
ブルキナファソは西アフリカに位置する内陸国です。
国名は、現地語のモレ語、ディウラ語を合わせて
「高潔な人々」を意味しています。
日本の約70%の面積の国土に、
東京都よりもやや多い約1500万人の人々が暮らしています。
「私の大切なものは自転車です。
自転車に乗って色々な所に遊びに行きます。」


ブルキナファソの歴史を辿ると、元々はモシ族の王国でしたが、
1896年に、『アフリカ分割』に伴いフランス領となりました。
アフリカ分割とは、ヨーロッパの列強による、
アフリカ諸国の支配権争奪と植民地化の過程のことです。
1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて行われました。

ヨーロッパ人は、アフリカ諸国を植民地化することを正当化していました。
なぜなら、ヨーロッパ式の政治、文化、教育を押し付けることは、
未開拓な人々を文明化すると考えられていたためです。

その後、第二次世界大戦が終わると、
世界中の植民地にされていた国々が、
独立しようと運動を行いました。
そして、ブルキナファソは、
1960年に『オートボルタ共和国』として、
フランスから独立しました。
1960年は、アフリカのいくつかの国が独立したため、
『アフリカの年』と、呼ばれています。
その後、何度もクーデターが生じ、1983年にトーマス・サンカラが、
現在の大統領であるコンパオレ大尉の支援を受けて、
再びクーデターを起こして、政権に付きます。
サンカラは国民からの高い支持を受け、
『アフリカのチェ・ゲバラ』と、呼ばれています。

サンカラは33歳という若さで大統領になりました。
就任一年後には、植民地時代との区別を明らかにするために、
国名をブルキナファソに改名し、新しい国旗、国歌を取り入れました。
彼は、貧困からの脱出には社会的公平が必要と考えました。
そのために、前政権までの政治家や役人の腐敗の是正や、
開拓可能な土地を国有化して農民に再分配、
大規模な予防接種の実施などを行いました。
また、アフリカ諸国の中で初めて、
アフリカが最大のHIV/AIDS蔓延地域であることを公式に認めました。

さらに、特に女性の地位の向上に取り組み、
西アフリカでは、初となる女性器切除(FGM)や
一夫多妻制を禁止しました。
政府の中枢に女性を起用したことでも知られています。
サンカラが作った、国の結束を重んじる文化は
現在でもブルキナファソの政治経済の特徴となっています。
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「私の大切なものは、お店です。」


ブルキナファソは世界でも貧困が著しい国です。
国連開発計画(UNDP)が発表する、
2010年度の人間開発指数では、統計が可能な169国のうち、161位です。
人間開発指数とは、人々の生活の質や、開発の度合いを示す指標です。
理由の一つは、ブルキナファソでは、
周辺諸国のように経済を潤す石油資源の輸出が出来ないことです。
マンガンや、金などの資源の存在は確認されていますが、
開発されていなく、輸出が出来ずにいます。
輸出をするために港まで運ぶ鉄道が未整備であり、
輸送費がネックとなっているためです。
この状況に対して、経済産業省は、(株)三井物産、
(株)オリエンタルコンサルタンツと、共に、
ブルキナファソの既存の鉄道を、
北にあるマンガン鉱山まで延長する計画を立てています。
また、内陸国であり周辺諸国の影響を受け易いことも理由の一つです。
ブルキナファソは、南に位置するコートジボワールの港を経由して、
生活必需品を輸入をしてきました。
しかし、2010年にコートジボワールで生じた政治対立により、
物流が円滑に行われなくなりました。

そのため、物価が急上昇し、
都市に住む人たちの生活が困窮しました。
2011年4月に、物価高騰に講義する大規模デモが起きて、
大統領警護隊と衝突し、
コンパオレ大統領は安全のために首都を脱出しました。
また、コートジボワールのカカオやコーヒー園で働く人が多いため、
コートジボワールの経済の不安定は、
直接にブルキナファソの人々の生活に影響します。
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様々な問題に直面する中、ブルキナファソは、
「自分の国の貧困の問題を、自ら解決するための戦略」
を作りました。
これを、「貧困削減戦略文書」といいます。

最近、国際協力の世界では、これに代表されるように、
先進国が途上国を援助してあげるのではなく、
途上国が、どのように自分の国を良くしていくかという方法を、
自ら考えていくべきだ、という方針が、主流になってきています。

こうして途上国の側で作られた、
「貧困から脱出するための戦略」に、
先進国たちも、国連などの国際機関も、民間の人々も、
みんなが協力していく流れに、
国際協力の世界はなってきています。
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「私の大切なものは、学校です。
英語を勉強して貧しい子どもに英語を教えたいです。


ブルキナファソの教育事情は、世界で最悪の部類に入るため、
政府の最重要課題となっています。
国連人口基金(UNICEF)によると、15歳以上の女性のうち
約80%が文字の読み書きができません。

初等教育への就学率は改善されつつありますが、
増え続ける生徒に対し、教室や教員、教材が不足し、
学校での学習環境は厳しさが続いています。

この状況に対し、UNICEFは1995年より、
サテライト小学校の建設、運営を支援しています。
サテライト小学校とは、教育の機会を奪われがちな農村部の子どもたちが
通い易いよう、村の近くに建てられた小学校です。
ブルキナファソでは、正規の学校として認められています。

サテライト小学校の生徒は、
従来の学校の生徒よりも成績が良いことが分かっています。
また、途中退学者が少なく、
90%以上の生徒が、翌年も在籍し続けています。
サテライト小学校の運営がうまくいく理由の一つに、
両親が学校の運営に関わっていることが挙がります。
日々の学校活動の運営に両親が関わることで、
教育の大切さへの理解が進み、子どもを通学させ続け易くなります。

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「私は畑仕事が好きです。
家族みんなが食べるために作物を育てることは大切です。」


ブルキナファソの主な産業は農業です。
労働人口の90%が農業に携さわり、
国内総生産(GDP)の35%を農業が占めています。
主な輸出品である、綿花、シアバターの需要が飛躍的に伸びています。
シアバターとは、シアの木から作られます。
石鹸や、保湿クリームに配合され、
先進国では、高級化粧品として販売されています。

綿花生産量はアフリカ諸国の中で第1位となっています。
アメリカ合衆国の女性下着メーカーのビクトリアズ・シークレットは、
ブルキナファソで有機栽培されて、
フェアトレード認証を受けた綿花を、大量に買い付けています。
2007年度は生産高の約60%の量を発注し、
ブルキナファソの綿花市場に貢献しています。
しかし、アメリカ合衆国の通信社ブルームバーグは、
この綿花の栽培には児童労働が関与していると報じました。

このため、
ビクトリアズ・シークレットがブルキナファソで行っている
綿花産業の振興が、良いことかどうかが、議論になっています。
ちなみに、「フェアトレード」とは、一般に、
発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じて、
立場の弱い労働者の生活を支援する取り組みのことを言います。
しかし、現地の通常の人の給料よりも、
高額の月給をもらえることがあるため、
子どもたちも、労働のために駆り出され、
学校にいく時間がなくなり、教育の機会が奪われる、
という皮肉な結果になることがあります。
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株式会社 ア・ダンセは、石鹸を中心としたシアバターの
製品の企画、技術支援、販売を行っています。
現地で、石鹸製造女性研修センターを運営し、
現地の利益を出来るだけ生むために、
仕上げ以外の工程は、出来るだけ現地で行っています。

HIV(エイズを発症させるウィルス)に感染した女性を雇用し、
女性の経済状況を改善することに貢献しています。
また、女性に、清潔・衛生の概念を教えています。
日常生活でも気を付けるよう指導して、
女性とその家族の衛生状態の改善に貢献しています。
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「私の大切なものは、家の近くに立つ木です。」


人口の約90%が農業に携わるブルキナファソにとって、
森林の減少は深刻な問題です。
ブルキナファソはサハラ砂漠の南に位置します、
サヘル(サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域)に属し、
地球温暖化による気候変動により、
降雨量が激減し、砂漠化が深刻化しています。

砂漠化が進行したため、川が干上がり、
安全な水を得ることが難しくなりました。

また、ブルキナファソに限らず、発展途上国の人々は、
木を切って薪を作り、料理を作る時などの、エネルギー源にしています。
実は、砂漠化は、地球温暖化よりも、現地住民による森林の伐採が原因で、
進行していると言われています。
それに加えて、ブルキナファソは国内に発電所が無く、、
隣国から電力供給を受けているため、世界で最も電気料金の高い国の一つです。
そのため、田舎に電荷が普及せず、人々はさらに木を切り倒しています。

さらに、ブルキナファソの人口増加率は世界第6位です。
この国では、人口が、どんどん増えています。

例えば、
ブルキナファソの女性が一生に生む子どもの人数の平均値は、
5.8人です。
(ちなみに、日本の女性の場合は、1.4人程度です。)

砂漠化の進行で農業が行えないことと、
急激な人口増加のため、
人々の食べるものが不足するようになりました。

この状況に対して、JICAは非政府組織『緑のサヘル』と共に
「ブルキナファソの砂漠化防止の防波堤」と呼ばれる活動を、
中央北部州に位置するバム湖周辺行っています。
一つ目は、農地の土が雨によって流れることを防ぐ防波堤の作成です。
干ばつにより森林が減少して土地の保水機能が弱まり、
雨が降ると農地の土は流れてしまいます。
作物が育ちにくくなるため、住民はその土地を破棄して、
新たな農地を求め森林伐採を行い開墾します。
この悪循環を防ぐために、『石堤(せきてい)』(石積みの堤防)で防波堤を作り、
土が流れてしまうことを防止しています。

次に、石堤の周辺にイネ科の植物の種を蒔きます。
植物が成長すると、石堤の代用となるため、
最初に使用した石を別の場所で再利用することが出来ます。
また、農地の生産力を高めるために、降雨量が少なくても、
効率よく雨水を溜めることができる耕作技術を指導しています。
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アフリカの病院は、医師や看護師などの人材や、
薬品や器材などの物品、また予算自体がしばしば不足しています。
ブルキナファソでも、登録医師数は約700人です。
これは、約2千人の住民に対して医師が1人となる人数です。
この状況に対して、国際協力機構(JICA)は南南協力を支援し、
「きれいな病院プログラム」を、進めています。
ブルキナファソでは、2009年から実施されています。

南南協力とは、医療などのある分野において
比較的に技術が進んだ途上国が、
他の途上国へ行う支援をすることです。
先進国から人材を派遣するよりも、
大幅に人件費を削減できることがメリットです。
きれいな病院プログラムとは、
5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)を導入し、
病院の環境を整えて、働く人の意欲を向上することが目的です。
スリランカにあるキャッスルストリート病院が、5Sを導入したところ、
新生児死亡率と、帝王切開後の感染率が半減しました。
5Sとは、元々は日本の工場で発展した、品質管理の手法です。
キャッスルストリート病院の看護師が、
日本企業の人々から教わって、自らスリランカに普及させました。

この成功例を参考に、アジアとアフリカが知識と技術を共有し
途上国に適した問題解決策を見出す試みが行われています。
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アフリカでは、女性器切除(FGM)の慣習が残っています。
FGMとは、女性が成人するための現地の儀式です。
陰核等の外性器を取り去り性感を減じさせることが行われています。
処女性を保つためと信じられており、
結婚の条件とされることがあります。

国連人口基金(UNFPA)が発表する世界人口白書では、
ブルキナファソの約70%の女性が
FGMを受けているとされています。
親が娘にFGMを受けさせる大きな理由は、
娘が将来結婚し、社会に適応できるように育てたいという、親の想いです。
しかし、実際はFGMを行うことで、大量の出血、排尿障害、
出産時の障害、それによる新生児の死亡を起こす可能性があります。
国際保健機関(WHO)は、医学的な必要性や女性へのメリットは無く、
人権侵害であるとしています。

ブルキナファソは、法律でFGMを禁止していますが、
手術を受けるために隣国に移動することが多く、
取り締まりが難しい現状があります。

この状況に対して、コンパオレ大統領夫人の、シャンタル・コンパオレは、
アフリカ28か国で活動する
非政府組織『女性と子どもの健康に影響を与える伝統的慣習に取り組むアフリカ委員会(IAC)』の
親善大使を務め、FGMの廃絶運動を行っています。
夫人は、後遺症が多いことを伝えることで廃絶に繋がると考え、
FGMの廃絶には女子への教育が必要と述べています。
また、非営利団体クリトレイドは、
ブルキナファソの第二の都市に、性器再生手術専門病院を建設しています。
2012年に開院予定のこの病院では、手術を無料、又は最少コストで
提供する予定になっています。
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「私の大切なことは、木と草と家を訪問することです。
会って、その人が元気でいるか、確かめることです。
僕が会いに行けば、元気でいてもらえるでしょ。」


ブルキナファソをフランスから独立させた『建国の父』トーマス・サンカラは
1984年に国連総会で演説を行いました。
その中で、
「わたしは、世界の片隅で、もがき苦しんでいる、
全ての人々を代表して語りたい。
わたしたちの望みは、他の人々(白人)を排除するような
黒人の世界を作ることではない。
黒人として、わたしたちは、みなさんに伝えたい。
『どのように、おたがいを愛するのかということを』
(As black people, we want to teach other people how to love each other)」
と、語っています。
私は、この文章を編集するにあたり、
ブルキナファソでは、
「自分や家族以外の誰かのために何かを行いたい」と、
絵を通して表現する子どもが多いことに驚きました。
世界の最貧国の一つに数えられる国の
子どもたちの想いに、
私は、今の自分を見直し、
人を想う気持ちを改めて考える
良い機会をもらったと、思っております。
・・・
絵と写真を集めた人:
高橋良枝(2010年)
山本敏晴(2006年)
画像データを編集し、文章を書いた人:
姉崎沙緒里
編集完了日:
2013年2月28日
監修・校正:
山本敏晴
企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/
上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
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