2012年09月17日

ガーナ共和国 Ghana


DSC_3601_a.jpg


みなさんは、ガーナと聞くと何を連想しますか?
おそらく、圧倒的に「チョコレート」と
答える人が多いのではないでしょうか。

しかし、ガーナにはそれだけでなく、
沢山の特産物や観光地が存在しています。
また、皆さんが普段意識する機会のあまりない
国が抱える問題や、日本との結びつきがあります。

この記事を読むことで、
ガーナのあらゆる表情を知ってもらえればと思います。


africa_africa_ghana_3.gif


ガーナ共和国、通称ガーナは西アフリカの赤道よりやや北にある国です。
面積は日本の3分の2程度で、日本の本州と同じくらいになります。

人口は約2000万人で、日本の5分の1程度です。
公用語には英語と複数の民族語が使われています。
宗教は半数がキリスト教、約15%がイスラム教、
残りはガーナの伝統宗教にわかれます。
首都はアクラです。


GHANA FIAG_a.jpg


これはガーナの国旗です。
実は、国旗のこの3色にはそれぞれ
ガーナをあらわす重要な意味が込められています。

赤…独立するために戦いで流した血

黄…金(鉱山物)

緑…豊かな農耕地の森林

また、中央の黒い星はアフリカ独立運動の父と呼ばれた
ガーナ共和国・初代大統領エンクルマをあらわしています。


AKOSONBO_a.jpg
(エンクルマの銅像)


では、まずはそれぞれのカラーについて、
歴史・政治・経済の話もまじえ、話していくことにしましょう。

■ガーナの黄色・金・歴史■
kiro.jpg

18世紀頃、現ガーナの内陸部のほとんどの地域は
アシャンティ族によって、アシャンティ王国として支配されていました。
この民族が諸王国を取り込み、
ここまで繁栄した理由は「金」にあります。
まさしく、ガーナ国旗の黄色を象徴する金です。
ガーナの、特にアシャンティ王国では
昔から鉱山物の金が多くとれたのです。


DSC_2958_a.jpg


アシャンティ王国はヨーロッパ人との交易で、
その金と引き換えにあらゆる輸入品(最新型の武器など)
を得ることで力をつけていったのです。

また、交易のためにヨーロッパ諸国は
アフリカ諸国ギニア湾周辺にエルミナ城を最初とし
拠点となる城塞や要塞をいくつもつくりました。
その沿岸一帯は金の産出地ということから、
「ゴールド・コースト」または「黄金海岸」と呼ばれていたほどです。


DSC_2879_a.jpg
(エルミナ城)


しかし、この交易による繁栄の裏では、
歴史上でとても有名で悲しい犠牲がありました。
「奴隷貿易」です。
金と共に奴隷(肉体労働者)も貿易の品として輸出していたのです。
奴隷となる人は、ガーナの人たちです。
ガーナの一部の人が、自分たちの富のために、
同じ国の人びとをヨーロッパに売っていたのです。

この悲しい事実は、ガーナについて知る上でとても重要であり、
忘れてはならない歴史なのではないかと筆者は思います。



DSC_2940_a.jpg


この、奴隷貿易の拠点ともなった
エルミナ城とケープ・コースト城は
1979年に世界文化遺産に登録され、「負の世界遺産」として
現在では多くの観光客が足を運ぶ場所となっており、
ガーナの経済基盤の一つにもなっています。


■ガーナの赤・独立で流した血・政治■
aka.jpg


さて、長く続いた奴隷貿易ですが19世紀後半には
終わりを迎えることになります。
イギリスがゴールド・コーストを植民地とし、
交易相手ではなく侵略者となったのです。

また、アシャンティ王国をも
イギリス領ゴールド・コーストに編入してしまいました。

国旗の赤色は「独立するために戦いで流した血」と説明した通り
1957年まで、ガーナはイギリスに支配されることとなったのです。
国旗の赤色は、そのイギリスから独立する時に
人々が流した血の色を現しているのです。


■ガーナの緑・豊かな農耕地の森林・経済■
midori.jpg


ガーナにとって、主要産業は農業と鉱業です。
特に農業(カカオ豆)はGDP(国内総生産)の約30%、
雇用の約60%を占めるものです。(2012年現在)

また、木材も多く輸出されており、先にあげた金を含めたこの3つが
主要輸出品の上位3位をしめています。


DSC_3950_a.jpg


まさしく、国旗の緑はこれら、国を支える主要産業である
「農耕地の緑」を現したものなのです。

しかし、これらに依存した産業形態が問題視されています。
なぜなら、カカオ豆・木材・金は
すべて第一次産業(自然の恩恵を利用した産業)なので、
天候や世界の市場価格にガーナ経済は影響されやすく、
もろい経済構造と言えるからです。
また、第一次産業への依存は、産業の発達の遅れにも繋がっています。



・・・
・・・



ではここからは、そんな開発課題と共に
ガーナが抱えているあらゆる問題をあげていきましょう。

「あなたの大切なものは何ですか?」

アフィフェー3_a.jpg

「新しい車です」

g_afi_005_a.jpg


ガーナの産業が第一産業に依存し、また、産業の発展が遅れている理由に
経済インフラ(運輸交通・電力)の未整備があげられます。
ガーナの国内運輸は95%を道路に依存しているにもかかわらず(2012年現在)
その道路の整備がきちんとなされていないことが問題視されているのです。

また、このことは地方の町や村の生活基盤を支える上でも
重要な問題になっています。
道路網の未整備が、ガーナの地域格差を生んでいる要因の
1つと言われています。


DSC_3256_a.jpg


そこでJICA(日本政府の国際協力機構)は、
NPO法人・民間企業と協力して、道路網整備のノウハウを
現地の人々に教える為の準備をしています。

その1つが、NPO法人道普請人(みちぶしんびと)が提案した
「日本発「土のう」による農村道路整備ビジネス」です。
これは、他のアフリカの国でも既に成功例のある、
土のうを活用する、日本が開発した画期的な方法を教えるものです。


AKOSONBO-3_a.jpg


コンクリートで整備するのに比べ、ずっと低コストであること、
住民自らが行える作業であることから、
住民に労働(収入)を与えることができること、
全天候型ということで雨季のぬかるみ対策にもなること、
整備した部位が破損してしまっても
住民自身で修理できるため、持続可能であること、
これら多くの利点から、実施が望まれています。


g_afi_008_a.jpg


また、車は日本とガーナをつなげる重要なキーワードでもあります。
現在、日本がガーナに輸出しているものの第1位が車であり、
ガーナで乗られている車の多くが
日本のTOYOTA社製であるという現状があるからです。



・・・
・・・



「あなたの大切なものは何ですか?」

アコソンボー24_a.jpg

「電気と学校の制服です。
電気があれば夜、おうちでも勉強ができるし、
明るいと、幸せな気持ちになります。」

g_ako_002_a.jpg


運輸交通と共に、ガーナの産業を支える上で重要となってくるものが電力です。
ガーナ南東部には「アコソンボダム」という水力発電用の巨大なダムがあります。
このダムを作るためにせき止められたヴォルタ湖が、
人工湖として世界最大級の大きさを持つほどです。
また、このダムがガーナの総発電量の6割をまかなっています。


「あなたの大切なものは何ですか?」

afife8_a.jpg

「飲み水です。
水は生きていく上でとても大切なものです。」

g_afi_009_a.jpg


しかしそれにもかかわらず
ガーナは電力不足による停電に悩まされています。
なぜなら、乾季になると水量が減少し、発電量が足らなくなるのです。
その上、ガーナは電力を近隣諸国に売ることで外貨収入を
得ているため、海外への電力流出によるところも大きいと言われています。

また、地方の世帯電化率は約20%(2007年度時点)
と大変低いため、都市部と地方の格差の是正も求められています。
産業・経済への打撃が大きい電力。
この整備が今、ガーナでは急務となっているのです。


DSC_3298_a.jpg


そこで、2020年までに500人以上の集落のすべてに、
安定した電力を供給するという目標を掲げたガーナ政府に対し、
日本のODA(政府開発援助)では「地方電化計画」として
目標実現に必要な資金を、無償資金協力という形で提供してきました。



・・・
・・・


次は、ガーナというとこの問題を連想する人も多いでしょう。
労働に関する問題です。

「あなたの大切なものはなんですか?」

アコソンボー30_a.jpg

「カカオの種子の部分です」

g_ako_020_a.jpg


農業の中でも、大部分を占める輸出物は、先にあげたとおり
チョコレートの原材料となる「カカオ豆」です。
全世界でも、1位のコートジボワールに次いで2位の生産量です。

また、日本で消費されているチョコレートの約70%は
ガーナから輸入されているカカオ豆により作られています。

しかし、この日本に大きなかかわりのあるカカオ豆。
この生産には深刻な問題を抱えていると言われています。
「児童労働」です。


DPP_0003.jpg


まず、みなさんは児童労働とは何かご存知ですか?
児童労働とは、国際労働機関(ILO)の「国連こどもの権利条約」の定義によれば
以下の通りとされています。

<ILOの児童労働の定義>
1、13歳(途上国では12歳)未満の子どもは、
「軽易な作業」でも、「児童労働」に含まれるので、させてはならない

2、15歳(義務教育終了年齢を下回る年齢)未満の子どもが、
「通常の仕事」をする場合、「児童労働」に含まれるので、させてはならない

3、18歳未満の子どもが、
「危険な労働」をする場合、「児童労働」に含まれるので、させてはならない

※ポイントは、年齢によっては、ある程度までの労働はしても良い、
ということです。


DSC_3457_a.jpg


これに基づき、ガーナの国内法では児童労働が禁止されています。
しかしながら、ILOによると、ガーナの15歳未満の子どもの25%が、
経済的活動(仕事)をしているという調査結果が1996年に出ています。
(内、何パーセントがカカオ農家で働いているかは定かではありません)

これらをふまえ、カカオ農園での児童労働の実態を指摘する
NGO(非政府組織)、団体が世界中に多く存在します。
カカオ農園での子どもの作業は、大きな刃渡りの「なた」を使った下草刈りや
有害な農薬の散布が大半であり、危険有害労働に指定されているからです。

日本のNGO、ACE(エース)も
ガーナの児童労働問題について訴える冊子付きの
「しあわせを運ぶ てんとう虫チョコ」を販売し、その売上げの一部を
カカオ農園での児童労働撤廃活動に役立てています。


DPP_0011.jpg


しかしその一方で、ガーナのカカオ農園=児童労働のイメージを否定する声や
ガーナでの児童労働は「昔の話である」という現地の人々の声もあるといいます。

例えば、元アジア経済研究所研究員であり、
現・東京農業大学国際食料科情報学部教授である
高根務の編著『ガーナを知るための47章』(明石書店)によれば

・ガーナ人は教育熱心であり、子どもを積極的に学校に通わせている
・学校に行かない理由があるとするならば、労働ではなく貧困によるものが大きい
・「危険で有害な労働」に該当する農薬散布は、
政府の職員が全国で無償で行っている
・なたを使いこなすことや重い荷物を運ぶことは、日常生活で欠かせないことであり
これらすべてを禁止するのは現実的ではない

以上のような点をあげています。
(ただし、素手での農薬散布や親元から離しての強制労働は禁止すべきとしている)


AFIFE-5 (2)_a.jpg


これらの情報を元に考えた筆者の意見としては、
子ども本人とその親や現地の人々にとって、
児童労働という意識がなかったとしても、
労働という実態が少なからず存在しているのは、本当だと思います。

またそれが貧困によるものであるならば、
ガーナ産のカカオ豆をを多く消費する日本人として、
それを改善する手立てを意識しつづける必要があるのではないかと思います。

本当の意味で、「ガーナ=児童労働」というイメージを解消するためにも。



・・・
・・・



「あなたの大切なものは何ですか?」

akosonbo14_a.jpg

「勉強することができる学校です」

g_ako_009_a.jpg


次に、ガーナの教育問題について書いていこうと思います。
児童労働の問題にも大きく関係していると言われる
就学率と識字率の状況はどうでしょうか?

成人(15歳以上)識字率:66.6%(2009年)
初等教育就学率:75.9%(2009年)

実はガーナは、ほかのアフリカ諸国よりは
教育レベルが比較的高い国です。


AKOSONBO-2_a.jpg
(アコソンボの学校)


しかしながら、以前として3割近い子どもたちが
満足に小学校に通えていないのも、また事実です。

この理由の第一としては、やはり貧困です。
家庭が貧困であると、子どもも、大人のように生活費(主に食費)を
稼ぐために、働かなければならなりません。
また、近くに学校がない、あるいは学校に行くための道路やバスがないため、
子どもたちは学校に行けないのです。


DSC_4676_a.jpg


そこで、日本在住のガーナ人が設立したNGO「マンフィーと青年基金」では、
ウコランザ村に身寄りのない子どもや、低所得家庭の子どもを中心にした
全寮制の小中学校の建設をおこなっています。(2014年完成予定)

この計画では、子どもを学校に行かせることで、その子が働いていた分の
収入が減るため、その分の収入を何とかしようとする試みも行っています。
その子の「親に」雇用のチャンスを提供するため、
学校の脇で共同農場の運営を行う予定です。
教育と同時に、貧困という根本的な問題を解決する取り組みが
行われようとしているのです。


P2090277_a.jpg


また、学校へ通えても中途退学してしまう子どもも多くいます。
貧困も理由の一つですが、教育環境が整っていないのも
大きな問題となっています。
学ぶための文房具や本、施設が不足しているのです。

そこで、チョコレート菓子で有名な
「ブラックサンダー」を販売している有楽製菓株式会社では
「ガーナにおける図書館建設プロジェクト」を
公益財団法人 プラン・ジャパンを通じて、取り組んでいます。


DPP_0009.jpg


ガーナの地方の村には、学校図書館を含め1つも図書館がない所も存在し、
子どもたちが本を読む習慣を身に着ける機会がないため
図書館を建設しようというプロジェクトです。
これにより、今後の識字率の上昇が期待されます。

また「ガーナミルクチョコレート」で有名なロッテでは、
チョコレート商品の売り上げの一部を
WFP(国連世界食糧計画)の行っている
「学校給食プログラム」に寄付し、支援しています。


DPP_0005.JPG


この学校給食プログラムとは、学校に通う世界の子どもたちに
給食を配給するというものです。
給食を配給することは、子どもの出席率(通学率)の向上、
授業を受ける際の集中力の上昇に重要な役割を果たしているとされています。



・・・
・・・



次に、医療問題について書いていきたいと思います。

「あなたの大切なものは何ですか?」

akosonbo31.jpg

「看護師さんです。将来は
ママのような看護師さんになりたいです。」

g_ako_005_a.jpg


ガーナで深刻な問題となっているのは
妊産婦死亡率と、乳幼児及び5歳未満児の死亡率です。

<妊産婦死亡率>
日本:出生10万件あたり5人(2010年)
ガーナ:出生10万件あたり350人(2010年)

<乳児死亡率>(2011年)
日本:出生1千件あたり2人
ガーナ:出生1千件あたり52人

<5歳未満児死亡率>(2011年)
日本:出生1千件あたり人3人
ガーナ:出生1千件あたり78人


DSC_4087_a.jpg


この原因とされているのはやはり、
各地域における「基礎的保健サービスの不平等さ」です。

地方・農村部では、医療施設の不足、
人々の医療・保健に関する知識や意識の低さ、
医療従事者の能力の低さが都市部に比べいちじるしいのです。

そこで、日本のODAは無償資金協力のプロジェクトとして
「アッパーウエスト州地域保健施設整備計画」を進めています。
これは、ガーナでも特に開発が遅れているアッパーウエスト州において
先にあげた3つの問題を改善するために
日本が無償でガーナに資金提供をするものです。


DSC_3415_a.jpg


また、アフリカで感染者の多いHIV(エイズを発症させるウィルス)
も問題視されています。

<ガーナの成人(15歳〜49歳)の感染率> 
1.8%(2009年)

他のアフリカ諸国と比べれば、まだ感染率は高い方ではありませんが
1990年の感染率0.3%と比べると、その拡大力の深刻さがわかると思います。
しかしながら、人々のHIVに対する危機感は薄く
検査に対して消極的な傾向だといいます。

そこでJICAは、若者のHIV新規感染を防ぐため
予防に関する知識向上やコンドーム使用、
安全な性行動を促す活動に取り組んでいます。


「あなたの大切なものは何ですか?」

P2090333_a.jpg

「サッカーです。
ガーナのサッカーチーム、ブラックスターズが大好きです。」

g_acc_002_a.jpg


その中でも、少し変わった取り組みが
2010年のFIFAワールド・カップ南アフリカ大会の時にありました。
JICAとソニー株式会社のPPP(官民連携)です。

ワールドカップを、大きなソニーのスクリーンで放映したり(入場無料)
その会場でHIV検査やHIVについてのクイズ大会、
HIVに対する差別・偏見をなくすための劇など、
HIV予防啓発活動を組み合わせたイベントを実施したのです。

これは、ガーナで最も人気のあるスポーツである、サッカーの
一大イベントで行ったからこそ、より大きな成果を残したといえます。
(ちなみに、このワールド・カップで、
ガーナはアフリカ勢で唯一、ベスト8に残りました)
今後このようなPPPも、国際協力を行う上で
大事になっていくのではないかと筆者は思います。


DSC_3542_a.jpg


・・・
・・・


さて、ここまでガーナが抱えるあらゆる問題をあげてきましたが、
それらが持つ共通点は、どれも「都市と地方の貧困格差」
にあると言えるのではないでしょうか。

では、それらを改善する取り組みとしては
他にはどのようはものがあるのでしょうか?


「あなたの大切なものは何ですか?」

akosonbo27_a.jpg

「豊かな緑、そして木です」

g_ako_017_a.jpg


ガーナの特産物として、忘れてはならないもの、
それは「シアバター」、別名「神聖なる木」です。
シアバターとは、シアーバターノキの種子から作られ
食用や薬、石鹸やクリームなどに配合されている植物性脂肪です。
この輸出量が世界で最も多いのがガーナで、世界全体の約40%を占めています。

日本で有名な化粧品メーカーのロクシタンや、ザ・ボディショップの
ボディローションやボディクリームなど多くの商品にも、
シアバターが用いられており、知っている人も多いのではないでしょうか。


DPP_0002.JPG
(有名ブランドのシアバター)


この人気が高いシアバターを、ガーナで特に貧しい地域の産業支援のために
実施されたプロジェクトがあります。
UNDP(国際連合開発計画)が日本政府の支援を受けて2007年から2年間行った
「北部ガーナにおけるシアバター産業支援を通じた
現地女性のエンパワーメントと貧困削減」です。
(エンパワーメントとは、女性などの社会的弱者が、その地域で、
自分の能力を発揮できるようにすることを言います。)

このプロジェクトは、その名の通り貧困地域の女性の自立支援と
貧困の削減を目的としたものです。


DPP_0001.JPG
(フェアトレード商品のシアバター)

ガーナの北部地域では、女性のみが伝統的に触れることが許されている
シアバターが、女性たちの貴重な収入源であるため、
その生産を産業に発展させ、女性たちが持続的に
収入を得られるようにすることが狙いなのです。

UNDP以外にも、このシアバターを通じてガーナを支援する
企業や団体は多く存在しています。


DSC_3470_a.jpg


・・・
・・・



さて、ここでガーナと日本、両国にかかわる人物を二人紹介します。
ここまであげてきたガーナの問題解決にも大きくかかわる重要な人物です。
この二人を知ることで、あなたの中のガーナと日本の距離が
グンと近づくことでしょう。

世界で最も有名なガーナ人を、みなさんはご存じですか?
そう、元国際連合事務総長であり、国連を活性化させた
手腕などが評価されたノーベル平和賞受賞者、
コフィー・アナンです。


450px-Kofi_Annan.jpg
(C)Ricardo Stuckert/ABr


彼は、1999年の世界経済フォーラムにおいて、
企業に対しとあるイニシアチブを提唱しました。
「グローバル・コンパクト(GC)」です。

これは、世界中の参加企業に対し、人権・労働・環境・腐敗防止の
10原則を実践することを求めているものです。
グローバル・コンパクトに参加している企業・団体は
2011年の段階で全世界で約6000社(132カ国)で
2012年現在、日本国内では(大企業を中心とした)155社にのぼっています。


President_Vladimir_Putin_with_UN_Secretary_General_Kofi_Annan.jpg
(C)www.kremlin.ru


この10原則の中には、「児童労働を実効的に廃止する」や
「雇用と職業に関する差別を撤廃する」なども含まれており
ガーナ産のカカオ豆を使ったチョコレートなど、
ガーナと大きなかかわりを持つ日本企業にとっても、
とても重要な内容が含まれているものではないでしょうか。

進んでグローバル・コンパクトに参加することが、これまであげてきた
ガーナの問題点克服への近道になるのではないかと筆者思います。
(しかしながら、現在「ガーナミルクチョコレート」を発売する日本の大企業ロッテ
をはじめとする今回紹介した企業は、グローバル・コンパクトに不参加であることが
筆者は残念でなりません。)


次に、ガーナでもっとも有名な日本人をご存知ですか?
日本人ならば誰でも知っているでしょう。「野口英世」です。


Noguchi_Hideyo.jpg
出典:野口英世記念館


福島県出身の野口英世は1927年、アフリカの黄熱病研究のために
現ガーナのアクラを訪れ、そこで自らも黄熱病で亡くなりました。

その後、この野口英世の活躍が縁で、ガーナから日本に対して
医療協力の要請があったのです。
そうして、1969年からその支援が開始され、今現在も福島県立医科大学による、
ウイルス学の研究協力や基礎医学研究所「野口記念医学研究所」を
ガーナに設立するなど、多くの協力を日本は続けています。

このことは、カカオ豆と同じく、ガーナと日本の親交を深め続けている
大きな事実であり、両国の交流の象徴ともいえるものになっています。
ふだん、日本にいるとあまり意識しないガーナという国ですが
実は日本ととても多くのかかわりがあるのです。


・・・
・・・



最後に、現在のガーナとこれからのガーナについて
書くことにしましょう。


「あなたの大切なものは何ですか?」

akosonbo15_a.jpg

「人を好きになる気持ち、愛情です」

g_ako_010_a.jpg


ガーナは近年目覚ましいほどの発展を続けている国です。
2007年に大型油田が発見され、2010年には石油の商業生産が開始。
石油収入を含めた2011年の経済成長率は13.6%を記録したほどです。

ガーナは今、西アフリカをけん引していく民主主義国としても、
多くの資源を持つ国としても、世界の国々から投資先として
注目を集めているのです。
もちろん、日本の企業も次々にガーナに参入しています。

しかしながらその一方で、これまで紹介してきたように
ガーナにはまだ多くの問題が残っています。
そしてそれらは、ガーナと深いかかわりのある日本としては
児童労働をはじめとして、無視できないものばかりです。


DSC_4396_a.jpg


日本とガーナの良好な二国間関係を維持・発展させるとともに、
ガーナの平和持続を実現していくためにも
日本のガーナに対する愛ある継続的な支援が
これからも必要とされているのではないでしょうか。

前述したコフィー・アナンはかつて言いました。

「今の私達にとっての敵は無関心、すなわち、世界はたくさんあり、
自分たちの世界だけに関心を持てばよいのだとする考えである。

この考えは誤っている...。

世界は一つ、人類も一つである。
そして真の公平で永続的な人間の安全は、不可分のものである。」 

と。(1997年の演説より)


DSC_3423_a.jpg





・・・

・・・


絵と写真を集めた人:
国分 敏子(2012年)
山本 敏晴(2002年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部 加奈

編集完了日:
2012年10月23日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

また、上記に掲載された地図は
以下の無料画像サイトから提供されました。
白地図専門店
http://www.freemap.jp/
posted by お絵描きイベント at 21:50| 日記

アルゼンチン Argentina


DSCF0012.JPG

アルゼンチンは、
南米大陸の南部に位置する国です。
日本から見て、ほぼ地球の裏側にあります。
首都はブエノスアイレスです。

CIMG2115.JPG

アルゼンチンは
移民の受け入れを積極的に行ってきた国なので、
イタリアやスペインなど
ヨーロッパからの移民が97%を占めています。
日本との間にも1963年に移住協定が発効されました。

アルゼンチンの人たちは肉料理を主食としているため、
一人当たりの牛肉の消費量が世界第一位の国です。

DM050.JPG

肉料理と一緒に赤ワインを楽しむ習慣があるため、
ワインの生産量は世界第5位を占めています。

・・・

アルゼンチンは、豊かな自然に支えられ、
農業や牧畜業などの産業で栄えた国でした。

DSCF0076.JPG

ところが、21世紀に入ってすぐの2001年、
アルゼンチンは国の借金を返済することができなくなり、
「デフォルト」と呼ばれる経済破綻を起こしてしまいました。

以下に、豊かだったアルゼンチンが
経済破綻してしまった理由を説明していきます。

DSCF0083.JPG

アルゼンチンには
「パンパ」と呼ばれる広大な草原地帯があります。
そこでは、大豆やとうもろこし、小麦が生産され、
家畜となる牛や羊の放牧も行われています。

DSCF0077.JPG

特に、東部の湿潤パンパは、平坦で土壌が肥えており、
気候も温暖で、適度に雨も降るため、
肥料や灌漑が必要ありません。
また、農業地帯の中心地であるロザリオ港に
大型輸出船が入港できるため、
輸送も効率的に行われました。

このようにパンパでは、
農畜産品を欧州へ低コストで輸出することができるため、
農業と畜産業はアルゼンチン経済を支える
大きな柱となりました。

DSCF0038.JPG

20世紀初頭まで、
この豊かな農産物の輸出は
アルゼンチンの人たちの生活を向上させ
当時の日本人よりもずっと豊かな生活を送っていました。


あなたの大切なものは何ですか。

「僕は豊かな自然が好きです」

PeaceBoat_Argentina_Emanuel_10M.JPG


第二次世界大戦後、
大統領に就任したペロンは、
労働者を保護する政策を推し進めるようになります。

ペロンは、
賃金の引き下げを違法にし、
休日労働や解雇を制限し、
社会保障制度を充実させました。

DC190.JPG

これらの政策は、
労働者の福祉を充実させましたが、
同時に、労働者の既得権益にもなり、
バラマキ政策との批判の声もあがりました。

やがて、
この既得権益を維持するために
政治家や官僚への政治献金や賄賂、汚職が横行し、
労働者と政治家、官僚との間に腐敗をもたらしました。

DSCF0048.JPG

労働者の権利が過剰に保護されたため
企業は雇用に消極的になってしまい
仕事にありつけない人たちは、
ネグロと呼ばれる違法就労者として
低賃金で働かざるを得なくなりました。

また、労働者の既得権益は、
後々、国際競争力改善を阻害する
要因ともなっていくのでした。

DC145.JPG

生産性以上に、
労働者の賃金は引き上げられ、
福祉支出が拡大されたため、
このようにばら撒かれたお金が、
アルゼンチン国内にインフレを発生させました。

1980年代末には、
最高で年間約5000%の
ハイパーインフレという「物価高」に陥ります。
これは、100円で買えたパンが、
5000円以上払わないと買えなくなったということです。
このため、消費者の生活は困窮しました。

DSCF0040.JPG

1989年に、新しくメネム政権(〜1999年)が誕生すると、
彼は、一転して(社会主義的な)労働組合と対立し、
(資本主義的で自由市場を重視する)
「新自由主義」を掲げるようになります。

この政策によって、今度は、
国内企業は、外国の強力な企業と
競争していかなければならなくなりました。

メネム政権は、
ハイパーインフレの対策として
兌換法(だかんほう)を導入し、1ドルを1ペソに固定しました。

DSCF0037.JPG

また、国内への資本流入を促進させるため、
アルゼンチン国内外での
資本移動を完全自由化にしました。

兌換性はインフレ対策であったのと同時に
外国の投資家が為替変動のリスクを気にせずに、
安心して投資できる環境を生み出し、
外国からの投資を増やしました。

CIMG2240.JPG

さらに、
電力、石油、ガス、通信、郵便、年金など
あらゆる国営企業を民営化していきました。

これらの政策により、
ハイパーインフレは終息し、
外国からの投資は活発になり、
一時的に、経済成長をももたらしました。

実は、これらの政策の影には
IMF(国際通貨基金)という
国際機関による働きかけがありました。

IMFというのは、
世界経済を安定させる役割を持った組織です。

CIMG2121.JPG

そのため、
途上国とされる国々に融資を行い、
その国の経済を安定・成長させるという
役割も担っています。

しかし、融資の条件として
IMFは、「構造調整プログラム」といわれる
一連の政策を要求しました。

これは、民営化や規制緩和、
貿易・金融自由化、財政・社会保障改革など
いわゆる「新自由主義」として知られるものでした。

そして、アルゼンチン政府が
IMFに要求されたのもこの政策でした。

CIMG2107.JPG

このIMFの条件は、アルゼンチンに限らず、
それぞれ異なる財政状況のあらゆる国々に要求されました。

果たしてこのやり方は、
正しかったといえるのでしょうか。

同じ国際機関の一つであるユニセフは
『世界子供白書』において、
IMFによる構造調整プログラムが
貧困層の生活に深刻なダメージを与えていることを指摘しました。
その理由は、
新自由主義では、「貧富の差」が拡大していくからです。

また、アルゼンチンを含むラテンアメリカの国々では、
IMFや新自由主義への批判が高まり
後に、IMFと対立する(社会主義的な)政権が
いくつも誕生することになります。

DSCF0045.JPG

アルゼンチンは、
外国からの資金流入により経済成長を遂げましたが、
経済成長には、それに対応した雇用の増大や
(技術革新の速度などの)国際競争力が必要でした。

しかし、自由化の波に競争力が追いつかず、
ある段階から、今度はかえって失業者が増えてしまい
やがて、国内の財政赤字も膨らみ、
このため、外国への借金も膨れ上がりました。

90年代にはアジアとロシア、
そして、同じラテンアメリカのメキシコとブラジルを
「通貨危機」が襲います。

DSCF0047.JPG

各国が輸出産業を振興するため
「通貨切り下げ」を行い対ドル交換レートを下げる中、
アルゼンチンだけが兌換性を維持したことで、
輸出品が相対的に割高になってしまい
競争力低下に拍車をかけました。

このように不況に苦しむアルゼンチンは、
IMFの緊急支援(大量のお金を借りること)を必要としていましたが
融資を受けるためには
条件とされる緊縮財政を実行しなければならなりませんでした。

AU048.JPG

緊縮財政とは、
公務員の給与や雇用を減らしたり、
年金を減らすことで、
政府の支出を抑えることです。

デラルア政権(1999年〜2001年)は、
緊縮財政の一環として
銀行の預金が激減するのを防ぐため、
「預金引出制限」をしました。

DSCF0116.JPG

これにより、銀行から引き出せる額は
週に250ドルまでとなり、
資本の海外流出の防止として
海外への送金も1日1000ドルまでに制限されました。

緊縮財政は国民の反発を買い、
労働組合や各種団体のストライキを起こし、
国民による暴動が全国に拡大していきました。

結局、IMFの融資の条件は
満たすことができず融資は断られしまいます。

このころまでには、
失業率は30%近くにのぼり、
デモや道路封鎖、略奪が多発するなど、
治安が悪化していきます。

DSCF0039.JPG

2001年12月
ロドリゲス・サー暫定大統領は
「対外債務に対する支払い停止」
(借金を返さないこと)を宣言し、
経済破綻が公のものとなりました。

アルゼンチンのデフォルトに関して、
IMFの独立評価室レポートは
(アルゼンチン政府の)構造改革の不徹底が
原因であったとしています。

一方、
当時、アルゼンチンの経済大臣であったラバーニャは
IMFの構造改革自身に問題があったと主張しています。

IMFの政策は、
アメリカをはじめとする先進国のビジネス界や金融界の
利益に結びついているという批判も多く、
アルゼンチン国民の間でも、
IMFが要求した政策に問題があった
という見方が一般的になっています。

ちなみに、
IMFと世界銀行は、
1944年にアメリカのブレトンウッズという町で
創設された国際機関で
世界経済を資本主義で自由な市場経済に
導くためにつくられた組織です。
この二つの組織を「ブレトンウッズ体制」といいます。

DSCF0090.JPG

さて、その後、2002年に成立した
ドゥアルデ暫定政権(〜2003年)は、
兌換性を廃止し、変動相場制に移行します。

これにより
ペソの為替相場が下がり、
輸出産業に活気が戻りました。

その後、
アルゼンチンはIMFと対立し、
一方的な政策をとり続けましたが、
国際金融界やエコノミストの予想とは裏腹に
その後、急速な経済回復を遂げていきます。

AV082.JPG

・・・

しかし、
アルゼンチン経済の回復とは裏腹に
国内の経済的な格差は大きく、
貧困者の生活は依然としてよくありません。

CIMG2116.JPG

特に貧困層が多い州のひとつである
コリエンテス州コリエンテス市の
貧困率は2005年の調査で
貧困率が56%、極貧困率は24%と
最も高い値になっています。

特に、貧しい地域では
医療センターの運営も不安定なため、
適切な医療を受けることが難しい状況です。


あなたの大切なものは何ですか。

「みんなの健康が大切です」

PeaceBoat_Argentina_Emanual_M.JPG


JICAでは、NGOと協力のもと
コリエンテス州において
「草の根からの市民社会強化プロジェクト」を
実施しました。

そのひとつとして、
貧困層の人たちが医療サービスを
より多く受けられるよう改善し、
乳幼児の感染予防や、母子保健、予防医療が
改善されることを目標に掲げました。

そして、現地のNGOと連携して
医療センターの運営を安定させるための組織づくりや
人材育成などの活動を支援しました。

DSCF0042.JPG

・・・

アルゼンチンは、
1810年の建国以来、軍部の力が強く、
クーデターが日常的に起きる国でした。

1976年には、
ホルヘ・ビデラ将軍がクーデターを起こし、
軍事政権が始まりました。

彼らはマルクス主義者を排除するため、
左翼思想を持つと見なした多くの市民を殺害しました。


あなたの大切なものは何ですか。

「私は友達が大好きです」

PeaceBoat_Argentina_Ana_19.JPG


拘束された市民は拷問の末、銃殺されたり、
飛行機から生きたまま海に突き落とされました。
妊娠中の女性は収容所に拘束され、
生まれた子供たちは
左翼思想の影響を受けないよう
軍人や警察官の家庭に養子に出されました。

この時代に
アルゼンチン国民に対して行われた弾圧行為は
「汚い戦争」と呼ばれています。

AV085.JPG

汚い戦争による
行方不明者は3万人以上とも言われています。

1983年に民政に移管の後、
旧政権による犯罪が問われました。

紆余曲折の末、
アルゼンチンの裁判所は、
元大統領ホルヘ・ビデラに対して、
2010年に人道に対する罪として終身刑、
2012年には、
女性が出産した乳児を政権が奪ったとして
禁錮50年の判決を言い渡しました。

AV061.JPG

軍事政権の最中の1977年、
子どもや孫を奪われた母親たちは、
「5月広場の祖母たち」という人権団体を設立しました。

彼女たちは、
子どもたちを取り戻すため、
毎週木曜日になると、
首都ブエノスアイレスにある「5月広場」に集まり、
抗議活動を行いました。

AU116.JPG

民政移管後は、アルゼンチン政府も
彼女たちの活動に協力し、
DNA鑑定による親子特定の動きが拡がりました。

その甲斐もあり、
現在までに100人以上の
子どもたちの身元確認ができました。

「5月広場の祖母たち」は、
2011年にユネスコ平和賞を受賞しました。

・・・

あなたの大切なものは何ですか。

「僕は綺麗な海が好きです」


(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考  PeaceBoat_Argentina_Noname_M.JPG)



アルゼンチンは、イギリスとの間に、
フォークランドという諸島をめぐった
領土問題も抱えています。

フォークランドは、
アルゼンチンの東沖に位置する諸島です。

この島には、過去に、フランス、イギリス、
スペインが入植した歴史があります。

DSCF0117.JPG

アルゼンチン政府は、スペインから独立した際に、
継承したとして領有を宣言しましたが、

1833年にイギリスが実効支配して以来、
蒸気艦船の普及と共に、
最大都市のポート・スタンリーは
重要な給炭鉱となりました。

その後、2度の世界大戦を通じて
イギリスにとってフォークランドは戦略的拠点として
重要な位置を占めるようになります。

DSCF0119.JPG

1982年に、
アルゼンチンとイギリスとの間で
フォークランド紛争が起こりました。

アルゼンチン軍が
フォークランド諸島を占領したことをきっかけに
武力紛争化が始まります。

イギリスは、
アメリカやEC、NATO諸国の支援もあり、
フォークランドを再び奪還しました。


あなたの大切なものは何ですか。

「恐竜が好きです」

PeaceBoat_Argentina_Adrian_M.JPG

1990年には、
両国は国交回復しますが、領有権問題は棚上げされ、
国連は話し合いによる解決を呼びかけています。

フォークランド紛争から30年経った2012年には、
両国が国連本部に赴き、領有権を主張し合いました。

AV003.JPG

アルゼンチンのキルチネル大統領は
フォークランドが
イギリスから1万4000マイルも離れていて、
南大西洋に属しているので
アルゼンチンのものだと主張しました。

一方、フォークランド諸島に住んでいる人の9割は、
イギリス国籍で、現在も生活しています。
このため、問題は複雑です。

・・・

DM054.JPG

アルゼンチンのパタゴニア地方は、
世界でも希な強風地帯として有名です。
非常に風が強いため
住んでいる人はほとんどいませんが、
この風力資源を利用した
エネルギーの開発地として注目されています。

風力発電は、二酸化炭素を排出しないため
クリーンなエネルギーとして知られています。

DSCF0118.JPG

アルゼンチンの
エネルギー消費を見てみましょう。
第1位は天然ガスで、
全エネルギーの約半分を占めています。
2位が石油、3位に水力、そして原子力という順番で続きます。

アルゼンチン国内の
天然ガスのほとんどは、
発電のために使用されていますが、
それも、あと10年ほどで枯渇すると言われています。

そのため、
将来の新しいエネルギー資源として
この地方の風力が注目されています。

DSCF0011.JPG

試算によれば、
パタゴニア地方での風力発電による
潜在的な発電量は、
日本の年間発電量の約10倍とも言われています。

日本の企業であるリサイクルワンは
アルゼンチンの協同組合と協力して
2001年よりパタゴニア地方で
風力発電事業を行いました。

DM083.JPG

リサイクルワンは
環境問題を解決するために設立された会社で、
カーボンオフセットの提供を行っています。

カーボンオフセットとは、
私たちの生活で発生させてしまったCO2を
CO2削減プロジェクト
(植林をして、育ってゆく木にCO2を吸ってもらうことなど)に
資金提供することで埋め合わせをしようという
考えや活動をいいます。

オフセットとは
「相殺」(そうさい)することを言います。
リサイクルワンは、
「企業の社会的責任」(Corporate Social Responsibility)の
取り組みとして、この事業を行っています。

CIMG2485.JPG

一方、カーボンオフセットは、
(後から相殺するからいいんだとして)
「自ら排出削減を行わないことへの
正当化に利用されるべきではない」との意見もあります。

DC031.JPG

このプロジェクトでは
16機の風力発電機が設置され、
年間約27,000トンのCO2を削減することができました。
これにより、
天然ガスの燃焼によって生じていた
大気汚染の軽減に貢献することができました。

・・・

AV116.JPG

現在、世界では
地域(大陸)ごとの経済共同体の構築が進んでいます。

世界の経済規模が
第1位の国はアメリカ、
2位は中国、3位が日本です。
その次に大きな「経済活動が行われている地域」として
EU(欧州連合)があります。

CIMG2244.JPG

これらに次ぐ第5位の経済圏として
アルゼンチン、ブラジル等の
南米の4か国によって結ばれている
「メルコスール」と呼ばれる共同市場があります。

メルコスールは
1991年に創設された(隣接する国家の)地域統合体で
加盟国である4か国間での農作物や石油・天然ガス等の
輸出入の関税が撤廃されており、自由貿易が行われています。

アルゼンチンの
初等教育(小学校・中学校)では
このメルコスールに関するユニークな授業が行われています。

DSCF0053.JPG

それは、メルコスール加盟国である
ブラジル、パラグアイ、ウルグアイの言葉や文化を
学習するという科目で、生徒たちに大変好評となっています。

・・・

アルゼンチンはサッカーでも
有名な国ですが、
サッカーのアルゼンチン代表のリオネル・メッシ選手は
ユニセフ親善大使も務めています。

最後に彼のメッセージで締めくくりたいと思います。

「世界には病気の子どもたちがたくさんいること、
多くの子どもたちが教育を受けていないこと、
多くの子どもたちが栄養不良であることを知っています。
私は、自分ができることはなんでもやるつもりです。」




・・・
・・・



絵と写真を集めた人:
ピースボートの人々

画像データを編集し、文章を書いた人:
菊地賢一

編集完了日:
2012年10月1日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/
posted by お絵描きイベント at 11:51| 日記