2011年12月18日

ロシア Russia

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ロシアは、ユーラシア大陸の北部に位置し、世界最大の国土と、世界第9位の人口を擁する国です。
この広大な国土に、石油や天然ガスなど膨大なエネルギー資源を有するエネルギー大国です。

旧ソ連諸国のなかで国土面積・人口とも最大で、国連安全保障理事会の常任理事国の立場をソ連から引き継ぎ、文字通りソ連を継承する国です。

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ソ連時代にはアメリカに対抗する超大国として世界を二分しました。
ソ連時代から、特に核兵器などの軍事面や宇宙開発などの分野に力を入れ、今でもロシアの核弾頭の保有数は世界一位で、宇宙開発技術でも最先端を誇ります。


「僕の夢は宇宙に行くことです」

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ソ連崩壊後、しばらく国内の経済は混乱しました。
しかし、いまでは新興国と呼ばれるほどの経済成長をしており、同様に順調な経済成長を遂げているブラジル、インド、中国、南アフリカ共和国とともに『BRICS』の一角を占めます。

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民族構成は、ロシア人が約80%を占めますが、他にもウクライナ人やチェチェン人など180を超える少数民族がいます。
公用語はロシア語です。
宗教は、キリスト教の中の教派の一つであるロシア正教が多数ですが、イスラム教、仏教、ユダヤ教などもあります。
ソ連時代には、政教分離の名のもとに全宗教が弾圧されてきましたが、いまはどの宗教も保護されています。

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「僕はおとぎ話が好きです」

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ロシアの広大な国土は、16世紀にイヴァン雷帝が行ったシベリア進出に基づきます。
16世紀の半ば頃にはヨーロッパにしかなかった領土が、150年後にはシベリアまで広がりました。

ロマノフ朝ロシア帝国時代には、領土を東欧・中央アジアへと広げ、1904年には首都モスクワと極東ウラジオストックを結ぶシベリア鉄道も開通しました。

しかし、1904年に勃発した日露戦争で苦戦が続き、ロマノフ朝ロシア帝国の国力は衰退しました。
1905年には貧困にあえいだ国民がデモ活動をおこし、これに対して政府が発砲して多くの死傷者がでました(血の日曜日事件)。
この事件が契機になって、ロシアでは革命運動が盛んになりました。


「僕の大切なものはクレムリン(ロマノフ朝ロシア帝国の宮殿)です」

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ロマノフ朝ロシア帝国は、1914年に勃発した第1次世界大戦で敗戦を続けると、1917年にウラジーミル=レーニンが主導して史上初の共産主義革命(ロシア革命)を成功させ、ロマノフ朝ロシア帝国は滅亡しました。
1922年には、ロシア、ウクライナ、白ロシア、ザカフカースの4カ国からなるソ連が成立しました。

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1929年にニューヨーク証券取引所で株価が暴落すると、資本主義国の多くで世界恐慌が起きました。
しかし、ソ連の経済は『計画経済(物の生産と分配を国がコントロールする経済体制)』であるため、世界恐慌の影響を受けずに順調な経済成長を遂げました。

しかし、ソ連は国力を誇示するために軍事面や宇宙開発に重点を置き、農業は犠牲になりました。


「僕はパイロットになって飢えて困っている人に食糧を届けたいです」

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1928年から、ソ連は個人から土地をとりあげて集団農場をつくる政策を強行しました。
この際、900万人近くの農民が農地を追われ、その半分が処刑されたと言われています。
こうして、各地に集団農場をつくりましたが、集団農場に入った農民の労働意欲はあがらず、収穫は大きく落ち込みました。
この結果、1932−1933年には数百万人が餓死する大飢饉がおきました。
特にウクライナ地方の被害は甚大で、ウクライナ政府はいまもこの対応をウクライナ人に対するジェノサイドであるとして非難しています。
以後、ソ連は1991年に崩壊するまで食糧難に悩まされ続けることになりました。

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1939年に第二次世界大戦がはじまると、ソ連は『ソ連・ポーランド不可侵条約』を破棄してポーランドを侵略しました。
ドイツとの戦いで一時は苦境に陥るも、最終的には勝利し、東欧に大きく領土を広げました。
また、1945年8月9日には、敗戦が確実になった日本に対し、『日ソ中立条約』を破棄して攻め込み、満州やサハリン南部などを掌握しました。
この際、約50万もの日本軍捕虜がシベリアに抑留され、過酷な環境での強制労働によって日本軍捕虜の多くが命を落としました。

また、日本が『ポツダム宣言』を受諾して降伏した後も北海道めがけて侵攻を続け、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島及び歯舞(はばまい)群島からなる北方領土を現在に至るまで支配しています。


「あたしはロシアの冬景色が好きです」

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日本政府は、日ソ中立条約が有効であったことと、ポツダム宣言受諾後に占領されたことを根拠に、いまの状況をロシアによる不法占拠であると位置づけています。
これに対し、ロシアは「第二次世界大戦の結果ロシアの領土になった」という立場をとり、色丹、歯舞の2島を返還する妥協案は提示するものの、択捉島、国後島については返還する姿勢をみせていません。

いま、ロシアは北方領土の近代化をすすめ、軍事力も強化しています。
また、中国や韓国にもよびかけて北方領土の資源開発を進めようとしています。

日本にとって北方領土をめぐる交渉は今後も難航が予測されます。

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第二次大戦後、アメリカやイギリスなどの西側陣営は『北大西洋条約機構(NATO)』という軍事同盟を結んで東側陣営に対抗しました。
これに対し、ソ連は東欧諸国と『ワルシャワ条約機構』という軍事同盟を結んで西側陣営と対抗しました。

ソ連とアメリカが直接戦火を交えることはなかったものの、両国は朝鮮戦争やベトナム戦争など世界の各地で代理戦争という形で対立し、この対立構造は『冷戦』といわれました。

国連の安全保障理事会では、ソ連とアメリカは自国にとって都合のわるい政策に対して互いに拒否権の行使を繰り返し、これが冷戦を長引かせる原因となりました。

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両国は、核兵器の開発に関しても熾烈な競争を繰り広げ、1962年にはあわや核戦争かという『キューバ危機』が起きました。

なお、ストックホルム国際平和研究所がした2010年の調査によると、ロシアが配備している核弾頭数は4630発で、アメリカの2468発をおさえて世界一位となっています。

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ソ連は、アメリカに対抗する超大国でしたが、内部には多くの問題を抱えていました。

まず、社会主義は独裁政治に陥りやすいため、政敵の粛正や、言論の統制、民衆の弾圧が横行しました。
このため、政治に民意が反映されることはなく、トップダウン式の政策によって国民は翻弄されることになりました。

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また、計画経済のもとでは、国民の労働意欲をかきたてるのが難しく、西側陣営との間の経済格差が広がりました。

そして、汚職が蔓延し、一部の高級官僚たちが富を独占し、その他の国民が貧困にあえぐという状況が生じました。
これは共産党の政治理念に反するものでした。

さらに、1979年からのアフガニスタン侵攻が泥沼化したことや、石油価格の暴落によって経済が崩壊しました。


「私の大切なものは馬です」

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1985年からソ連の最高指導者に就任したミハイル=ゴルバチョフ氏は、ソ連の体制に限界を感じ、『ペレストロイカ(改革)』を断行しはじめます。
まず、それまで全ての企業が国営でしたが、一部で民営化を開始しました。
そして、国民の労働意欲をかきたてるために、生産性に応じて給料が変動する制度を導入しました。

また、ソ連がいかに多くの問題を抱えているかを国民に伝えるために、政府内部の『グラスノチス(情報公開)』をおしすすめました。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所で事故が起きましたが、政府の隠蔽体質が事態の収束を遅延させてしまいました。
この原発事故もグラスノチスを後押しすることになりました。

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そして、ゴルバチョフ氏は、1989年にはアメリカのブッシュ大統領(パパブッシュ)と会談し、核兵器の削減について合意して、40年以上続いていた冷戦が終結したことを宣言しました(マルタ会談)。
こうした一連の功績が認められて、1990年、ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しました。

ゴルバチョフ氏は経済を自由化し、国民が自由に発言できるようにして、国民の支持を得ようとしていました。
しかし、情報公開によってソ連政府の腐敗がさらけだされると、国民の不満がかえって高まりました。

1991年8月にはクーデターが起き、これが引き金となって同年12月にソ連は崩壊しました。
そして、代わりにロシアを含む15の独立国家が生まれ、そのうち11か国(後にグルジアも加わって12か国)が独立国家共同体(CIS)という緩やかな共同体を形成しました。

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こうしてソ連は崩壊し、冷戦が終結しました。
この出来事が世界に与えた影響をみてみましょう。

まず、ソ連のエンジニアが拡散し、これによりソ連の核技術が世界中にちらばりました。
これにより、テロリストが核兵器を用いるかもしれないという新たな脅威がうまれました。

また、ソ連の支配下にあった東欧諸国で相次いで革命が起こり(東欧革命)、世界的に民主化がすすみました。
この際、東欧諸国で不要になったAK−47(カラシニコフ)などの武器が大量に輸出されるようになりました。
この結果、アフリカなどの紛争で大量のAK−47が流通し、紛争を拡大する要因になりました。
AK−47は子どもでも扱えるほど小型で、これが紛争地帯で流通したことが、世界で多くの子ども兵が生まれる原因になりました。

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さらに、ソ連の支配下にあった国々で、それまで押さえ込まれていた民族運動が活発化しました。
この結果、それまでの東西の戦争という構図は崩れたものの、ユーゴスラビア紛争などの内戦が増加しました。


「わたしはマジシャンになりたいです。箱の中からうさぎが出てくるなんてすごいでしょ?」

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もう一つの大きな変化として、共産主義勢力が衰退したことにより、資本主義を世界に広めようとする経済のグローバリゼーション(アメリカナイゼーション)が進みました。
経済のグローバリゼーションが進むと、世界を一つの市場として激しい価格競争が起きるので、消費者は競争に勝ち残った品質の良い商品を安く購入することができるようになります。
しかし、その一方で経済格差を世界レベルで拡大し、最低限の暮らしすらできない貧困層が増加しました。
また、多国籍企業はより安い労働力を求めるため、人件費の安い発展途上国の子どもが労働にかりだされる、いわゆる児童労働も増加しました。

この、グローバリゼーションは世界貿易機関(WTO)が主導しており、2001年には反資本主義だった中国がWTOに加盟し、そして2011年にはロシアもWTOに加盟することが決まりました。
グローバリゼーションという潮流はこれからもとどまりそうにありません。

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次いで、ソ連崩壊後のロシア国内の情勢をみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアは価格統制の撤廃や賃金・所得の凍結など、大胆な経済改革をしましたが、その結果、ロシアの経済は混乱しました。

まず、ソ連時代の体制のもとでは企業は全て国営で、あらゆる商品について一企業による独占が生じていました。
このため価格統制が撤廃されると、商品の価格が一方的につりあげられ、ハイパーインフレが起きました。

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この混乱に乗じ、マフィアがヨーロッパから商品をもちこんで安く販売し、ロシアの経済を支配するようになりました。
マフィアが力をつけると、麻薬が大量に流通し、治安も悪くなりました。
そして、マフィアは税金を納めませんから、ロシア政府の財政が悪化しました。

1998年、ロシアはアジア通貨危機の影響をうけて、あと一歩で債務不履行(デフォルト)という深刻な財政危機に陥りました。
しかし、その後、石油価格が上昇したことにより、ロシアの経済状況は改善しました。
また、プーチン政権下で、通貨ルーブルの切り下げに踏み切ったところ、輸入が抑制されてマフィアが衰退し、これによってロシアの企業が息を吹き返しました。
プーチンが大統領をつとめた2000−2008年の間にロシアのGDPは8倍に増加し、ロシアは新興国と呼ばれるようになりました。

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さらに、プーチンはソ連崩壊の混乱に乗じて台頭した『オリガルヒ(新興財閥)』が所有していたエネルギー資源会社の再国営化をすすめました。
これにより、エネルギー資源を外交カードとして用い、国際政治での発言権を増すようになりました。

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近年のロシアの経済成長の裏側には、国土に豊富に埋蔵する天然資源の開発があります。
しかし、こうした天然資源の開発は自然破壊とも隣り合わせです。

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たとえば、ロシアは石油や日本や韓国に輸出するためにシベリアの油田と太平洋沿岸をむすぶシベリア・太平洋パイプラインを建設しましたが、当初、このパイプラインは世界に約30頭しかいないアムールヒョウの生息地を通る予定でした。
これに対し、FoE(Friends of the Earth)や世界自然保護基金(WWF)などの国際環境NGOは、プーチン大統領に対してパイプラインの経路変更を訴える要望書を提出しました。
この結果、パイプラインの経路は変更され、アムールヒョウの生息地は保護されることになりました。


「わたしは猫がすきです」

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ロシアの経済は天然資源の輸出に大きく依存しているため、世界経済や石油や天然ガスの価格変動によってロシアの財政状況は大きく影響を受けてしまいます。
実際、2007年からはじまる世界金融危機で最も深刻な打撃を受けたのがロシアでした。
そこで、このような状況を打破するために、ロシア政府はITなどの工業にも力を入れており、アメリカのシリコンバレーをモデルとした研究開発拠点をモスクワ近郊に建設しようとしています。

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続いて、ロシアの外交を見てみましょう。
ロシアは広大な国土をもち、多くの国と隣接することから、外交での問題がたえません。

まず、冷戦終結が宣言されているものの、アメリカやNATOとの関係は依然として難しいものがあります。
1991年にワルシャワ条約機構は解体されましたが、これに対抗するNATOは解体されていません。
それどころか、ソ連の支配下にあった東欧諸国を吸収して拡大しつづけています。
旧ソ連を形成していたウクライナやグルジアもNATOへの加盟を目指しており、ロシアはNATOの拡大に警戒感を強めています。

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コソボ独立をめぐる問題でも、ロシアはアメリカやNATOと意見が対立しました。
そして、2008年にはグルジアが南オセチアに侵攻したことに対抗してロシアがグルジアに侵攻すると(グルジア紛争)、ロシアとアメリカやNATOとの関係は完全に冷え込みました。

新たな冷戦が展開されるという懸念もありましたが、2009年にバラク=オバマ氏がアメリカの大統領に就任すると、米ロ関係のリセットを宣言し、両国の関係は改善に向かいます。
その象徴として、2010年には、米ロの核兵器を削減する『新START』について合意しました。


「僕は世界がもっと喜びに満ちればいいのにと思います」

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しかし、ロシアとアメリカやNATOは依然として問題を抱えています。

アメリカはNATOとともに、イランなど中東からのミサイル攻撃から欧州全域を守るためのMDシステム(ミサイル防衛システム)を構築しようとしており、これが新たな火種となっています。
ロシア政府はこのMDシステムの本当の狙いはロシアをけん制することにあると判断し、この計画を推し進めるならば、アメリカとの間でかわした新STARTを破棄すると警告しています。

かつてロシアは中国とイデオロギーの違いや領土問題をめぐって対立したものの、今は貿易を通じて互いの関係を深めています。
ロシアは中国や中央アジアの国々とともに上海協力機構(SCO)を形成し、アメリカやNATOに軍事的・経済的に対抗する動きをみせています。

冷戦が終結したとはいえ、ロシアとアメリカとの間の駆け引きは今後も続きそうです。

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ロシアは、外交だけでなく、内政にも不安を抱えています。
その筆頭に挙げられるのが、黒海とカスピ海との間にあるカフカス地方の問題です。
特に、チェチェンでは分離独立を求めて二度の紛争が起きました。
いずれもロシア軍が鎮圧しましたが、チェチェンでは今でもテロ活動が続いています。
これに対し、ロシア政府はテロとの戦いという名目で、カフカス地方で拷問や虐待、国際法違反の殺害などして人権を蹂躙しています。
こうしたロシア政府の暴挙を告発する人権活動家もいますが、こうした活動家の多くが非業の死を遂げていることをアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際人権NGOは報告しています。

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次に、ロシア国民の暮らしをみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアでも市場原理主義が導入され、モスクワなどの都市部はニューヨークとみまがうほど発展しています。

「僕はビルを建設したいです」

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ソ連崩壊後、オリガルヒなどの富裕層がうまれましたが、国民の多くは貧しい暮らしをしています。
格差が急に拡大したのです。

ソ連時代は全員が公務員でしたが、ソ連崩壊後は最低限の生活が保障されず、多くの人が失業しました。
このため、不安にかられてウォッカを飲み過ぎ、アルコール中毒になる人が増加しました。
いまのロシア人の死因の第一位はアルコールの過剰摂取による肝臓病なのです。

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また、ロシアでは自殺者の数も多いですが、自殺をする人の多くがアルコール中毒だと言われています。
さらに、アルコール中毒になった男性の多くが、妻や子どもに暴力をふるいます。
ロシアでは、毎年約300万人の女性が夫から虐待を受け、毎年約1万2千人以上の女性が夫によって殺害されていると言われています。
また、親からの暴力から逃れるために家を出てストリートチルドレンになる子供も後をたちません。
ソ連崩壊後、ロシアでは麻薬が大量に流通しており、ストリートチルドレンの多くが麻薬中毒で命をおとしています。
そこで、国連児童基金(UNICEF)は、現地NGOと提携してストリートチルドレンたちを保護する活動を続けています。

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ロシアではHIV/エイズも深刻です。
国連児童基金(UNICEF)の報告によれば、2006年以降、ロシアではHIV感染者の数が7倍に増加しています。
ロシアでは、HIV感染者の多くが麻薬中毒者で、注射器の使い回しや危険な性行為によってHIV/エイズが拡大しているのが特徴です。
国連エイズ合同計画(UNAIDS)は、世界的に見れば感染者の数は横ばいであるのに対し、ロシアなどの東欧で極端に増加していることに強い懸念を示しています。


「わたしの大切なものは家族です」

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こうしたロシアのアルコール中毒、自殺、麻薬中毒、HIV/エイズなどの問題は、特に男性にとって深刻です。
それは男女別の平均寿命に反映されており、ロシア人女性の平均寿命は約73年であるのに対し、ロシア人男性の平均寿命は約60年しかありません。
ロシアは平均寿命の男女差が世界一大きく、男性にとっては世界一生きにくい国といえるかもしれません。

ロシアでは、男性の平均寿命の短さに加え、人材が国外に流出し、さらに社会的な不安によって出生率が著しく低下したことが原因で、人口が急激に減少しています。
いま、ロシアの人口は日本の1.1倍ほどですが、2050年ごろにはロシアの人口は日本の人口を下回るとみられています。
そこで、ウラジーミル=プーチン首相は、出産した女性に一時金を支給する政策を実施しました。
この結果、2008年の出生数は前年にくらべて7%増加しました。


「僕は軍人になりたいです」

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ロシアでは依然として徴兵制度がありますが、ロシア国民にとってこの徴兵制度は脅威です。
軍隊では新兵に対するいじめや暴力が横行しており、新兵が暴力を受けて殺されたり、またいじめを苦に自殺をしてしまうケースが後をたちません。
ロシア軍では、毎年約700人が戦闘以外の要因で死亡していると言われています。
また、生きて兵役から帰還したとしても、重度の障害を背負ってしまうこともあります。
わいろを払えば兵役を回避することができますから、貧しい家庭の出身者だけがこうした兵役の恐怖におびえることになります。
ロシア政府は徴兵制から志願制への完全移行を目指していましたが、少子化などの影響もあって、兵力を確保することが難しく、徴兵制への依存を強めています。

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警察官もロシア国民にとって脅威です。
ロシアでは警察官の給料が不十分なため、わいろを受け取ることを目当てとして罪のない国民を逮捕することが横行しているのです。
裁判所も腐敗しているため、逮捕された国民は警察官にわいろを払わなければ確実に有罪になってしまいます。
いま、ロシア国民の1/4が服役経験者だといわれています。

ロシア国民にとって、国家権力は脅威なのです。


「わたしはみんなが親切で、平和な世の中になることを望みます」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 P1010077_a.jpg Russia_36_Draw30_Mirra_13F_a.jpg)





筆者がロシア人の友人に「ロシアが抱える最大の問題は何ですか?」と訊いたところ、「ロシアの最大の問題は、国民に蔓延している政治的無関心です」と回答をいただきました。

ロシアでは、ソ連時代から民衆の弾圧が行われており、国民の多くは国家権力をおそれて政治について自ら声を上げることが出来ませんでした。
このため、国民の多くが事なかれ主義で、政治的無関心に陥りました。
その後、ソ連の崩壊にともなう社会の変化がありましたが、プーチン政権は「強いロシア」を標榜し、再び国家権力を強化する方向に舵を切りました。
ロシア国民はなすすべもなく、このような激動の歴史に翻弄されてきました。

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しかし、近年ロシアは新たな局面を迎えたようです。
ソ連崩壊から20年が経過する2011年12月、ロシア各地でソ連崩壊以来となる大規模なデモがおきました。
国際選挙監視団を派遣した欧州安保協力機構(OSCE)などの報告により、ロシア下院選で数々の不正が行われた疑いがあることが明らかになったからです。
デモ活動において、ロシア国民は「プーチンのいないロシアを実現しよう!」と叫びました。

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国民の運動はまだ始まったばかりで、今後のロシアがどうなるかは不透明です。
しかし、情報化と国際化が進んだ今、ロシアがソ連時代のような言論が統制される暗黒の時代に戻ることはなさそうに感じます。

ロシアは、憲法上で福祉国家であると宣言しています。
その言葉どおり、今後のロシアが、国民の福祉が保証された安全な国家になることを祈りたいと思います。

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絵と写真を集めた人:
小柳純子、孤児院のマリア院長

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年12月21日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 16:49| 日記