2011年12月18日

ロシア Russia

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ロシアは、ユーラシア大陸の北部に位置し、世界最大の国土と、世界第9位の人口を擁する国です。
この広大な国土に、石油や天然ガスなど膨大なエネルギー資源を有するエネルギー大国です。

旧ソ連諸国のなかで国土面積・人口とも最大で、国連安全保障理事会の常任理事国の立場をソ連から引き継ぎ、文字通りソ連を継承する国です。

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ソ連時代にはアメリカに対抗する超大国として世界を二分しました。
ソ連時代から、特に核兵器などの軍事面や宇宙開発などの分野に力を入れ、今でもロシアの核弾頭の保有数は世界一位で、宇宙開発技術でも最先端を誇ります。


「僕の夢は宇宙に行くことです」

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ソ連崩壊後、しばらく国内の経済は混乱しました。
しかし、いまでは新興国と呼ばれるほどの経済成長をしており、同様に順調な経済成長を遂げているブラジル、インド、中国、南アフリカ共和国とともに『BRICS』の一角を占めます。

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・・・

民族構成は、ロシア人が約80%を占めますが、他にもウクライナ人やチェチェン人など180を超える少数民族がいます。
公用語はロシア語です。
宗教は、キリスト教の中の教派の一つであるロシア正教が多数ですが、イスラム教、仏教、ユダヤ教などもあります。
ソ連時代には、政教分離の名のもとに全宗教が弾圧されてきましたが、いまはどの宗教も保護されています。

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「僕はおとぎ話が好きです」

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ロシアの広大な国土は、16世紀にイヴァン雷帝が行ったシベリア進出に基づきます。
16世紀の半ば頃にはヨーロッパにしかなかった領土が、150年後にはシベリアまで広がりました。

ロマノフ朝ロシア帝国時代には、領土を東欧・中央アジアへと広げ、1904年には首都モスクワと極東ウラジオストックを結ぶシベリア鉄道も開通しました。

しかし、1904年に勃発した日露戦争で苦戦が続き、ロマノフ朝ロシア帝国の国力は衰退しました。
1905年には貧困にあえいだ国民がデモ活動をおこし、これに対して政府が発砲して多くの死傷者がでました(血の日曜日事件)。
この事件が契機になって、ロシアでは革命運動が盛んになりました。


「僕の大切なものはクレムリン(ロマノフ朝ロシア帝国の宮殿)です」

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ロマノフ朝ロシア帝国は、1914年に勃発した第1次世界大戦で敗戦を続けると、1917年にウラジーミル=レーニンが主導して史上初の共産主義革命(ロシア革命)を成功させ、ロマノフ朝ロシア帝国は滅亡しました。
1922年には、ロシア、ウクライナ、白ロシア、ザカフカースの4カ国からなるソ連が成立しました。

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1929年にニューヨーク証券取引所で株価が暴落すると、資本主義国の多くで世界恐慌が起きました。
しかし、ソ連の経済は『計画経済(物の生産と分配を国がコントロールする経済体制)』であるため、世界恐慌の影響を受けずに順調な経済成長を遂げました。

しかし、ソ連は国力を誇示するために軍事面や宇宙開発に重点を置き、農業は犠牲になりました。


「僕はパイロットになって飢えて困っている人に食糧を届けたいです」

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1928年から、ソ連は個人から土地をとりあげて集団農場をつくる政策を強行しました。
この際、900万人近くの農民が農地を追われ、その半分が処刑されたと言われています。
こうして、各地に集団農場をつくりましたが、集団農場に入った農民の労働意欲はあがらず、収穫は大きく落ち込みました。
この結果、1932−1933年には数百万人が餓死する大飢饉がおきました。
特にウクライナ地方の被害は甚大で、ウクライナ政府はいまもこの対応をウクライナ人に対するジェノサイドであるとして非難しています。
以後、ソ連は1991年に崩壊するまで食糧難に悩まされ続けることになりました。

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・・・

1939年に第二次世界大戦がはじまると、ソ連は『ソ連・ポーランド不可侵条約』を破棄してポーランドを侵略しました。
ドイツとの戦いで一時は苦境に陥るも、最終的には勝利し、東欧に大きく領土を広げました。
また、1945年8月9日には、敗戦が確実になった日本に対し、『日ソ中立条約』を破棄して攻め込み、満州やサハリン南部などを掌握しました。
この際、約50万もの日本軍捕虜がシベリアに抑留され、過酷な環境での強制労働によって日本軍捕虜の多くが命を落としました。

また、日本が『ポツダム宣言』を受諾して降伏した後も北海道めがけて侵攻を続け、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島及び歯舞(はばまい)群島からなる北方領土を現在に至るまで支配しています。


「あたしはロシアの冬景色が好きです」

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日本政府は、日ソ中立条約が有効であったことと、ポツダム宣言受諾後に占領されたことを根拠に、いまの状況をロシアによる不法占拠であると位置づけています。
これに対し、ロシアは「第二次世界大戦の結果ロシアの領土になった」という立場をとり、色丹、歯舞の2島を返還する妥協案は提示するものの、択捉島、国後島については返還する姿勢をみせていません。

いま、ロシアは北方領土の近代化をすすめ、軍事力も強化しています。
また、中国や韓国にもよびかけて北方領土の資源開発を進めようとしています。

日本にとって北方領土をめぐる交渉は今後も難航が予測されます。

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第二次大戦後、アメリカやイギリスなどの西側陣営は『北大西洋条約機構(NATO)』という軍事同盟を結んで東側陣営に対抗しました。
これに対し、ソ連は東欧諸国と『ワルシャワ条約機構』という軍事同盟を結んで西側陣営と対抗しました。

ソ連とアメリカが直接戦火を交えることはなかったものの、両国は朝鮮戦争やベトナム戦争など世界の各地で代理戦争という形で対立し、この対立構造は『冷戦』といわれました。

国連の安全保障理事会では、ソ連とアメリカは自国にとって都合のわるい政策に対して互いに拒否権の行使を繰り返し、これが冷戦を長引かせる原因となりました。

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両国は、核兵器の開発に関しても熾烈な競争を繰り広げ、1962年にはあわや核戦争かという『キューバ危機』が起きました。

なお、ストックホルム国際平和研究所がした2010年の調査によると、ロシアが配備している核弾頭数は4630発で、アメリカの2468発をおさえて世界一位となっています。

・・・

ソ連は、アメリカに対抗する超大国でしたが、内部には多くの問題を抱えていました。

まず、社会主義は独裁政治に陥りやすいため、政敵の粛正や、言論の統制、民衆の弾圧が横行しました。
このため、政治に民意が反映されることはなく、トップダウン式の政策によって国民は翻弄されることになりました。

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また、計画経済のもとでは、国民の労働意欲をかきたてるのが難しく、西側陣営との間の経済格差が広がりました。

そして、汚職が蔓延し、一部の高級官僚たちが富を独占し、その他の国民が貧困にあえぐという状況が生じました。
これは共産党の政治理念に反するものでした。

さらに、1979年からのアフガニスタン侵攻が泥沼化したことや、石油価格の暴落によって経済が崩壊しました。


「私の大切なものは馬です」

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1985年からソ連の最高指導者に就任したミハイル=ゴルバチョフ氏は、ソ連の体制に限界を感じ、『ペレストロイカ(改革)』を断行しはじめます。
まず、それまで全ての企業が国営でしたが、一部で民営化を開始しました。
そして、国民の労働意欲をかきたてるために、生産性に応じて給料が変動する制度を導入しました。

また、ソ連がいかに多くの問題を抱えているかを国民に伝えるために、政府内部の『グラスノチス(情報公開)』をおしすすめました。
1986年、チェルノブイリ原子力発電所で事故が起きましたが、政府の隠蔽体質が事態の収束を遅延させてしまいました。
この原発事故もグラスノチスを後押しすることになりました。

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そして、ゴルバチョフ氏は、1989年にはアメリカのブッシュ大統領(パパブッシュ)と会談し、核兵器の削減について合意して、40年以上続いていた冷戦が終結したことを宣言しました(マルタ会談)。
こうした一連の功績が認められて、1990年、ゴルバチョフ氏はノーベル平和賞を受賞しました。

ゴルバチョフ氏は経済を自由化し、国民が自由に発言できるようにして、国民の支持を得ようとしていました。
しかし、情報公開によってソ連政府の腐敗がさらけだされると、国民の不満がかえって高まりました。

1991年8月にはクーデターが起き、これが引き金となって同年12月にソ連は崩壊しました。
そして、代わりにロシアを含む15の独立国家が生まれ、そのうち11か国(後にグルジアも加わって12か国)が独立国家共同体(CIS)という緩やかな共同体を形成しました。

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こうしてソ連は崩壊し、冷戦が終結しました。
この出来事が世界に与えた影響をみてみましょう。

まず、ソ連のエンジニアが拡散し、これによりソ連の核技術が世界中にちらばりました。
これにより、テロリストが核兵器を用いるかもしれないという新たな脅威がうまれました。

また、ソ連の支配下にあった東欧諸国で相次いで革命が起こり(東欧革命)、世界的に民主化がすすみました。
この際、東欧諸国で不要になったAK−47(カラシニコフ)などの武器が大量に輸出されるようになりました。
この結果、アフリカなどの紛争で大量のAK−47が流通し、紛争を拡大する要因になりました。
AK−47は子どもでも扱えるほど小型で、これが紛争地帯で流通したことが、世界で多くの子ども兵が生まれる原因になりました。

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さらに、ソ連の支配下にあった国々で、それまで押さえ込まれていた民族運動が活発化しました。
この結果、それまでの東西の戦争という構図は崩れたものの、ユーゴスラビア紛争などの内戦が増加しました。


「わたしはマジシャンになりたいです。箱の中からうさぎが出てくるなんてすごいでしょ?」

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もう一つの大きな変化として、共産主義勢力が衰退したことにより、資本主義を世界に広めようとする経済のグローバリゼーション(アメリカナイゼーション)が進みました。
経済のグローバリゼーションが進むと、世界を一つの市場として激しい価格競争が起きるので、消費者は競争に勝ち残った品質の良い商品を安く購入することができるようになります。
しかし、その一方で経済格差を世界レベルで拡大し、最低限の暮らしすらできない貧困層が増加しました。
また、多国籍企業はより安い労働力を求めるため、人件費の安い発展途上国の子どもが労働にかりだされる、いわゆる児童労働も増加しました。

この、グローバリゼーションは世界貿易機関(WTO)が主導しており、2001年には反資本主義だった中国がWTOに加盟し、そして2011年にはロシアもWTOに加盟することが決まりました。
グローバリゼーションという潮流はこれからもとどまりそうにありません。

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次いで、ソ連崩壊後のロシア国内の情勢をみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアは価格統制の撤廃や賃金・所得の凍結など、大胆な経済改革をしましたが、その結果、ロシアの経済は混乱しました。

まず、ソ連時代の体制のもとでは企業は全て国営で、あらゆる商品について一企業による独占が生じていました。
このため価格統制が撤廃されると、商品の価格が一方的につりあげられ、ハイパーインフレが起きました。

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この混乱に乗じ、マフィアがヨーロッパから商品をもちこんで安く販売し、ロシアの経済を支配するようになりました。
マフィアが力をつけると、麻薬が大量に流通し、治安も悪くなりました。
そして、マフィアは税金を納めませんから、ロシア政府の財政が悪化しました。

1998年、ロシアはアジア通貨危機の影響をうけて、あと一歩で債務不履行(デフォルト)という深刻な財政危機に陥りました。
しかし、その後、石油価格が上昇したことにより、ロシアの経済状況は改善しました。
また、プーチン政権下で、通貨ルーブルの切り下げに踏み切ったところ、輸入が抑制されてマフィアが衰退し、これによってロシアの企業が息を吹き返しました。
プーチンが大統領をつとめた2000−2008年の間にロシアのGDPは8倍に増加し、ロシアは新興国と呼ばれるようになりました。

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さらに、プーチンはソ連崩壊の混乱に乗じて台頭した『オリガルヒ(新興財閥)』が所有していたエネルギー資源会社の再国営化をすすめました。
これにより、エネルギー資源を外交カードとして用い、国際政治での発言権を増すようになりました。

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近年のロシアの経済成長の裏側には、国土に豊富に埋蔵する天然資源の開発があります。
しかし、こうした天然資源の開発は自然破壊とも隣り合わせです。

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たとえば、ロシアは石油や日本や韓国に輸出するためにシベリアの油田と太平洋沿岸をむすぶシベリア・太平洋パイプラインを建設しましたが、当初、このパイプラインは世界に約30頭しかいないアムールヒョウの生息地を通る予定でした。
これに対し、FoE(Friends of the Earth)や世界自然保護基金(WWF)などの国際環境NGOは、プーチン大統領に対してパイプラインの経路変更を訴える要望書を提出しました。
この結果、パイプラインの経路は変更され、アムールヒョウの生息地は保護されることになりました。


「わたしは猫がすきです」

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ロシアの経済は天然資源の輸出に大きく依存しているため、世界経済や石油や天然ガスの価格変動によってロシアの財政状況は大きく影響を受けてしまいます。
実際、2007年からはじまる世界金融危機で最も深刻な打撃を受けたのがロシアでした。
そこで、このような状況を打破するために、ロシア政府はITなどの工業にも力を入れており、アメリカのシリコンバレーをモデルとした研究開発拠点をモスクワ近郊に建設しようとしています。

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続いて、ロシアの外交を見てみましょう。
ロシアは広大な国土をもち、多くの国と隣接することから、外交での問題がたえません。

まず、冷戦終結が宣言されているものの、アメリカやNATOとの関係は依然として難しいものがあります。
1991年にワルシャワ条約機構は解体されましたが、これに対抗するNATOは解体されていません。
それどころか、ソ連の支配下にあった東欧諸国を吸収して拡大しつづけています。
旧ソ連を形成していたウクライナやグルジアもNATOへの加盟を目指しており、ロシアはNATOの拡大に警戒感を強めています。

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コソボ独立をめぐる問題でも、ロシアはアメリカやNATOと意見が対立しました。
そして、2008年にはグルジアが南オセチアに侵攻したことに対抗してロシアがグルジアに侵攻すると(グルジア紛争)、ロシアとアメリカやNATOとの関係は完全に冷え込みました。

新たな冷戦が展開されるという懸念もありましたが、2009年にバラク=オバマ氏がアメリカの大統領に就任すると、米ロ関係のリセットを宣言し、両国の関係は改善に向かいます。
その象徴として、2010年には、米ロの核兵器を削減する『新START』について合意しました。


「僕は世界がもっと喜びに満ちればいいのにと思います」

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しかし、ロシアとアメリカやNATOは依然として問題を抱えています。

アメリカはNATOとともに、イランなど中東からのミサイル攻撃から欧州全域を守るためのMDシステム(ミサイル防衛システム)を構築しようとしており、これが新たな火種となっています。
ロシア政府はこのMDシステムの本当の狙いはロシアをけん制することにあると判断し、この計画を推し進めるならば、アメリカとの間でかわした新STARTを破棄すると警告しています。

かつてロシアは中国とイデオロギーの違いや領土問題をめぐって対立したものの、今は貿易を通じて互いの関係を深めています。
ロシアは中国や中央アジアの国々とともに上海協力機構(SCO)を形成し、アメリカやNATOに軍事的・経済的に対抗する動きをみせています。

冷戦が終結したとはいえ、ロシアとアメリカとの間の駆け引きは今後も続きそうです。

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ロシアは、外交だけでなく、内政にも不安を抱えています。
その筆頭に挙げられるのが、黒海とカスピ海との間にあるカフカス地方の問題です。
特に、チェチェンでは分離独立を求めて二度の紛争が起きました。
いずれもロシア軍が鎮圧しましたが、チェチェンでは今でもテロ活動が続いています。
これに対し、ロシア政府はテロとの戦いという名目で、カフカス地方で拷問や虐待、国際法違反の殺害などして人権を蹂躙しています。
こうしたロシア政府の暴挙を告発する人権活動家もいますが、こうした活動家の多くが非業の死を遂げていることをアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの国際人権NGOは報告しています。

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次に、ロシア国民の暮らしをみてみましょう。

ソ連崩壊後、ロシアでも市場原理主義が導入され、モスクワなどの都市部はニューヨークとみまがうほど発展しています。

「僕はビルを建設したいです」

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ソ連崩壊後、オリガルヒなどの富裕層がうまれましたが、国民の多くは貧しい暮らしをしています。
格差が急に拡大したのです。

ソ連時代は全員が公務員でしたが、ソ連崩壊後は最低限の生活が保障されず、多くの人が失業しました。
このため、不安にかられてウォッカを飲み過ぎ、アルコール中毒になる人が増加しました。
いまのロシア人の死因の第一位はアルコールの過剰摂取による肝臓病なのです。

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また、ロシアでは自殺者の数も多いですが、自殺をする人の多くがアルコール中毒だと言われています。
さらに、アルコール中毒になった男性の多くが、妻や子どもに暴力をふるいます。
ロシアでは、毎年約300万人の女性が夫から虐待を受け、毎年約1万2千人以上の女性が夫によって殺害されていると言われています。
また、親からの暴力から逃れるために家を出てストリートチルドレンになる子供も後をたちません。
ソ連崩壊後、ロシアでは麻薬が大量に流通しており、ストリートチルドレンの多くが麻薬中毒で命をおとしています。
そこで、国連児童基金(UNICEF)は、現地NGOと提携してストリートチルドレンたちを保護する活動を続けています。

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ロシアではHIV/エイズも深刻です。
国連児童基金(UNICEF)の報告によれば、2006年以降、ロシアではHIV感染者の数が7倍に増加しています。
ロシアでは、HIV感染者の多くが麻薬中毒者で、注射器の使い回しや危険な性行為によってHIV/エイズが拡大しているのが特徴です。
国連エイズ合同計画(UNAIDS)は、世界的に見れば感染者の数は横ばいであるのに対し、ロシアなどの東欧で極端に増加していることに強い懸念を示しています。


「わたしの大切なものは家族です」

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こうしたロシアのアルコール中毒、自殺、麻薬中毒、HIV/エイズなどの問題は、特に男性にとって深刻です。
それは男女別の平均寿命に反映されており、ロシア人女性の平均寿命は約73年であるのに対し、ロシア人男性の平均寿命は約60年しかありません。
ロシアは平均寿命の男女差が世界一大きく、男性にとっては世界一生きにくい国といえるかもしれません。

ロシアでは、男性の平均寿命の短さに加え、人材が国外に流出し、さらに社会的な不安によって出生率が著しく低下したことが原因で、人口が急激に減少しています。
いま、ロシアの人口は日本の1.1倍ほどですが、2050年ごろにはロシアの人口は日本の人口を下回るとみられています。
そこで、ウラジーミル=プーチン首相は、出産した女性に一時金を支給する政策を実施しました。
この結果、2008年の出生数は前年にくらべて7%増加しました。


「僕は軍人になりたいです」

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ロシアでは依然として徴兵制度がありますが、ロシア国民にとってこの徴兵制度は脅威です。
軍隊では新兵に対するいじめや暴力が横行しており、新兵が暴力を受けて殺されたり、またいじめを苦に自殺をしてしまうケースが後をたちません。
ロシア軍では、毎年約700人が戦闘以外の要因で死亡していると言われています。
また、生きて兵役から帰還したとしても、重度の障害を背負ってしまうこともあります。
わいろを払えば兵役を回避することができますから、貧しい家庭の出身者だけがこうした兵役の恐怖におびえることになります。
ロシア政府は徴兵制から志願制への完全移行を目指していましたが、少子化などの影響もあって、兵力を確保することが難しく、徴兵制への依存を強めています。

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警察官もロシア国民にとって脅威です。
ロシアでは警察官の給料が不十分なため、わいろを受け取ることを目当てとして罪のない国民を逮捕することが横行しているのです。
裁判所も腐敗しているため、逮捕された国民は警察官にわいろを払わなければ確実に有罪になってしまいます。
いま、ロシア国民の1/4が服役経験者だといわれています。

ロシア国民にとって、国家権力は脅威なのです。


「わたしはみんなが親切で、平和な世の中になることを望みます」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 P1010077_a.jpg Russia_36_Draw30_Mirra_13F_a.jpg)





筆者がロシア人の友人に「ロシアが抱える最大の問題は何ですか?」と訊いたところ、「ロシアの最大の問題は、国民に蔓延している政治的無関心です」と回答をいただきました。

ロシアでは、ソ連時代から民衆の弾圧が行われており、国民の多くは国家権力をおそれて政治について自ら声を上げることが出来ませんでした。
このため、国民の多くが事なかれ主義で、政治的無関心に陥りました。
その後、ソ連の崩壊にともなう社会の変化がありましたが、プーチン政権は「強いロシア」を標榜し、再び国家権力を強化する方向に舵を切りました。
ロシア国民はなすすべもなく、このような激動の歴史に翻弄されてきました。

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しかし、近年ロシアは新たな局面を迎えたようです。
ソ連崩壊から20年が経過する2011年12月、ロシア各地でソ連崩壊以来となる大規模なデモがおきました。
国際選挙監視団を派遣した欧州安保協力機構(OSCE)などの報告により、ロシア下院選で数々の不正が行われた疑いがあることが明らかになったからです。
デモ活動において、ロシア国民は「プーチンのいないロシアを実現しよう!」と叫びました。

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国民の運動はまだ始まったばかりで、今後のロシアがどうなるかは不透明です。
しかし、情報化と国際化が進んだ今、ロシアがソ連時代のような言論が統制される暗黒の時代に戻ることはなさそうに感じます。

ロシアは、憲法上で福祉国家であると宣言しています。
その言葉どおり、今後のロシアが、国民の福祉が保証された安全な国家になることを祈りたいと思います。

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絵と写真を集めた人:
小柳純子、孤児院のマリア院長

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年12月21日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 16:49| 日記

2011年12月06日

フィリピン Philippines

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フィリピンは東南アジアにある、大小合わせて7107もの島々から構成される
多島国です。
セブ島は日本人にもおなじみのビーチリゾート地で、
島内は観光客向けに美しく整備されています。
そして言わずと知れたバナナの産地ですね。
多くの日本人はフィリピン産のバナナを一度は口にしたことがあるでしょう。

人口は約9,401万人(2010年推定値、フィリピン国勢調査)
その内、首都のマニラにはその周辺をあわせ約1,155万人が住んでいます。
近隣の東南アジア各国と比較すると、人口密度や人口増加率が高くなっています。

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民族はマレー系が主体で、ほかに中国系、スペイン系及び
これらとの混血並びに少数民族がいます。

国語はフィリピノ語(タガログ語を基礎として近年作られた新しい言語)。
公用語はフィリピノ語及び英語で、その他80前後の言語があります。

・・・

あなたの大切なものはなんですか?

「私の両親の愛と私を思う気持ちです」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 Phillippines_Draw014_SH_Alphonso_a.jpg C8ET0879_a.jpg)



フィリピンは世界最大の海外出稼ぎ大国の一つです。

海外で生活しているフィリピン人は2009年時点で、
約858万人とおそよ国民の10人に1人となる計算です。

海外からの送金は年々増えていて、
その額は対GDP比約12%、198億ドル(※)にもなっています。
(※出所:Commission on filipinos overseas 2009年 世界銀行)
これはあくまで銀行を経由した調査可能なお金のみを計算したもので、
実際は300億ドルを有に超えているとも言われています。
フィリピンの2011年の国家予算が約373億ドルということを考えても、
フィリピンにとって莫大な金額だということがわかります。

あなたの大切なものはなんですか?
「私を育む家族と地域です。
 亡くなった父親は私をいつも近くで見守ってくれています。」
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上の家族の絵を描いてくれたのは、
見たとおり、子どもではありません。
日本で出稼ぎをする前に日本語などの研修をする機関
(フィルテック開発財団)の生徒です。
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研修生の多くは20歳前後です。
今回訪ねた際に研修を受けていたのは
日本の会社が所有する船の船員として働く予定の方々です。
普段彼らは海の上で働いているため、私達が彼らと接することはありませんが、
客船を除く日本の会社が所有する船では非常に多くのフィリピン人が働いています。

フィリピン人は明るく、よく働き、そして英語力が高い、
というのがその理由だといわれています。
日本だけでなく世界の船はフィリピン人の労働に支えられている
と言っても過言ではありません。
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出稼ぎ先やその職業も最近は変化しています。
かつては欧米や日本などの先進国で女性が
メイドやダンサー、ホステスとして働く人が多かったのですが、
最近は経済発展が著しい中東(サウジアラビアなど)、
日本以外のアジア諸国(マレーシア、シンガポールなど)で
男性が各種建設工事従事や、先に述べた船員として働く人が
多くなっています。

日本とフィリピン政府の間での取り決め(※)によって、
最近はフィリピンから看護師や介護師を受け入れる方向で
調査から人材育成まで行われています。
(※経済連携協定(EPA)、2006年締結)

あなたの大切なものはなんですか?
「家族、そして私達が築く未来への道です。
 これまで家族が支えてきてくれたから今の私があります。」
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家族のよりよい未来のために
家族と離れ海外で出稼ぎをすることを選択するのです。

・・・

「ジャピーノ」という言葉をご存知でしょうか?

フィリピン人と日本人の間に生まれた子どもを指します。

正式に結婚している場合もありますが、そうでない場合も多く
父親の所在が不明・・・というこどもたちに対して
「ジャピーノ問題」とすることが多いようです。

先に述べた出稼ぎで日本に行き、そこで子どもを授かった場合や
フィリピンの性産業従事者が、日本から来た旅行者を相手にした結果
子どもを授かった場合などが父親不明の主な原因となっています。

問題というのは、
純粋に父親がいない、ということだけではなく、
ジャピーノの母親の多くは性産業従事者であるため
収入が低く不安定であり子どもの十分な養育費が払えない、
ということもあります。

日本で出産し父親が不明である場合は
国籍のない子どもとなってしまう場合もあります。
国籍がないとパスポートも取れず、選挙権もなし、
その他多くの国民としての権利が与えられません。

ジャピーノとその母親を支援するNGOは
日本、フィリピン両国に存在しています。

そのNGOの一つであるDAWNの
フィリピン事務所で大切なものを描いてもらいました。

あなたの大切なものは何ですか?
「DAWNと私の家族です」
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DAWNでは
相談、法的援助、健康管理、
そして教育と財政に関わる支援などをしています。

このような活動に反し、問題を抱えたジャピーノは今も増え続けています。

・・・

あなたの大切なものはなんですか
「私の未来の糧となる教育です。」
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フィリピンは識字率93.4%(2003年調査)となっており、
最貧困層でも小学校卒業レベルの知識を有しているといわれています。
実際は識字教育のみで、簡単な算数ができずに就労の機会を奪われている人が
多くいます。

都市部とそうでない地域の教育における問題は別のものです。

都市部では、公立の多くがマンモス校で、教育機会はあるのですが、
1日に2部、3部制をとっている学校が多く、
たくさんのの生徒を抱える先生は子ども達の状況を把握していないため
容易に落ちこぼれが出る環境にもあります。

中等教育へ進める人は決して多くなく、
高等教育(大学など)進学率となると
職業訓練専門学校レベルのものを含んでも約30%となっています。

都市部以外では、
教育施設、教材自体の不足が問題になっています。

両方に言えるのが教師の不足、質の問題です。
教師になる人々は条件の良い私立校へ就職してしまうためです。

教育格差を埋めるための努力は民間でも積極的に行われています。
その一つであるケソン市のシスターの家でも大切なものを描いてもらいました。

あなたのたいせつなものはなんですか?
「スクールバスです。私を学校に連れて行ってくれるから。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 phl_2010_k_05_A_a.jpg P1040041_a.jpg)


彼らは毎週土曜日にシスター達の基礎教育を受けに来る子どもたちです。
ここには両親は健在だけれども、貧困により毎日学校に行けない
5歳〜7歳くらいの子どもたちが通っています。

・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「私の宗教、カトリックです」
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フィリピンでは国民の83%がカトリックです。
残りは、その他のキリスト教が10%、イスラム教が5%となっています。

しかし、フィリピンにカトリックが伝わったのは実はイスラム教より後です。
フィリピン南方にイスラム教が伝わったのが1380年ごろ、
カトリックは大航海時代のスペイン人探検家、マゼランの到着(1521年)後です。
カトリックはスペインの統治により広く強く伝わり今に至ります。

ミンダナオ紛争

フィリピンのミンダナオ島という島の南部では、今でもイスラム教の比率が多く
宗教による文化の違いなどが原因で独立運動を起こしています。
独立運動はフィリピン国軍との内戦状態となり、長期化かつ過激化しています。
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ミンダナオ紛争解決のためにアメリカ、マレーシア、日本などが積極的に
支援を行っています。
つい最近(2011年8月)も日本で独立運動のリーダーと
フィリピンのアキノ大統領による初のトップ会談が行われました。

日本からは他にも道路、学校、給水施設のインフラ整備や、
現地行政組織の人材育成を行い、テロの温床となる貧困を削減することで
平和的解決へ導くことを目的とした支援をしています。

平和への道のりには紛争を止めることだけではなく、
さまざまな問題の解決が必要とされています。

・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「環境を守ることです」
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フィリピンは多島国であることから
温暖化の影響を受けやすい、と言われています。
温暖化により南極の氷が溶け、海面が上昇することによって
海岸沿いの人々の暮らしが脅かされるからです。

フィリピンでは温暖化を阻止するために自然を守ると同時に、
来るであろう変化に適応していくための取組みが行われています。

2010年、世界銀行はフィリピンの気候変動適応に関する
プロジェクトに約500万ドルの支援を決定しました。

これはフィリピンに多い農業、漁業、自然資源の管理などにおいて
費用対効果の高い戦略を練り、実証することで
気候変動適応のための枠組みを作ることを目的とした支援です。


フィリピンでの「環境破壊」は、自然を失う可能性の他、
ゴミの問題も大きなものとなっています。

一躍有名になったフィリピンの負の代名詞
「スモーキーマウンテン」がその象徴です。
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このゴミの山は首都マニラの郊外にいくつかあります。
一日約6000トンものゴミが捨てられる場所です。
膨大な量のゴミが積みあがり、
腐ったゴミから発生するメタンガスなどが原因で自然発火し
常にどこかで煙があがっていることから
「スモーキーマウンテン」と呼ばれています。

ここでは瓶や缶などお金になるようなゴミを拾って
生計を立てている「スカベンジャー」と言われる人がたくさんいます。
老若男女関わらず朝から日暮れまでゴミ山の中で作業しています。

ものすごい臭いが立ち込める中、
子どもたちの多くははだしでゴミ山に上ります。
多くの病原体、ゴミに埋もれる、ゴミ処理者に巻き込まれるなどの危険を冒して
一日に稼げるのは平均で200円程。
時には捨てられた注射針、割れたガラスの破片などが刺さって
感染症にかかり命を落とす人もいます。

現在はスカベンジャーも場所によっては登録制になったり、
ゴミに出される前に業者が換金できるものを買い取ったりなどして
だれもがゴミを拾って生計を立てられるわけではないようです。
しかし、ゴミ山の周辺に住む人々は減りません。
生活の場として人々はそこにいて、巨大スラム化しているのです。
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現在各国のNGOや企業が支援に乗り出しています。
中でもイタリアのPangea Green Energy社は、
ゴミ山から発生しているメタンガスを電力に代え、
周囲のスラム街で活用するという画期的な事業を行っています。


ゴミ山で暮らす子どもたちの大切なものは何でしょうか。

あなたの大切なものは何ですか?
「家族と私達の家です」
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「家族が大好きです。果物が大好きです。」
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とあるゴミ山に住む子どもから、私は質問されました。
「あなたの家にはマンゴーの木がある?」
私は答えました。
「ないよ。」
「パパイヤの木は?」
「ないよ。」
「何にもないんだね。
 私の家にはぜーんぶあるよ!」
ゴミ山に住む子は、自慢げに話してくれました。

彼らには私達より、今幸せかどうか
自分で感じる力があるのかも知れません。
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・・・

あなたのたいせつなものはなんですか?
「島そして海です」
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美しい島々、海。
日本ではリゾート地としてはセブ島がもっとも有名で、
2010年の1月〜3月にセブ島を訪れた日本人は
約42000人にもなります。
(2010 フィリピン観光省調査)

美しい島々はリゾートにはもってこいですが、
問題もすくなくありません。

フィリピンでは地方のインフラの開発が遅れています。
観光地でない島では、道路、港、空港に加え、
電気、水道などの施設が未発達であることが多く
不便を強いられています。

また、台風や高潮など自然災害の影響も大きくなります。

これらの問題に対して、JICAは多くの
技術協力プロジェクト、有償資金協力事業(お金を貸すこと)
を行ってきました。

また日本単独の支援だけでなく、NGO、企業、政府が協力し、
2012年10月自然災害が起きた際に相互に緊急支援をするため、
フィリピン、日本、インドネシア、韓国、スリランカ、台湾の6カ国・地域が参加する
国際的連携機関となる「アジア太平洋災害支援プラットフォーム」(仮称)が
発足の予定となっています。


・・・

フィリピンの旗

フィリピンの旗の白は平等と友愛を、青は平和・真実と正義を、
赤は勇気と愛国心を象徴し、黄色い太陽は自由を意味しています。
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3つの星は主な島であるルソン島・ミンダナオ島・ヴィサヤ諸島を象徴しています。
太陽から伸びる8本の光条は、フィリピン独立革命の際
最初に武器を取ったルソン島所在の8州
(パンパンガ州、ブラカン州、リサール州、カビテ州、
バタンガス州、ラグナ州、タルラック州、ケソン州)を表しています。

2009年9月27日、国会は、スペインの占領中も屈服しなかった
ムスリムに敬意を表し、
光条を1本増やして9本とする議案を可決しています。
しかし現在はまだ変更されていません。


あなたの大切なものはなんですか?
「私の国、フィリピンです」
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これまで述べた中で、NGOが何度か登場しましたが、
フィリピンのNGOは能力が高く、
特に社会開発分野におけるサービス提供の一担い手としての地位は、
憲法及び地方自治において、相当程度確立していると考えられます。

約50万もの市民社会グループがあり、このうち5万の組織が
非政府組織(NGO)として登録されています。
フィリピンの市民社会には、
1)社会福祉事業など政治的活動がNGOの役割となっている
2)NGOが実施する福利活動は宗教団体や政府が実施するものと性格が異なる
 (有料サービスである)
3)NGOは政府から採算面を含めて保護されている
という特徴があります。

あなたの大切なものはなんですか?
「たった一つの地球、世界の平和です。」
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フィリピンの人々は自分の国を愛し、
自分達の生きる社会・世界を自分の手でより良いものに、
と考え行動する人々が多いのです。

私達が見習うべきは、その明るい笑顔だけでなく
その奥の美しく強い心意気ではないでしょうか。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
二ッ谷カーラ(2010年)
山本敏晴(2004年)

画像データを編集し、文章を書いた人:
佐渡愛子

編集完了日:
2011年12月12日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/

posted by お絵描きイベント at 12:15| 日記

エジプト Egypt

エジプト・アラブ共和国は、
アフリカ大陸の北東にある国です。

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リビア、スーダン、イスラエルと国境を接しています。
世界で一番長いナイル川がエジプトには流れています。

国の大きさは日本の3倍に近いくらいで、
人口は約8000万人、 日本の半分より多いくらいです。

首都はカイロにあります。
世界にいるアラブ人の4人に1人はエジプト人であるくらい、
アラブ人が多い国です。

人々はアラビア語を話します。
ほとんどの人がイスラム教を信じていますが、
キリスト教徒がいる地域もあります。

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農業、製造業、石油・天然ガス、小売・卸売などが主な産業です。

また、周りの国々における平和への取り組みや、
アフリカ大陸諸国の安定のために大きな役割を果たしており、
アラブにおけるリーダーのような存在です。

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そんなエジプトが今、
大きな転機を迎えています。



・・・

エジプトでは、
紀元前30世紀頃に、統一王朝ができあがりました。

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紀元前6世紀にペルシア、
紀元前4世紀にギリシア、
紀元前1世紀にローマがこの地を支配しました。

1世紀には、初期のキリスト教であるコプト教が教えを広め、
7世紀になって、イスラム教が布教をはじめました。

16世紀からオスマントルコ帝国が統治を行い、
19世紀にはイギリスがこの地を保護下に置きました。

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第一次世界大戦でイギリスとオスマントルコ帝国が
戦争をはじめたため、
1922年、エジプト王国は独立をはたしました。
1952年には、軍隊の指揮官たちがエジプト革命が起こし、
王様が国を治める王制から、
軍隊の最高指導者が国を治める体制へと移行しました。


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「僕が生まれ育ったエジプトです。」

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エジプトでは、
2011年2月に国民が反政府運動により革命を起こし、
30年間続いた政権を崩壊させました。

この政権崩壊は、2010年12月にチュニジアでおきた
革命をきっかけとして起こりました。
政府に反対する運動を行なった国民がもっていた、
不満の原因は以下です。

1.食糧価格が高騰したこと
2.失業率が高いこと
3.政権を担う側が独裁や利権の独り占めをしてきたこと
4.それに対する民衆の不安を国が抑えきれなくなったこと

この結果、
国民の不満が爆発して、エジプト政府は崩壊しました。

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その後も、反政府組織が、
北アフリカから中東にかけての「アラブ世界」をはじめ、
それ以外の各国でも反対運動を起こしました。
この革命の嵐を人々は『アラブの春』(または、中東の春)と呼びました。

この歴史的問題をうけ、
国際社会における平和と安全の責任をもつ、
国連安全保障理事会は会議を開きました。

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この会議で、
人権問題や民主化に対する支援をするかどうかについては、
各国が異なる意見を出しましたが、

1.エジプトがうまく次の政権へ引き継ぐことができるように、
2.選挙の手伝いや、憲法を改める際のアドバイスをして、
3.長期間にわたる開発の手助けをする。
これらのことをあまり干渉しすぎないように、
配慮しながら行う必要があるという点で、意見が一致しました。

「ベルリンの壁崩壊を思い起こさせる、歴史的瞬間だ。」
「今回の事態は、独裁政権でもイスラム原理主義国家
(イスラムの決まりを社会において厳密にあてはめようとする国)
でもない、民主主義国家という第3の選択が可能なのではないか。」
というように、エジプトの政変を重要な出来事としてとらえる意見を
各国が出しました。

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私たちが生きている今この時も、歴史的な瞬間がうまれている、
と筆者は感じます。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「家に、食べ物やプレゼント、いろんなものがいっぱいあることです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 CH5_001a.jpg)



エジプトは、「NEXT11」といって、
将来大きく経済成長するだろうと人々が期待する国のなかに入っています。

とはいうものの、この国は解決するべき経済問題を多くもっていて、
1.広がる貧富の差、2.高い食糧価格、3.高い失業率など、
国民は日々の生活において苦しい思いをしています。

エジプト政権が崩壊した原因には、
これら経済面での問題がたくさん影響しました。
史上に残る政治的危機は、
追い打ちをかけるようにエジプト経済に大打撃を与え、
国の損失額は、国内総生産(GDP)の9割にも及びました。
エジプトの外務大臣は、経済的な支援を各国にお願いしました。

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これを受け、日本の外務省はエジプトに対して、
5億円の無償資金協力をすることを決めました。

エジプトは政権が崩壊した後、
平等な社会と経済的に成長するよう、努力を重ねています。
この協力は、エジプトが自分たちの力で不平等をなくし、
雇用を創り出すなど、国を立て直すことを助けるものです。

たくさんの国がエジプトを支援しています。
もう一度勢いを取り戻す日がエジプトに早く来るよう、強く願います。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「みんなと一緒に行く学校です。」

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エジプト政府は、20世紀のエジプト革命が起きた時、
公的機関が行う教育の授業料を、
小学校から大学にいたるまですべて無料にしてあげました。
これにより、誰もが平等に学校に通えるようになりました。

ところが、
エジプトでは、近年人口が増え続けており、
20歳未満が人口の半数に及びます。
さらに政府が教育を無料にすると、学生の数は急激に増えました。
すると、1人の先生が受け持つ学生が多くなり、
先生が学生全員に指導を行き渡らせることができず、
結果的に教育の質が低くなってしまいました。

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優秀な学生は、質の高い教育を受けようと海外へ留学し、
エジプトに戻らず海外で就職することが多くなりました。
高い水準の知識や技術をもった人々は次々に国外に出て行ってしまうのです。
エジプトの教育はこのような悪循環に陥っています。

これをうけて2010年、エジプトと日本が共同で
世界トップレベルを目指す大学
「エジプト日本科学技術大学」をつくりました。

このプロジェクトは、
エジプト政府が日本の文部科学省や外務省、
京都大学、早稲田大学など12大学と協力して実施しました。

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1.少人数制の授業、2.大学院と研究を中心とした教育
3.実践的で国際レベルの教育提供
など、エジプト国内で今までなかった特色があります。

エジプト政府は、この大学を開校することにより、
エジプト国内や中東・アフリカの国々における
経済的・社会的発展を導く優秀な人材を
長期にわたって生み出すことを目指しています。

教育の分野でも、未来を担う人々が育っていきます。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「きれいな水を飲んだり、そこで魚釣りをしたりすることです。」

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エジプトでは、国としての保健サービスはよくなりつつあります。
健康診断、予防接種、感染症や飲料水への対策など
国は多くの制度を整えました。

ところが、都市と地方の格差が広がっており、
地方の貧しい人々にはこれらのサービスが行き届いていません。
彼らは、発育不良、貧血、寄生虫による病気など、
まだまだ多くの問題を抱えています。

これまでの支援は、
乳児や幼児、出産前後の女性を対象にすることが多く、
学校に通うくらいの子どもに向けては、あまり活動をしてきませんでした。

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NPO HANDSは小・中学校に通う子どもたちの健康を改善するための
支援をはじめました。

HANDSは、主に以下の活動を行いました。
1.学校保健を行う医師や看護師への研修
2.指導要項の作成
3.健康教育に関する教材の開発
4.計画に対する評価制度の体制づくり

このプロジェクトは、小・中学校において充実した保健活動を進めること、
そこに通う子どもの健康状態がよくなることを最終的な目標としています。

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2008年に始まったこのプロジェクトは、
2012年まで行われる予定です。
ここまでの成果をうけて、
現地の人が活動を全国に伝えたいと普及する動きを広めはじめました。

エジプトの健やかな子どもたちが、今日も元気を取り戻しています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「大きな木が大切です。
下の地面にもいっぱい草が生えていたらいいなと思います。」

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エジプトは国土のほとんどが砂漠であり、
緑地はほんの少ししかありません。

ところが、
今は砂漠である場所の中に、
数千年前はナイル川が枝分かれして流れており、
自然が豊富だった地域があることを、近年の調査が発見しました。

この報告を受けたエジプトは、
可能な場所にもう一度水をひき、
その区域を農地として開拓しようと決めました。

そして、そこで300万人もの人々が生活できる新しい街をつくろう
という壮大な計画を立てました。

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株式会社日立製作所は、
エジプトの緑地を増やすための国家開発計画である、
ポンプ・ステーション建設プロジェクトに協力しました。

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実施したのは、
1.人工的な湖であるナセル湖の岸に、
2.日立製作所の製品である、大型の渦巻きポンプ約20台を取り付けて、
3.東京ドーム20杯分以上におよぶナイル川の水を毎日注ぎ込み、
4.砂漠地帯に水を入れよう。
というものでした。

このプロジェクトが緑地化した面積は、
東京都を越える広さになりました。

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ポンプ・ステーションの完成後、
人々は、トマトや玉ねぎ、ピーマン、メロンなど農作物を育てはじめ、
新しい街づくりを着々と進めています。

古代エジプトの水を呼び戻すため、
そこに新しい暮らしを生むため、
エジプトの人々は、夢の計画を叶えるでしょう。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

「エジプトがエジプトであること、が大切です」

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この絵が描いてある、紙のようなものは『パピルス』といいます。
パピルスは、古代エジプトにおいて人々が使ったものでした。
紙の原型としては世界最古のもので、
エジプトで受け継がれた大切な文明の一つです。

薄く切った植物の茎を、縦と横に並べ、
その上に重い石をのせ乾かしてつくります。

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昔、エジプトは、多くの神を大事にする多神教の国でした。
1000以上の神々を人々は尊んでいました。
何千年も前に人々がつくった、
世界最古のピラミッドが、エジプトにはあります。
エジプト文明は、四大文明の中でも一番古い歴史をもっています。

ところが、現在のエジプトで、
人々が信じるのはイスラム教とキリスト教です。
古代エジプト時代の多神教を信じる人はいません。

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かつて、他の国や異なる宗教をもつ民族がエジプトを攻め、
混血化をすすめたために、古代エジプト人という純粋な民族は消滅しました。
しかし、古代エジプト人の遺伝子を受け継いだ人々が
明日も生きようとする気持ちは変わりません。

古くて大切なもの、新しくて希望あるもの、
それぞれが、パピルスの繊維のように組み合わさって
一つの強い力をつくりだす、
そんな風にエジプトが在りつづけますようにと、
筆者は心から願います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
寿 美和(トシナガ ミワ)
山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年12月13日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 10:22| 日記