2012年12月05日

ベナン Benin

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西アフリカにあるナイジェリアとトーゴに挟まれた、
南北に長い、不思議な形をした小さな国。
それがベナンです。

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ベナンのセカンダリースクール(日本の中学校と高校に相当します)
に通う子どもたちが、それぞれの「大切なもの」の絵を描いてくれました。

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「私の大好きな国、ベナンです。12の県に分かれているの」

ベナンの面積は、11万2,622平方キロメートル(日本の約3分の1)。
そこに、910万人(日本の約7%)、46の部族が住んでいます
(2011年、UNFPA)。

女の子が描いてくれた上の地図、
よく見ると県の順番がバラバラですが、
そこはご愛嬌。
みなさん、本物はご自分で調べてみてください。

ベナンは日本ではなじみが薄い国ですが、
かつて人気を集めたテレビ番組『ここがヘンだよ日本人』に
出演していたタレント、ゾマホン・ルフィンさんの出身国、
といえば、うなずく方も少なくないでしょう。

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(コトヌー)

法律上の首都はポルト・ノボですが、
ギニア湾に面し、西アフリカで一番大きな港を有する
コトヌーがもっとも発展しており、実質的な首都となっています。

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「みんなが集まるおうちのテーブルには、きれいなお花があるの」

ベナンの治安は比較的落ち着いていますが、
国の発展度合いを示すHDI(人間開発指数)は0.427と、
187カ国中167位です。

この国は、小さいながらも「西アフリカの玄関」ともいわれ、
貿易の一大中継地として、大きな役割を果たしてきました。
そこには、深く黒い歴史があります。
ベナンの港でかつて一大輸出品となったもの、
それは「奴隷」でした。


・・・

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ベナンの元の国名は、ダホメー王国といいます。
上は、ダホメー王国時代の国旗です。
とてもかわいらしい国旗ですが、この旗の下に、
黒い歴史がつむがれてきました。

16世紀以前、ベナンには、フォン族、ヨルバ族、
アジャ族など、多くの部族が住んでいました。

このうち、もっとも人口の多かったフォン族の居住地に、
17世紀、ダホメー王国が成立しました。
この王国の繁栄を支えたのが、奴隷貿易です。

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ダホメー王国は、近隣の国々を攻め滅ぼし、
敵国の捕虜を奴隷として、ヨーロッパ商人の
火薬や鉄砲と交換し、国力を増強しました。

17〜18世紀にかけて、奴隷貿易は世界の一大産業でした。
ヨーロッパの商人たちは、アフリカから「仕入れ」た奴隷を、
船でアメリカ大陸まで連れて行きます。
なるべく多く奴隷を運ぶため、船中には身動きが取れないほど
奴隷たちが詰め込まれました。
3〜9か月の船旅の間に、ひどいときで3人に1人の奴隷が死亡したといいます。

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当時は、ヨーロッパなどで砂糖や紅茶の需要が急増。
アメリカでは大規模な砂糖や紅茶の農場(プランテーション)が
多く作られていました。
家族から引き離され、アフリカから運ばれた奴隷たちは、
プランテーションで一日中、過酷な労働を強いられました。

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ベナン沿岸部を中心とするギニア湾岸は、
こうした奴隷貿易の一大中継地として栄え、奴隷海岸と呼ばれました。

ダホメー王国は奴隷たちの苦しみの上に財を築き、
19世紀にかけて絶大な勢力を誇ります。
当時の王宮は、ベナン唯一の世界遺産として保存されています。

(ダホメー王国では、王の近衛兵部隊として、
女性だけの軍団も創設されました。
最強の軍団として、近隣諸国に恐れられたと伝えられます。)


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ベナンの奴隷貿易は、その後の世界の歴史にも
少なからず影響を与えました。

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世界で最初の、黒人による共和国となったハイチ。
建国のきっかけとなったハイチ革命を率いた指導者の1人は、
ダホメー王国の奴隷の子孫であるトゥーサン・ルーヴェルチュールでした。

また、現在、西アフリカを中心に、キューバやブラジルなどでも
広く信仰されている「ブードゥー教」。
これは、もともとフォン族の土着宗教だったものです。
ハイチに連れて行かれたフォン族の奴隷の間で発展し、
カトリック教会から徹底的な弾圧を受けながらも、
奴隷貿易の拡大とともに、キューバやブラジル、
北アメリカなどへ広がりました。

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(ブードゥー教の儀式)

現在のベナンでは、ブードゥー教(ヴォドゥンといわれる)は
国教となっています。


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栄華を極めたダホメー王国ですが、19世紀、
ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化が進み、
奴隷貿易が廃止されはじめると、財政が弱体化します。
そこにヨーロッパの列強による植民地化の波が押し寄せ、
1894年、ベナンはフランスの植民地となりました。

奴隷貿易で一大勢力を誇った時代から一転、
フランスの従属としての植民地時代が、60年余り続きます。
そして第二次世界大戦が終わった後しばらくしてからの1960年、
ベナンは再び、「ダホメー共和国」として独立を取り戻しました。
現在の国旗は、そのときに制定されたものです。

「国旗は、私たちの誇りです。
緑は希望と復活、赤が先祖の勇気、黄色が富への願望を
表しているの」

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独立したダホメー共和国ですが、安定は一筋縄では
得られませんでした。
民族間の抗争や激しい政権争いが続き、独立後、12年の間に、
5度もクーデターが起こります。
1972年、5度目のクーデターで、マチュー・ケレク政権が誕生。

ケレク政権は、ベナンに面する「ベニン湾」にちなみ、
国名を「ベナン人民共和国」と変え、
中国寄りの社会主義国家を目指しました。

しかし、社会主義路線はうまくいかず、ケレク政権の経済政策も失敗。
1989年、ソ連が崩壊間近となり、社会主義国家が次々と消滅して
いったこともあり、国民からは独裁的な政権をやめるようにという声が
強くなりました。
この流れを受け、ケレク政権は1990年、国名を「ベナン共和国」に改称し、
複数政党制、三権分立、大統領制を採用。
資本主義国家としての新たな一歩を踏み出しました。

現在はボニ・ヤイ大統領の下、安定した政権運営が行われています。
長い政情不安の末にたどりついた平穏を、国民は歓迎しています。

「ふだんの暮らしが大切です。失いたくありません」

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ベナンの人々の暮らしをみてみましょう。

「実りは私たちの宝です。自然が、私たちの生活を支えています」


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今回のお絵描きイベントでは、多くの子どもたちが、
美しい植物の絵を描いてくれました。

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ベナンは、国民の大半が農業に従事する農業国です。
主要な輸出品は綿花で、他にもパームオイル、トウモロコシなどが
栽培されています。

産業が多角化していないため、
市場価格の影響を受けやすいのが弱みです。
(一般に、農産物をまったく加工せず、そのまま輸出する産業形態は、
世界的な食料価格の影響を受けやすいため、利益が急に減ったり
増えたりするリスクがあるといわれています。)

近年、欧米諸国が国内の綿花農家に対して補助金を出したことにより、
綿花の価格が変動し、ベナンの綿花産業に大きな打撃となりました。

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ベナンは、同じく綿花を主要産業とするブルキナファソ、チャド、マリの
4カ国と、「欧米諸国の綿花補助金の段階的な撤廃」と、
「撤廃までの期間の補償措置」を求める『綿花イニシアティブ』を推進し、
日本のODAもこれを支持しました。

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ベナンに産業を生み出すため、日本のNPO法人「IFE」は、
株式会社スタジオグラフィコなどとともに、
「フィール・ピース・プロジェクト」を行っています。

このプロジェクトは、単なる物的、金的支援ではなく、
長期的な収入源となる産業を作り、現地の自立を支援することを
目的としています。

フィール・ピース・プロジェクトの一環として、スタジオグラフィコは、
ベナン産のシアバター※を原料に使用したスキンケア化粧品
「スキンピース」シリーズを開発。
日本国内での需要拡大をめざしています。

※シアバター:シアバターノキという木から取れる脂(あぶら)で、
食用や保湿用クリームなどに使われています。


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「水辺の生活が大切です。漁は、生活の一部なんです」
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農業に次いで、ベナンの人々の生活を支えるのは、水産業です。

ベナンの国民の動物たんぱく質摂取量の40%は、水産物から得られている、
というデータがあります。
コトヌー港での交易業は、ベナンの経済において重要な役割を担っていますが、
漁業地としては、海岸線が120kmと短く、漁場にはあまり適しません。
では、ベナンの人々は、どこから水産物を得ているのでしょう?
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ベナンの沿岸部には、ラグーン(湾口がふさがってできた湖沼)が
広がっており、国土にも総延長700km超におよぶ河川が流れています。
ベナンの人々は、この内陸部の水産業を、大切な資源としているのです。
海の漁業の漁獲量が年間約1万トン弱なのに対し、
内陸漁業(養殖含む)の漁獲量は、3万5千トンに達します。

しかし現在、この漁獲量だけでは国内の需要をまかないきれず、
年間で4万5千トンもの水産物を、他国からの輸入に頼っています。

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ベナンの人口は年々、高い割合で増え続けており、
それにともなって、食糧も確保していかねばなりません。
ベナン国政府は、国内でまだ十分発達しておらず、
今後、増産が期待される「内陸地での養殖」について、
日本に支援を要請しました。

これを受けて、日本の国際協力機構(JICA)は
「内水面養殖普及プロジェクト」を実施。
養殖の専門家を派遣し、ベナンの農業・畜産・水産省と協力して
養殖家戸数を増やす試みに取り組んでいます。
このプロジェクトには、雇用を増やし、農民の収入を向上させることも
期待されています。

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(ベナンの標準的な食事。白いのは、トウモロコシの粉から作られる「ウォー」。
 手でちぎり、野菜や魚介の入ったスープと一緒に食べます)


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農業と水産業で生計を立てるベナンの人々。
この国が抱えている大きな問題は、出産するお母さんと新生児の
死亡率がとても高いことです。

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ベナン国民の平均寿命は56歳。
(日本は83歳)(ユニセフ、世界子供白書2012)

5歳未満の子どもが死亡する率は、1000人中115人です。
これは世界の中で20番目に高い数値です。
(日本は1000人中3人、186番)

家の近くに病院がないため、介助がないまま自宅で出産し、
命を落とすお母さんがいます。
その理由は、出産後の出血が止まらないことなどです。

また、生まれた子どもも頻繁に亡くなります。
肺炎や下痢などの感染症が、おもな原因です。
病院がなく、医師や看護師がいないため、こうしたことが
起こるのです。

前述のゾマホンさんも、10人いた兄弟のうち、
7人が幼くして亡くなっているそうです。

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こうした状況を受け、JICAは、地域の中心的な役割を担っている
コトヌー市のラギューン母子保健病院の施設・設備の拡充を支援。
保健の専門家や青年海外協力隊を派遣し、現地の医療従事者のための
研修なども行っています。

また、NPO法人「ハンガー・フリー・ワールド」は
コトヌー市近くのベト村に母子保健センターを建設。
いずれは地域の行政と住民が自分たちの手でセンターを運営していけるよう、
活動を続けています。

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まだ大きな問題となっていませんが、ひとつ、
懸念されていることがあります。
エイズの拡大です。

ベナンの成人のHIV感染率は1.2%と、
アフリカ諸国の中では比較的、低いほうです。
(トーゴ3.2%、ケニア6.3%、ザンビア13.5%、日本0.1%)
(ユニセフ「世界子供白書」2012。データは2009年のもの)

しかし、マイクロソフトの創業者であり、世界最大規模の慈善団体
「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」の会長であるビル・ゲイツ氏は、
「ベナンでは今後、都市部のセックス産業に関わる人々の間で
HIV新規感染者が増大するだろう」と懸念を表明しました。
同時に彼は、コンドームの使用の奨励など予防ツールの拡大で、
感染者を大幅に減らせるとの解決策を提示しています。

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世界人口白書2011によれば、コンドームやピルといった
近代的避妊法を行っている15〜49歳の女性は、
ベナンではわずか6%です。
(日本は44%)

ひとたび感染が拡大すれば、それをくい止めるのは困難です。
早い段階でのエイズ予防知識の普及が求められています。

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「ぼくの大切なものはアニメのナルトです。
友達の間でも流行っていて、大好きです」

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ベナンの人々は親日家です。
外務省の一般文化無償資金協力により、
2010年から国営ラジオ・テレビ局に、日本の番組も入るようになりました。

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一方、日本でベナンといえば、前述の
テレビ番組『ここがヘンだよ日本人』で人気を集めた、
タレント、ゾマホン・ルフィンさんが有名です。

ゾマホンさんは、ベナン国立大学を卒業後、
中国・北京語文化大学に留学。
その後、来日し、上智大学大学院に入学。
現在は、2012年より、駐日ベナン共和国大使に就任しています。

ベナンにいたころ、街灯や月明かりの下で勉強し、苦労して学校に通った
ゾマホンさんは、母国が抱える最大の問題に、「教育」を挙げています。

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(ベナンの学校)

ベナンでは、2007年から小学校の授業料が無償化され、
初等教育の就学率は男子99%、女子86%にまで上昇しました
(2011年、世界子供白書)。
しかし、学校の数や教員は慢性的に不足しています。

また、中等教育の就学率は男子26%、女子13%と非常に低く、
15‐24歳の若者の識字率は男子64%、女子42%と、
男女間の差もあります。

植民地時代の影響も色濃く残ります。
ベナンの公用語はフランス語で、学校でも、
多くの授業がフランス語で行われています。

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(授業風景)

「ベナンの教育内容はフランス植民地時代と同じで、土着の教育とは言えません。
私もベナンで受けてきた教育はフランス人になるための教育です。
このような教育では誰も国のために頑張ろうとする人はいません。
みんなフランス寄りになってしまいました。かく言う私も、
最初に行きたかった国はフランスでした。」
(2005年、ゾマホンさんと衆議院議員竹本直一との対談より)

ゾマホンさんは、『ゾマホンのほん』『ゾマホン、大いに泣く』の2冊の本を出版し、
その印税をすべて使って、ベナンに3つの小学校と、日本語学校を建設しました。

ゾマホンさんの活動を個人のものにとどめず、将来的にも支援を行っていくために
設立されたのが、前述のNPO法人「IFE」(ベナンの言葉で「愛・分かち合い」の意)
です。
IFEは、ベナン共和国のIFE財団とともに、日本とベナンを中心とした
教育・文化などの協力提携や、相互理解の推進活動を行っています。

・・・

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2001年、ベナンが面するギニア湾で、一艘の船が行方不明になる事件が
起こりました。
この船には、ベナンとその近隣の国から連れてこられた
10〜14歳の139人の子どもたちが乗っていました。
子どもたちは、児童労働に従事させられるため、
ベナンから近隣のガボン共和国へ連れて行かれるところでした。

この事件により、ベナンで子どもの人身売買が深刻な問題であることが
公になります。
はるか昔に終わったと思われていた奴隷貿易ですが、
同じようなことが、現在も続いていたのです。

「海に出て行ったまま、帰ってこない友達・・・」
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子どもたちは、誘拐されたり、貧しさのために親が手放したり、
「教育の機会を与えてあげる」とだまされて連れてこられることが多く、
人身売買の結果、児童労働に従事したり、性的な搾取の対象になることが
ほとんどです。
こうした人身売買は秘密裏に行われているため、
なかなかその実態がつかめません。

国際機関のユニセフは、現地NGOへの支援や、
首都のポルトノボで修道院など子どもたちの避難所となる場所への
支援を行い、子どもたちを保護し、その権利を守るための支援を続けています。

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「僕の大事なものはパソコン。
世界のいろんなことを教えてくれるから」

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ベナンのインターネット普及率は、1.85%
(国際電気通信連合(ITU)の統計・2008年)。
日本の75.40%に比べたら、とても低い率ですが、
ベナンにも少しずつ、近代化の波は押し寄せています。
それにともない、以前にはなかった、
環境汚染の問題が顕在化してきました。

「自然のなかで好きなものを5つ描きました。
サッカーは、自然のなかで遊べるから好き。
車が多いと、排気ガスがたくさんでます。
男の人は警察官で、“排気ガスを出すのをやめて”と
言っているところです」

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日本のように「ゴミはゴミ箱に」という意識がないベナンでは、
人々は道路や空き地など、いろんなところにゴミをそのまま
捨てていきます。
近年は、ビニールやプラスチックなど、自然に還りにくいゴミが増え、
今後、ゴミ問題が深刻化することが予想されています。
学校では、環境に関する授業も行われるようになりました。


「授業で、ゴミが私たちの住むところを汚して、
水も空気も汚れていくことを勉強しました。
清潔なことは大切です」

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この女の子は、ゴミが湖を汚し、その汚れた水をみんなが使わなくては
いけない様子を描きました。
女の子のお父さんは、「野生の動物が多く見られたこの地域も、
開発が進むにつれ、住民自身がゴミを捨てたり、道端で排泄するなどし、
地域が汚れてしまった」と、話してくれました。

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日本の国際協力機構(JICA)は、環境教育を支援する
青年海外協力隊を派遣し、「みんなが住むところなのだから、
きれいに保っていかなくては」という意識を広げていこうと
しています。

・・・

ここで、現在、アフリカ諸国に訪れている変化をみてみましょう。

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未開発の天然資源が多くあるアフリカ大陸は今、世界の注目を集め、
各国がこぞって進出を図っています。

その中でも、近年、中国の進出はめざましいものがあります。
中国はこれまで、アフリカ諸国の道路などのインフラ整備を無償で行ったり、
融資を低金利の好条件で行うなど、数十億円規模の資金を投資してきました。
これは、アフリカ大陸の天然資源や成長市場へのアクセスを得るための施策だと
いわれています。

現地に進出しても中国人労働者を起用し、
現地の雇用を拡大するわけではなく「中国式」をつらぬくやり方は、
アフリカの一般の人々の反感を買っています。
その一方で、支援に対し人権問題や独裁政権の改善を求める
欧米諸国と異なり、なんでもタダでやってくれ、交換条件を求めない
中国は、アフリカ政府の偉い人からは歓迎されています。

ベナンにおいてもこの流れは同様で、2011年には、
中国からの申し出により、コトヌーとベナンの中部を結ぶ
およそ100キロの道路の舗装を、中国が無償で行うことになりました。
他にも中国は、さまざまなインフラ整備を贈呈方式で実施しています。
こうした外部からの力は、よくも悪くも、
これからのベナンの人々の生活に影響を与えていくでしょう。


・・・


「人の心のなかに、喜びは簡単には見つけられません。
でも、自分のなかに種を見つけて、喜びの花を育てること。
それが、とても大切だと思います」

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7人兄弟のこの女の子の家は、いつもにぎやか。
大変なことも多い生活ですが、うれしいこと、楽しいことを
大切に、笑顔で暮らしています。

日本ではまだまだ知られていない国ですが、
貧しいながらも、元気で、前向きなのがベナンの人々です。

明るい色で、美しい花などの絵を描いてくれた子どもたち。
その絵を見ていると、この小さな国の明るい未来が、
はっきりと想像できます。


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絵と写真を集めた人

青年海外協力隊・看護師・佐藤しおり(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・助産師・中村悦子(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・看護師・鈴木詩子(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・徳星達仁(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・統計・渡邊潤(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・家政・大谷恵美(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・大畑紗弥和(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・狩野麻里絵(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・白神綾菜(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・三橋利佳(2010年6月〜2012年6月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・武藤悠紀(2010年6月〜2010年12月)
青年海外協力隊・村落開発普及員・吉岡由佳梨(2010年6月〜2012年6月)

画像データを編集し、文章を書いた人:
田島久美子

編集完了日:
2012年12月17日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/


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