2012年01月11日

フィジー Fiji

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白い砂浜に、青い海。
日本人が持つフィジーのイメージは「南の楽園」です。
日本からも観光客が多く訪れます。
四国とほぼ同じ大きさである18,300㎢の面積は、
直径数mの小島を含む332島で構成されています。
そのうち、222島は無人島です。

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フィジーは、伝統的に太平洋のハブとして存在し、
国連機関、各国在外公館のほとんどが事務所を置いています。


「私の大切なものは、神様です。」

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フィジーは、1874年にイギリスの植民地となりました。
1879年に砂糖のプランテーションのために、
多くのインド人労働者が移住させられました。
1987年にイギリスから独立しましたが、
現在も、人口の38%をインド系移民が占めています。
58%がフィジー人、5%がヨーロッパや太平洋の島民と華人などです。
定住したインド系の人々が、
後のフィジーの政治、経済に大きく関わります。

フィジーの政治は度々クーデターが生じ、混乱しています。
2011年12月現在、フィジーの政治は暫定の軍事政権が行っています。

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1999年の選挙により初のインド系首相が誕生しました。
しかし、その後、バイニマラマ軍事指令官が、
フィジー系民族の権利擁護や、政府の腐敗粛正を理由に
度々クーデターを起こしています。
2006年に生じたクーデターを、
国際社会、特にオーストラリア、ニュージーランド、EUが批判し、
民主主義体制を取るよう要求しました。
しかし、暫定政府は、国際社会からの要求を断り、
かわりに選挙制度を変えると主張しました。
この結果、フィジーは太平洋諸島フォーラム(PIF)と、英連邦から
参加資格を停止されました。

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暫定政府は2012年に憲法を制定、その後1年間準備をして、
2014年に総選挙を行うようロードマップを発表しています。


政治の混乱は経済にも影響します。
2006年のクーデター後、
2007年に経済成長率はマイナス6.6%と記録しました。
経済を立て直すためにも、政治を安定させる必要があります。

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フィジーの主要産業は、観光、砂糖、衣料です。
砂糖産業には、フィジーの全農地の50%、労働者の20%が関わり
主な輸出品となっています。
日本における砂糖の輸入国第4位です。
しかし、砂糖産業は年々衰退しています。
こちらにも、フィジー系とインド系の民族の対立が関係しています。
プランテーションが行われていた頃から、
フィジー系の民族が所有する土地を、
インド系の民族が借用して砂糖を栽培していました。
しかし、クーデターをきっかけに民族間の対立が表面化し、
異民族間で借地契約の更新が行われないなどの
トラブルが多くなりました。
この結果、インド系の民族には、さとうきび栽培を辞める人や、
借地契約に対する不安から、さとうきびの改植を
行わない人が多くなりました。
さとうきびは、改植(植物を植え直すこと)を行わないと、品質が下がるため、
年々、1ヘクタール当たりの産糖量が減少しています。

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また、2006年から行われたEUの砂糖制度改革も
砂糖産業の衰退に影響しています。
EUは、アフリカ・カリブ海・太平洋諸国から、
EU域内価格を基本とした高い価格で輸入していましたが、
世界貿易機関(WTO)が、規則に違反すると裁定したため、
フィジーの砂糖のEU向け価格が著しく下がりました。
これらに対し、フィジー砂糖公社は、
農家を対象とした改植や肥料購入などの費用を支援するため、
低利融資を行い、砂糖産業の衰退を防ごうとしています。


フィジーでは、国家が強い権力を持っています。
2010年、メディア産業振興法が布告され、
国家がメディアを管理出来るようになりました。
これは、フィジーの報道機関の株を
海外企業は10%までしか持てないと制限するものです。
そのため、オーストラリアのニュース・リミテッド社は、
それまで持っていた株の90%を手放すことになりました。

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フィジー労働組合会議(FTUC)の会長は、
団体交渉に向けた会議を開催したところ、
非合法な集会とされて逮捕されました。

このような状況のために、
日本労働組合総連合会(社会党右派系の労働組合)は、
国際労働組合総連合(ITUC)とともに、
フィジー軍事政権に対して、
労働者の基本的権利と自由な労働組合活動が
行えるよう強く求めています。


「私は将来、ヘリコプターの整備士になりたいです。」

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フィジーを囲む美しい海は、観光産業を発展させた一方、
人身売買などの越境犯罪の脅威が横行し、深刻な問題となっています。
2009年版の米国務省人身売買報告の中で、
フィジーはブラックリストに掲載されています。
麻薬の密輸では、中継点として指摘されています。
状況は、2006年にオーストラリア、ニュージーランド、
フランスの軍事協定が停止されてから、より悪化しています。
広範囲に渡る海域の航空監視が無くなり、
フィジーが監視活動を行うことはまれにしかありません。


「私の大切なものは、みんなが一緒に住める街です。」

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フィジーの貿易は輸入超過となっています。
そのため、フィジー政府は、鉱物資源の開拓による
経済振興に期待をしています。
政府は、銅金鉱山炭鉱プロジェクトを、
日本の鉱山会社グループ(三菱マテリアル(株)と、日鉄鉱業(株))、
オーストラリアのNexcrest Miningナモシ社と進めています。
しかし、現在のフィジー電力公社の発電能力では、
鉱山開発に必要な、膨大な電力を賄うことができません。

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発電能力を上げるためには、
火力発電を拡大させる事が現実的ですが、
環境へ配慮するために、
低二酸化炭素ガス排出技術を取り入れた火力発電と
地熱発電施設を組み合わせて、
発電能力を上げる予定になっています。
地熱発電は、現在も調査が進められています。
火力発電設備を導入するため、国際協力銀行(JBIC)は、
輸入・投資・事業等開発のための融資の
ソフトローンを行う予定です。


「私の大切なものは、きれいな海です。」

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フィジーの人々は、生活必需品の多くを輸入に頼っています。
輸入品は、使用された後、ゴミとなります。
国土の狭いフィジーでは十分な廃棄場を確保することは難しく、
廃棄物の処理に問題を抱えています。
さとうきび農場の契約切れに伴い、地方での失業者が増え、
都市部へと人口が流入してきたため、
都市部でのゴミの、多様化、多量化が進んでいます。

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国際協力機構(JICA)は、志布志(しぶし)市のゴミ処理体系の普及を行っています。
ゴミ焼却場を持っていない、志布志市の取り組みが、
フィジーの廃棄場の確保が難しい現状に活かされています。
志布志市の平成21年度のゴミリサイクル率は75.4%です。
志布志市の職員がフィジーへ派遣されるだけでなく、
フィジーからも研修団の受け入れを行い、技術支援や、市民参加を促し、
「ゴミはリサイクルして当たり前」と、意識改革が行われています。


農村部では、都市部、地方を問わず定職を持たない青年が多くいます。
フィジー政府は、こうした若者が生きる力を身につける場として
国立青年研修センターを設立しました。

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国際NGO オイスカは、フィジー政府の要請を受けて、農業技術研修、
規律訓練を行っています。
研修生には、オイスカが研修センター外で行う
社会貢献活動への参加を義務付け、
村に帰ってからも社会に貢献できる人材を育てています。
将来はオイスカの現地NGOであるOFETAが
センターを独立して運営できることを、目標にしています。
研修センターは、2007年から郵便貯金・簡易生命保険管理機構の助成を
受けています。


「私の大切なものは、勉強するための学校です。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 FIJ_001.JPG)





島国では、情報を共有するネットワークが重要です。
フィジーにはオセアニアの12の小規模島国が協同で設立した
公立の南太平洋大学(USP)があります。

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19000人の学生のうち、50%以上は遠隔教育を受けています。
1998年から、日本、オーストラリア、ニュージーランドが共同で
通信衛星ネットワークは整備をして
遠隔教育を受けやすい環境を整えました。
南太平洋には、高等教育を受ける機会の無い国も多く、
USPは重要な教育機関となっています。

日本からフィジーへの留学生者は2004年からの2年間で10倍へ増えています。
South Pacific Free Bard(株)は、欧米国と比較して安価で語学留学が出来るよう、
フィジーで語学学校を運営しています。
少子化が深刻となるフィジーで、政府から廃校となった学校を借りて、
政府が雇用できないフィジーの教師を雇用しています。
日本からフィジーを訪れる人を増やし、現地での雇用を増やすことで
地域の活性化に貢献しています。



「私の大切なものは、病院と家です。」

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感染症対策でも、ネットワークが活用されています。
南太平洋は、感染症が流行し易い環境にあります。
人口が少ないため、病院などの設備が少なく、
感染症対策に必要な物資の調達や、
必要とされている場所への運搬が難しい事が理由に挙がります。
また、漁業や観光で頻繁に人が移動するため、
感染症をもたらす原因菌が、人の移動に伴い、拡散します。

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そこで、南太平洋の各国の衛生担当者、臨床医、検査技師、医療関係者が
自発的にネットワークを作りました。
1996年、The Pacific Public Health Surveillance Network(PPHSN)が、
立ち上げられ、各国の情報が共有されています。

フィジーはフィラリア症の流行国です。
1999年より世界保健機関(WHO)のリンパ系フィラリア症の根絶を目標とする
広域プログラムに参加しています。
2002年より、全国民対象の集団治療薬投与が行われています。
抗フィラリア薬配布率の向上のために、
地域医療者等へのフィラリア症教育や、
住民に対しラジオによる広告および質疑応答コーナーを活用し、
情報提供が行われています。


フィジーは肥満大国です。
女性の肥満率は、アメリカと並ぶほどです。
フィジーの死因は82%が生活習慣病です。
また、公的医療機関は無料で診療を受けることが出来るため
膨大な保健衛生費が国家予算を圧迫しています。
外部から高カロリー食品が流入したことにより、
国民の食生活が変化したことが肥満の主な原因です。

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これまで、政府は栄養政策を何度も行ってきましたが
なかなか効果が出ませんでした。
栄養状態とは、住民の日々の食生活に密接していますが、
国レベルの政策が、地域レベルの活動へ
活かされていなかったためです。
正しいことを提言するだけでは、
人々の意識や行動を変化させることは出来ません。
国際協力機構(JICA)は、太平洋共同体(SPC)や、WHOと、
共同して地域でのワークショップを行いました。

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フィジーの国歌は
イギリスから独立する前に行われたコンテストで選ばれ
幸福と自由を歌っています。

フィジーのイメージは南の楽園です。
私は、言葉の通り、フィジーが幸福と自由を実感できる国に
なって欲しいと願います。

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絵と写真を集めた人:
渡橋浩子(2007年)
山本敏晴(2007年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
姉崎沙緒里

編集完了日:
2012年1月16日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/

posted by お絵描きイベント at 12:28| 日記