2011年07月29日

ベトナム Viet Nam

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ベトナムは東アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義の国です。国土は南北に長く、北に中華人民共和国、西にラオス、カンボジアと国境を接していて、東は南シナ海に面しています。

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(外務省より)

ベトナムには約8600万の人たちが暮らしています。
言語はベトナム語です。宗教は約80%が仏教で、そのほかにもキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などがあります。

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ベトナムの首都は北部にあるハノイで、約620万の人びとが生活しています。ハノイは11世紀から『李朝』(ベトナムに1009年から1225年まで存在した王朝)の首都として定められ、国内の工業、農業の中心地として発展していきました。
1873年にはベトナム全土がフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地でもあったため、フランスの植民地時代の建物が多く残っています。
また、フランスの植民地支配を受ける以前から、隣国である中国からの影響を強く受けていたこともあり、中国風の旧市街などもあります。

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ヨーロッパ風の建物

ベトナムの気候は全体的に高温多雨ですが、長細い国土なので、地域によって気候は異なります。経済は主に農林水産業、鉱業、軽工業で成り立っていて、近年、急速な経済成長をしています。


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ベトナム独立運動
ここでは20世紀のベトナムの歴史的な流れを見ていきたいと思います。

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1939年に第二次世界大戦が始まり、40年にフランスがドイツに降伏すると、同年に日本がベトナムに進駐し、日本軍によるインドシナ半島の支配が始まります。
その後、1945年に日本が無条件降伏をし、同年、東南アジア最初の社会主義国家としてベトナム民主共和国(北ベトナム)が誕生しました。そして、ホー・チ・ミンという人が初代国家主席になりました。

しかし、日本が戦争で負けたことをきっかけに、フランスはインドシナに復帰しようとしました。
そこで、ベトナム全土で『ベトミン』(後述)が指導する蜂起が起こりました。

『ベトミン』とはベトナム独立同盟会という、フランスの植民地主義からの独立を求め第一次インドシナ戦争を戦った独立運動組織のことです。

第一次インドシナ戦争は1946年に始まり、1954年にフランス軍が降伏するまで続きました。

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1950年に社会主義国家であるベトナム民主共和国はソ連と中華人民共和国から国家承認を受けました。一方で、フランスは1949年、ベトナム民主共和国対抗して、ベトナム国(南ベトナム)をサイゴンに成立させ、国家承認をしました。また、ベトナム国(南ベトナム)はアメリカやイギリスからの国家承認も受けました。
こうして、ベトナムはアメリカとソ連の冷戦体制の影響を大きく受けるようになりました。

1954年にフランス軍がベトナム人民軍に降伏し、ジュネーヴ和平協定が締結されてようやく第一次インドシナ戦争は終結し,ジュネーブ協定によって、ベトナムは北緯17度線で南北に分割することが決められました。

その後、フランスに代わってアメリカがベトナムに介入していきます。1955年の国民投票ではベトナム国(南ベトナム)を受け継いだベトナム共和国(南ベトナム)が成立しました。

そして、1960年代のはじめ、ベトナム戦争が始まりました。


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ベトナム戦争

「あなたの大切なものは何ですか?」

「私は平和が一番大切だと思うわ」

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−2つの観点−

ベトナム戦争の本質は2つあるとされています。
1つめは、南北に分かれてしまったベトナムを統一し、新たな国家の建国を求めるために行われた戦争であるという見方。
2つめは、アメリカを中心とする資本主義とソ連を中心とする共産主義との冷戦対立を背景とした「代理戦争」であるという見方です。

そして、資本主義国家であるアメリカが南ベトナムを支持し、共産主義国家であるソ連や中国が北ベトナムを支持しました。

「あなたの大切なものは何ですか?」

「戦争のない世界が一番大切だと思う」

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アメリカ軍は北ベトナムに対し、ローリングサンダー作戦(北爆)という爆撃を行い、多くの民間人が犠牲になりました。

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ベトナム戦争中の1961年、アメリカ軍は大量の枯葉剤を撒きました。
枯葉剤は、除草剤の一種です。森林を枯らしてゲリラ(武器を持った一般市民)を見つけるため、また、基盤である農業にダメージを与えるために撒かれたといわれています。
米軍の枯葉剤の使用について、1965年のタイム誌は「ベトナムに使用される化学兵器は『人道的兵器』である」と記載しました。アメリカ側は爆撃は村の全てを焼き尽くすけれど、化学兵器は全てを焼き尽くすわけではないので爆撃よりは『人道的』だという見方を示しました。

しかし、実際には枯葉剤によって奇形児が生まれる例や、後遺症によって多くのベトナム市民が現在も苦しんでいます。

1992年の国連総会では、枯葉剤などの化学兵器の開発、生産、貯蔵、使用を禁止し、化学兵器の廃棄を定めた『化学兵器禁止条約』が採択されました。

2011年、米軍が枯れ葉剤の汚染除去作業を開始しました。対象となる地域は米軍基地があったベトナム中部のダナン空港周辺です。2013年までの除去を目指し、米国が約3200万ドルを援助することが決まりました。
しかし、ベトナム全土に28カ所あるとされる高濃度汚染地域の除去には20年かかると言われています。

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ホーチミンにある戦争証跡博物館では、ベトナム戦争時に使われた戦車や軍用機、砲弾などを展示しています。また、当時の写真や枯葉剤によるホルマリン漬された奇形児を見ることができ、戦争のありのままの様子を伝えています。


ベトナム戦争は1975年に、ベトナムの最大の都市であるサイゴン(南ベトナムに位置する)が陥落することによって北ベトナムの勝利に終わりました。その後、南北は統合され、現在のベトナム社会主義共和国として成立しました。
さまざまな国の思惑がベトナム戦争で見られました。
この戦争で、200万人近いベトナム市民が犠牲になったといわれています。

ベトナム戦争によってベトナムの人たちの平和への思いはより強くなりました。

そして、忘れてはならないのは、ベトナム戦争は日本の高度経済成長に大きな影響を与えたということです。日本はアメリカに対して軍事基地や燃料補給基地の提供をしました。日本の経済はベトナム戦争特需(大量の軍用トラックの製造など)によって支えられていたという事実があります。

またベトナム戦争によって、多くの難民が生み出されました。そうした難民の人たちを人道的な立場から守ろうと、UNHCR(国連難民高等弁務官)が立ち上がりました。UNHCRはベトナム国民の人たちの声に耳を傾け、難民となった人たちが第三国へ定住、または、帰還できるように取り組んでいます。


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「あなたの大切なものは何ですか?」

「自然が一番大切です」

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近年ベトナムは、経済発展が続いています(GDP成長率7%以上)。
しかし、急激な経済成長によって水環境の汚染、廃棄物の増加、大気汚染などの深刻な環境問題を引き起こしています。

そのため、ベトナム政府は環境問題を改善して持続可能な社会のための取り組みを進めていく必要があるという考えを示しました。

こうした状況を受けて、JICA(国際協力機構)は水環境を改善させて水環境保護能力の向上のため2007年12月〜2011年12月の間、水環境管理技術能力向上プロジェクト(フェーズ2)を行っています。

JICAがODA(政府開発援助)を使って民間企業(開発コンサルタント会社)にプロジェクトを委託していて、『国際航業グループ』は多くの専門家をこのプロジェクトに派遣しています。


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ベトナムは、近年の経済の自由化に伴って貧富の格差が拡がっています。そして、売春やストリートチルドレン、麻薬に手を染める子どもたちが出てきて、大きな社会問題としてとりあげられるようになりました。

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この写真を書いてくれた子は孤児院で生活しています。

国境なき子どもたちというNGO団体(非政府団体)では、ストリートチルドレン収容所で暮らす6歳から16歳の子どもたちを対象に自立のための支援をしました。(2010年12月に活動終了)
国境なき子どもたちではスキルアップだけではなく、子どもたちが日々のストレスから解放されて、心のゆとりを作ることにも焦点を当てました。

このような、ベトナムの教育に焦点を当てているNGOは日本においていくつかあります。実際に現地へ行って直接子どもとふれあい、問題に取り組む草の根の活動は多くの子どもたちを支えます。


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領土問題

−西沙諸島と南沙諸島−

西沙諸島はまたの名をパラセル諸島といい、南シナ海あるいくつかのサンゴ礁の小島です。
一般人は住むことはできませんが、豊富な海洋資源があるとされています。

第一次インドシナ戦争が終わった後、ベトナム共和国(南ベトナム)が西沙諸島の西を、中華人民共和国が東をそれぞれ占領しました。
そして、1974年のベトナム戦争時に、中国共産党軍は西に侵攻して南ベトナム軍を追い出し、諸島全体を占領しました。
この時西沙諸島の戦い(南ベトナムの船1隻が襲撃され、沈没)が起こっています。

その後現在まで、西沙諸島は中華人民共和国の実効的支配下にありますが、ベトナムと台湾も西沙諸島の領有権を主張しています。

南沙諸島はまたの名をスプラトリー諸島といい、南シナ海にある100以上の小島からなる諸島です。
南沙諸島もまた、一般人が住める環境ではありませんが、海底に豊富な天然ガスや石油があり、東アジアとインド洋を結ぶ通商ルートとしても大きな役割を果たしています。

1982年、『国連海洋法条約』が制定され、沿岸国の海洋資源の権利が大幅に認められるようになったことをきっかけに国家間の争いはますます激しくなりました。
現在、島を実効支配しているのはベトナム、台湾、中華人民共和国、フィリピン、ベトナム、マレーシアですが、ブルネイも領有権を主張しています。

ちなみに日本は、1951年の『サンフランシスコ平和条約』で領有権を放棄しました。

南沙諸島をめぐる戦争も起きていて、1988年、中華人民共和国とベトナムの間でスプラトリー諸島海戦が勃発。この海戦で70人以上のベトナム水兵が亡くなりました。
現在でも度々衝突が起きています。


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このようにベトナムは、ベトナム戦争による大きな傷跡、市場経済化に伴った格差の問題や領土問題などといった問題を抱えています。

ベトナムは様々な国の影響を受けながらもその中で新しい、独自の文化を築いてきました。
ベトナムの人たちは多くの戦いを経験し、争いの悲惨さを誰よりも知っていると思います。
だからこそ平和への思いも強いのです。

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絵と写真を集めた人:
2004年にpeace boatに参加した人たち
山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
三雲千穂

編集完了日:
2011年8月15日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 18:10| 日記