長野県の一番北に位置する村です。

長野県は、面積が日本で4番目に大きく、りんごの生産量が全国2位です。
平均寿命においては、男性が全国1位、女性が3位であり、
長生きの県としても知られています。
その長野県にある栄村ですが、
村の面積は東京都の10分の1より少し小さいくらいで、
人口は約2300人、東京ドーム収容人数の20分の1ほどにあたります。

(栄村周辺の地図:栄村ホームページより)
また、栄村には日本最長の信濃川
{長野県内では、千曲川(ちくまがわ)という呼び名です}が流れています。
日本における屈指の豪雪地域で、
1945年の積雪は7m85cmと日本一を記録しました。

豊かな自然、澄みきった空気と水、良い土をもつこの地では、
米づくりも行われており、
農家の人々が、コシヒカリなどの美味しい米を育てています。
一方で、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震がおきた翌日である、
3月12日の大地震により、栄村は大変な被害を受けました。

震度6の地震が3度続き、
9割以上の家が全壊・一部損壊など被災しましたが、
地震そのものにより亡くなった人は0人でした。
本震と余震の間にできた短い時間に、村の人々ができる限りのことをして、
お互いを救助し合ったことが、たくさんの命を守りました。
・・・
長野県の歴史は、今から3万年以上も前にさかのぼります。
この頃、ナウマンゾウなどの狩人たちが県内にある野尻湖の近くで、
狩猟生活をしていました。
5000年前頃、八ヶ岳を中心に大きな集落ができはじめ、
2500年前頃には、西日本から稲作が伝わり弥生文化がひろがりました。

8世紀に、長野県の旧国名である「信濃国」の印がつくられ、
16世紀の戦国時代、のちに栄村ができる長野県北部では、
上杉氏と武田氏・後北条氏が激しい戦いをしました。

1871年の廃藩置県(江戸幕府が置いた藩を明治政府がやめて、
府と県に統一したこと)の後、
1876年に長野県が誕生しました。
その後、それまであった6つの村が合併を繰り返し、
1956年に栄村ができました。
・・・
「あなたの大切なものは何ですか?」
「家族みんなで、元気に過ごすことです。」


栄村は、「過疎」という問題に長く向き合ってきました。
過疎とは、地域の人口が大きく減ることにより、
その地域で生きる人々において、
生活水準や生産力を保つことが難しくなってしまう状況です。
栄村は、
1960年には6000人を超えていた人口が、
2011年には2300人ほどになり、
この50年の間に人口が3分の1に減ってしまいました。

栄村は、村民が主体になって村づくりを進める「実践的住民自治」を、
行っています。
「自分たちの状況にあった、暮らしやすい村を、
私たちでつくりあげよう」という思いのもと、
制度をつくり、アイデアを出して、企画、実行をし、
その出来具合を確かめ、さらによいものにしていくことを、
村民は積み重ねています。

栄村は、主に以下の事業を中心に取り組みを進めています。
1.田直し事業
:農家の人々が使いやすいように、田んぼを整えます。
2.道直し事業
:道路を改良して、除雪しやすい道にします。
3.げたばきヘルパー事業
:村に住む高齢者を地元のヘルパーが24時間支えます。
4.雪害対策事業
:危険な作業である雪下ろしや排雪を、救助員が手伝うことにより、
豪雪地における住民の暮らしを守ります。
人々がひたむきに築く、栄村の力強い村づくりの成功を受けて、
総務省と全国過疎地域自立促進連盟は、
2009年、全国過疎地域自立促進連盟会長賞を栄村に贈りました。

日本における「過疎市町村」の数は、
全国にある市町村の約半数にも及びます。
栄村と同じように過疎に悩んでいる地域は、たくさん存在するのです。

現在では、栄村が取り組んでいる「実践的住民自治」を学ぼうと、
多くの人々がこの村に訪れます。
・・・
「あなたの大切なものは何ですか?」
「お花や葉っぱに水をあげて育てることと、
命を大切にすることです。」


栄村では、「耕作放棄地」の増加が問題になっています。
耕作放棄地とは、農業人口の減少や、村全体の過疎化、村民の高齢化など、
農業を営む人における何らかの理由で、
耕作をしていない土地のことをいいます。
このような土地が増えて、農地が荒れると、
農村地域の活力と生産力が落ちてしまいます。

これを受けて、
栄村は「田直し事業」を行なっています。
田直し事業とは、村の職員と農家の人々が直接相談をして、
農家が田んぼを使いやすくなるよう整える取り組みです。

主に、土地の形に合わせた区画の整備をしますが、
農家が希望すれば、田の排水や入口などの整備も行います。
田直し事業により、これまで使っていなかった農地を、
農家の人々がもう一度耕して活用できるようになりました。

現在では、この事業が耕作放棄地の増加を防ぐのに役立っています。
2000年には70ヘクタール(1ヘクタールは1万平方メートル)
以上あった耕作放棄地の面積が、
2005年には半分以下の30ヘクタールにまで減りました。

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「あなたの大切なものは何ですか?」
「赤ちゃんです。一生懸命生まれてきてくれました。」

栄村国民健康保険栄村診療所では、
それまで勤務していた医師が2007年3月に退任し、
村に医師がいなくなる「無医村」になる恐れがでました。
村人の2人に1人が65歳以上の高齢者であり、
そのうち多くの人が農作業とともに生活をしているこの村にとって、
健康を管理する診療所は大切なものです。

常時勤務の医師がいる診療所としては唯一である栄村診療所は、
村民の体を守るとともに、
村の人々にとっては心の拠りどころとなる場所でもあります。
「なんとかして村に医師を迎えたい・・・。」
村役場の人が必死に医師探しをした結果、
2009年4月から、新しく佐々木公一医師が赴任しました。

栄村でただ1人の医師として、
佐々木医師は村の人々を支える存在となりました。
2011年3月の震災があった際には、地震直後から避難所で処置にあたり、
翌日からは休診日にも診療を続け、休むことなく人々を助けました。
2012年2月、読売新聞社は、地域医療に力を注いだ人として、
「第40回医療功労賞」を佐々木医師に贈りました。
(その後、2012年3月、佐々木医師が退職されたため、
4月からは、本村光明医師が、勤務されています。)
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「あなたの大切なものは何ですか?」
「栄村の自然です。」


長野県は、自然エネルギーの供給率が高い県です。
太陽光発電及び小水力(1000kW以下)発電における、
設備件数と総発電能力は、ともに全国5位以内に入っています。
長く守ってきた自然と昔からある文化を維持しながら、
村をさらにいきいきと元気にしていくことが課題です。

株式会社ブリヂストンは、早稲田大学と協力して、
環境問題に関する研究事業W-BRIDGEを行なっています。
W-BRIDGEは、地球環境が抱える課題に対し、
企業、大学、各地域やそこで生活する人々が一体になって取り組んでいく
新しい場をつくっています。

この研究事業の一環として、
NPO栄村ネットワークは「山村CSRプロジェクト」をはじめました。
山村CSRプロジェクトは、
CSR(企業の社会的責任)を積極的に実践する企業と、
山々に囲まれた村をつなげる取り組みです。

このプロジェクトは、
1.企業に対し、
資源を有する村との信頼関係や、
地域活動に参加する社員における心と体の健康増進を提供し、
2.村に対しては、
恵まれた自然環境とその村の良さを守りながら、
人々の営みをより活発にすることを目指しています。

この取り組みが、
企業と村のとの間に新たなつながりを生み、
村を活性化させていく、と栄村ネットワークは述べています。
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「あなたの大切なものは何ですか?」
「学校とお友達です。」


長野県は、昔から人材を育てることに力を入れている県でした。
江戸時代には寺子屋の数が全国で一番多い県で、
人々は長野県を「教育県」と呼んでいました。
しかし、近年その様子が変わりはじめています。

長野県教育委員会によると、
県内における公立小学校の生徒数が減っており、
小学校の3割は1学年に1クラスの学級編成です。
栄村においては、小学校1クラス当たりの生徒数は7人で、
教員1人当たりの生徒数は4人です。
2010年に文部科学省が行なった「全国学力・学習状況調査」では、
47都道府県中、長野県が42位という厳しい結果となってしまいました。

長野県民新聞社は、県内で唯一の教育専門紙である『長野県民新聞』と、
子育て情報誌の『すこやか』、『おさなご』を発行しています。

長野県民新聞は1980年代から、
県内の生徒における学力の低下に警告を鳴らしています。
「子どもたちの学力を向上させたい。」
「長野県を、もう一度日本で一番の教育県にしたい。」と、
新聞社は取材と検証を重ねていきます。
・・・
おわりに。
栄村には、栄村国際絵手紙タイムカプセル館という施設があります。
この場所は、世界中から集まった絵手紙を保存しています。

1998年、長野県では、長野オリンピックとパラリンピックが開催されました。
その際には、日本絵手紙協会が企画した栄村の『絵手紙世界展』を、
長野オリンピック冬季競技大会組織委員会が
同オリンピック及びパラリンピックの文化プログラムとして決定しました。
人々が想いをこめて描いた絵手紙が世界中から届き、
それを、村の人々が自分たちの手で展示しました。

オリンピック期間の展示後は、
それぞれの作品に絵手紙世界展記念の消印を押して、
長野オリンピックの記念切手を貼り、描いてくれた人へお返ししました。
2000年には、21世紀を迎える記念として、
60万枚以上の絵手紙が国内外からこの施設へ届きました。
これらの絵手紙は「絵手紙万葉集」という7巻の本になり、
その一枚一枚を施設が保管しています。
栄村の絵手紙が、世界をつなげました。

朝日新聞社と森林文化協会は、
人の暮らしが紡いだ、生命力に溢れていて、うつくしい里に贈る
「にほんの里100選」に栄村を選びました。
山と川、風と花、
そして、そこに生活する人々が受け継いできた生き方、
栄村には、きっと人々の心をやさしく包みこむ力があるのだと
筆者は思います。
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絵と写真を集めた人:
山本敏晴(2004年)
画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織
編集完了日:
2012年5月11日
監修・校正:
山本敏晴
企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/