2011年09月17日

パプアニューギニア Papua New Guinea

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パプアニューギニアは、オーストラリアの北方に位置し、グリーンランドに次いで世界で2番目に大きいニューギニア島の東半分と、その周辺の島々によって構成されています。
1975年に独立した新しい国で、旧宗主国のオーストラリアとは今も強い結びつきをもちます。

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日本の約1.2倍の面積の国土の中に約670万人の人口を抱え、面積・人口とも太平洋に点在する22カ国の中で最大です。
また、天然資源を豊富に有することを背景に著しい経済成長をとげ、太平洋地域内で強い発言権をもちます。


「私に大切なものはお祈りをすることです」

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国家元首はイギリス女王で、国教はキリスト教、公用語は英語です。
国民の約95%がキリスト教徒ですが、独自の精霊を信仰する部族もいます。
公用語の英語とともに、約800もの部族がそれぞれ独自の言語を使用するため、世界で最も多くの言語が用いられている国と言われています。
ただ、同じ言語を話す人はたいてい20〜100人程度にすぎず、世界で最も多くの言語が失われようとしている国でもあります。

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同じ言語を用いる集団のことを『ワントク(英語のone talkに由来)』といい、ワントク内で家族のように助け合う慣習があります。
ただ、ワントクの絆が強すぎるため、ワントク外で衝突したり、現代的なビジネスが通用しにくいという側面もあります。

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「私の大切なものは古くから伝わる伝統です」

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パプアニューギニア人の祖先は、約5万年前の氷河期に、東南アジアから島伝いにやってきたメラネシア人と考えられています。
その一部はオーストラリアに渡ってアボリジニになったため、アボリジニに似ています。

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彼らは、7000年以上前から農業を営んでいたことがわかっており、一部の部族は近代文明に染まらずにいまも当時と変わらぬ農業を営んでいます。
また、約5000年前から貝殻を貨幣として用いていたことがわかっており、これが世界で最古の貝貨であると考えられています。
一部の地域では今でも貝貨が使用されています。

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長い間、現地人は石器時代さながらの生活をしていましたが、16世紀に大航海時代を迎えると、西欧諸国がパプアニューギニアに進出しはじめました。
以後、パプアニューギニアは、イギリス・ドイツから占領されたり、オーストラリアから施政を受けたりと、諸外国によって翻弄され続けました。


「私は戦争のない世の中を望みます。戦争だけは本当にやめてください」

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1975年にオーストラリアから独立した後も平穏ではありません。
パプアニューギニアの東端に位置するブーゲンビル島には、世界最大級の銅山があり、オーストラリアの企業が銅山を採掘していました。
しかし、銅山の採掘によって水質汚染などの深刻な環境問題がもたらされたため、1988年、島民たちは反政府組織を結成し、銅山の閉鎖とブーゲンビル島の分離独立を求めて内戦を起こしました。
この内戦は泥沼化の様相を呈しましたが、1998年にニュージーランドの仲介で停戦合意し、2001年には和平協定が結ばれました。
そして、2005年には、国際選挙監視団が監視する選挙によってブーゲンビル自治政府が誕生しました。

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日本政府は、このときの選挙に監視要員を派遣し、『草の根・人間の安全保障無償資金協力』を通じて選挙に必要な資金を援助しました。
今後、ブーゲンビル島が自治州としてパプアニューギニアに残るか、独立するかは、2015〜2020年の間に実施される住民投票によって決まる予定です。

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「私はお父さんが大切です。お父さんはあらゆるものを所有しています」

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パプアニューギニアの経済は、都市部の近代的な貨幣経済と、農村部の自給自足経済との二重構造をとります。
中央山間部は外界から隔絶されており、なかには1960年代になってはじめて近代文明と接触した部族もいます。
彼らの一部は今でも伝統的な暮らしをしているため、パプアニューギニアは『地球最後の秘境』とも呼ばれています。


「私の大切なものは飛行機です」

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近年の近代文明との接触はパプアニューギニア人の暮らしを一変させました。
この結果、白人たちを神様と考え、神様が文明製品を積んで届けてくれているものと信じて期待する『カーゴ・カルト(積荷信仰)』という宗教運動が起きました。
人々の価値観が大きく揺らいだのです。


「私は争いのない平和な世を望みます。」

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しかしながら、近代化がもたらしたものは良いことばかりではありません。
農村部で人口爆発が起きると、農村部に住む人がより安定した仕事を求めて都市部に移住する流れができます。
ところが、都市部にも仕事はなく、都市部に移住した人の大半が失業者となってしまうのです。
この結果、都市部では『ラスカル』と呼ばれる武装強盗集団が跋扈(ばっこ)し、窃盗やレイプ、強盗殺人などの犯罪が横行するようになりました。
実際、パプアニューギニアで子どもたちの絵を集めてくれた青年海外協力隊の方もハードディスクドライブを盗まれてしまいました。
また、パプアニューギニアに派遣された女性の青年海外協力隊員がレイプされたこともあります。
このように都市部の治安が悪いため、外国からの投資が進まず、経済が悪化し、これがさらに治安を悪化させるという悪循環を生み出しました。

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ラスカルの多くは、農村部から都市部のセトルメントと呼ばれる居住地区に移住してきた10代から20代の若者から構成されていると言われています。
そこで、日本政府はセトルメントの住環境を改善するとともに、セトルメントに住む若者に職業訓練をしました。
また、国際連合人間居住計画(国連ハビタット)は、首都ポートモレスビーでの犯罪の原因を分析するとともに、犯罪防止活動や現在実施中の活動の評価を含めてデータベース化しました。

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最近では、金 ・銅・石油・天然ガスなどの資源開発が進むようになりました。
特に、アメリカのエクソンモービルや新日本石油開発株式会社などが参加する大規模な液化天然ガスプロジェクトが順調に進めば、2014年にはパプアニューギニアの輸出収入は約3倍に増加するとみられています。
外国からの投資によって資源開発が進むにつれ、経済状態もよくなって、治安も改善されつつあります。

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「わたしは平和が大切です。両親がけんかをするのをもう見たくありません」

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パプアニューギニアでは、女性の地位は非常に低いです。
部族社会の多くは家父長制で、女性を所有物とみなす風潮が根強く存在するからです。
多くの女性は過度の労働や栄養失調、暴力などの危機にさらされています。
これは、男性の平均寿命よりも、女性の平均寿命の方が短いことからもうかがえます。


「わたしはお医者さんが大切だと思います」

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このような惨状にさらに追い打ちをかけるのがエイズの問題です。
パプアニューギニアは、太平洋地域で最もエイズが蔓延している国なのです。
特に、仕事を求めて農村部から都市部のセトルメントに移住してきた女性たちの場合、夫から感染する他、レイプによって感染してしまうこともあります。

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こうした事情を受けて、世界保健機関(WHO)および国連児童基金(UNICEF)は、セトルメントに住む女性たちにHIVが母乳を通じて感染することを教え、また医療従事者に対してもエイズに関する基礎的な知識をさずけるなど、エイズを予防するためのプロジェクトを実施しました。
このプロジェクトに対して、日本および国連も、日本主導で国連に設置した『人間の安全保障基金』を通じて約3億円の支援を行いました。

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「私は学校が大切です」

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パプアニューギニアの総就学率は東アジアと太平洋地域内で最低です。
これは、地域によっては学校が不足し、また部族抗争があるなど、大きな地域差があることが原因です。
特に、女の子の場合は、早くに結婚する場合もあり、また、家族から支援が受けられないこともあって、教育を受ける機会はさらに少なくなります。

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そこで、国連児童基金(UNICEF)はパプアニューギニア政府に対して女子教育を推進するよう政策を提言しました。
これを受けて、パプアニューギニア政府は女子教育を推進するキャンペーンを全国で展開し、また娘を学校に通わせるよう親たちを説得する活動をしました。
こうした活動により、特に農村部の女の子の就学率が上がりました。
パプアニューギニア政府は大胆な教育改革を実施しており、これからの動向に注目が集まります。

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「わたしの大切なものは、パプアニューギニアが誇る極楽鳥です。」

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パプアニューギニアには、アマゾン、コンゴに次いで世界で3番目に大きい、パラダイスフォレストと呼ばれる熱帯雨林があります。
そこには地球上の5%の生物種が生息し、鳥だけでも90種の固有種が生息するなど固有種も豊富に生息しています。
特に、国鳥でもある極楽鳥は、世界に43種類あるうちの38種類がパプアニューギニアに生息しています。


「私の大切なものは木です。木は酸素をつくるし、果物もとれるし、紙や木材にもなります。生活に必要なもの全てを木がつくりだします」

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伝統的な暮らしを営む部族にとっては、パラダイスフォレストは、生活をしていくうえでなくてはならないものです。
しかし、このパラダイスフォレストが急速に消失しつつあります。
2002年までの30年の間に、全森林面積の15%が消失し、約9%が劣化したことが明らかになっています。

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国際環境NGOグリーンピースは、こうした所行の大部分がマレーシア系木材会社による違法伐採によるものであり、しかも原住民に対する暴力などの深刻な人権侵害を伴っていると非難しています。
日本はパプアニューギニアから木材を輸入しているので、対岸の火事ではありません。


「私の大切なものは自然です」

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パラダイスフォレストが失われると生物多様性が失われるだけでなく、気候変動などの地球規模の環境問題をひきおこすと考えられます。
そこで、パプアニューギニア政府は機材を整備して森林資源情報を把握・解析し、森林を保全する計画をたてています。
日本政府はこの計画に対して7億円の無償資金協力を行うことを決定しました。


「私の大切なものは家族と自然です」

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コスモ石油は、農村部における人口の増加や急速な近代化によって焼畑農業が森林の治癒力を超えるスピードで進んでいることに危機感を抱き、焼畑農業をせずとも安定した食料供給や現金収入が得られるよう、定置型有機農業の技術指導と普及活動、地場産業の育成に取り組んでいます。

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「私の大切なものは時間です」

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第二次世界大戦時、日本軍はニューギニア島およびその周辺の島々を含めて30万人もの将兵を送り出し、アメリカやオーストラリアなどの連合軍と戦火を交えました。
日本軍はパプアニューギニアの首都ポートモレスビーなどを攻略しようとしましたが、いずれも失敗し、補給路が断たれてからは多くの兵士が飢えやマラリアなどの病気のために亡くなりました。
ニューギニアから生還した兵士は約1割にすぎず、このときの様相は「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われるほど凄惨でした。
マンガ家の水木しげる氏も従軍しており、後に『総員玉砕せよ!』などの作品で当時の体験を記しています。

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このような歴史があるにもかかわらず、パプアニューギニア人たちの多くは親日的です。
2011年3月11日に、東日本大震災が起きた後、首都ポートモレスビーの高校生や教員らは、現地の日本人会とともに、英語・現地語・日本語で「がんばれ日本」と書かれたTシャツを売ったり募金活動をするなどして約350万円の義援金を集めました。
「いつも助けてくれる日本へ恩返し」だそうです。

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急速な近代化によってパプアニューギニアの人々の暮らしは便利になりました。
しかしその一方で、自然破壊、人口爆発、都市部への人口集中、所得格差の増大、失業、治安の悪化、エイズの蔓延など、新たな問題も生じました。
これらの問題は、近代化によってどの国にもあらわれますが、パプアニューギニアの場合は特に近代化が急だったため顕著にあらわれたのでしょう。
近代社会に対して警鐘を鳴らしているように感じます。
私達も今の社会のあり方を見直すべきなのかもしれませんね。

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絵と写真を集めた人:
小柳勝(青年海外協力隊)

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年9月19日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 14:43| 日記