ラオスは、『メコンの宝石』と呼ばれています。
国土の西側、ほぼタイとの国境沿いをメコン川が流れています。

ラオスは、東南アジアで唯一海に面していない内陸国です。
インドシナ半島の中央に位置し、南北に長い国で、中国、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、タイの5つの国に囲まれています。
国土の4分の3は高地または山岳部で、「山と森の国」と言われているほどです。
国土の広さは日本の本州とほぼ同じ大きさです。
人口は約600万人、 人口密度は日本の15の1です。
首都はビエンチャン。言語はラオ語。宗教は仏教です。

多民族国家で、言語や文化が異なる民族が共存しています。
最も多い民族はラオ族で、全人口の60%を占めていて、他に48民族があります。
その中で大きく3つの民族に分けられています。
ラーオ・ルム(低地ラオ)=低地に住む人。その中心となるのがラオ族でメコン川沿いの平野に住んでいます。
ラーオ・トゥン(山腹ラオ)=山の中腹に住む人。ラオスの先住民族とも言われています。ラーオ・ルムに追いやられて中腹に住むようになったとも言われます。
ラーオ・スン(高地ラオ)=山の高地に住む人。主にラオスの中部から北部に住んでいます。モン族、ミエン族など200年ほど前に中国から移り住んだと言われています。

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ラオスは過去、隣国と世界の大国に幾度も翻弄されてきた悲劇があります。
では、ラオスの歴史をみてみましょう。
14世紀半ばに、最初の統一国家であるラーンサーン王国が誕生します。
しかし周辺国からの侵略を受け、中でもシャム(現在のタイ)は、1828年ランサーン王国が分裂してできた3国を次々と支配下におきました。
そして、フランスが1858年にベトナムに侵攻し、1899年にはベトナム、カンボジアにラオスを加え、メコン川以東の全域をフランス領インドシナ連邦として支配することになりました。
その時、フランスが、ラオスの国境を勝手に決めたのです。

フランスの統治により、ラオスの伝統的な産業であった木工、竹製品、紡績、陶器、稲作などが棄てられました。
その代わりに輸出指向の強いチーク材などの林業、ゴムやコーヒーのプランテーション(外国の大企業による単一の農作物の栽培)、スズ鉱山開発などが進められ、ラオスの自給経済の秩序は破綻しました。
また、ラオ語の出版が制限され、行政保護官としてベトナム人が置かれるなど、ラオス人のアイデンティティは軽視され続けました。

その後、第二次世界大戦中に日本軍が侵攻し、フランスの植民地支配を一時的に解放したのですが、1945年の終戦と同時に日本軍はラオスを去りました。
その後ラオスは30年にわたってフランスが再び介入し、べトナム戦争とあいまってアメリカが絡み、長期にわたる内戦が続きます。
ここでベトナム戦争について簡単に説明します。
ベトナム戦争とは、1960〜75年にラオスのすぐ東隣りの国ベトナムで起こった戦争です。
この時、ラオスは非常に大きな打撃を受けました。
ベトナム戦争は、社会主義の国、中国、ソ連などから支援された北ベトナムと、アメリカから支援された南ベトナムとの戦いでした。
1960年代べトナム戦争当時、ラオス北部は北ベトナム軍と協力関係にあったラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の拠点がありました。
またラオス南東部には北ベトナム軍の輸送路(ホーチミン・ルート)がありました。
その為、アメリカから大量の爆撃を受けたのです。

1975年、ベトナム戦争の終結後、荒廃したラオスの国土の上に社会主義国「ラオス人民民主義共和国」が誕生しました。
ラオスが社会主義体制へ移行すると、旧体制派の人々が大量に国外へ脱出しました。
そして隣国のタイはラオスとの国境を閉ざし、また、アメリカなど西側諸国が経済援助を停止しました。
このため、ラオスの政治・経済は共に混乱し、特に経済は急激に悪化しました。

1977年にラオス・ベトナム友好協力条約が締結され、ベトナムから資金や人的な支援を受けます。
また、ラオスは外交では、主に共通の社会主義圏であるソ連や中国、ベトナムとの関係強化を図って、それらの国々との協力体制を整えました。
しかし、食糧危機が深刻になると、自由主義経済の原理を一部に取り入れざるをえなくなり、1979年より「新経済政策」を導入しました。

1986年のラオス人民革命党大会では、自由主義経済原理を大幅に取り入れ、西側諸国やタイ、中国との関係改善を目指した「チンタナカーン・マイ」(新思想)と「ラボップ・マイ」(新制度)の導入を決定しました。
これを機に、ラオスは経済建て直しと、各国との国交正常化を図る穏健な社会主義へと変貌していきました。
1998年にはASEAN自由貿易地域(AFTA)に参加しました。
この頃ラオス政府のスローガンは貧困、焼畑、アヘン栽培の3悪追放でした。
しかし、ラオスにアヘン栽培を持ち込んだのは、植民地の資金不足に悩んだ19世紀のフランスなのです。
ラオスの山に住む人々は、焼畑農業という唯一の生産手段と、アヘンという唯一の換金作物を放棄し、新しい生き方を余儀なくされています。
以上のような問題はありますが、ラオス政府は現在も社会主義を掲げながら堅実に経済発展を果たそうとしています。
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ベトナム戦争中、北ベトナム軍の物資の輸送ルートであったホーチミン・ルートが通っているラオスに、アメリカ軍により地雷が仕掛けられ、爆弾が投下されました。
ラオスに落とされた爆弾の量は、第2次世界大戦中に日本とドイツに落とされた爆弾の量よりも多いといわれます。
ラオスの人口は当時300万人あり、アメリカが落とした爆弾は300万トンといわれ、ラオスの国民1人1トンの爆弾が落とされ、今も不発弾として残っています。
1973年の停戦交渉までに、ラオスは人類の戦争史上最も激しいアメリカの空爆を受けた国だと言われています。
世界各国の支援による地雷・不発爆弾の撤去活動が進められていますが、それでも1年に約400の爆発事故が発生し、約100人の死者および手足を失った負傷者が多く発生しています。

なぜなら、地雷や不発爆弾はラオスの人々にとって貴重な鉄製品であり、売るためにそれらを素手で集めるからです。
これをベトナムに輸出して収入を得ている住民もいるといわれています。
ラオスは穏やかでたいへんのどかな所ですが、このように今も戦争の爪跡が多く残っているのです。
NPO法人 難民を助ける会は地雷や不発弾の危険から身を守る教育活動や被害者の自立支援を、世界各地で続けています。
ラオスでの活動は、北部シェンクワン県の村で、村落保健ボランティアを対象にしたクラスター爆弾(大量の小さい爆弾をまき散らす兵器)を含む不発弾事故発生時の応急処置箱の設置や、応急処置方法の研修を実施しています。
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戦乱時には少数民族が犠牲になる場合が多くあります。
ベトナム戦争時のラオスのモン族もそうでした。
モン族は元々ラオス・ベトナムの山岳民族です。
起源は中国の苗(ミャオ)族で、中国の漢の時代に国を追われてラオス・ベトナムにやってきたと言われています。(なお、ミャンマーには全く別の“モン族”と呼ばれる少数民族が存在し、やはり政府と衝突していますのでそちらとの区別に注意してください。)

ベトナム戦争が始まるまで、モン族はラオス北部で焼畑などをして暮らす山岳民族でした。
アメリカはラオス国内を走る「ホー・チ・ミン・ルート」をたたくため、山岳地帯を機敏に動くラオスに住むモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇ったのです。
アメリカは軍事教官を派遣して、モン族の若者たちにゲリラ戦に必要な戦闘技術を徹底して指導しました。
アメリカはモン族に、北ベトナムと戦い、軍事物資の輸送を阻止するという役割を任せたのです。
そしてアメリカは、モン族がそれまで触れたことのない近代兵器と大量の弾薬を持ち込み、ラオス北部に米軍基地を作り、モン族を武装集団に変えていきました。
こうしてアメリカにより作られたモン特殊部隊はアメリカ軍の先兵として、北ベトナム軍やラオス愛国戦線(パテト・ラオ)と戦うことになりました。
しかも敵方の北ベトナム軍やラオス愛国戦線の中にもモン族が居たため、同族同士が殺し合う悲劇ともなったのです。

アメリカ側の戦況が悪化してアメリカ軍の撤退が始まると、アメリカ軍はモン特殊部隊を見捨てました。
その結果北ベトナム軍の報復攻撃も含め合計20万人ものモン族が戦死したと言われています。
アメリカ軍のベトナム戦争による戦死者はモン族の1/4の5万8千人です。
もしモン特殊部隊が居なかったらアメリカ軍の犠牲は相当数増えていたでしょう。
「ラオスはアメリカから、国民一人当たりアジア最大の『カネと爆弾』を落とされた」とされるゆえんです。
なおベトナム戦争におけるベトナム人の死者は200万人を超えたといわれています。

戦争が終わってからもモン族の悲劇は続きました。
ベトナム戦争後のラオスはラオス愛国戦線(パテト・ラオ)が支配するところとなり、モン族は「裏切り者」として報復を受けました。
多くがタイへ避難しましたが、10万人のモン族が殺害されたと言われています。
又、国外に脱出したモン族は30万人とも言われています。
その多くがタイ国境沿いの難民キャンプで生活してきました。
この状況に責任があるアメリカも約15万人を難民として受け入れてきました。
しかし1992年に国連が難民支援の打ち切りを決めたため、2004年にタイはこれ以上モン族の移住を受け入れないことを決定しました。

このため、タイに暮らすモン族は難民として保護される資格を失い国籍のない不法滞在者として扱われるようになり、その数は2万人以上と言われています。
彼等は国連からの援助もなくなり自活を強いられています。
一方で、国籍も持たない彼らが働くことは、違法労働としてタイ国内での摩擦を引きおこします。
1995年の難民キャンプ閉鎖により、何千人ものモン族がラオスに送還されましたが、今もなお彼らへの拷問や虐待が続いていると言われます。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ラオス政府に対し、送還されたモン族の人たちを迫害せず、国際的な基準を満たす人道的な対応をするよう求めています。
また、映画「グラン・トリノ」にアメリカに移住したモン族が登場します。
アメリカがおこした戦争の犠牲者のその後が垣間見れます。
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「あなたの大切なものは何ですか」
「メコン川の魚と家族」
(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 IMG_6035_c.jpg Laos_01_omote.JPG)
東南アジアの内陸国であるラオスにも、近年開発の波が押し寄せるようになりました。
政府の脱最貧国政策から鉱山開発、工業団地開発、産業植林、ダム水力発電などを中心とした開発が、急速に進んでいます。
開発の担い手の多くは、中国やベトナム、インドなどに本拠地を置く多国籍企業です。
建設資材としての木材の獲得だけではなく、ゴムやユーカリ等の産業植林を目的とした原生林の伐採がラオス全土で見られるようになりました。
この様な開発の裏側で、ラオスのエコ・システム(生態系)は崩壊の危機を迎えています。
この結果、森林を利用していた田舎の村人たちは、生活ができなくなりました。
その理由は、キノコなどの森の幸があまり採れなくなったからです。
また、昔は生態系にあまり影響がなかった焼畑農業もできなくなってしまったからです。
ここから、こうしたことが起こった理由を説明していきます。

ラオスでは今も農村部の人たちの多くが、自給的な米作と、森林にある山菜やキノコなどに依存して生活をしています。
森林はラオスの人々に生活のための糧を与えてくれます。
また、焼畑農業も生活には欠かせません。
ところが、様々な開発や政策によって、森林が破壊されたり、あるいは村人の森林へのアクセスが制限されたりと、村人たちの生活手段が失われるケースが目立ってきました。
JICAによると、ラオスでは1940年代には70%であった国土の森林率が、2002年には41.5%まで低下しています。

社会主義国ラオスでは、村の森林を伐採する開発プロジェクトや、国の政策に正面から批判の声を挙げることは困難です。
重要なのは、ラオスにある法律や制度をうまく使いながら、村人たちが森林の利用に関して自分たちの権利を行政に認めさせ、村人が主導権をもって森林を利用をできる環境を整えることではないでしょうか。
又、伝統的に使用してきた土地が失われるということは、住民の稲作と採取に頼ったこれまでの生活が維持できなくなるということです。
実際に現在食料不足に陥っている村が少なくありません。

最近、外国の大企業がラオスの森林をどんどん買ってしまい、村人が利用できなくなってしまいました。
ラオス政府は、これを制限する法律を作りました。
村の人々が、森林を「村の共有林」として保護できる制度を作ったのです。
ところが村の人々は、こうした制度や権利が自分たちにあることを知りません。
そこで、NPO法人JVC(日本国際ボランティアセンター)は、村の人たちにこうした制度や権利があることを教える研修を行っています。
また、JVCは住民が米や野菜などの食料を確実に得られるよう、農業面の支援も行っています。
米の栽培方法や肥料の作り方の改善方法や、養魚や家畜飼育による複合農業の紹介、米が不作の時のために貯めておく米(コメ)銀行の設置、井戸の補修や採掘による水支援を併せて行っています。

近年、外国の大企業による途上国の土地の買い占めが行われています。
これを、『ランドラッシュ』あるいは『ランドグラビング(農地収奪)』といいます。
ランドラッシュ は、2007年以降の世界食料価格高騰が発端となっています。
欧州諸国、中国、韓国、インドなどが国を上げて、アフリカ、南米、旧ソ連圏、東欧、南アジアなどの耕作可能な土地を大掛かりに買収している現象のことです。
企業などが途上国などにおいて、広範囲の土地を買収またはレンタルし、大規模な農業を経営し、食糧・バイオ燃料などを得るのが目的です。
これは世界人口の増加と、将来石油がなくなった後、代わりにバイオ燃料、バイオプラスチック時代になる可能性があることが大きな理由です。
それに伴い、格差による食糧分配の不公正や、買い占められた土地で現地住民が強制移住させられるといった、弱者が追いこまれるなど、いろいろな問題が出てきています。

上述のランドラッシュのように、大国の中国は政府と大企業が一緒になって、ラオスに進出してきています。
中国は、首都ビエンチャンのショッピングモールや、ダムの建設なども行っています。
さらに、スポーツのための大きなスタジアムも作ってあげたため、ラオス国民の一部は中国に好感を持つようになりました。
しかし ラオスに中国が進出する理由は、メコン川地域に豊富に眠っているとされるボーキサイトやカリウムといった資源を獲得するためだと言われているので、一部のラオス国民は中国を嫌っています。
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ラオスの就業人口の8割は農業であり、GDPの5割は農業部門となっています。
その農業も、山岳部は焼畑農業であり、自活のための農業が主であり、、生産性は低いのです。
日本は四方を海に囲まれていますが、ラオスは全部が陸続きです。
人口においても経済規模においても、農業のあり方をみても、日本とは全く正反対の国といえるでしょう。

最近の30年間でラオスの人口は倍増しました。
しかし、現在も人口の80%が農業に従事しその大半は深い山間地域で焼き畑農業を営んでいます。
焼き畑農業というのは現在では評判はよくありません。
急速に森林を消滅させているからです。
ただし、それは人口が十分少なく、人々が焼き払う森の面積が森の総面積に対して十分に小さい場合のみ、持続可能となります。
具体的に人々は以下のような手法で焼畑農業を行っています。
十分な広さの中で一定の区画を焼き払い、陸稲の種を蒔きます。
数年その土地を利用したら、村ごと別の場所に移動します。
こうした動きを数回重ねてゆくうちに、最初に使った場所は元の森に戻っています。
ですので山全体から森がなくなることはなかったのです。

しかし、人口が増えたり、何らかの理由で移動面積が狭められたりすると、逆に焼畑面積が広くなり、その循環サイクルも早くせざるをえなくなりました。
森は消え、同時に収穫高は低下します。
自然の恵みの元も子も失ってしまうのです。
もともと上記のようなラオスの農業は「半遊牧型」であり、山中の鳥獣・野草などの狩猟・採集との組み合わせにより成立していました。
家も竹と木と椰子の葉などを使って、すぐに出来上がります。
自然と調和した、自給自足型の素朴な世界でした。
しかし、最近の急激な人口増、資本主義化の波、さらには行政や教育の効率化を目指す政府の農村の土地区分政策(焼畑農業をする時の区分制限)、チークやゴムの植林政策などにより、昔からの焼畑農業が許されなくなりつつあります。

山間地域以外では、メコン川流域は降雨量に恵まれ土壌が肥沃なため野菜の栽培が多くあります。
また高原地域では良質なコーヒー、キャベツ、ジャガイモの産地があります。
コーヒーはラオス最大の輸出農作物です。

オックスファム・ジャパンは小規模コーヒー生産者を支援事業を支えています。
小規模コーヒー農家の人々とともに、質の高いコーヒー豆作りのための技術支援、農家の人たちが生産者グループを作る手助け、フェアトレード会社など、海外との橋渡しなどを行っています。
コーヒーはラオス南部のボラベン高原に1900年代最初に、当時の宗主国・フランスによって導入されました。
ボラベン高原の気候、肥沃な土地、高度が高品質のコーヒー生産に適していたのです。
現在、ラオスのコーヒー生産のほとんどが零細な小規模農家によって担われています。

上記のようにラオスの主力産業はコーヒーです。
ところが、それが仇となることが起きました。
2001年に世界的なコーヒー価格危機により、ラオスのコーヒー農家も大打撃をこうむりました。
多くのコーヒー農家が借金をかかえ、失業し、コーヒー畑が放置され、子供たちは学校に行けなくなりました。
オックスファムは2003年から、コーヒー生産農家が高品質のコーヒーを作り、フェアトレード会社などと正当な価格の取引ができるとともに、コーヒーだけに頼らないための作物の多様化等の支援活動を行っています。
結果、農家の収入が増え、食料不足も解決してきています。
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国連開発計画(UNDP)が毎年発表する「人間開発指数」(HDI;Human Development Indicator)によると、ラオスは東南アジアの中でミャンマーに次いで開発の遅れている国です(UNDP「人間開発報告書2010」)。
さらに、UNDPは、水や安全、保健医療面などの指標を基にして「人間貧困指数」(HPI;Human Poverty Index)を示していますが、こちらもラオスは東南アジアの中でカンボジアに次いで開発が遅れています。
またラオスでは、一人の女性が生涯に子を産む数は4.8人と高い水準ですが、不十分な保健医療状態や衛生状態等から乳児死亡率が高く(出生1000人に対して82人と、日本の20倍以上の高さ)、平均寿命は54.3歳と、日本の第2次世界大戦後の数値に近いのです。

生活上のインフラの整備も遅れています。水道水・井戸水などの清潔な水にアクセスできる人々は全世帯の58%、電気を利用できる世帯の割合は45%であり、国民の半数は、電気も水道もない状態で日常生活を送っています。
教育の遅れにより保健衛生を教える先生がいないため、児童や村人に歯磨きや手を洗う理由が理解されていなく、その習慣も無いそうです。
そこで、ライオン株式会社は、2011年NGO民際センターが主催するプロジェクト「ブーンライ保健衛生事業」の一環で、「キレイキレイ泡で出る消毒液」でラオスの保健衛生教育支援を行いました。

2011年度の健康診断がラオス・カムアン県の小学校13校で1,150名の児童に、実施されました。
手を清潔にすることが病気の予防に繋がることを教える保健衛生活動が行われ、ライオンの『キレイキレイ薬用泡で出る消毒液』を使って、実際に手を消毒してもらいました。
ラオスには、上水道や下水道などの社会基盤となるインフラがありません。
また田舎には、病院や診療所もありません。
この為、子供の死亡率を下げるためには、手を洗うなどの教育を学校ですることが人々の健康にとって何よりも大切なのです。
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ミレニアム開発目標のひとつは2015年までにすべてのこどもたちが初等教育を受けることであり、ラオス政府もそれを目指していますが、様々な課題があります。
就学率は84%とされていますが、実際多くの子供たちが最終年まで通うことができません。
また一般的に、途上国では、女の子はほとんど学校に行っていません。
ラオスでも同じように僻地に住む少数民族の女の子はほとんど学校に行っていません。
歴史的に、唯一ラオ族のみが正規の教育を受けてきました。
ラオスに住む他の民族は書き言葉を持たず、仏教寺院において僧侶が男子生徒にのみ教育を施してきました。
フランスによる植民地時代には、フランス語での中等教育システムを設立し、教育をうけた限られたエリート層が生まれました。
1950年代後半に、ラオ語による指導が開始されました。
ラオ語を簡素化し、より多くの国民に使われるように政府主導で取り組みがなされました。

ラオスにおける識字率は上昇しつつありますが、手に入る読み物は不足しています。教師たちは給料が低いため、他でも収入を得なくてはならず、一日に数時間しか教える時間がないのです。
教室、教科書、教育的資源、教師向けの指導書、図書館・図書室など、すべてが不足しており、初等教育における大きな障害となっています。
初等・中等教育は男女問わず無償です。
しかし農地での仕事や家族の収入に貢献することが求められているため、女子の識字率は男子に比べ17%も低くなっています。

NPOルーム・トゥ・リードはラオスで子どもの教育を支援する活動を行っています。
この団体は、最も貧しい地域に焦点をあて、教育インフラの整備と質の高い教材の確保に重点を置いています。
2005年に学校建築、図書館・図書室、現地語出版の3つのプログラムに着手し、現在では女子教育支援、読み書き能力育成プログラムまで活動を拡大しています。
又、2011年にラオス政府と新たに今後5年間のプログラム実施及び拡大に関する計画について合意しました。
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ラオスは、経済的には貧しい国であるとされています。
国連の基準では、世界の最後発国(LDC;Least Developed Countries)に分類されています。
ラオスの一人あたりGDPは、年間360ドルであり、日本と比較をすると約100分の1の低さです。

また、UNDP(国連開発計画)によると、ラオスにおいて1日1ドル以下で生活をする人の割合は26.3%に達しています。 (UNDPでは、全世界においてこの貧困層の人口を2015年までに半減させることを目標としています。)
ラオス政府も、2003年、「国家貧困撲滅計画(ネップ:NEEP;National Poverty
Eradication Program)」 を作成し、2020年までに後発開発途上国(LDC)からの脱却を目指して、貧困対策に国をあげて取り組んでいます。
この計画では、都市部では一人あたり月額10万キープ(約10ドル)以下、農村部では月額8万2千キープ(約8.2ドル)以下の収入の人が地域人口の半数以上を貧困地区と定義しています。

ラオスは、東南アジアのバッテリーと呼ばれるほどの電力供給国です。
ラオスを流れるメコン川は全長4,500km、東南アジア最大の河川で、年間に海へ放出する水量は日本の全河川の流出総量を上回るといわれています。
そのメコン川の支流にダムをつくりタイなど隣国への電力輸出を進めてはいますが、ラオス国内では送電線等のインフラの整備が遅れているため電力不足で、タイに輸出した電気を割高な料金で逆輸入するという現状になっているのです。
このように、ラオスが経済成長するにはまだまだ問題が多いのが現状です。

一方、近年インドシナ半島において、南北と東西の双方から新たな道路網の建設が始まっていることが注目されています。
一つは「南北経済回廊」と呼ばれるルートで、中国主導の下に、中国雲南省からラオスを経てタイのバンコクに抜ける道路です。
もう一つは「東西経済回廊」と呼ばれるルートは、日本の援助も入って、タイからラオスを抜けてベトナムへ向かう道路です。
こうした道路網が整備されれば、ラオスの内陸国としてのハンディキャップもだいぶ解消されます。
アジア開発銀行では、この2つの回廊整備も含めて、メコン川を動脈にした経済圏をつくろうと「大メコン経済協力計画」を進めています。

ここ数年、「チャイナ・プラスワン」としてASEAN諸国が注目を集めてきました。
中国に生産拠点を持つ日本の製造業が、賃金上昇やストライキ頻発など労働事情の悪化を背景に、中国一国集中ではリスクが高いと認識し始めたのです。
JETROの調査(2010年)によると、中国におけるワーカーの月額賃金は北京で約380ドル、上海で約300ドル、大連で約220ドルなどとなります。
一方ASEAN諸国では、ジャカルタ(インドネシア)が約150ドル、ハノイ(ベトナム)が約100ドル、ヤンゴン(ミャンマー)が約20ドルなど、中国の主要都市に比べ低い水準にあります。
このような状況のため、日本企業は人件費の安いラオスやカンボジア、ミャンマーに工場を作ろうと思っているのです。

「無印良品」の良品計画は、エコバックの調達先を中国からラオスに切り替えました。
中国での人件費の高騰を受けてのコスト削減と、ラオスの産地育成のためです。
良品計画は、直接貿易の取り組みの中で、ラオスで雇用創出を進める現地工場に出会い、その企業活動に大きな感銘を受けたそうです。
この工場では、現金収入の非常に少ない村で手紡ぎの糸を購入し、藍染め・草木染めの染色工程を経て、その染色糸を今度は別の村に支給し、手織りしてもらいます。
そして再度手織り生地を買い取り、縫製・加工し、海外またはラオス国内に出荷するという一連のサイクルを実施しています。
こうした雇用創出により、ラオス経済の活性化・成長にはなるのでしょう。
しかし一方では、現地の人々がこのエコ・バッグ生産の為に仕事に追われ、生活が変わってしまったとも言われています。

開発の波とともに、ラオスに貨幣経済が急速に浸透し始めました。
バイクや自動車の急激な増加、携帯電話の中学生高校生までの普及、首都の物価の高騰、値段が上がりそうな土地の売買の増加などが著しいです。
首都ヴィエンチャンでは、これまで無かったストリート・チルドレンの増加、物乞い、青少年の非行、覚せい剤を中心とした麻薬への依存、隣国タイ等への児童労働、児童の売買等様々な問題が発生しています。
また、以前はほとんどなかった引ったくりや強盗といった凶悪犯罪も次第にその数を増しているようです。

ラオスの経済発展が遅れている理由のひとつに、ラオス人の労働意欲の低さをあげる人がいます。
少々失敗をしても、今日できることを明日に延ばしても、ラオス人はよく「ポーペンニャン」(気にしないで)という言葉を使います。
仕事に対してまじめに取り組む日本人やベトナム人からみると、やや無責任にも聞こえるかもしれません。
しかし、これは、人生は細かなことにこだわらず決してあせる必要はないというラオスの国民性の現れでもあります。
他人と会っても微笑を絶やさないというやさしさがあふれた良き国民性なのです。

一度ラオスに行ったことのある人は、必ずラオスに戻ってくるといいます。
それは、ものはなくても全く気にせず、人の心が豊かで幸せに感じるからだそうです。
又、NYタイムズで世界で行きたい国No.1に選ばれてもいます。
「あなたの大切なものは何ですか。」
「お父さんとお母さん」

ラオスを囲む国々の人口は、中国・雲南省だけで約4500万人、ミャンマーが約6200万人、ベトナムが8600万人、タイが6500万人と、ラオスより一桁大きいのです。
大国に囲まれながらひっそり心豊かに暮らす、ブータンに似ているのかもしれません。
最近ブータンのGNH (国民総幸福度)が話題になっています。
今まで日本は資本主義、市場経済のもと、経済成長をし続け物質的に豊かになりましたが、精神的な豊かさ、幸せについて疑問を持っている人が多いのではないでしょうか。
貧困とはいったい何なのでしょう。
幸福とは何でしょう。
人それぞれの価値観によって違ってくるのではないでしょうか。

あなたの大切なものは、何ですか。
絵と写真を集めた人:
1.坂本直佳
(2004年7月)
2.矢野弘明
(2005年)
3.山本敏晴
(2008年8月)
画像データを編集し、文章を書いた人:
澤田 輪香子
編集完了日:
2012年6月26日
監修・校正:
山本敏晴
企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/