2011年10月07日

パラグアイ Paraguay




パラグアイ共和国は、
南米大陸の中央に位置する国です。
ブラジル、ボリビア、アルゼンチンに囲まれた内陸国です。

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国の大きさは日本と同じくらいで、
人口は約600万人、日本の半分です。

綿花、大豆などの農牧業や、
肉などの牧畜業が盛んな国です。

国民の9割以上が、
白人と先住民、両方の血統を受け継いでおり、
主にキリスト教カトリック派を信じています。

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言語としては、スペイン語と先住民の言葉であるグァラニー語、
2つの言葉を公用語として使っています。

一般に、
先住民の言語は、
年月が経つにつれて話す人が少なくなり、
消えてしまう傾向があります。

そのような中、
パラグアイのグァラニー語は、現在でも公用語とされ、
国民のほとんどに理解されています。
国民は、先住民の言語を話すことを誇りに思っています。

国旗は、表と裏でデザインが異なります。
国旗に表裏があることは珍しく、
パラグアイを含めて世界で3ヵ国だけです。

表のデザイン
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裏のデザイン
800px-Flag_of_Paraguay_(reverse)_svg.png
(在日パラグアイ共和国大使館ホームページより)

また、パラグアイはサッカーが盛んです。

「僕は、サッカー選手になりたいです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 PRG_011a.jpg DSC_2314a.jpg)



子どもたちが通う学校では、
サッカーの話題があふれています。
たとえサッカーボールがその場になくても、
男の子たちは、いつも何かを蹴って練習をしています。

パラグアイは日本との親交がとても深い国です。
約7000人もの日本人と日系人がパラグアイで暮らしており、
2006年に、移住70周年を祝う記念祭典が開催されました。

2011年の3月11日に東日本大震災がおきた時には、
豆腐100万丁分にあたる大豆100トンと、
豆腐を作るための資金による支援を、
パラグアイ政府と現地に住んでいる日本人の移住農家が始めました。

パラグアイと日本、
地球の対にある2つの国ですが、
心は絆で結ばれていると、筆者は思います。



・・・

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上の絵は、この国の子どもが描いた、
パラグアイの地図です。
周囲を3つの国に囲まれており、
パラグアイの北側から時計回りに、

B=ボリビア
BR=ブラジル
A=アルゼンチン となっています。

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先住民のグァラニー人が、この地で生活をしていました。
その後、16世紀から、スペインが土地を領土としました。

1811年に、中南米地域では初めての独立国として、
パラグアイ共和国が誕生しました。

建国後は、政権を握った将軍が30年間以上独裁政治を続け、
日本と同じように鎖国を行いました。

1864年には、中南米における歴史の中で、
最も残酷な戦いといわれた、三国戦争が起こりました。

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三国戦争とは、
ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの
3ヵ国が同盟を結び、パラグアイに攻め込んだ戦いです。

国土の多くを、隣国のブラジルとアルゼンチンが奪いました。
そして、パラグアイの男性のうち、なんと9割もの人々が亡くなり、
国の人口が急激に減少してしまいました。

長く続いた独裁政権ですが、
1993年に、ワスモシ大統領が就任し、
民主主義政権が始まりました。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「ラパチョの樹です。」

ラパチョの樹は、パラグアイを代表する樹木です。
日本にとっての桜に近い存在で、
パラグアイの人々はこの樹を見ると、
自分の国の大切さを深く感じるのだそうです。

パラグアイでは、
戦争によって、男性のほとんどが亡くなりました。

このため、生き残ることのできた男性は貴重な存在となり、
それは、多くの機会において国が男性を優遇する社会
という形で今も名残りがあります。

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1992年、政府は新しい憲法を制定しました。
新憲法は、男女平等を掲げましたが、
未だ、女性の人権は重んじられません。
女性を取り巻く環境が改善されないことは、
国全体の成長を妨げます。

NPOフンダションマーノ・ア・マーノは、
パラグアイにおける、
安定した仕事を得られない女性に向けて、
縫製技術の訓練を行いました。

女性が社会的・経済的に家庭を支えることは、
国全体の基盤をしっかりさせることにつながります。

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この事業は、以下の成果をあげました。

1.高いレベルの技術指導者が育ちました。
2.上記の指導者から訓練を受けた受講者が、
  縫製の基本的知識、ミシンの使い方、製品を作る技術を
  身につけました。
3.受講者が自ら経営を続けるために、
  生産を管理する力を学びました。
4.市場、展示会、国外輸出の体制など、
  製品を実際に販売することができるようになりました。

このプロジェクトは、
パラグアイの人々が昔から受け継いできた、
伝統的な刺繍の指導も行いました。

フンダションマーノ・ア・マーノは、失われつつある伝統を守りながら、
女性に対する差別を改善し、地域社会の生活を支えていきます。

 

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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「家族や周りの人みんなが、一緒に幸せになることです。」

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国民の経済的な不平等が、問題になっています。

国連開発計画(UNDP)が、
2007年と2008年に行なった調査では、
世界における貧富の差が大きい国の10位以内に、
パラグアイが入っています。

国民のたった1割が、国土の半分以上を独占しています。
その一方で、土地を持つことすらできない国民が3割います。

NGOのCAMSATは貧困を減らすため、
資金を流通させる融資事業を行なっています。

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CAMSATの事業方法は、
『マイクロクレジット』から学んだものです。

マイクロクレジットとは、
貧しい人や失業者、資本が足りない起業家など、
通常の銀行からはお金を借りることが難しい人々を対象にした、
資金を貸す事業です。

マイクロクレジットを考え出したムハマド・ユヌスは、
2006年にノーベル平和賞を受賞しました。

その特徴的な方法は、主に以下のものが挙がります。

1.お金が必要な人ならば誰でも借りることができる。
2.集団に対してお金を貸し、
  グループでの連帯責任を生みだす。
3.返済額をとても小さい額にする形で、
  資金を貸してあげることにより、お金を返しやすくする。

CAMSATは、カトリック教の神父が、
貧困の克服と地域の発展のために、立ち上げた団体です。

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CAMSATへの加入者は、毎月3セントを払うことで、
医療を受け、医薬品をもらえたり、
子どもが補習教室や給食施設を利用できること、
大人が職業訓練講座を受講できることなど、
様々なサービスを受けることが可能です。

CAMSATの事業により、
人々の収入は安定し、生活が向上して、
貧しさにおける負の連鎖を断ち切ることが
できるようになりました。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「僕が通っている学校です。」

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パラグアイでは、
独裁政権が長く続いていました。

当時は、国が教育そのものを普及しなかったため、
学校が機能していませんでした。

1994年から教育改革を行なっており、就学率は上がっています。
一方で、教育の質を上げることが必要です。

生徒が1年間に受けられる授業日数と授業時間数や、
学校と保護者の連携が不足しています。

生徒の学習到達度が中南米諸国の平均を下回り、
その結果、特に低学年においては、
5人に1人が留年してしまうという状況です。

指導者の質を上げること、
また、指導者と保護者が報告・連絡・相談をお互いに行い、
生徒をとりまく学習環境に対する理解を、
指導者、保護者、生徒で共有することが課題です。

国際協力機構(JICA)は、
学校運営における管理能力を改善するプロジェクトを実施しました。

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国際協力機構は、
これまで教員に対する研修や、教材の配布などを行なってきました。

しかし、
教員を指導する立場にある、校長レベルの人々に対する研修を
まだ実施していませんでした。

1.ガイドラインをつくり、
2.研修を行い、
3.計画の進み具合をチェックし、
4.研修が終わった後に経過をみながら改善していく、
ということをしながら、一連の活動を行いました。

これにより、
年間の授業日数と授業時間数が改善されつつあります。
また、対象校において保護者会による支援が大きくなり、
学校と保護者とが協力し合って
学校教育を行うことができるようになりました。

プロジェクトの実施をうけ、
対象になった約100校の学校から、
全国に向けて研修の輪が広がっています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「大きな海くらい、たくさん水があったらなと思います。」

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雨季は、たっぷりの雨に恵まれます。
しかし、乾季になると水が不足するため、
安全な飲み水を確保することができません。

汚染された水を飲むことにより、
人々は病気にかかったり、
亡くなってしまうことがあります。

一般に、
南米は地理的に高い場所に位置するため、
気温があまり上がりません。

ところが、
パラグアイは平地に位置し、海と山がない盆地であるため、
気温が上がります。

乾季になると、雨が2ヵ月近く降らないこともあり、
人々が暮らす地域であっても、
45度というかなりの高気温になってしまいます。

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このような状況のため、
水を手に入れることが難しいのです。

人々は水を確保するために、
川や池まで何時間も歩いて汲みに行きます。
遠く離れた水源まで行くことが困難な人は、
近所の水溜まりにある水を使わなくてはなりません。

しかし、これらの水は衛生状態が悪く、
汚染されていることがあります。
この水を飲むことにより、人々は病気に感染し、
命を落とすこともあるのです。

世界保健機関(WHO)によると、パラグアイでは、
5歳未満の子どもにおける死亡率の10%が下痢によるものです。

国際連合児童基金(UNICEF、ユニセフ)は、
安全な飲み水を確保するプロジェクトを実施しました。

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雨季に貯めた雨水を、乾季にも使えるようにするものです。

まず、家の屋根やその近くの管に流れた雨水を、
専用のパイプを使って集めます。
次に、地中深く掘った井戸に貯めます。
そして、手動式のポンプを用意し、
必要に応じて貯めた水をくみ出せるようにします。

これにより、
人々は安全な水を利用することができるようになりました。

ユニセフは、この仕組みをパラグアイに20ヵ所つくりました。
パラグアイの政府と協力しながら、
他の地域でも、このプロジェクトを広めています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「木と土が大切です。」

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パラグアイでは、
農地における土壌の劣化が、問題となっています。

国民の半数が農村地帯で暮らしており、
農業で生計を立てる人のほとんどが、
規模の小さい、小規模農家です。

これらの農家では、肥料を使わず、
土地の栄養を補給しない農業を行なってきたため、
農業を行う農地において、
作物を育てる土壌の質が低くなってしまいました。

パラグアイは周りを陸地で囲まれた内陸国であるため、
突然の激しい雨が降りやすく、
質が低くなった土地で土壌侵食が起こります。
これにより、土壌の劣化がますます進んでしまうという、
悪い循環が起きています。

そこで、
土壌劣化が進行した土地へ植林活動を行なっています。

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三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社は、
国際農林水産業研究センターと、
パラグアイ政府国家森林院、国立アスンシオン大学などと協力して、
このプロジェクトを支援しました。

このプロジェクトは、
100戸以上の農家における、
劣化が進行した耕地(東京ドーム40個分以上の土地)に、
成長が早くて病気に強いユーカリなどの木を植え、
土の保全と、土地の生産力を回復させるものです。

2007年から2027年まで、
20年間という期間をかけて行う予定です。

今回の計画により植える木々が、
地球上の二酸化炭素を約3万トン吸収すると、
国際農林水産業研究センターは予測しています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「いろいろ大事なものがあるんですよ。」

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この絵は、
ある靴屋のおじいさんが描いたものです。

絵の左上から順に、ハート、木、手紙、オレンジの実、です。
おじいさんは、次のように説明してくれました。

ハート:「人間が生きていくのに一番大事なのは、ハートです。」
木:「木がないと人間は生きられません。」
手紙:「人から気持ちをもらう手紙は大切なものです。」
おじいさんの家になっているオレンジの実:「私はオレンジが好きです。」

多くのものを失いながらも、
温かい心を持ちつづけ、力を合わせて歩んできたパラグアイは、
2011年に建国200周年を迎えました。

受け継いできた大切な糸を、
新しい命へこれからもずっと紡いでいきたいという、
パラグアイの願いがあります。





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絵と写真を集めた人:
赤枝裕美
馬場桃子

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年10月14日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 08:32| 日記