白い砂浜に、青い海。
日本人が持つフィジーのイメージは「南の楽園」です。
日本からも観光客が多く訪れます。
四国とほぼ同じ大きさである18,300㎢の面積は、
直径数mの小島を含む332島で構成されています。
そのうち、222島は無人島です。
![figi[2].jpg](http://ets-org.sakura.ne.jp/sblo_files/painting/image/figi5B25D-de4c7-thumbnail2.jpg)
フィジーは、伝統的に太平洋のハブとして存在し、
国連機関、各国在外公館のほとんどが事務所を置いています。
「私の大切なものは、神様です。」

フィジーは、1874年にイギリスの植民地となりました。
1879年に砂糖のプランテーションのために、
多くのインド人労働者が移住させられました。
1987年にイギリスから独立しましたが、
現在も、人口の38%をインド系移民が占めています。
58%がフィジー人、5%がヨーロッパや太平洋の島民と華人などです。
定住したインド系の人々が、
後のフィジーの政治、経済に大きく関わります。
フィジーの政治は度々クーデターが生じ、混乱しています。
2011年12月現在、フィジーの政治は暫定の軍事政権が行っています。
1999年の選挙により初のインド系首相が誕生しました。
しかし、その後、バイニマラマ軍事指令官が、
フィジー系民族の権利擁護や、政府の腐敗粛正を理由に
度々クーデターを起こしています。
2006年に生じたクーデターを、
国際社会、特にオーストラリア、ニュージーランド、EUが批判し、
民主主義体制を取るよう要求しました。
しかし、暫定政府は、国際社会からの要求を断り、
かわりに選挙制度を変えると主張しました。
この結果、フィジーは太平洋諸島フォーラム(PIF)と、英連邦から
参加資格を停止されました。
暫定政府は2012年に憲法を制定、その後1年間準備をして、
2014年に総選挙を行うようロードマップを発表しています。
政治の混乱は経済にも影響します。
2006年のクーデター後、
2007年に経済成長率はマイナス6.6%と記録しました。
経済を立て直すためにも、政治を安定させる必要があります。
フィジーの主要産業は、観光、砂糖、衣料です。
砂糖産業には、フィジーの全農地の50%、労働者の20%が関わり
主な輸出品となっています。
日本における砂糖の輸入国第4位です。
しかし、砂糖産業は年々衰退しています。
こちらにも、フィジー系とインド系の民族の対立が関係しています。
プランテーションが行われていた頃から、
フィジー系の民族が所有する土地を、
インド系の民族が借用して砂糖を栽培していました。
しかし、クーデターをきっかけに民族間の対立が表面化し、
異民族間で借地契約の更新が行われないなどの
トラブルが多くなりました。
この結果、インド系の民族には、さとうきび栽培を辞める人や、
借地契約に対する不安から、さとうきびの改植を
行わない人が多くなりました。
さとうきびは、改植(植物を植え直すこと)を行わないと、品質が下がるため、
年々、1ヘクタール当たりの産糖量が減少しています。
![suva[1].jpg](http://ets-org.sakura.ne.jp/sblo_files/painting/image/suva5B15D-thumbnail2.jpg)
また、2006年から行われたEUの砂糖制度改革も
砂糖産業の衰退に影響しています。
EUは、アフリカ・カリブ海・太平洋諸国から、
EU域内価格を基本とした高い価格で輸入していましたが、
世界貿易機関(WTO)が、規則に違反すると裁定したため、
フィジーの砂糖のEU向け価格が著しく下がりました。
これらに対し、フィジー砂糖公社は、
農家を対象とした改植や肥料購入などの費用を支援するため、
低利融資を行い、砂糖産業の衰退を防ごうとしています。
フィジーでは、国家が強い権力を持っています。
2010年、メディア産業振興法が布告され、
国家がメディアを管理出来るようになりました。
これは、フィジーの報道機関の株を
海外企業は10%までしか持てないと制限するものです。
そのため、オーストラリアのニュース・リミテッド社は、
それまで持っていた株の90%を手放すことになりました。
フィジー労働組合会議(FTUC)の会長は、
団体交渉に向けた会議を開催したところ、
非合法な集会とされて逮捕されました。
このような状況のために、
日本労働組合総連合会(社会党右派系の労働組合)は、
国際労働組合総連合(ITUC)とともに、
フィジー軍事政権に対して、
労働者の基本的権利と自由な労働組合活動が
行えるよう強く求めています。
「私は将来、ヘリコプターの整備士になりたいです。」
フィジーを囲む美しい海は、観光産業を発展させた一方、
人身売買などの越境犯罪の脅威が横行し、深刻な問題となっています。
2009年版の米国務省人身売買報告の中で、
フィジーはブラックリストに掲載されています。
麻薬の密輸では、中継点として指摘されています。
状況は、2006年にオーストラリア、ニュージーランド、
フランスの軍事協定が停止されてから、より悪化しています。
広範囲に渡る海域の航空監視が無くなり、
フィジーが監視活動を行うことはまれにしかありません。
「私の大切なものは、みんなが一緒に住める街です。」
フィジーの貿易は輸入超過となっています。
そのため、フィジー政府は、鉱物資源の開拓による
経済振興に期待をしています。
政府は、銅金鉱山炭鉱プロジェクトを、
日本の鉱山会社グループ(三菱マテリアル(株)と、日鉄鉱業(株))、
オーストラリアのNexcrest Miningナモシ社と進めています。
しかし、現在のフィジー電力公社の発電能力では、
鉱山開発に必要な、膨大な電力を賄うことができません。

発電能力を上げるためには、
火力発電を拡大させる事が現実的ですが、
環境へ配慮するために、
低二酸化炭素ガス排出技術を取り入れた火力発電と
地熱発電施設を組み合わせて、
発電能力を上げる予定になっています。
地熱発電は、現在も調査が進められています。
火力発電設備を導入するため、国際協力銀行(JBIC)は、
輸入・投資・事業等開発のための融資の
ソフトローンを行う予定です。
「私の大切なものは、きれいな海です。」
フィジーの人々は、生活必需品の多くを輸入に頼っています。
輸入品は、使用された後、ゴミとなります。
国土の狭いフィジーでは十分な廃棄場を確保することは難しく、
廃棄物の処理に問題を抱えています。
さとうきび農場の契約切れに伴い、地方での失業者が増え、
都市部へと人口が流入してきたため、
都市部でのゴミの、多様化、多量化が進んでいます。
国際協力機構(JICA)は、志布志(しぶし)市のゴミ処理体系の普及を行っています。
ゴミ焼却場を持っていない、志布志市の取り組みが、
フィジーの廃棄場の確保が難しい現状に活かされています。
志布志市の平成21年度のゴミリサイクル率は75.4%です。
志布志市の職員がフィジーへ派遣されるだけでなく、
フィジーからも研修団の受け入れを行い、技術支援や、市民参加を促し、
「ゴミはリサイクルして当たり前」と、意識改革が行われています。
農村部では、都市部、地方を問わず定職を持たない青年が多くいます。
フィジー政府は、こうした若者が生きる力を身につける場として
国立青年研修センターを設立しました。
![caption[2] (3).jpg](http://ets-org.sakura.ne.jp/sblo_files/painting/image/caption5B25D20(3)-thumbnail2.jpg)
国際NGO オイスカは、フィジー政府の要請を受けて、農業技術研修、
規律訓練を行っています。
研修生には、オイスカが研修センター外で行う
社会貢献活動への参加を義務付け、
村に帰ってからも社会に貢献できる人材を育てています。
将来はオイスカの現地NGOであるOFETAが
センターを独立して運営できることを、目標にしています。
研修センターは、2007年から郵便貯金・簡易生命保険管理機構の助成を
受けています。
「私の大切なものは、勉強するための学校です。」
(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 FIJ_001.JPG)
島国では、情報を共有するネットワークが重要です。
フィジーにはオセアニアの12の小規模島国が協同で設立した
公立の南太平洋大学(USP)があります。
19000人の学生のうち、50%以上は遠隔教育を受けています。
1998年から、日本、オーストラリア、ニュージーランドが共同で
通信衛星ネットワークは整備をして
遠隔教育を受けやすい環境を整えました。
南太平洋には、高等教育を受ける機会の無い国も多く、
USPは重要な教育機関となっています。
日本からフィジーへの留学生者は2004年からの2年間で10倍へ増えています。
South Pacific Free Bard(株)は、欧米国と比較して安価で語学留学が出来るよう、
フィジーで語学学校を運営しています。
少子化が深刻となるフィジーで、政府から廃校となった学校を借りて、
政府が雇用できないフィジーの教師を雇用しています。
日本からフィジーを訪れる人を増やし、現地での雇用を増やすことで
地域の活性化に貢献しています。
「私の大切なものは、病院と家です。」
感染症対策でも、ネットワークが活用されています。
南太平洋は、感染症が流行し易い環境にあります。
人口が少ないため、病院などの設備が少なく、
感染症対策に必要な物資の調達や、
必要とされている場所への運搬が難しい事が理由に挙がります。
また、漁業や観光で頻繁に人が移動するため、
感染症をもたらす原因菌が、人の移動に伴い、拡散します。
![figi[1].jpg](http://ets-org.sakura.ne.jp/sblo_files/painting/image/figi5B15D-thumbnail2.jpg)
そこで、南太平洋の各国の衛生担当者、臨床医、検査技師、医療関係者が
自発的にネットワークを作りました。
1996年、The Pacific Public Health Surveillance Network(PPHSN)が、
立ち上げられ、各国の情報が共有されています。
フィジーはフィラリア症の流行国です。
1999年より世界保健機関(WHO)のリンパ系フィラリア症の根絶を目標とする
広域プログラムに参加しています。
2002年より、全国民対象の集団治療薬投与が行われています。
抗フィラリア薬配布率の向上のために、
地域医療者等へのフィラリア症教育や、
住民に対しラジオによる広告および質疑応答コーナーを活用し、
情報提供が行われています。
フィジーは肥満大国です。
女性の肥満率は、アメリカと並ぶほどです。
フィジーの死因は82%が生活習慣病です。
また、公的医療機関は無料で診療を受けることが出来るため
膨大な保健衛生費が国家予算を圧迫しています。
外部から高カロリー食品が流入したことにより、
国民の食生活が変化したことが肥満の主な原因です。
これまで、政府は栄養政策を何度も行ってきましたが
なかなか効果が出ませんでした。
栄養状態とは、住民の日々の食生活に密接していますが、
国レベルの政策が、地域レベルの活動へ
活かされていなかったためです。
正しいことを提言するだけでは、
人々の意識や行動を変化させることは出来ません。
国際協力機構(JICA)は、太平洋共同体(SPC)や、WHOと、
共同して地域でのワークショップを行いました。
フィジーの国歌は
イギリスから独立する前に行われたコンテストで選ばれ
幸福と自由を歌っています。
フィジーのイメージは南の楽園です。
私は、言葉の通り、フィジーが幸福と自由を実感できる国に
なって欲しいと願います。
・・・
・・・
絵と写真を集めた人:
渡橋浩子(2007年)
山本敏晴(2007年)
画像データを編集し、文章を書いた人:
姉崎沙緒里
編集完了日:
2012年1月16日
監修・校正:
山本敏晴
企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/
上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/