2011年07月16日

ネパール Nepal





ネパールは、インドと中国に接する内陸国で、首都のカトマンズからはヒマラヤ山脈が臨めます。政治、産業(観光業)、医療、交通はカトマンズ周辺に集中しています。


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国花は真紅のヒマヤラシャクナゲであり、国旗の色にもなっています。



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「僕の大切なものは、国花の『ヒマヤラシャクナゲ』です。」



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また、真紅はネパールのナショナルカラーであり、勇敢さを表します。









ネパール国民の宗教は現在、ヒンドゥー教徒 約80%, 仏教徒 約10%, イスラム教徒 約4%, その他 約5% という割合になっています。



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ほんの数年前までの約250年間、ヒンドゥー教が国教として、政治や生活の基軸となっていました。



そのため、信仰の自由が認められるようになった今でも、ネパール人の生活にヒンドゥー教が深く根付いたままです。ヒンドゥー教に由来する、男尊女卑や身分差別がなかなか解消されません。



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「僕の大切なものは『心』です。どんな変わった人でもどんな身分の人でも、それぞれに『心』があります。」



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ネパールと日本の教育水準を比較すると以下のようになります。ただし、( )内は2010年度の人間開発指数(HDI)の順位を示します。



ネパール(138位)日本(11位)
 15歳以上識字率
 (%、2009年) 
57.999.0
 初等教育就学率
 (%、2004年)
78.899.9
 男性識字率に対する
 女性識字率
 (15〜24歳、%、2005年) 
60.199.9




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識字率は1990年の33%に比べると、大きく上がりました。これは、1990年代から共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)が自分の団体の支持獲得と共産主義教育を目的として、学校建設や教師派遣を行ったことが大きな原因と考えられます。


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「私の大切なものは『女の子に教育すること』です。ネパールでは女の子はあまり学校に行っていません。差別があるからです。でも、むしろ女の子に教育したほうがお母さんになったときに、産まれた子どもに学校に行く前から『読み書き』を習慣付けてくれるので、女の子に教育することのメリットは大きいと思います。」



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NGO ルーム・トゥ・リード (RTR) は、約10年前にアメリカでマイクロソフトに勤務していた社員が創設しました。彼は、ネパールに登山に行った際「現地の女の子が教育を受ける機会がほとんどない」ことを知り、本を届けることから始めたそうです。以後、女性の識字教育や学校建設などの活動を、ネパールのほかに、インドやカンボジアでも行っています。


ネパールにおける教育には、性別格差のほかに、地域格差や身分格差が見られます。



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ダリット(カースト最下層)の初等教育就学率を地域別に比べると、山岳地域が約74%、タライ平原が約38% となっています。

これにより、タライ平原におけるカースト社会はより差別が厳格であることが分かります。教育格差ゆえに、タライ平原のダリットは雇用機会を失いさらに貧しくなります。



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なお、カースト制度は人を ブラフマン(僧侶)、クシャトリヤ(貴族、武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷) の4つの階層に分けます。しかし、これらのカーストよりも更に下位にある人々「アウト カースト」がいます。彼らは、自らを ダリットと呼びます。不可触賎民(アンタッチャブル)という意味です。









ネパールと日本の医療水準を比較すると以下のようになります。ただし、( )内は2010年度の人間開発指数(HDI)の順位を示します。



ネパール(138位)日本(11位)
 5歳未満児死亡率
 ( 人/1000、2008年) 
504
 妊産婦死亡率
 ( 人/100,000、
 2003−2008年)  
8306
 平均寿命
 ( 歳、2010年) 
67.583.2
 病床数
 ( 床/10,000、2010年)  
50139




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「私の大切なものは『健康』です。能力を発揮して、自分を表現できるからです。」



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ネパールの医療問題に関して、日本の企業が取り組んでいる事例があります。ネパールでは、白内障やトラコーマなどの病気によって、高齢者が視力を低下させています。しかし既に日本では、これらの病気は適切な治療や予防で回避できます。そこで、メガネの田中チェーン株式会や株式会社メガネの松田がネパールにおいて、眼鏡やサングラスの提供、眼科検診、眼科薬の無償提供を行いました。



内陸国であるネパールにとって、川は生活に欠かせません。しかし、カトマンズ周辺を除いて下水道がほとんど無いので、川は未処理下水やゴミ投機、火葬死体の放流により水質は悪く、それを住民らが生活水にしていることが衛生状態を悪くしています。



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ネパール特有の医療問題として、リーシュマニア症(黒熱病)が多いことが上げられます。
汚れた川が原因で、リーシュマニア症の主な媒介虫であるサシチョウバエがいるのかもしれません。



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衛生の問題は学校にもあります。現在の公立学校では、過密、トイレの未整備 (特に女子トイレ)、校舎の老朽化などの問題があります。



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「私の大切なものは『学校』です。教育を受ければ、私は何でもできる大人になれるような気がするからです。」



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日本政府は、ネパール政府が策定した「万人のための教育」支援のための小学校建設計画 に無償資金協力と建設資材の調達、また周辺住民参加の教室建設の指導を行いました。これよって、子供たちが安全で健康に学習できること、またマオイストによらない自由な教育が行われることが期待できます。



また、数々の日本政府の支援への御礼として、ネパール政府は東日本大震災直後に、日本に毛布を 5,000枚送りました。

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1990年代にはマオイストが支持率を上げるために、女性運動を積極的に後押し、都市部には女性活動家が現れました。これにより、1991年には女性差別撤廃条約などの国際条約を相次いで批准しました。2002年にはネパール中絶法が成立しました。成立以前は (レイプによるものを含め) すべての中絶が違法とされ女性のみが投獄されていました。2006年には、ネパール憲法に「女性の性と生殖に関する権利は女性の基本的権利である」と明記されました。


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しかし、深く根を張った男尊女卑を解消することは一朝一夕では難しいようです。教育においては、近年でも女子の識字率が男子の3分の2以下です。考えられる理由としては、早婚、家事手伝い(特に長女)、女子トイレの未整備、などが上げられます。



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ダリットの女性は特に差別的な扱いを受けます。21世紀になっても、ダリットの女性が身に覚えの無い罪を着せられて村中から暴力を振るわれた、ということが実際にありました。



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「私の大切なものは『学校で読み書きを習うこと』です。読み書きができるようになれば、新聞が読めたり、文章が書けるようになるからです。」



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年間 5000〜7000 人の貧しいネパール人少女がインドへと人身売買されています。売買される少女は大半が 16歳以下であり、初潮を迎えていない少女も含まれているかもしれません。



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この問題に対し、NPO ラリグラス・ジャパン (Laligurans Japan) はネパールとインドの少女売買春・人身売買の廃絶を提唱し、HIV感染者とAIDS発症者の支援や、障害をもつ女性や子どものサポートを行っています。









1990年代から、ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト) が急速に支持を獲得し、長く王室と対立していました。2000 年頃から国土の大半を実効支配し、内戦状態が続いたため、政情不安、治安悪化により観光業が低迷しました。2006年に停戦合意、2008年に王制廃止、連邦民主共和制への移行が実現しました。



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「僕の大切なものは『国旗』です。国は僕らに、安全や安心を供給してくれます。」



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マオイストは男女同権を訴え、近代的な女性から多くの支持を獲得し、女性の地位向上の成果を上げました。しかしこれに対し、「ネパールの典型的な男尊女卑社会を考慮に入れると、男児は家系を絶やさないために都会に逃げ、いずれ嫁いで家を出る娘は兵士としてマオイストに供出されたのではないか」という見解があることは無視できません。



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内戦当時インドやアメリカは王室を支持していたのに対し、マオイストは外国の援助を受けず、兵士の住居や武器弾薬、資金は現地で自己調達していました。その結果、各地でマオ派兵士による家財の略奪、徴兵、上納金の要求が横行しました。この内戦によりネパール国内で家を失った人は5 万〜7 万人と言われています。



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マオイストによる政治活動は教育にも及びました。マオ派ではない教員は給料を不当に取り上げられて生活と雇用を失い、私立学校は資本主義的だとして攻撃の対象になることもありました。



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この事態を重く見た国連は、内戦後の2007年から代表団「国連ネパール政治ミッション(UNMIN)」を派遣しました。UNMIN の軍事監視要員は基本的に非武装で、マオイストキャンプや国軍の兵舎において、2011年3月まで武器と兵士監視を行いました。









次に、なぜ中国のチベット民族がネパールに移住してくるのかを、解説します。



中国政府はチベット民族の診療所や学校を接収したり、チベット居住地域を国定公園に指定して住民を追い出すなど、チベット民族に差別を繰り返しています。そこで、中国のチベット難民は、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府をめざして一度ネパールへ入ります。



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なぜネパールに入国するかというと、ヒマラヤ山脈があるため、中国からインドへ直接行くよりも、ネパールを中継したほうが地理的に易しいからです。ネパールを中継した人は、ネパールで難民認定を受けます。



しかし、中にはインドの気候、雇用機会などの理由からネパールに戻ってきて生活するチベット難民もいます。ネパールにいるチベット難民は現在約2 万人です。2007年の亡命者2337人のうち 18 歳以下は 44.8%でした。両親が金銭を工面して子供だけを送り出すケースが多いと考えられています。



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「僕の大切なものは『チベット』です。この場所で、僕らの文化を守っています。」



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NGO チベタン・チルドレンズ・プロジェクト (TCP) はネパールでチベット人支援活動を行っています。ネパールでチベット人支援を行うのは、中国政府の干渉を回避するためです。職業訓練(介護福祉)、語学(チベット語・英語・日本語) の2つのプログラムを提供する「トレーニングセンター」と、児童・乳幼児を対象とした「児童養護施設」、伝統的な予防医学を継承する「チベット予防医学室」をネパールの首都カトマンドゥのチベット人居住地区に開きました。








ネパールの人々は、我々が富士山を愛でるように、ヒマラヤ山脈を慈しんでいます。

我々がそうであるように、彼らも偶然生まれた国で、教育を受け、神を信仰し、生活しています。

我々との相違点は、彼らが 深く根付いた男尊女卑、低い教育水準、衛生問題、政治問題、そしてチベット難民の問題など、様々な難問を抱えているという点です。

偶然にも豊かで自由な生活を手にしている我々がネパールにできることは何か、上に述べたNGOや企業の活動を参考に、今一度考えてみませんか。









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絵と写真を集めた人:
山本敏晴 (2005年3月 )



画像データを編集し文章を書いた人:
小野明日美



編集完了日:
2011年7月29日



監修・校正:
山本敏晴



企画・製作をした団体:
NPO法人・宇宙船地球号


http://www.ets-org.jp/



posted by お絵描きイベント at 19:53| 日記