中に戦闘によって命を奪われた子ども兵の数は含まれていません。

一家庭から一人の子どもを招集するというル−ルがありました。
強制的に徴兵された子ども達は、LTTEの訓練キャンプにおいて毎日朝4時半から
夜遅くまで、徹底的なイデオロギー教育を受けます。
そのうちに、子ども達は自分自身をタミル人のための「自由の戦士」と
考えるようになり、自爆もいとわない戦闘員になっていきます。

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訓練キャンプを卒業する際には、自決用の青酸カリが支給されるのです。
そして、今度は自分が子ども達を兵士に勧誘する立場になります。
未成年者の徴兵は、タミル人内部でも批判の声があり、1990年代から子どもを
取られた両親や人権擁護組織は、子ども達の返還を要求し始めました。

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(実際に子ども兵だった少女たちです。)

子ども兵の問題は、スリランカだけではなく世界各国で存在しています。
特にアフリカ大陸内で多く、これまで国連などによって報告されただけでも、
シエラレオネ、ブルンジ、スーダン、ジンバブエ、ソマリアなど複数の国で存在しています。

なぜ軍隊子ども兵を雇うのでしょうか?
*未成年は大人と違って何も知らないので、命令に対して従順に従う。
*軍隊に入れられるような子どもは身寄りがないことも多いので、逃げ出すことが少ない。
*未成年を戦場に送り出すことで、相手に対して心理的ダメージを与えられる。
*相手をひるませることができる。

何とも酷い理由です。

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では撲滅のための国際的な取り組みはあるのでしょうか?

国際社会は当然ながら子ども兵の存在を問題視しています。
国際的に少年兵の問題について述べた法規にはジュネーブ条約があります。
ジュネーブ条約とは、紛争における非戦闘員の保護を目的として、
1864年以降に締結された諸条約のことです。

ジュネーブ条約の第一追加議定書、第77.2条によると「紛争の当事国は
15歳未満の児童を戦闘に参加させないよう、可能な措置を取らなくてはならない」とされています。

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しかし、ここで書かれている「可能な措置を取らなくてはならない」という言葉は弱く、
明確に「禁止する」と書かれていません。
これでは「やむを得ない場合は参加させてもいい」と解釈できます。

「児童の権利に関する条約」でも同様の記載がありますが、こちらも
「可能な措置を取らなくてはならない」と書かれているだけで、「禁止」とは言っていません。

子ども兵の問題に対する国際的な取り組みは、まだ弱い部分が多々あります。
しかし心身が未熟な状態で兵士として戦場に送られることは、
その後の人生に大きな悪影響を及ぼします。

子どもが兵士にならざるをえない状況は、世界からなくなるべきではないでしょうか。

ユニセフでは、元子ども兵士が社会復帰できるよう、職業訓練プログラムを行っています。

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内戦が続いた地区には、埋められたままになっている地雷の除去の課題が
残されています。
国土には60万個〜140万個もの地雷・不発弾が残っていると推定され、
地雷事故が後を絶ちません。
地雷被害者などの障害者は自力で移動することが難しいため、
怪我が治っても仕事に就けないなど、一層苦しい生活をおくることになります。

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対人地雷は、一度埋設されると半永久的に効力を保ち続け、紛争終結後も
一般市民に被害を及ぼすことから「悪魔の兵器」とも呼ばれる、
非人道的な兵器です。
世界では、数千万個ともいわれる地雷が、今日も人々を脅かしています。

地雷は「悪魔の兵器」と呼ばれる、その恐ろしさは三つあります。
1)残虐性。殺すのが目的ではなく手足を破壊し身体的障害者を産むのが目的。
国家と家族に経済的負担を与える。
2)無差別性。兵士だけでなく民間人・女性・子どもも被害に遭う。
3)残存性。戦争が終わった後も半永久的に獲物を待ち構え続ける。

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対人地雷は、世界各地で紛争が起きるたびに、大量に埋設されてきました。
その多くは平和が訪れたあとも半永久的に爆発力を保ち、日常生活を送る
一般市民や野原で遊ぶ子どもたちなどの被害者を生み出しています。

この悲惨な状況の解決をめざして、1999年に発効したのがオタワ条約です。
この条約は対人地雷の使用・貯蔵・生産・移譲などを全面禁止するもので、
日本を含む150カ国以上が署名しました。対人地雷廃絶の機運は、
今や日本を含む世界に広がっているのです。

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日本政府は、国内避難民の再定住に向けた緊急人道支援と
地雷除去支援を実施してきています。
日本政府は2009年に、国際NGOを通した地雷除去支援として
4件総額約2.9億円の支援を実施しました。

NPO法人 難民を助ける会は、障害者が社会に参加していけるよう、
車イスや松葉杖など補助具の支援を開始しました。
2009年8月より、現地のNGOであるモチベーション・チャリタブル・トラスト・スリランカ
とスリランカ障害者リハビリテーション財団(SLFRD)と協力し、北部ワウニア県の
国内避難民キャンプと車イス等の必要な補助具を届けています。

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UNHCR(2008年)によると、世界でスリランカの難民の数は第10位の65万人とされています。

最終局面で激化した内戦によって、約28万人ものタミル人らが国内避難民
となり、避難民キャンプでの生活を余儀なくされました。
終結後1年を経過しても、避難キャンプに収容され続けた人々は、
5万人を超えました。内戦で荒れ果てた土地に戻された人々は生活の再建
のみならず、傷ついた心や民族間の融和までには、多くの時間がかかるはずです。

国内外含めた難民の再定住が今後の最重要課題となります。

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日本政府は2009年5月、400万ドルを上限としたテントや、水等の供与といった
緊急無償資金協力を行いました。

またユニセフは、避難してきた人々の多くの緊急のニーズに応える支援活動を
行いました。家族と離れ離れになった子どもたちの保護や、
紛争による影響を受けた子どもたちのための心理的な支援も行っています。



・・・・・・・・・・・



『憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む』
というブッダの言葉があります。

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第二次世界大戦中スリランカは連合国の主要地点として、
何千にも及ぶイギリス・アメリカの兵士が駐留していたのです。
そのため1942年4月、日本海軍が、ベンガル湾を越えて、
スリランカのコロンボ北部とトリンコマリー湾とを爆撃しました。

そして日本が第二次世界大戦に負け、1951年にサンフランシスコ講和条約締結後、
世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのはスリランカでした。
後に初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナは、日本に対して、連合国側
から分割統治などの強硬案が出される中で、対日賠償請求権を放棄をしたのです。

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「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。
我々は仏教徒である。
やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、
いつまでたっても戦争は終わらない。
憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、
戦争が止んで、元の平和になる。
戦争は過去の歴史である。
もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」

この発言が大きな要因となって日本は完全な主権を取り戻すことができたのです。



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このような歴史を経て、今後、スリランカはどのような道をたどっていくのでしょうか。

この演説にあったように、スリランカの人々が思うそれぞれの大切なものを忘れずに...





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
石井洋子(2006年6月)
矢野弘明(2011年3月)
澤田 輪香子(2011年8月)
山本敏晴(2004年11月)

画像データを編集し、文章を書いた人:
澤田 輪香子

編集完了日:
2011年9月29日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 16:50| 日記

パプアニューギニア Papua New Guinea

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パプアニューギニアは、オーストラリアの北方に位置し、グリーンランドに次いで世界で2番目に大きいニューギニア島の東半分と、その周辺の島々によって構成されています。
1975年に独立した新しい国で、旧宗主国のオーストラリアとは今も強い結びつきをもちます。

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日本の約1.2倍の面積の国土の中に約670万人の人口を抱え、面積・人口とも太平洋に点在する22カ国の中で最大です。
また、天然資源を豊富に有することを背景に著しい経済成長をとげ、太平洋地域内で強い発言権をもちます。


「私に大切なものはお祈りをすることです」

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国家元首はイギリス女王で、国教はキリスト教、公用語は英語です。
国民の約95%がキリスト教徒ですが、独自の精霊を信仰する部族もいます。
公用語の英語とともに、約800もの部族がそれぞれ独自の言語を使用するため、世界で最も多くの言語が用いられている国と言われています。
ただ、同じ言語を話す人はたいてい20〜100人程度にすぎず、世界で最も多くの言語が失われようとしている国でもあります。

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同じ言語を用いる集団のことを『ワントク(英語のone talkに由来)』といい、ワントク内で家族のように助け合う慣習があります。
ただ、ワントクの絆が強すぎるため、ワントク外で衝突したり、現代的なビジネスが通用しにくいという側面もあります。

・・・

「私の大切なものは古くから伝わる伝統です」

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パプアニューギニア人の祖先は、約5万年前の氷河期に、東南アジアから島伝いにやってきたメラネシア人と考えられています。
その一部はオーストラリアに渡ってアボリジニになったため、アボリジニに似ています。

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彼らは、7000年以上前から農業を営んでいたことがわかっており、一部の部族は近代文明に染まらずにいまも当時と変わらぬ農業を営んでいます。
また、約5000年前から貝殻を貨幣として用いていたことがわかっており、これが世界で最古の貝貨であると考えられています。
一部の地域では今でも貝貨が使用されています。

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長い間、現地人は石器時代さながらの生活をしていましたが、16世紀に大航海時代を迎えると、西欧諸国がパプアニューギニアに進出しはじめました。
以後、パプアニューギニアは、イギリス・ドイツから占領されたり、オーストラリアから施政を受けたりと、諸外国によって翻弄され続けました。


「私は戦争のない世の中を望みます。戦争だけは本当にやめてください」

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1975年にオーストラリアから独立した後も平穏ではありません。
パプアニューギニアの東端に位置するブーゲンビル島には、世界最大級の銅山があり、オーストラリアの企業が銅山を採掘していました。
しかし、銅山の採掘によって水質汚染などの深刻な環境問題がもたらされたため、1988年、島民たちは反政府組織を結成し、銅山の閉鎖とブーゲンビル島の分離独立を求めて内戦を起こしました。
この内戦は泥沼化の様相を呈しましたが、1998年にニュージーランドの仲介で停戦合意し、2001年には和平協定が結ばれました。
そして、2005年には、国際選挙監視団が監視する選挙によってブーゲンビル自治政府が誕生しました。

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日本政府は、このときの選挙に監視要員を派遣し、『草の根・人間の安全保障無償資金協力』を通じて選挙に必要な資金を援助しました。
今後、ブーゲンビル島が自治州としてパプアニューギニアに残るか、独立するかは、2015〜2020年の間に実施される住民投票によって決まる予定です。

・・・

「私はお父さんが大切です。お父さんはあらゆるものを所有しています」

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パプアニューギニアの経済は、都市部の近代的な貨幣経済と、農村部の自給自足経済との二重構造をとります。
中央山間部は外界から隔絶されており、なかには1960年代になってはじめて近代文明と接触した部族もいます。
彼らの一部は今でも伝統的な暮らしをしているため、パプアニューギニアは『地球最後の秘境』とも呼ばれています。


「私の大切なものは飛行機です」

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近年の近代文明との接触はパプアニューギニア人の暮らしを一変させました。
この結果、白人たちを神様と考え、神様が文明製品を積んで届けてくれているものと信じて期待する『カーゴ・カルト(積荷信仰)』という宗教運動が起きました。
人々の価値観が大きく揺らいだのです。


「私は争いのない平和な世を望みます。」

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しかしながら、近代化がもたらしたものは良いことばかりではありません。
農村部で人口爆発が起きると、農村部に住む人がより安定した仕事を求めて都市部に移住する流れができます。
ところが、都市部にも仕事はなく、都市部に移住した人の大半が失業者となってしまうのです。
この結果、都市部では『ラスカル』と呼ばれる武装強盗集団が跋扈(ばっこ)し、窃盗やレイプ、強盗殺人などの犯罪が横行するようになりました。
実際、パプアニューギニアで子どもたちの絵を集めてくれた青年海外協力隊の方もハードディスクドライブを盗まれてしまいました。
また、パプアニューギニアに派遣された女性の青年海外協力隊員がレイプされたこともあります。
このように都市部の治安が悪いため、外国からの投資が進まず、経済が悪化し、これがさらに治安を悪化させるという悪循環を生み出しました。

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ラスカルの多くは、農村部から都市部のセトルメントと呼ばれる居住地区に移住してきた10代から20代の若者から構成されていると言われています。
そこで、日本政府はセトルメントの住環境を改善するとともに、セトルメントに住む若者に職業訓練をしました。
また、国際連合人間居住計画(国連ハビタット)は、首都ポートモレスビーでの犯罪の原因を分析するとともに、犯罪防止活動や現在実施中の活動の評価を含めてデータベース化しました。

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最近では、金 ・銅・石油・天然ガスなどの資源開発が進むようになりました。
特に、アメリカのエクソンモービルや新日本石油開発株式会社などが参加する大規模な液化天然ガスプロジェクトが順調に進めば、2014年にはパプアニューギニアの輸出収入は約3倍に増加するとみられています。
外国からの投資によって資源開発が進むにつれ、経済状態もよくなって、治安も改善されつつあります。

・・・

「わたしは平和が大切です。両親がけんかをするのをもう見たくありません」

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パプアニューギニアでは、女性の地位は非常に低いです。
部族社会の多くは家父長制で、女性を所有物とみなす風潮が根強く存在するからです。
多くの女性は過度の労働や栄養失調、暴力などの危機にさらされています。
これは、男性の平均寿命よりも、女性の平均寿命の方が短いことからもうかがえます。


「わたしはお医者さんが大切だと思います」

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このような惨状にさらに追い打ちをかけるのがエイズの問題です。
パプアニューギニアは、太平洋地域で最もエイズが蔓延している国なのです。
特に、仕事を求めて農村部から都市部のセトルメントに移住してきた女性たちの場合、夫から感染する他、レイプによって感染してしまうこともあります。

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こうした事情を受けて、世界保健機関(WHO)および国連児童基金(UNICEF)は、セトルメントに住む女性たちにHIVが母乳を通じて感染することを教え、また医療従事者に対してもエイズに関する基礎的な知識をさずけるなど、エイズを予防するためのプロジェクトを実施しました。
このプロジェクトに対して、日本および国連も、日本主導で国連に設置した『人間の安全保障基金』を通じて約3億円の支援を行いました。

・・・

「私は学校が大切です」

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パプアニューギニアの総就学率は東アジアと太平洋地域内で最低です。
これは、地域によっては学校が不足し、また部族抗争があるなど、大きな地域差があることが原因です。
特に、女の子の場合は、早くに結婚する場合もあり、また、家族から支援が受けられないこともあって、教育を受ける機会はさらに少なくなります。

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そこで、国連児童基金(UNICEF)はパプアニューギニア政府に対して女子教育を推進するよう政策を提言しました。
これを受けて、パプアニューギニア政府は女子教育を推進するキャンペーンを全国で展開し、また娘を学校に通わせるよう親たちを説得する活動をしました。
こうした活動により、特に農村部の女の子の就学率が上がりました。
パプアニューギニア政府は大胆な教育改革を実施しており、これからの動向に注目が集まります。

・・・

「わたしの大切なものは、パプアニューギニアが誇る極楽鳥です。」

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パプアニューギニアには、アマゾン、コンゴに次いで世界で3番目に大きい、パラダイスフォレストと呼ばれる熱帯雨林があります。
そこには地球上の5%の生物種が生息し、鳥だけでも90種の固有種が生息するなど固有種も豊富に生息しています。
特に、国鳥でもある極楽鳥は、世界に43種類あるうちの38種類がパプアニューギニアに生息しています。


「私の大切なものは木です。木は酸素をつくるし、果物もとれるし、紙や木材にもなります。生活に必要なもの全てを木がつくりだします」

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伝統的な暮らしを営む部族にとっては、パラダイスフォレストは、生活をしていくうえでなくてはならないものです。
しかし、このパラダイスフォレストが急速に消失しつつあります。
2002年までの30年の間に、全森林面積の15%が消失し、約9%が劣化したことが明らかになっています。

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国際環境NGOグリーンピースは、こうした所行の大部分がマレーシア系木材会社による違法伐採によるものであり、しかも原住民に対する暴力などの深刻な人権侵害を伴っていると非難しています。
日本はパプアニューギニアから木材を輸入しているので、対岸の火事ではありません。


「私の大切なものは自然です」

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パラダイスフォレストが失われると生物多様性が失われるだけでなく、気候変動などの地球規模の環境問題をひきおこすと考えられます。
そこで、パプアニューギニア政府は機材を整備して森林資源情報を把握・解析し、森林を保全する計画をたてています。
日本政府はこの計画に対して7億円の無償資金協力を行うことを決定しました。


「私の大切なものは家族と自然です」

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コスモ石油は、農村部における人口の増加や急速な近代化によって焼畑農業が森林の治癒力を超えるスピードで進んでいることに危機感を抱き、焼畑農業をせずとも安定した食料供給や現金収入が得られるよう、定置型有機農業の技術指導と普及活動、地場産業の育成に取り組んでいます。

・・・

「私の大切なものは時間です」

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第二次世界大戦時、日本軍はニューギニア島およびその周辺の島々を含めて30万人もの将兵を送り出し、アメリカやオーストラリアなどの連合軍と戦火を交えました。
日本軍はパプアニューギニアの首都ポートモレスビーなどを攻略しようとしましたが、いずれも失敗し、補給路が断たれてからは多くの兵士が飢えやマラリアなどの病気のために亡くなりました。
ニューギニアから生還した兵士は約1割にすぎず、このときの様相は「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われるほど凄惨でした。
マンガ家の水木しげる氏も従軍しており、後に『総員玉砕せよ!』などの作品で当時の体験を記しています。

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このような歴史があるにもかかわらず、パプアニューギニア人たちの多くは親日的です。
2011年3月11日に、東日本大震災が起きた後、首都ポートモレスビーの高校生や教員らは、現地の日本人会とともに、英語・現地語・日本語で「がんばれ日本」と書かれたTシャツを売ったり募金活動をするなどして約350万円の義援金を集めました。
「いつも助けてくれる日本へ恩返し」だそうです。

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・・・

急速な近代化によってパプアニューギニアの人々の暮らしは便利になりました。
しかしその一方で、自然破壊、人口爆発、都市部への人口集中、所得格差の増大、失業、治安の悪化、エイズの蔓延など、新たな問題も生じました。
これらの問題は、近代化によってどの国にもあらわれますが、パプアニューギニアの場合は特に近代化が急だったため顕著にあらわれたのでしょう。
近代社会に対して警鐘を鳴らしているように感じます。
私達も今の社会のあり方を見直すべきなのかもしれませんね。

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・・・
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絵と写真を集めた人:
小柳勝(青年海外協力隊)

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年9月19日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 14:43| 日記

イタリア Italy



「私の大切なものは、『美しい国』です。

自然は神さまが、街や歴史は人間が作りました。」


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イタリアは、半島といくつかの島から成ります。
古くは、ヨーロッパ大陸の交通の要所として発展しました。

また、芸術やファッション、哲学などが生まれ
世界に発信されていきました。


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その一方で
かつて政界や財界を動かしたマフィアの末裔が
今でも息をひそめています。

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華やかな文化と、黒い脅威を併せ持つ
この国に魅了される人は多く、
物語や映画の題材になることもしばしばです。


例えば、映画監督の宮崎駿がその一人です。

『紅の豚』(日本、1992年)は、
第一次世界大戦後のイタリア アドリア海を舞台にしています。

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イタリアの風景や文化を求めて、
世界中から観光客がやって来ます。

それは同時に、街や自然が汚され
その美しさを失うことを意味します。

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これに対し、現地 NGO Legambiente は
湖岸清掃や、自然・文化遺産の保全に関するスタディ・ツアーを
行っています。

日本の NGO NICE は、NGO Legambiente の
活動に参加できるツアーを企画しています。


また、ICCROM
(International Centre for the Study of
the Preservation and Restoration of Cultural Property)
が国連専門機関として、ローマに設置されており、
文化財の保存と修復に関する研究が行われています。






「私の大切なものは、『人と人の間の平等』です。

世界には様々な民族がありますが、
そのあいだに優劣は無いはずです。」


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イタリア政府は『人道ミッション』として、
予算から500万ユーロをチュニジア難民支援に充てています。

人道ミッションとは、まず難民に対して食料支援・医療支援を行い、
中長期的には本国帰還を目標にしています。
この計画は今後、リビア難民に対しても行うそうです。


しかし、イタリアに流入した難民の数が既に
施設の収容可能数を上回っていると言われています。

このような政府主導の難民受け入れ対策に限らず、
近年では、中東や北アフリカからの移民がイタリアに流れ込んでいます。






「私の大切なものは、『団結力』です。

なぜなら、団結力は世界を一つにするからです。」

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「移民に雇用機会や住居が奪われるのではないか。」
との不安から、イタリア国民のあいだでは
保守傾向に走る風潮が見られます。


例えば、イスラム教徒の女性が
かぶらなければならないとされている、
ブルカ禁止法の法令化です。

フランスでは既に施行されており、
イタリアでも2011年内に制定される可能性が高いです。

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ブルカ禁止法は、イスラムの女性を身体的に解放するのは確かです。

しかし、行き過ぎとも言える保守主義の下で
イスラムの人々は本当に自由なのでしょうか。





「私の大切なものは、『豊かさ』です。

豊かになれば、フェラーリやトヨタに乗れます。」

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イタリア南部は、北部に対して工業化が遅れているため
経済格差が生じています。

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これについて、
かつてはそれぞれの都市国家だったという意識が
地域産業とマフィアの癒着を許し、大企業の進出を妨げている
という見解もあります。


このような内需中心の経済に加え
ユーロ危機がイタリアの財政を圧迫しています。

債務が膨らむユーロ圏に対し、
日本政府は、ユーロ圏債権を購入することを決めました。





「私の大切なものは、『繋がり』です。

人は誰かと繋がることで、互いを高めあうことが出来ます。」

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もし、日本でIP電話や携帯電話の回線が
数分でも途絶えたら、大パニックに陥るでしょう。

しかし、電話が繋がらないことに
イタリア国民は慣れています。

接続が数時間切れたり、電話回線が混線することも
珍しくありません。







「私の大切なものは、『信頼』です。

信頼は、繋がりを密にします。」

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イタリアでは電話だけでなく、
郵便や交通機関なども遅延や停滞が茶飯事です。

このような、人や情報の流れが滞りがちの社会に
大企業の信頼は低く、産業の国外流出を招き、
ますます経済のグローバル化が遅れます。





「私の大切なものは、『自由』です。

世界の人々が、麻薬や戦争から解放されて
イルカのように自由でありますように!」

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イタリアンマフィアによる経済活動は、
年間約1300億ユーロ(約15兆8600億円)を
計上するとも言われています。


彼らによって流通した麻薬や覚せい剤は
イタリア社会に深く根を張っています。

2004年の政府の調査によると
イタリア人の3人に1人は、
15〜19歳のあいだに
麻薬を1度は経験すると言います。

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また、マフィアが公共事業に介入することもあり
企業の成長を阻む一因であるとも考えられます。






「私の大切なものは、『平和』です。

戦争が人間を全体主義や、暴力に駆り立てます。
平和は人間を、それらから解放します。」

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イタリアは、ドイツや日本と同様に、
第二次世界大戦の枢軸国であり、敗戦国です。

我々は、戦争の罪と虚しさを
後世に伝える役割を共に背負っているのではないでしょうか。


今度は平和のために、日本とイタリアは
グローバル・パートナーとなるべきなのです。


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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
山本 敏晴 (2005年11月 )

イタリア語の翻訳をした人:
藤野 沙優

画像データを編集し文章を書いた人:
小野 明日美

編集完了日:
2011年9月17日

監修・校正:
山本 敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 13:20| 日記

2011年09月14日

セントルシア Saint Lucia


セントルシア Saint Lucia


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セントルシアはカリブ海の東に浮かぶ熱帯の島国です。
大きさは淡路島くらいで、15万人ほどの人々が暮らしています。



国旗にある三角形はセントルシア島を、
青色は大西洋とカリブ海を表します。

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黒色と白色は黒人と白人が協力し合おうということを意味し、
黄色は太陽と国土を象徴しています。


国を象徴するものの一つに、
海岸部にピトン山と呼ばれる双子の火山があります。
正式名は「ピトン管理地域」で、
2004年には世界遺産として登録されました。




セントルシアはイギリスから1979年に独立。
日本はこれを同年3月9日に承認しました。

しかし、イギリス連邦の一員であることから
国王は英国王のエリザベス2世です。


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公用語は英語です。
かつてはフランスがセントルシアを占領していたこともあり
フランス語系パトワ語を話せる者も多く存在します。



学校の授業は、(当たり前ですが)英語で行われています。

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日本が6・3・3制であるのに対し、
セントルシアでは7・10・5制と
かなり教育に熱を入れていることが伺えます

(義務教育期間は5歳から15歳となっています。)



「私の大切なものは 教育 です。
  勉強できることが、とても嬉しい!」



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途上国では珍しく、8割以上の子どもたちが就学します。
さらに、小学校では学区がないことから空きのスペースがあれば
セントルシア内のどこの学校へ通っても良いのです。

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教育に関する問題はないかのように思えますが・・

中学校への入学はとても厳しく
試験に合格しなければ入学することが出来ません。

合格することが出来なかった子どもたちは
中学校にいけなくなってしまうという事態が生じています。


では子どもを含めた社会的弱者(貧しい人など)に対するサービスは
どうなっているのでしょうか。

結論から言うとあまりサービスが行き届いていません。


@生まれつき、事故などにより障がいを持った人々が
社会に復帰するための手助けをする人がいない

Aセントルシアは世界で最も疾病率が高いと言われる
糖尿病の予防対策が打たれていない

B国民の肥満度が高い

などどいう問題があります。


「私の大切なものは 友達 です。
 どんな時も助けてくれるから!」



(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 CIMG3638_e.jpg CIMG3567_e.jpg)





社会的弱者へのサービスが行き届いてないという問題点から
青年海外協力隊(JOCV)は
セントルシアの社会的弱者を支援する人材を育成、
また若年層・農村女性が観光業からの利益を受けられるための
収入向上サービスを2010年度に実施しました。
このサービスは2012年度まで続くそうです。



1997年そして2001年共に、
同じ男の人が首相となりました。

彼は経済成長を順調に進めたものの、
自らの地位を利用し個人的利益追求をしているといった疑いや
治安の悪化
そしてセントルシアにとって重要な農業を警視してきたのではないか
という国民の不満が募り爆発しました。


その後の2006年に行われた選挙で、新たな首相が誕生。


彼は、農業・観光・軽工業の育成を掲げていたことが大きなポイントとなり、
首相になれたのではないかと思います。

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しかし、残念なことに就任してわずか1年後、
亡くなってしまいました・・

彼の代わりに首相となったのがキング前保健相(日本の厚生労働相)です。

2007年末に行われた選挙でもキングが政権を勝ち取りました。
彼による国の運営は2011年現在も順調に行われています。



セントルシアは国内伝統産品のバナナ輸出を中心とする農業と
観光に大きく依存していました。

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しかし80年代中ごろから色々なことをしてみよう
といった経済作りが始まり、
セントルシアではあまり伝統的ではない物の生産や畜産業に力を入れ
ています。



「僕の大切なものはピトン山!
  いろんな国の人が来てくれるから!」



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最近、セントルシアの近くにあるカリブ諸国や他のビーチリゾートとの
競争が激しくなってしまったため、
力を入れている観光部門における収入は伸び悩んでいます。

また、セントルシアは外資ホテルが多く、
ホテルの大事な管理職は外国人が乗っ取っていて
セントルシア人はメイドやウェイターなどの低収入の職に就いています。


オックスファムでは、セントルシアのような途上国の生産者グループなどが
企業活動により貧困を解決することを目的にし、
無償もしくはローンでの資金提供・技術アドバイス・ビジネストレーニングを
提供しています。
セントルシアでは野菜生産と卸売りのサポートをしたようです。


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2010年にハリケーン「トーマス」により
大きな被害をセントルシアは受けました。


主要輸出品であるバナナ栽培が壊滅、
全土で断水、
建物の倒壊、
被害者数は2万名以上と深刻な事態が起きました。



「私の大切なものは 家 です。
  ハリケーンの時に守ってくれたから!」



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日本はハリケーンによる被害に対し、
800万円相当及び700万円ほどの発電機や浄水器などの緊急支援物資を
提供しました。


特定非営利法人ライフフォーラムジャパンでは
セントルシアで被害が起きている中、敢えてハイチへ支援をしようと

『国が困難な状況にあるからこそ、より悲惨な立場のハイチの人々を
支援するプロジェクトを行うことが、自分の国を救うことにもなる』

というプロジェクトを提案し、進めている最中です。



セントルシアには、そのほかにも環境問題があります。

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日本のようにゴミを分別しないことや
ゴミ収集車が来ない日にも限らず、どんどんゴミを捨てていっています。
(ペットボトルだけは分別するのだとか。。)


このような事態が永続的に行われた場合、
観光地として成り立たなくなってしまうかもしれません。




リゾート地として有名で、
多くの有名人が足を運ぶセントルシア。

2010年のハリケーンの被害は、相当なものでした。
現在、日本が震災問題で苦しんでいるように、
セントルシアの人々も未だに災害の影響により苦しんでいます。

自然災害というものを食い止めるのは難しくとも、
安全対策を進めれば
もっと多くの人がセントルシアを訪れるようになるでしょう。

そのためにも国と国とが
助け合い知恵を広めていくことが大事だと思います。

住みやすい世界になるといいですね

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
田中麻紀子(青年海外協力隊)

画像データを編集し、文章を書いた人:
寺町華子

編集完了日:
2011年9月28日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 18:09| 日記

2011年09月13日

チュニジア Tunisia


チュニジア共和国は、
アフリカ大陸で最も北に位置する国です。
北には地中海、南にはサハラ砂漠が広がります。

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国の大きさは日本の半分より少し小さいくらいで、
人口は約1000万人、日本の10分の1です。

『アフリカ』という名の由来はチュニジアにあるといわれています。

3000年の歴史をもち、
イスラム文化と地中海文化の交わったこの国は、
世界遺産などの観光業や、
小麦、オリーブ、なつめやしなどの
農業によって栄えています。

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国民のほとんどがアラブ人です。

国が定めた宗教はイスラム教ですが、
決まりはゆるやかです。

多くのイスラム教国家にみられる一夫多妻制は禁止され、
服装に関しても寛容です。

チュニジアの教育レベルは高く、
女性の社会進出が進んでいます。

1年間の収入は、
アフリカ大陸における平均額の3倍近くあります。

多くの分野において水準が高く、
『アフリカの優等生』と呼ばれています。


そのチュニジアが今、激動の中にいます。
どのようなことが起こっているのでしょうか。



・・・


フェニキア人が移住したこの土地は、
紀元前9世紀に、都市国家のカルタゴ国がつくられ、
地中海貿易によって栄えました。

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カルタゴの遺跡は現在、世界遺産に登録されています。

紀元前2世紀に古代ローマの支配により、
キリスト教が伝わりましたが、
7世紀にはアラブ人によりイスラム教国家に変わりました。

16世紀に多民族国家であるオスマン帝国の領土となりました。

オスマン帝国の国旗
125px-Ottoman_Flag_svg.png
(ウィキペディア フリー百科事典より)

(オスマン帝国の国旗が、現在あるチュニジア国旗の元です)

チュニジアの国旗
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(外務省ホームページより)



19世紀、
ヨーロッパで、アフリカを植民地にしたい国々が
会議を行いました。
これを「ベルリン会議(欧州によるアフリカ分割会議)」といいます。

この時に
チュニジアを支配する権利を得たフランスの統治が続いた後、
1956年に独立しました。

翌年には王が行う統治から大統領制へと移行し、
チュニジア共和国が誕生しました。

ブルギーバ大統領は建国当初、社会主義政策を行いましたが、
その後、自由主義政策へと改めました。

1987年にベン・アリ大統領が就任し、
20年以上に及ぶ長期政権が行われました。




・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「しっかりと勉強をすることです。」

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一般には、アフリカでは、
石油、石炭、天然ガスをはじめ、
様々な資源が豊富に存在する大陸として、世界の注目を集めています。

ところが、
チュニジアは、国土が狭く、
石油などの資源が、あまりとれません。

そのチュニジアにおいて、人々が頼っていたのが、
『リン鉱石』を採掘できることでした。

リン鉱石は鉱物の一種で、
リン酸肥料をつくることができます。

リン酸肥料は、
農業における肥料の中で三大要素に含まれています。

(現在、世界では人口が急増しており、
 農業生産を増やすことが必須とされています。
 そのためには、リン酸肥料をはじめとする化学肥料を、
 今後も安定して生産していくことが必要なのです。)

ところが、
原料となるリン鉱石が、限られた国でしか採れません。

チュニジアは、そうした貴重なリン鉱石が採れる
数少ない国であったため、、
リン鉱石産業はチュニジアの発展に役立ってきました。

しかし、
最近、チュニジアのリン鉱石は枯渇してかかっており、
このため、経済発展が難しくなってきています。


物質としての資源で他の国と競うことが難しいため、
国家を成長させるためには、
チュニジア独自の良いところを見つけて、
それを伸ばす必要がありました。


そこで政府は、『教育』によって人を育て
人材としての資源に力を入れることにしました。

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1989年に教育改革を行い、
多くの子どもが無償で教育を受けられる環境を整えました。

国の予算の20%を教育分野に割き(日本の教育予算は7%です)、

6歳〜16歳の子どもは男女問わず、
無料で義務教育を受けることができるようになりました。

小学校の就学率は95%以上といわれています。

さらに、試験に合格すれば大学の教育も
無償で受けることができます。

この結果、チュニジアの教育水準は
アラブ諸国の中で最高レベルに達しました。


これにより、女性の社会進出も非常に進んでいます。

大学生の半数以上、小中学校や大学の教育者はほぼ半数、
医師や弁護士は30%を越え、議員も約20%が女性です。

一般に、男性が優位となっているイスラム教国家の中で、
男女を等しく重んじようとするチュニジアの姿は、
今までにない新しい時代を感じさせます。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「家族と一緒に、おいしい食事をとることです。」

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チュニジアでは、近年食料の値段が急激に上がっています。
穀物、肉、野菜、水、さまざまな品目が値上がりしています。
2倍の価格になってしまったものもあります。


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食料価格の高騰は、世界的に深刻な問題です。

2008年ごろから
価格が急激に上がりはじめました。

高騰の理由は、主に以下のことが挙げられます。

1.地球の気候変動により、降水量が減ったこと

2.世界全体における人口増加と、各国単位での人口増加により、
  食料の消費量が増えたこと

3.原油価格の上昇により、食料の輸送費用が上がったこと

4.石油などの化石燃料が枯渇(または価格高騰)してしまうため、
  トウモロコシ、サトウキビなどの穀物から(代わりとなる)
  『バイオ燃料』を作ろうとする動きが世界に広がっており、
  そのための農地を(投資家が世界中で)買占める動きがあること。

5.投資家が投機マネーによって利益を得るため、
  穀物の売買を繰り返したこと
  (投機マネーとは、投資家が資金を短期間に増やすために、
  取引の市場で売り買いされる数字上の金銭のことです)

6.世界で勢いのある経済成長をしている、新興5カ国(BRICS)の
  ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカにおいて、
  富裕層の人口が数倍に増えたため、牛肉の需要が高まったこと。
  (一般に、生活が豊かになると、
   人間は穀物食から肉食に変わる傾向があります。
   穀物をそのまま食べる場合に比べて、
   牛に穀物を食べさせ、牛肉にしてから、それを人間が食べる場合、
   5〜20倍の穀物の量が必要とされています。)

 こうした、さまざまな背景によって、
 世界中で穀物が不足し、その価格が高騰しているのです。

 この穀物価格の上昇は、次に述べるような
 深刻な問題を世界中で起こしています。
   



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「平和な世界です。
どの国の人も、幸せを感じられる世界になってほしいです。」

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チュニジアでは、2010年12月に『ジャスミン革命』が起き、
政権が崩壊しました。

(ジャスミンがチュニジアを象徴する花であることから
この名がつきました)

その原因は、以下です。

1.食料価格の高騰。一般の主婦などに政府に対する不満が蓄積。
2.高い失業率。急速な人口増加により若い世代の失業率が30%以上。
3.政権を担う側が利権を独占してきたこと。
4.それに対する国民の不安を政府がおさえきれなくなったこと。
  (軍が、政府を見捨てたため)

以上の結果、
市民の不満が爆発し、チュニジアの政府は崩壊しました。

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これまで、
23年間もの間、市民を弾圧してきた
ベン・アリ政権ですが、
今回の民主化を求める運動を受けて、
政権は崩壊しました。

『ジャスミン革命』をきっかけにして、
反政府組織によるデモが、
北アフリカから中東にかけての「アラブ世界」をはじめ、
それ以外の各国でも起こりました。

(アラブ世界では、これまで、
 ほとんど全ての国が、
 王族または軍出身者による『独裁』であることが
 一般的でした。
 ところが、その『常識』が変わろうとする動きが起こりました。)

この革命の嵐は『アラブの春』(または、中東の春)と呼ばれました。

チュニジアに続き、
エジプト、リビアでは、政権が崩壊しました。

さらに、
シリア、イエメンでも大きな市民運動が起こっており、
体制が崩壊する可能性があります。

そのほか、
バーレーン、アルジェリア、ヨルダン、サウジアラビア、中国でも
小規模な反政府デモが起こっています。

スーダン、ソマリアでは、
もともとあった内戦が、影響を受けて激化しています。


この世界的課題をうけて、
先進国と新興国が集まる『主要20ヶ国・地域(G20)』は
会議をもうけました。

G20には、
国際通貨基金(IMF)、世界銀行、
世界貿易機関(WTO)、国連食糧農業機関(FAO)
などの国際機関も協力しています。

このG20では、
世界中での反政府デモ活動の拡大を防ぐために、
1.食糧価格の高騰を抑え、
2.食糧の流通量を確保し、
3.農業生産を増大させていく、
ということで合意しました。


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「健康な身体です。」
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チュニジアの医療は進んでいるといわれています。

しかし、専門的な技術や手術が必要な患者に対しては、
未だ治療が行き届いていません。

医療を受けたくても受けられない患者がいます。


NPO法人日本口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)協会は、
患者の手術を無償で行なっています。

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口唇口蓋裂とは、
生まれつきの病気で、先天性障がいの一つです。

上唇や上顎に大きな裂け目が生じ、
重度の症状では、唇から鼻の穴まで一直線に裂けます。

チュニジアでは専門の医師が足りず、
多くの患者が治療を受けられませんでした。

命に関わる病気ではありませんが、
それゆえに、緊急を要する他の病気治療の方が優先されてしまうようです。

言語障害、歯列不正、耳の疾患などが生じやすく、
手術をしないまま成長すると、
根拠のない差別を受けてしまうこともあります。

この状況を知った協会は、毎年チュニジアへ向かい、
現地で10日間の診察や無料の手術、技術指導を行なっています。

これまでに300人を越える人々が手術を受けました。

10年以上にわたり協会が続けるこの活動は、
チュニジア国民から大変喜ばれました。

現在では、チュニジア国内に限らず近隣諸国からも
治療を求めて患者が集まっています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「雨です。雨が降れば、砂漠化も防ぐことができると思います。」

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チュニジアの南部には、世界最大の砂漠である
サハラ砂漠が存在します。

16世紀までは、国どうしの交わりや取引のために栄えましたが、
砂漠の規模が次第に大きくなり、森林や草原が砂漠へと変化し、
土地をのみ込む砂漠化が進んでいます。

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チュニジアと日本における政府と企業は、
この砂漠を利用して、産業を興す取り組みをはじめました。

三井造船株式会社と大成建設株式会社は、
新エネルギー・産業技術総合開発機構から依頼を受け、
砂漠地域に照りつける太陽熱を利用し、
『太陽熱発電』計画を始めました。

太陽光をパネル上で電気に変える『太陽光発電』とは異なり、
鏡により集めた太陽熱を原動力とした、
蒸気の力も用いる発電法です。

少ないエネルギーで高い発電力があり、
熱を貯めることで24時間の発電が可能です。

また、燃料が太陽熱であるため、
燃料費や導入費を含めて発電費用を減らすことができ、
二酸化炭素を出さずにすみます。

・・・

チュニジア政府は、
二酸化炭素を出さないクリーンな電力を
ヨーロッパに送りたいという願いがあります。

日本政府は、
日本では実現できなかった
『太陽熱発電』で事業を起こしたいという願いがあります。


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両国は、
世界のエネルギー問題に貢献したいという
共通の想いがあるのです。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
後山阿南

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年9月23日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

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2011年08月31日

マダガスカル Madagascar



マダガスカルはちょうどアジアとアフリカが交錯する地に存在する、
日本と同じ島国です。
世界で4番目に大きく、「大きな島」という愛称でも知られています。

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公用語はマダガスカル語とフランス語です。

なぜ公用語にフランス語が含まれているのか。
それは、
フランスにより植民地化されていた時代背景があるからだと言えるでしょう。

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(マダガスカルジャスミン)


宗教は主にキリスト教、イスラム教そして独自の伝統宗教を信仰しています。

人口の半分以上は稲作と牧畜などの農業を営んでいて、
コーヒーやバニラは重要な輸出品です。


「あなたの大切なものは何ですか?」

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「マダガスカルの自然と動物!」

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多くの人がマダガスカルと聞くとイメージするように、
マダガスカルでは他の国では見られないような
動物や植物が沢山存在します。


しかし
自然豊かで、動物がのびのびと暮らしてるように思えますが、
動植物が深刻な問題にぶつかっています。

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このような美しい緑が時期見られなくなるというのです。

年々、森林が焼き払われているため、
30年以内に森林が完全に消滅するという悪路を辿っています。

なんと植物の絶滅危惧種の最も多い国の一つに、
マダガスカルは位置づけられています。
既に90パーセントもの森林が消滅したと考えられています。



資生堂グループである『デクレオール』は、
エッセンシャルオイルを中心とした自然派スキンケアブランドで、
マダガスカルの小規模生産者から生産したエッセンシャルオイルを、
25パーセント以上使用しています。

さらに、この『デクレオール』は、
2008年にはNGOアスマダ
(2003年よりマダガスカルを支援するNGOとして設立。
 環境保全、経済成長の両立を目的)
と協同し、
環境保全、インフラ整備を支援しました。(現在も継続中)


また、マダガスカルの顔であるキツネザルも危険な状態にあります。

キツネザル_2.jpg
*GATAG Free Photo 1.0 の無料素材から掲載

政情が不安定なため、
密猟などの違法行為が横行しキツネザルが乱獲され、
高級食材としてレストランなどに出されています。


日本アイアイファンドでは、
マダガスカルの人々と共に自然と希少動物の保護や研究調査を行っていて、
2010年11月には村民と協力し『ラミー』1,000本、
『アカシア』2,000本の植林を行ったそうです。
保護区でアイアイが生まれるなど繁殖に成功を収めたようです。
活動の更なる展開を期待したいです。

・・・


2006年、当時の大統領ラヴァルマナナによる国の計画により、
政治と経済が安定し始めました。
中でも、繊維業・観光業・工業が経済の支えとなっています。

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マダガスカルは、順調な経済成長を続けてきました。
2008年に、
当時の大統領と、当時市長だったラジョリナが、対立しました。

当時の大統領は、
反政府デモが起き、さらに軍部がラジョリナ市長を支持したため、
負けてしまい、国を統治する権利を、すべて、ラジョリナ市長に渡しました。

ラジョリナ市長は、以上のような経緯で、暫定の大統領になりました。



「あなたの大切なものは何ですか?」

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「みんなが仲良しでいること!」

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そういった結果に落ち着いたものの、
(ラジョリナ市長が暫定大統領として治める形の)マダガスカルは、
国際社会(欧米の国々や、日本)から、
憲法手続き上での政権交代がなされていない、と非難され、、
未だに、国家としての承認を得られていないため、孤立しています。

この結果、
日本は、マダガスカルへの援助を、すべて、停止しました。
現在、なんの支援も、なされていません。


・・・


一連の政治危機により、経済は大幅な打撃を受けています。



マダガスカルは年間の国家予算のおよそ半分は、
財政支援を含む外国ドナー(日本、アメリカ、フランスなど)に依存していて、
もはや自国で国を支えるのは難しいと言えます。




「あなたの大切なものは何ですか?」

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「日本から貰ったお家(孤児院)!」

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そのような状況ではあるものの、
主要ドナー国・機関が新規の援助を止めにしてしまいました。
例えば、
2009年12月にはアメリカが援助をやめてしまいました。

(理由は、アメリカでは、就職時の面接をするときに、
 性別、年齢、民族などを(差別をなくすため)
 きいてはいけないことになっているのですが、
 マダガスカルでは、それを続けており、やめないからなのですが…)


政治危機の影響だけでなく、
人々が農地を開拓していく中で稀少動植物の住処である森林が消滅し、
観光業で経済に潤いをもたらしていたことからこちらからも打撃を受けています。


・・・

では、マダガスカルが(経済的に先進国から)独立するためには、
どういったことが大事なのでしょうか?



マダガスカルは小学校へ通うことが義務教育化されています。





「あなたの大切なものは何ですか?」


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「学校!!」
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小学校就学率は90パーセントと非常に高いです。
ですが、退学率も皮肉ながら非常に高いのが現状です。

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このような問題に対し、
ユニセフでは欧米諸国の政府支援とタッグを組み、
コミュニティの力を活用した早期教育プログラムや
初等教育の更なる普及と質の改善を行っています。



最低限の教育(初等教育)を受けることで、
身を守ることの能力をつけることも
貧困の連鎖から抜け出す力も身につけられます。
自分の身を守ることが出来たら、家族だって守れるでしょう。
子どもだけでなく、親もまた教育の重要性を知ることが必要です。

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・・・


マダガスカルでは5歳未満の死亡率、乳児死亡率が高いことから、
国の各種保健指標がよくありません。

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政府は国家開発活動計画の中で、
保健医療を優先分野の1つとして掲げています。

特に乳幼児の死亡率の半減に努めています。
感染症により死亡するケースが多く見られています。

(2011年現在、肺ペストなどの、
 ネズミやネズミノミが媒介する細菌感染症が、増えています。)



「あなたの大切なものは何ですか?」

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「病院や学校や家がある村です」

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感染症を防ぐには予防接種の普及と拡大が重要なKEYとなります。


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予防接種の普及には、
ワクチンを保存する冷蔵庫・保冷保存施設がまず不可欠となってきます。

しかし、
機材不測と老朽化によりワクチンの保存及び保管が困難な場合が多いのです。
政府は懸命に保存機材の調達に努めているものの、
財政困難にあるため日本に対し協力を求めてきました。
そこで日本政府は、
マダガスカル各地の病院、診療所などに、
予防接種ワクチンの保冷機材を調達する計画のために
必要な資金を援助しました。


・・・

さいごに



マダガスカルの色彩豊かな自然と珍しい動物たち、
そして私たち日本人のように気遣いを欠かせないマダガスカルの人々。


彼らが諸外国に認められる日が訪れるには、
目の前に立ちはだかる山をひと越え、ふた越えしなくてはなりません。

マダガスカルは、現在の大統領が、大統領として認められていないため、
日本や欧米の主な国の政府からの援助は、止まってしまっています。

ところが、マダガスカルの国の国家予算は、その半分以上が、
外国からの援助に依存していたのです。

つまり、現在、マダガスカルの国家予算は、完全に破綻していると考えられます。


様々な国が、マダガスカルの現在の政府に、歩み寄ることを止めてしまった今、
私たちが出来ることを考え、少しずつ始めてみませんか?

マダガスカルを支援している社会企業の商品を買ったり、
政府ではない民間のNGOに参加することも、その方法かもしれません。


ちりも積もればじゃありませんが、
一人ひとりの小さな小さな気遣いが、いずれは、
誰か・何かの助けになるのだと思います。


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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
竹前宏美(2007年、青年海外協力隊)

画像データを編集し、文章を書いた人:
寺町華子

編集完了日:
2011年9月7日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 17:22| 日記

2011年08月30日

モザンビーク Mozambique


モザンビーク共和国は、
アフリカ大陸の南東部にあります。


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2010FIFAワールドカップが開催された
南アフリカ共和国など6ヵ国と国境を接し、
東側にはマダガスカル島が浮かびます。

緑豊かな大地と資源に恵まれており、
とうもろこし、綿花などの農業、
アルミ産業、石炭や天然ガスなどの鉱業が盛んな国です。

また、モザンビーク海峡で獲れるエビは、
大変美味しく日本にも多く輸出されています。

人口は約2.289万人で、日本の6分の1です。
国の面積は日本の約2倍。
40以上のたくさんの民族がいます。

キリスト教をはじめ、
イスラム教、原始宗教が信じられています。



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上の絵は、この国の子どもが描いた、
モザンビークの地図です。
確かにこの国は、このような、ペガサス(天馬)のような形をしています。
右側(東側)は海に接しており、
左側(西側)は、内陸部です。


モザンビークの起源は、
1世紀に定住した民族バンツー族が
連合王国のモノモタパ王国を築いたことに
さかのぼります。

15世紀ヴァスコ・ダ・ガマの訪問がきっかけとなり、
16世紀からポルトガルの植民地となりました。
現在の公用語もポルトガル語です。

20世紀に入ると、
反ポルトガルの蜂起が次々と起こり、
1975年に独立をしました。

国単位の戦争が終わると、
それまでは抑えられていた、
国の中の派閥が数多くの争いをしました。

次々と国内紛争が起こり、
多くの命が失われました。

そして、
今から19年前の1992年、
長い内戦が終わりました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「もう、心が痛む思いはしたくありません」

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ポルトガルの植民地だった、モザンビークですが、
1975年、独立戦争を経て、
モザンビーク人民共和国が生まれました。

しかし、独立後に起きた17年にも及ぶ内戦により、
多くのものを失いました。

内戦後に日本の内閣府は、
停戦と武装解除、選挙の監視、人道支援をするため、
国連モザンビーク活動を行いました。

日本にとって3番目の国連平和維持活動(PKO)です。

内戦が終結したからといって、
その国にすぐに平和がおとずれるわけではありません。

国連平和維持活動(PKO)はその活動を通して、
モザンビークの復興への道を一緒に歩みました。

「酒も、煙草もやめよう。争いも終わってほしい。
向かい合って、手をとって前へ進みたいんだ。」

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国連PKO活動には、たくさんの国々が協力しています。
同じ、途上国である、アフリカやアジアの国々からも協力に来ています。
先進国からの援助だけではなく、
途上国同士で、平和構築のための活動を続けています。

このように、
途上国同士が、援助をしあうことは、近年増えてきています。
その方が、人件費が安くすみ、プロジェクトを効率的に運営できたり、
宗教や文化などが近く、受け入れやすいことなどが、その要因になっています。

モザンビークは紛争終結後の平和構築において、
非常に価値のある成功を収めた国といわれています。

今後も困難を乗り越えながら、
ますます発展の道を歩むでしょう。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「豊かな生活です」

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2009年に行われた、世界の貧困率調査では、
モザンビークは世界で5番目に悪い状況の国
といわれています。

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たくさんの国からのお金を集めて運営されている国際機関の一つに、
世界銀行グループがあります。

この中の、国際開発協会では、
鉄道建設などのインフラ整備(社会基盤となる道路などの建設)の
手伝いをしています。

紛争が終結した、開発途上国においては、
モノを運ぶということが重要になります。

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この鉄道建設や、その他の設備づくりにより、
1997年から5年間、
モザンビークの経済成長率は
世界最高レベルにまで達しました。

貧困率も改善されてきていますが、
未だ国民の半数は
日々の生活が大変な困難を伴う『絶対貧困』にあります。

(絶対的な貧困とは、各団体によって定義が異なりますが、
 1日1ドル以下で暮らしている、というものや、
 1日2ドル以下で暮らしているもの、などがあります。
 上記のケースでは国際協力機構(JICA)の定義である、
 1日1.25ドル以下、というものを指しています。)


経済の成長は必ずしも
直接的に貧困を減らしていくものではありません。

経済の成長によって、
利益を得るのは誰なのか。
貧困を解決するには、
できる限り、最貧困に面した人々の生活が向上するよう
配慮した経済成長の仕方をする必要があります。

国際開発協会は、
最も貧しいといわれている国の政府に対して、
利子をなくし、返済期間をできるだけ長くしてあげる形で
お金を貸してあげています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「学ばせてくれる場所、学校です」

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モザンビークは、小学校などで教育を受けた人が、
ほとんどいない国です。

国連が、25歳以上の成人に対して調査した所、
なんと、国全体の平均で、1年しか、学校にいっていませんでした。

(ちなみに日本は、12年ぐらいです。)

この結果、成人識字率は44.4%と、
2人に1人は字が読めません。

モザンビークの義務教育は7年間ということになっていますが、
(実際は、学校に行っている人は、あまりおらず)
依然として、低い識字率です。

文字が読めないことは、
生活する上で大切な情報が読み解けず、
困難をともなうことがあります。

例えば、
服用する薬の説明書きが理解できず、
生命に影響を及ぼすことがあります。


国際協力機構は、
教員の質を改善するプロジェクトを実施しました。

近年、さまざまな努力により、
就学率が上がっています。

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それにともない、教員の不足が問題になっています。

国全体の平均では、
教員一人当たりの生徒数は67人になります。
そのため、資格を持たない教員の採用が増えています。

このような状況の中、
資格の有無を問わず、
教員全体の質を上げることが必要となりました。

国際協力機構は、
1年に1〜2回、講義だけだった研修を、
1ヵ月に1回、実習を入れることにしました。

現地の教員が、
国際協力機構から教わったことを、
その通りに再現した授業をするための
プログラムが行われています。

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この活動は2012年まで行われる予定で、
どのような成果となるか、期待されています。

教員のレベルが上がり、生徒への目が行き届く。
これが識字率のさらなる向上につながるでしょう。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「心から信じることのできる愛情です」

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2010年国連合同エイズ計画(UNAIDS)の発表によりますと、
モザンビークの成人HIV感染率は、
世界で8番目に高いという結果が出ました。

10人に1人がHIV/エイズに感染しています。

国の保健省の中に、伝統医療研究所があります。

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モザンビークでのHIV/エイズ予防対策の一つとして、
この研究所では、伝統医療を行う施術者に向けた、
新しいトレーニング・マニュアルをつくっています。

モザンビークをはじめ、アフリカ大陸の国々には、
今も伝統医療が人々の身近にあります。

しかし、誤った施術により、
HIV/エイズに感染してしまうことがあるのです。

その具体例としては、
伝統医療の一つとして、
(出血している)傷があった時に、
そこに、伝統医療の施術者が、自分の口をつけて、
吸い取って、治そうとした場合、
その行為によって、HIV/エイズに感染する、
などです。

上記のようなことが起きるため、
エイズに対する支援活動をする人々は、
伝統医療従事者がHIV/エイズに感染しないような
教育をしてあげることが必要だとされています。

と、いうように
伝統医療には、さまざまな問題点があるために、
西洋医学的には、やめさせた方が良い場合が多いのですが、
そうはいっても、
何百年も続いている現地の文化を
(ある日、突然やってきた外国人グループが)
根本から否定することはできないため、
そのバランスをとることが難しいと言われています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「環境です。失われないでほしいです」

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近年、モザンビークにおいて
産業基盤の建設が活発にすすめられています。

生活の土台が整備されると、
人々の暮らしは豊かになります。
一方で、
力のある政府や企業が自分たちの利益に注視すると、
環境破壊という負の部分が多くなってしまいます。

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中国は、道路やダムなど産業の基盤となる設備づくりを
自国の(建設会社などの)企業に請け負わせ、利益を得ています。

また、開発の見返りに、
石油やレアメタルなど、資源を受けることも狙いのようです。

政府に多額の資金を渡し
環境が破壊されても、なお開発を推し進める姿勢に対し、
ヨーロッパ、アメリカから反対の声が出ています。

これはもはや、
国際協力ではなく、『中国型新植民地主義』である
という懸念も出ています。


開発によって生じる問題にも配慮し、
いかに良い面の多い国際協力をするかが、
課題となっているようです。


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これに対して、環境や人権を保護する団体からは、
避難の声が上がっています。

モザンビークNGO団体のダニエル・リベイロは、
「中国の政府や企業は、
現地の住民と十分な話し合いの機会を設けるべきだ。

途上国開発をするのなら、自国の利益だけでなく、
現地で生きる住民の生活がより良いものになるよう、
配慮してほしい」

と意見しています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「明日も生きたいと、希望をもつことです」

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絵と写真を集めた人:
高木亜麻子(2010年, CICD, ADPP)

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年9月6日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 08:29| 日記