2011年10月26日

デンマーク Denmark



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アメリカの調査会社が2010年におこなった報告では、
「住民が幸せと感じている割合が最も高い国」は、
デンマークでした。

つまり、デンマークは、
世界で一番幸せな国と、言えるのかもしれません。

さて、一体どのような国なのでしょうか?

・・・

デンマークは(ドイツの北の)ユトランド半島と400以上の島からなる
九州と同じくらいの大きさの国です。
首都はコペンハーゲンです。

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多くの人が小さい頃に読んだことがあるであろう、
「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」などの
有名な童話を世に送り出したアンデルセンの出生地でもあります。

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(アンデルセンの像)

デンマークの国旗は、
「赤い布」を意味する「ダネブロー」と呼ばれています。

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この旗には、
1219年にデンマークがエストニアの異教徒と戦っている最中に、
赤地に白十字の旗が天から舞い降りてきて戦況が一転し、
デンマークが勝利をおさめたという伝説が残されています。

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・・・

デンマークの『政府』は、EU(欧州連合)の活動を重視しています。

1973年には他の北欧諸国に先駆けて欧州共同体(EC)の加盟国となっています。
2002年後半にはEU議長国を勤め、EU拡大交渉を成功に終わらせました。

しかし、デンマークの『国民』の多くが
ヨーロッパ諸国が一つになることに慎重な姿勢を示しています。

2000年9月に実施されたユーロの参加に関する国民投票では、
反対が53.1%、賛成が46.9%という結果になり、
参加が否決されてしまいました。

現在もなお、デンマークはユーロに参加出来ていません。

・・・

「ぼくの大切なものは地球。
  世界中の人の家は地球だからです。」

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デンマークは環境対策先進国として、
地球温暖化、気候変動などの、
地球規模の環境問題に対し積極的な取り組みを見せています。

2009年には気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)議長国として、
コペンハーゲンにおいて首脳会合、官僚級会合を主催し、
「コペンハーゲン合意」に向けて力を尽くしました。

(コペンハーゲン合意とは、2020年までに
 先進国は明確なCO2削減の数値目標を設定し、
 途上国は、CO2削減のための行動目標を作成する、
 などという内容に対し、世界各国が、結局は合意せず、
 「留意(ある程度、気にすること、take note)」をし、
 完全な決裂は避けたもの。)

・・・

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・・・

デンマークは、
環境立国(環境保護先進国)と言われることがありますが、
「環境を保護しない」一面があります。

「私の大切なものはカラフルなデンマークの自然です。
だんだんデンマークから色がなくなっていくのは悲しいです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 RIMG0702_e.jpg DNM_11_e.jpg)



デンマーク人は、1人辺り年間800キログラムのゴミを捨てています。

オランダでは年間630キログラム、
イギリスでは570キログラムのゴミが捨てられていますが、
デンマークでは、その約1.5倍のゴミが捨てられています。

これでは、環境保護先進国の名が汚れてしまいます。

このような現状に
Network for Ecological Education and Practice(ECO-NET)という
デンマークの団体は、
教育関係者や環境問題に興味のある人々に向けて、
環境に関する先導的な取り組みの紹介をしています。
"Eco-net Newsletter" というものを年に6回発行しています。

・・・

デンマークについて、
よく知られているのが教育です。

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デンマークでは小学校から大学までの授業料が無料。
そのため、高校までの就学率は世界で4位といった位置にあります。
(参考までに日本は43位)

「私のたいせつなものは家族と友達です。
 こうして勉強が出来て遊べるのも家族のおかげだからです。」

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デンマークの教育方針は「労働力を育てる」ということです。
初等教育から成人教育まで職に繋がるような教育の枠組みが出来ています。

(2011年の総選挙で社会民主党を中心とする中道左派が勝利しています。)

しかし、この教育制度には、落とし穴があるようです。

教育を受けることが出来ずにいる若者が20万人以上おり、
無職である若者が6万人以上います。
さらにインターンシップの受け入れ先が見つからない者が
7千人以上いることが分かっています。

そのため、国の方針として、
教育機会にアクセス出来る環境をつくり出すことを
目指しています。

・・・

デンマークの経済に教育制度を良くするゆとりはあるのでしょうか?

実は、
他のヨーロッパ諸国同様にデンマークの経済も良くないと言えます。

2008年4月には歴史的に低い失業率の1.7%を記録したものの
2009年9月には4%にまで上がり、それ以降上がり続けています。

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・・・

もう一つの大きな社会問題は、
個人の所得税額の高さです。

デンマークの個人の所得税はとても高く、最高税率は59%と
お給料の半分以上を取られてしまいます。

そのため、最近では、
稼げる間はデンマークにいたくないという人も増えているようです。

しかし、この税金制度のおかげで、
福祉がとても充実していて、
「福祉国家」としても知られているのはご存知でしょうか?

誰もが無料で病気の治療を受けることが出来ますし、
さらには出産のための入院に、お金がかかりません。
(日本はかなりお金がかかります。)

失業手当、低所得者、ホームレスなどに対する
手厚い助成金制度もあります。

このことが原因で、
最近では若者が就職せず、
あえてホームレスを選ぶデンマーク人が増えているようです。

・・・

さらに、デンマークには移民の問題があります。

かつて、周辺諸国が行ってきたように、
労働力不足を補うため、
難民や外国人労働者を意欲的に受け入れてきました。

しかし、あまりにも外国人が増えてしまったため
デンマーク人が自分の国で就職出来ないという
(当時は)予想していなかった状態になってしまいました。

・・・

「私のたいせつなものは平和と愛です。
  平和で愛に溢れていたらみんな仲良く生きていけるからです。」

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最近、デンマークの与党は外国人を追い出すための合意をしました。

しかし、外国人と言っても「反社会的」な外国人に限られます。

与党の定義する「反社会的」な外国人とは、
溶け込めないあるいは溶け込もうとしない外国人だとのこと。。

一方、
ただ追い出すのではなく、
母国に戻った場合には帰還手当として約50万円を渡すそうです。

また、新しい取り決めでは、
(自国へ)帰還し、デンマークの居住権を放棄すれば
さらに10万円をボーナスとして渡すそうです。

このような具合で、デンマークへの移民に、
(高い失業率の)しわ寄せがくるのは確実です。

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・・・

さいごに

日本とデンマークは、
江戸幕府の修好通商航海条約(1867年)からの、
とても長い外交関係があります。

また、
欧州最古と言われるデンマーク王室ですが、
世界最古の王室である日本の皇室と、
親密な関係を続けています。

先進国ということもあり、
日本のNGO(非政府組織)やJICA(国際協力機構)が
支援をしているといった例などは、あまり見受けられませんでしたが、
今回紹介したような、
デンマークに今ある問題は、
今の日本でも、よく探せば見つかることなのかもしれません。

ですので、是非この機会に
日本を見直すことをしてみてください。

きっとデンマークと共通するものがあることでしょう。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:

上記に掲載された写真のうち、人物が写っているものは、
以下の方が提供して下さいました。

山崎潤子

・・・

画像データを編集し、文章を書いた人:
寺町華子

編集完了日:
2011年10月26日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

上記に掲載された写真のうち、
人物が写っていない写真の一部は、
以下のサイトから提供されたものもあります。
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/



posted by お絵描きイベント at 15:58| 日記

2011年10月21日

グリーンランド Greenland



グリーンランドは、
北極近く、北米大陸の北東に位置する、
世界で一番北にあり、世界で一番大きな島です。

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この島はデンマークの領土ですが、
現在はグリーンランド自治政府が自分たちで政治を行なっています。

島の大きさは日本の約6倍です。
人口は約56,000人(たとえば、東京ドームを満席にすると
約45,000人になります)であり、人口密度が世界一低い国です。

島のほとんどを氷が覆っており、
その氷は厚さ3,000mになるところもあります。
気候はとても寒く、
一年間の平均気温がマイナス1℃を下回ります。

人々はキリスト教を信仰し、
グリーンランド語とデンマーク語、2つの言葉を公用語として使っています。

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島民のほとんどが先住民族で、
地域によっては外見が日本人によく似ています。

産業を支える資源として、
魚介類やアザラシ、クジラなど海の生きものと、
石炭や亜鉛、銀、ウラン、鉄などの鉱物が豊富です。

オーロラを観ることができる地域として世界的に有名で、
澄んだ夜空の日には、幻想的な光景が広がります。

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上の絵は、この島の子どもが描いたオーロラの絵です。
このように赤色や緑色をおびた鮮やかな光が大空にあらわれます。
夏の季節になると、夜でも太陽が輝く百夜が続きます。

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この絵には、グリーンランドには「ない」ものが描かれています。
それは、車、樹木、農業をいとなむ風景です。

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グリーンランドでは、内陸部の大部分が氷であるために、
人間の生活できる場所が海に近い沿岸部と限られています。
町と町は何百キロと離れており、そのあいだには道路がありません。
他の町へ移動するためには、ヘリコプターや飛行機が必要なのです。



・・・

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上の絵は、この島の子どもが描いた、
グリーンランドの地図です。
上(北側)は北極海、下(南側)は北大西洋で、
さらに南には北米大陸があります。
図のように、島の内側白色の部分がすべて氷です。
人々はそのまわり緑色の部分にだけ住むことができます。

グリーンランドの地では、
もともと4000年以上昔から人々が生活をしていました。

10世紀には、北欧のバイキングらが、この地に入り、
グリーンランドと名付けました。
当時、地球は「中世の温暖期」を迎えており、
グリーンランドは、まさに緑の大地で、
現在のような氷に閉ざされていた世界ではなかったからです。
そして人々は、開拓をはじめました。

15世紀、グリーンランドで生活するのは先住民だけとなりましたが、
その後、16世紀にもう一度発見され植民地化がすすめられました。

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こちらの絵は、この島の子どもが描いた、
グリーンランドの旗と都市の紋章です。

真ん中にあるのが、グリーンランドの旗です。
この旗は氷の地から朝日が昇る様子をあらわしています。
周りにあるのが、各都市の紋章です。
グリーンランドの都市は20ほどありますが、
この子どもは右上から時計回りに、
ナルサーク、イルリサット、カコトック、ウマナック
という都市の紋章を描きました。

1917年、デンマークがグリーンランドを自分の国における領土としましたが、
1979年にグリーンランドは自分たちで政治を行いはじめました。
現在、独立を目指して歩みつづけています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「お父さん、お母さんと一緒に暮らすことです。」

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絵を描いたのは、12歳の女の子ドゥパイナッです。
この絵は上と下でわかれており、彼女の大切なものを、
何かが二つに引き裂いてしまったことをあらわしています。

絵の上部に描かれているのは、彼女のお母さんです。
お母さんは、家の台所で料理をしています。
一方、下の部分に描かれているのは、彼女のお父さんです。
お父さんは、海でアザラシを捕まえようとしています。

ドゥパイナッの家庭では、
お父さんがグリーンランドの首都に行き、両親が離婚しました。
彼女のお母さんは看護師ですが、体調を崩してしまいました。

ドゥパイナッはとても傷ついています。
「お父さんに帰ってきてほしい。
前のように、家族みんなで一緒に暮らしたい」
という、彼女の願いがあります。


「あなたの大切なものは何ですか?」

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「教会へ行くことです。」

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この絵を描いたのは、9歳の男の子アグッチです。
アグッチは幼い時に兄弟を亡くしました。
彼の両親は、二人ともアルコール中毒にかかり育児ができなくなりました。

両親が子どもを育てる力を失ってしまったことで、
アグッチは一時的に児童施設へ預けられました。
彼は多動性障がいを患い、集中力が欠けたり、
そわそわして落ち着きがなくなりました。

そんなアグッチが描いたのは、教会でした。
彼は、現在お母さんと一緒に教会に行くことができます。
「教会はお母さんと僕をつなぐ大切なものです。」とアグッチはいいました。

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グリーンランドでは、
近代化を進める中でさまざまな弊害がおきています。
アルコール中毒が問題となっています。

この島の人々は、これまで自給自足の生活をしてきましたが、
近代化により、お金を使って生活をする貨幣経済が入ってきました。

グリーンランドの文化には、
もともとアルコールを飲む習慣がありませんでした。
しかし、20世紀におきた第二次世界大戦の後、
外国からの資本主義経済が、アルコールとともにやってくると、
状況は大きく変わりました。

今までなかった貨幣経済により、収入がひとまとめに入ると、
人々はそのお金をおいしいお酒につぎ込んでしまいます。
この結果、多くの人がアルコール中毒に陥ってしまいました。
同時に、自殺者や家族へ暴力をふるう人などが増えて、
グリーンランド全体での大きな問題となりました。

グリーンランドには、「子どもたちの家」という施設があります。
「子どもたちの家」は島に8ヵ所ほどあり、
アルコール中毒や育児放棄、虐待、家族や親戚の自殺などによって、
心と身体に傷を受けた子どもたちを受け入れています。

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辛い時期を乗りこえて、
アグッチは家族との生活に戻ることができました。

子どもたちに
「笑顔が一つでも戻ってほしい」と、
「子どもたちの家」は一人ひとりを支えています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「犬ぞりです。」

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グリーンランドでは、人々は移動するときに犬ぞりを使います。
人から人へ、島民は犬ぞりの文化を受け継いできました。

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この島では、先住民族が伝統を守ってきました。
生きるために必要な心のもちかた、厳しい環境の中で生活する技術、
人間として大切なものを親は子に教えてきました。
壮大な自然の恵みと周りにいる人々が、
子どもたちにとっての学校であり先生でした。

近代化が進むなかで、
教育の分野も課題に直面しています。
NPOエコプラスによれば、

グリーンランドでは、
伝統的な民族に対する学校での教育において、
多くの問題が生じています。

それは、世界の中で経済・政治的に力がある一部の国が、
文化や価値観がちがう他の民族に対して、
自分たちの教育方法をそのまま当てはめてしまっていることです。

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(この写真は、ウマナックという町にある学校を空から撮影したものです。)

教育を行う側の人々が十分に整っていないようです。

グリーンランドでは島にいる先生が足りないため、
他の国から応援の先生たちが来てくれるのですが、
すべての教員がグリーンランド語を話せるわけではないので、
生徒が授業内容を理解できないことがあります。

一方、自治政府の予算が理由で他の国からの先生がいない村では、
高い教育を受けられる高校や大学に入学するための授業が不足しています。
その代わりに、地元の漁師が実習などすばらしい授業を行っています。

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エコプラスは次のように述べています。
「どちらか一方を選ぶのではなく、子どもたちにおける、
多くの様々な可能性を育てるにはどうしたら良いのでしょうか」



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「人々を救う、愛です。」

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グリーンランドでは、
人々の暮らしを支える福祉の仕組みが充実しており、
島民は無料で医療を受けることができます。

しかし、
その医療を行う医師や看護師が足りません。

それぞれの町に病院は1つあればよいほうで、
病院がない村もあります。
あったとしても、そこに診察や治療をする人は十分にいません。
このため、現在は他の国から医師や看護師が
グリーンランドに行って治療を手伝っています。

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グリーンランド自治政府は1994年に、
自分たちの地域で医療にたずさわる人を育てる専門機関をつくりました。
この機関は、これまでに70人の看護師を世に送り出しました。
50人の生徒が今も学んでいます。

「20年後には、外国からの助けにたよらず、
自分たちの命は自分たちで救いたい。」ということを目標に、
指導者たちは未来の看護師をみちびいています。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「グリーンランドの氷河です。」

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世界では、地球温暖化が問題になっています。
その被害を最も受ける地域の一つが、グリーンランドです。

世界気象機関(WMO)によりますと、
2010年における地球の平均気温は、
2005年、1998年と並び、
調査をはじめて以来の最高温度となりました。

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平均気温が上がることは、1度でも地球の環境を変えてしまいます。
気温上昇は以下のような影響を及ぼします。

1度:サンゴ礁が白くなり、北極の海水や一部の氷河がとける。
2度:水不足がおこる。農業生産力が低くなる。
3度:一年中凍っている永久凍土が速いスピードでとける。
   地球の温度を上げるガスが、発生し、
   地球温暖化に拍車がかかり、悪循環が始まる。

グリーンランドの気温上昇は特に激しく、3度以上あがりました。

国連教育科学文化機関(UNESCO)は、
2004年にグリーンランドのイルリサット氷河を、
世界遺産に登録しました。

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地球温暖化はこれからも進んでいく恐れがあるとして、
世界は気温の上昇を止めるために動いています。

2005年8月、グリーンランド自治政府はデンマーク政府と協力して、
イルリサットの町で気候変動に関する会議を開きました。
世界の大臣たちは2009年まで、
この会議を毎年さまざまな国でもうけました。

この話し合いには、国際条約である「気候変動枠組条約」の事務局をはじめ、
世界中から数十の国や地域が参加しました。

この会議では、
主に以下の点について、大臣たちが具体的な相談をしました。

1.地球を温める「温室効果ガス」を減らす活動に関して、
  各国共通の点と、それぞれの国や地域に応じて変えるべき点について。
2.途上国が行う温室効果ガスの削減と先進国が行う支援について
3.一連の行動に使う資金と技術における支援が必要とする、制度と管理について


・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「魚です。」

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この絵を描いたのは、ルーチビングワック、9歳の男の子です。
上の絵は、「カラハリ」という魚です。
グリーンランドの人々は、昔からこの魚を大切にしていました。

カラハリを売ることにより、
人々は生活するために必要なお金を得ることができます。

日本もこの魚をたくさん輸入しており、
寿司のネタなどに使っています。

また、グリーンランドでは犬ぞりを使うために
犬を何匹も飼っている家が多いのですが、
飼い主はカラハリの頭の部分を漁師から無料でもらうことができました。
(現在は、頭も日本や他の国が買ってしまうので、もらうことはできません。)

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グリーンランドの経済を支えてきた漁業ですが、
これが近年、危機的な状況にあります。

理由は、
1.地球温暖化により氷がうすくなったため、
  犬ぞりに乗って氷の上で行う漁が危険になり、昔ほど漁ができなくなったこと。
2.近代化により、伝統的な漁で生活をたてていくことが難しくなったこと。
3.絶滅のおそれがあるクジラを獲ることが制限されたこと。
などがあげられます。

グリーンランドの総生産(GDP)はとても低い状況です。
アメリカ中央情報局の報告によると、
世界の国と地域は200ほどある中、グリーンランドの順位は177位です。
グリーンランドが漁業だけで自分たちの生活を支えることは難しく、
別の方法で経済力を上げる必要がでてきました。

1990年代、グリーンランドをおおう氷の下に、
原油がたくさん埋まっていることがわかりました。
これを利用して、自治政府は島の経済力を高めようとしています。

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グリーンランドの自治政府が経営する石油会社Nunaoilは、
日本や諸外国とともに、この事業に協力しています。

このプロジェクトは、国際的な共同調査です。
専門家たちは海の奥深くにある地質を調べて、
原油を掘りだすのにちょうどよい場所を探しています。

埋まっている原油の量は約500兆円になると、石油会社は伝えています。
人々はグリーンランドのことを今や「氷島」ではなく、
「宝島」とよんでいるのです。

人間がグリーンランドの原油をさらに掘り出しやすくするために必要なこと、
それは、実は地球温暖化が進んでグリーンランドの氷が解けることです。
地球温暖化が進むと地球にいる多くの生物は苦しみます。
一方で、人間がほしい資源は採掘しやすくなります。

世界にはたくさんの矛盾と葛藤があります。

これから先の地球温暖化がもたらす良いことと悪いことを客観的に判断し、
人間だけでなく地球全体が守られるような選択を人類がしていかれたらよいと、
筆者は願います。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「愛と祈り、希望、そして世界中の誰もが幸せになることです。」

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この絵の作者である女の子のイヴァルは、
ハート、十字架、碇(いかり)、
さまざまな肌や髪の色をした人々を描きました。

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イヴァルの部屋は、天井にも、ベッドにも、彼女の腕のなかにも、
ハートが溢れています。

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ハートは愛、
十字架は信仰、
碇は希望をあらわします。

3つとも、キリスト教における重要な象徴ですが、
実は、グリーンランドにこれらが存在します。

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正面にある大きな山が、「ハート」をあらわしています。
二つの山が根元で一つにつながっている形は、
ハートの上部分のようですね。

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上の写真、右側にあるのが教会です。
時計がついている建物の上に、「十字架」があります。

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そして、教会の前にあるのが、「碇」の記念碑です。
人々はこれを「希望の碇」と呼んでいます。

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この写真にはハート、十字架、碇のすべてがどこかにあります。
3つとも見つけることができれば、今日も明日も、
いいことがあるかもしれません。

愛をもって祈り、希望をもち続ける。
グリーンランドの人々は、島と一体になって、
強く優しく生きていると筆者は思います。





・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
宮下 典子

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年11月1日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 09:05| 日記

2011年10月08日

インド INDIA

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インドは、面積・人口・経済規模とも南アジアで最大の規模を誇ります。
世界7位の広大な国土のなかに12億もの人口を擁します。
インドでは人口爆発に歯止めがかからず、2040年頃にはインドの人口は中国の人口を追い抜くとみられています。

近年、広大な国土・豊富な人材・豊富な天然資源を背景に順調な経済成長を遂げ、新興国と呼ばれ、同様に順調な経済成長を遂げているブラジル、ロシア、中国、南アフリカ共和国とともに『BRICS』の一角を占めます。

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また、先進国首脳会議は、アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、日本、フランス、ロシアというG8から、アルゼンチン、インド、インドネシア、欧州連合、オーストラリア、韓国、サウジアラビア、中国、トルコ、南アフリカ共和国、ブラジル 、メキシコを含む『G20』へと移行しようとしています。

このように、新興国として世界に影響を与える立場にある一方で、12億の人口のうち、1日1ドル以下で生活する人が3割を占めるなど、依然として深刻な課題を抱えています。

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インドは、歴史的に日本と強い結びつきをもちます。
第二次世界大戦後に戦勝国が日本の指導者たちを裁いた東京裁判では、11人いる判事のうちインドのパール判事だけが被告人全員の無罪を主張しました。
また、1950年以降、日本に鉄鉱石を輸出してくれる国はほとんどありませんでしたが、インドは大量の鉄鉱石を日本に輸出し、日本の経済成長を支えました。
さらに、経済面や安全保障の面でも協力について合意しています。
そして、いま、日本からみてODAの最大援助国がインドです。
インドとの協力関係はこれからも強くなるでしょう。

民族構成は、北部を中心に広く分布するインド・アーリア人と、南部に分布するドラヴィダ人とに大きく分けられます。

・・・

「僕の大切なものはヒンドゥー教の神様の一人の、
 ガネーシャ(商業・学問の神)です」

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インドの公用語はヒンディー語、準公用語は英語です。
しかしながら、州によって異なる言語が使用されているため、紙幣には17の言語が印刷されています。

宗教は、ヒンドゥー教徒が約80%、イスラム教徒が約13%を占め、残りをキリスト教徒やシーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒などが占めます。

・・・

「僕の大切なものはお祭りです」

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紀元前2300〜紀元前1800年まで、インダス川流域でドラヴィダ人によるインダス文明が栄えていました。
しかしながら、紀元前1500年頃になると、中央アジアからアーリア人が侵攻しはじめました。
この際、アーリア人が今も根強く残る『カースト制度』を持ち込みました。

カースト制度による身分制度は、『ヴァルナ』と『ジャーティ』という二つの枠組みからなります。
ヴァルナには、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(農民・労働者)という4つの身分があり、さらにカーストにすら入らないダリット(不可触民)という身分もあります。
ジャーティは、『職業』によって細かく分けられ、1901年の国勢調査によれば、2378もありました。

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ヴァルナは肌の色を意味し、バラモンには白、クシャトリアには赤、バイシャには黄、シュードラには黒が割り当てられています。
じつは、カースト制度は、色白のアーリア人が色黒のドラヴィダ人を支配するために導入したものだったのです。
そして、ドラヴィダ人との間で混血がすすまぬよう、異なる身分の者との結婚は禁止されました。

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現在、カースト制度は、インド憲法により禁止されています。
また、国連人種差別撤廃委員会は『世系に基づく差別』を策定し、インドのカースト制度は国際人権法の人種差別であると明記しています。

いま、ITエンジニアに代表される新しい職業ができたため、特に都市部ではカースト制度による身分制度は崩壊しつつあります。

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しかし、それでもカースト制度は農村部を中心として根強く残っています。
その理由としては、人の生まれついた身分は前世での行いの結果であり、いまの身分を全うすることによって来世はよりよい身分に生まれると考えられているため、低い身分に生まれついた人がその境遇を受け容れる風潮があることがあげられます。

紀元前5世紀頃になるとブッダが説いた仏教が広まりました。
ブッダは、「生まれによってバラモンとなるのではない。生まれによってバラモンならざる者となるのでもない。行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである」と説き、カースト制度を真っ向から否定しました。

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4世紀頃にバラモン教が土着の神々を吸収してヒンドゥー教として広まると、カースト制度を否定する仏教は弾圧され、ほぼ消滅してしまいました。
ですが、近年は、差別に苦しむダリット(不可触民)が一斉に仏教に改宗するなど、再生する動きもみられます。

11世紀頃になると北方からイスラム勢力が進出し、イスラム教が広まりました。
イスラム教徒が北方に多いのは、イスラム勢力が北方から進出してきたためです。

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16世紀にはムガル帝国がインドのほぼ全土を掌握するとヒンドゥー教徒を弾圧し、これに対抗する反イスラム運動がおこりました。
これが、ヒンドゥー教とイスラム教との対立のはじまりでした。
ヒンドゥー教とイスラム教との対立は根強く、今でもインド各地でテロ事件が起きています。

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(牛は、ヒンドゥー教では、聖なる動物とされています。)

17世紀になるとムガル帝国は衰退し、同じ頃にイギリスが東インド会社を設立しました。
そして、イギリスは高カーストの現地人を傭兵として雇って植民地戦争を勝ち抜き、インドを植民地として支配をするようになりました。
このため、インドにもキリスト教が広まりました。

「あたしの大切なものは神さまです」

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イギリスは、18世紀から、産業革命を経て機械製綿製品を大量生産できるようになりました。
すると、イギリスはインドでつくらせた綿を安価で仕入れ、その綿をつかって機械製の綿製品を生産して、その綿製品をインドで売るようになりました。
この結果、インドの綿工業は破壊されてしまいました。
機械製の綿製品はイギリスによる植民地支配の象徴だったのです。

そこで、マハトマ・ガンディーは、機械製の綿製品の購入を控え、インドの伝統的な手製の綿製品の生産を奨励する非暴力・不服従運動を行ないました。
この運動はインド全土に広がり、インドが独立する足がかりとなりました。

「私の大切なものは独立の父ガンディーです」

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イギリスは第二次大戦により国力が衰えるとインドの独立運動を抑えることができなくなりました。
こうして、1947年にインドは独立しました。


「わたしは宗教の違いを超えてインドがまとまることが大切だと思います」

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ガンディーはヒンドゥー教とイスラム教との間の対立を乗り越えて一つのインドとして独立することを望んでいました。
しかしながら、ヒンドゥー教とイスラム教との対立を抑えることはできず、イスラム教徒が多数を占める東西パキスタン(今のパキスタンとバングラデシュからなります)はインドとは別に独立しました。
そして、1948年、ガンディーが提唱するイスラム教との融和策などの政策に反発するヒンドゥー教の過激派によってガンディーは暗殺されてしまいました。

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(インドの国旗:外務省HPより)

今のインドの国旗は、ガンディーがインドの独立運動の象徴として使用したものを元にしています。
中央の紋章はチャクラ(法輪)で、伝統的な糸車に由来すると言われ、独立に対する決意が込められています。
また、オレンジはヒンドゥー教、緑はイスラム教、白は平和を意味し、宗教の対立を超えて一つのインドとして独立しようという思いが込められています。

・・・

「僕は生命をはぐくむ水が大切だと思います」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 C8ET5166_a.jpg India_d_09_a.jpg)


インドは独立を果たした後も平穏ではありません。
それを象徴するのが、パキスタンと中国との境界にあるカシミール地方の領有権を巡るカシミール紛争です。
カシミールはインダス川上流域に位置し、その水源を譲れないことも紛争を長引かせる原因となっています。

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1947年には第一次印パ戦争が起き、国連インド・パキスタン軍事監視団の調停により休戦となりました。
この戦いにより、カシミール地方の6割をインドが、4割をパキスタンが実効支配することになりました。
1962年には、中印国境紛争が起き、着々と準備を進めていた中国がカシミール地方の一部を奪いとり、また、これに連動して進軍してきたパキスタンとの間で1965年に第二次印パ戦争が起きました。
1971年には、東パキスタン(いまのバングラデシュ)がパキスタンから独立しようとする運動をインドが補助し、第三次印パ戦争が生じました。
これはインド・東パキスタンの勝利に終わり、バングラデシュが建国されました。

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1962年以降、インドと中国の間では戦争は起きていないものの、両国は難しい関係にあります。
インドが南シナ海で東南アジア諸国とともに資源探査をしているのに対し、中国はミャンマー・バングラデシュ・スリランカ・パキスタンとの関係を強化してインドを封じ込める戦略を展開するなど、敵対関係が続いています。


「僕は友情が大切」

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カシミール問題が重大な理由として、核戦争になる恐れがあることがあげられます。
中国は1964年に核実験に成功し、世界で5番目の核保有国となりました。
これに対し、インドは中国に対抗するため核兵器を開発し、1974年にインドは世界で6番目の核保有国となりました。
すると、パキスタンもインドに対抗するために核兵器を開発し、1998年にパキスタンは世界で7番目の核保有国となりました。
こうして、カシミール地方と隣接するインド、パキスタン、中国の三カ国とも核兵器を保有し、それぞれが牽制し合う構図ができました。

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インドとパキスタンは、国連安保理の常任理事国以外の国が核兵器を保有するのを禁ずる『核拡散防止条約(NPT)』は不平等条約であると主張し、加盟していません。
国連安保理の常任理事国である中国が核兵器を保有していることが引き金となって、インド、続いてパキスタンが防衛のために核兵器を開発したことを考えると、これは当然の主張と思われます。

インドとパキスタンとの関係は難しいですが、近年は、両国とも軍縮したり大使を交換するなど対話をしていく姿勢を見せています。

・・・

「わたしの大切なものは読書です」

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インド政府は、教育を重視しており、特に英語、理工系科目の教育に力を入れています。
これが現在の経済成長を支えています。

その一方で、インドの農村部にいる人の多くが読み書きが出来ません。
そこで、インド政府は農村部を中心に多数の学校を建設しました。
この結果、1985年には約43%だった成人識字率が66%に上がりました。

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しかしながら、地域によっては児童労働のために学校に通えない子供も多く、また、女性に教育は必要ないという風に考えられているため女性の識字率が低いなど、多くの課題が残っています。

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そこで、株式会社リコーは、地方にある学校にデジタル印刷機を寄贈し、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンや現地NGOと協力しながら教育現場をサポートする活動をしています。

・・・

「僕はコンピュータをマスターしたいです」

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近年のインドの経済成長は、1980年代からの経済自由化政策に端を発します。
特に1990年代からは、国内投資規制の撤廃や変動相場制への移行等の大胆な自由化政策を実施し、今日に至るまで順調な経済成長を続けています。

この経済成長を牽引するのはIT産業です。
インドのIT産業が急成長するのには複数の理由があります。
まず、インドはアメリカからみてちょうど正反対の場所に位置するため、アメリカのIT企業がインドにも拠点を置いて、アメリカとインドで連携しながら24時間体制でシステムを構築するケースが多いことが挙げられます。
また、インドでは英語と理工系の教育に力が入れられていることも追い風となりました。
さらに、ITエンジニアは新しい職業であり、カーストの中のジャーティ(職業による身分の違い)に規定されていないため、誰にでもチャンスがある夢のある分野であり、優秀な人材が多く集まることも一因となりました。

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いま、インドの都市部には、ITエンジニアなど3億人もの中間所得層がいます。
こうした中間所得者層が増加する一方で、所得格差や地域格差が拡大しています。


「私の大切なものは携帯電話です」

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インドの都市部は急速に発展していますが、社会の基盤となるインフラは依然として不足しており、経済成長をするうえでの足かせとなっています。

たとえば、コンテナの6割を受け入れるムンバイから首都デリーまでは約1500キロあり、コンテナの輸送に1週間ほどかかってしまいます。
そこで、インド政府は、日本の太平洋ベルトを参考にして、首都デリーと商業都市ムンバイとの間を高速貨物鉄道で結び、その沿線に様々な企業を集約させる11兆円規模のプロジェクトを進めています。
日本政府はこのプロジェクトに対して資金面・技術面で多大な援助をしており、沿線には日本からも多くの企業が進出するとみられます。


「私の大切なものは電気のある生活です」

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インドでは電力も慢性的に不足しており、工場を24時間稼働するためには効率の悪い自家発電に頼らざるを得ません。
そこで、インド政府はその不足分を賄うため、大量の原子力発電所を建設しようとしています。

諸外国は、1998年にインドで核実験が行われたのを引き金に、インドに対して経済制裁を課しました。
しかし、インドで原子力産業の巨大な需要が見込まれるようになると、アメリカ、フランス、日本、韓国は途端に態度をひるがえし、インドと原子力協定を締結して原子力発電所の建設を受注しています。
これは平和構築よりも経済活動の方が優先されてしまうという現実を端的に示しています。

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インドのシン首相は、日本の福島第1原子力発電所での事故を受けて国内で反原発運動が起きたにもかかわらず、引き続いて原子力発電所を建設していくと明言しています。
その裏側には、原子力産業などの巨大な市場を外交戦略として利用し、受注する国に対して国連安保理の常任理事国入りの支持をとりつけようとする狙いがあります。
この戦略はいまのところ成功しており、アメリカのオバマ大統領は、日本以外の特定の国としては初めてインドの常任理事国入りを支持すると明言しています。
中国との間には国境紛争以来難しい関係にありましたが、両国間の経済的つながりが強くなるにつれて中国も態度を軟化させ、インドの常任理事国入りを支持するようになりました。
日本、インド、ドイツ、ブラジルからなる『G4(国連安保理常任理事国進出を狙う4カ国グループ)』の中では、インドが一歩抜き出ているとみていいでしょう。


「僕はバイクを持つことが夢です」

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インドは大量の二酸化炭素を排出しており、その排出量は世界第5位です。
インド政府は、すべての商用車に対して圧縮天然ガス燃料を使用することを義務づけたり、自然エネルギーの開発を進めるなど、独自の環境政策を実施して対応しているものの、二酸化炭素の排出量を規制する『京都議定書』には批准していません。
また、インド政府は、2012年以降の枠組みを定めるポスト京都議定書についても、一人あたりの二酸化炭素の排出量が少ないことを理由に、消極的な立場をとっています。
これからインドの工業が発展すると、ますます大量の二酸化炭素が排出され、地球規模の環境問題をもたらす恐れがあります。
インドの環境問題は、国際的な問題なのです。

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インドでは、農業も重要な産業です。
12億いる人口の約6割を農家が占め、国内総生産でも約1/4を占めます。
インドでは人口爆発が続いているため、農作物の生産量を増加させる必要があります。
しかしながら、インドでは農作物を生産するために必要な水が慢性的に不足しています。
このため、そのうち自国の人口を賄えなくなる恐れがあります。

「あたしは雨水が大切だと思います」

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インドは、経済自由化政策によってIT産業などは成長しましたが、綿花などの農業は逆に打撃を受けました。
まず、アメリカのモンサント社が特許権を持つ遺伝子組み換え綿花種子が、インドの綿花種子市場を独占しました。
モンサント社が特許権を持つ遺伝子組み換え綿花の種子は伝統的に用いられていた綿花の種子よりも高額なため、農家は借金をして種子を購入することになります。
ところが、貿易の自由化により綿花の価格は下落し、しかも、慢性的な水不足にあえぐインドでは遺伝子組み換え綿花が育ちにくく、しばしば凶作になってしまうのです。
この結果、借金を返せないことを苦に自殺する農家が後を絶たず、社会問題になっています。

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このようにモンサント社が種子市場が独占することによって農業が破壊されることは、インドネシアなど他の国でも報告されています。
日本が『環太平洋経済協定(TPP)』に加盟すると、モンサント社が日本の種子市場を独占すると予測されますから、対岸の火事ではありません。

・・・

「私の大切なものは花です」

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インドの女性の立場は非常に弱いです。
インドで多数を占めるヒンドゥー教では、女性は元々けがれた存在であると考えられています。
また、葬式などの家庭内の祭事は長男が行なうので、女性にとっての使命は男の子を産むことです。
このため、男の子が産まれるまでは妊娠と出産を繰り返します。
インドの人口爆発が止まらないのはこうした背景があります。


「わたしは子供を産みたいです」

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インドは妊産婦が最も多く死亡している国です。
インドの女性の約80%は貧血なため、出産時の出血によって高い確率で死亡してしまいます。
インド政府は、2005年から、地方で出産前と出産時の無料ケア、入院サービスなどを提供して対応しています。
しかしながら、NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、医療ミスが繰り返し発生するにもかかわらず、その原因を究明しないなどの問題があることを指摘しています。

・・・

「ぼくの大切なものは手です」

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インドでは、児童労働も大きな問題です。
国際労働機関(ILO)の調査によると、14歳以下で働く子どもは世界に2億5千万人いますが、そのうちの1億人がインドにいます。
子どもたちの労働の形態は、借金の返済のために働かされている債務労働や、工場での労働、路上での靴磨き、住み込みの家事労働などさまざまです。
そして、児童労働をしている子どものほとんどが低カースト出身です。

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インドでは綿花が盛んに生産されていますが、綿花農場では、子どもに対する搾取や虐待、多量の農薬を散布したことによる人体障害などの深刻な問題が報告されています。
綿花農場で働く子どもの7〜8割が女の子です。
その裏側には、女の子は、結婚するためにダウリーという持参金を用意する必要があり、もしダウリーが足りないと迫害を受けたり殺害されることもあるという事情があります。
そこで、NGO・ACEは、農村部にいる子どもを労働から解放し、教育が受けられるよう促す活動をしています。

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ダウリーの額は、相手のカーストにもよりますが、「女の子が3人生まれると一家は破産する」と言われるほど高額です。
インドでは、ダウリーを用意できない親が女の子を堕胎したり、嬰児のうちに殺害することが横行しており、男女比がアンバランスになっています。
インド政府はダウリーを禁止する法律を制定していますが、あまり効果は出ていません。

・・・

「わたしは踊りが好きです」

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インドでは性的搾取を目的とした人身売買も横行しており、毎年約2万人の女性が売買されているといわれています。
インド国内では南部を中心に、国外ではネパールやバングラデシュから、デリーやムンバイなどの大都市に売られています。
こうした被害にあう女性のほとんどがダリット(不可触民)などの低カースト出身です。
ブローカーから「いい仕事がある」とだまされ、売春宿に売られてしまうのです。

そこで、NPO法人ラリグラス・ジャパンは、現地NGOと協力し、売春宿に売られた少女を救出、保護する活動をしています。

・・・

「あたしの大切なものは家族の絆です」

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インドでは、エイズも蔓延しています。
その主な感染経路は、予防策をとらない異性間の性交渉です。
農村部から都市部に出稼ぎに来ている人が売春宿に通ってHIVに感染すると、それが農村部にいる妻にも移り、さらに、母子感染まで引き起こすなど連鎖的に広がっています。
いま、インドは240万人ものエイズ患者を抱え、南アフリカ共和国を抜いて世界で最も多くのエイズ患者を抱える国になってしまいました。

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インドの企業は、欧米の製薬会社が特許権を持つ抗HIV薬をコピーし、安価なジェネリック薬として製造しています。
世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)は、このジェネリック薬をアフリカなどの貧しい国の主要都市の公立病院で無償提供しており、また、インドでもHIV感染者の約1割がこのジェネリック薬による治療を受けています。

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世界基金など、主要な国際機関が購入して発展途上国で使用する抗HIV薬の約80%がインドで製造されたジェネリック薬です。
ジェネリック薬が製造されて発展途上国で使用されると、欧米の企業は抗HIV薬の開発費用を回収することができません。
このため、EUは、ジェネリック薬がインドから発展途上国に出回らないよう、インド政府に対して圧力をかけています。
一方、国際NGO国境なき医師団は、貧しい人々に安く薬を届けたいという人道的な理由によりジェネリック薬の使用を支持しています。
開発者のインセンティブ(知的財産権の保護による新薬の研究開発の奨励)を確保するか、人道的な理由による特許権無視の特例を認めるか、意見が分かれるところです。

・・・

「私の大切なものは家です」

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ムンバイやデリーのような都市には高層ビルが建ち並んでいます。
しかし、道路を一つ渡るとそこには巨大なスラムがひろがっています。
特に、ムンバイのスラムは巨大で、1600万人の人口のうち約75%がスラムに住んでいると言われています。
スラムでは、電気や水道などのインフラは不十分で、不衛生で、住人のほとんどは低カースト出身です。

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このスラムは非常に多くの問題を抱えています。
まず、不衛生なためポリオ(小児麻痺)やハンセン病(らい病)などの感染症が蔓延しています。
じつは、インドはポリオ患者とハンセン病患者が世界一多い国なのです。
さらに、スラムに住む子どもたちの多くが低体重です。
インドは、低体重の子どもの数も世界一です。
また、スラムに住むほとんどの子どもが出生登録されていないため、教育などの公共サービスを受けることができません。

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そこで、国連児童基金(UNICEF)は、現地NGOと協力して、適切な施設での出産・出生登録の推進・出生証明書を発行したり、子どもに対して栄養を補給したり、子どもに予防接種を実施したり、夜間学校を開設するなど、スラムの住環境を改善する活動を続けています。

・・・

「私は家族のことが大好きです」

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インドにはスラムにすら住めないホームレスやストリートチルドレンもたくさんいます。
インドは、ストリートチルドレンの数も世界1位なのです。
ストリートチルドレンのほとんどは低カーストの出身です。
ストリートチルドレンたちは家族に見放され、暴力や搾取、麻薬中毒、人身売買などの危険にさらされ、その様子はイギリス映画『スラムドッグ$ミリオネア』でも映し出されています。

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インドにはこのようなストリートチルドレンを保護するため孤児院が多数あります。
また、インド政府、国連児童基金(UNICEF)、現地NGOなどが協力し、約50の都市で支援を要する子どもたちのための24時間無料の緊急電話サービスを実施しています。

・・・

インドは経済成長を続けていますが、国民のほとんどは貧しいままです。

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しかし、インドにはこのような貧しい人たちに寄り添おうとする人が多数います。
マザー・テレサもその一人でした。
マザー・テレサは、最も貧しい人たちのために働こうと決意し、カルカッタ(現コルカタ)の当時世界最大と言われたスラムに、ホスピス、ハンセン病(らい病)患者の施設、ストリートチルドレンのための孤児院や学校などの施設を開設しました。
マザー・テレサの活動は、以後、インド全土、さらに世界中に広がりました。
こうした活動が認められ、マザー・テレサは1979年にノーベル平和賞を受賞しました。

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そのマザー・テレサはこんな言葉を残しています。
「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」

マザー・テレサの施設には、世界中からボランティアが集まり、貧しくて困っている人に寄り添おうとしています。
そんな人たちの輪に加わりませんか?

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・・・
・・・


絵と写真を集めた人:
石井洋子、山本敏晴

画像データを編集し、文章を書いた人:
矢野弘明

編集完了日:
2011年10月10日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

人物が写っていない画像は、
以下のフリー素材会社から提供を受けたものもあります。
(株)データクラフト「素材辞典」
http://www.sozaijiten.com/

posted by お絵描きイベント at 16:22| 日記

2011年10月07日

パラグアイ Paraguay




パラグアイ共和国は、
南米大陸の中央に位置する国です。
ブラジル、ボリビア、アルゼンチンに囲まれた内陸国です。

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国の大きさは日本と同じくらいで、
人口は約600万人、日本の半分です。

綿花、大豆などの農牧業や、
肉などの牧畜業が盛んな国です。

国民の9割以上が、
白人と先住民、両方の血統を受け継いでおり、
主にキリスト教カトリック派を信じています。

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言語としては、スペイン語と先住民の言葉であるグァラニー語、
2つの言葉を公用語として使っています。

一般に、
先住民の言語は、
年月が経つにつれて話す人が少なくなり、
消えてしまう傾向があります。

そのような中、
パラグアイのグァラニー語は、現在でも公用語とされ、
国民のほとんどに理解されています。
国民は、先住民の言語を話すことを誇りに思っています。

国旗は、表と裏でデザインが異なります。
国旗に表裏があることは珍しく、
パラグアイを含めて世界で3ヵ国だけです。

表のデザイン
800px-Flag_of_Paraguay_svg.png

裏のデザイン
800px-Flag_of_Paraguay_(reverse)_svg.png
(在日パラグアイ共和国大使館ホームページより)

また、パラグアイはサッカーが盛んです。

「僕は、サッカー選手になりたいです。」

(ここに挿入する絵と写真を現在、検討中です。)
(参考 PRG_011a.jpg DSC_2314a.jpg)



子どもたちが通う学校では、
サッカーの話題があふれています。
たとえサッカーボールがその場になくても、
男の子たちは、いつも何かを蹴って練習をしています。

パラグアイは日本との親交がとても深い国です。
約7000人もの日本人と日系人がパラグアイで暮らしており、
2006年に、移住70周年を祝う記念祭典が開催されました。

2011年の3月11日に東日本大震災がおきた時には、
豆腐100万丁分にあたる大豆100トンと、
豆腐を作るための資金による支援を、
パラグアイ政府と現地に住んでいる日本人の移住農家が始めました。

パラグアイと日本、
地球の対にある2つの国ですが、
心は絆で結ばれていると、筆者は思います。



・・・

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上の絵は、この国の子どもが描いた、
パラグアイの地図です。
周囲を3つの国に囲まれており、
パラグアイの北側から時計回りに、

B=ボリビア
BR=ブラジル
A=アルゼンチン となっています。

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先住民のグァラニー人が、この地で生活をしていました。
その後、16世紀から、スペインが土地を領土としました。

1811年に、中南米地域では初めての独立国として、
パラグアイ共和国が誕生しました。

建国後は、政権を握った将軍が30年間以上独裁政治を続け、
日本と同じように鎖国を行いました。

1864年には、中南米における歴史の中で、
最も残酷な戦いといわれた、三国戦争が起こりました。

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三国戦争とは、
ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの
3ヵ国が同盟を結び、パラグアイに攻め込んだ戦いです。

国土の多くを、隣国のブラジルとアルゼンチンが奪いました。
そして、パラグアイの男性のうち、なんと9割もの人々が亡くなり、
国の人口が急激に減少してしまいました。

長く続いた独裁政権ですが、
1993年に、ワスモシ大統領が就任し、
民主主義政権が始まりました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「ラパチョの樹です。」

ラパチョの樹は、パラグアイを代表する樹木です。
日本にとっての桜に近い存在で、
パラグアイの人々はこの樹を見ると、
自分の国の大切さを深く感じるのだそうです。

パラグアイでは、
戦争によって、男性のほとんどが亡くなりました。

このため、生き残ることのできた男性は貴重な存在となり、
それは、多くの機会において国が男性を優遇する社会
という形で今も名残りがあります。

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1992年、政府は新しい憲法を制定しました。
新憲法は、男女平等を掲げましたが、
未だ、女性の人権は重んじられません。
女性を取り巻く環境が改善されないことは、
国全体の成長を妨げます。

NPOフンダションマーノ・ア・マーノは、
パラグアイにおける、
安定した仕事を得られない女性に向けて、
縫製技術の訓練を行いました。

女性が社会的・経済的に家庭を支えることは、
国全体の基盤をしっかりさせることにつながります。

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この事業は、以下の成果をあげました。

1.高いレベルの技術指導者が育ちました。
2.上記の指導者から訓練を受けた受講者が、
  縫製の基本的知識、ミシンの使い方、製品を作る技術を
  身につけました。
3.受講者が自ら経営を続けるために、
  生産を管理する力を学びました。
4.市場、展示会、国外輸出の体制など、
  製品を実際に販売することができるようになりました。

このプロジェクトは、
パラグアイの人々が昔から受け継いできた、
伝統的な刺繍の指導も行いました。

フンダションマーノ・ア・マーノは、失われつつある伝統を守りながら、
女性に対する差別を改善し、地域社会の生活を支えていきます。

 

・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「家族や周りの人みんなが、一緒に幸せになることです。」

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国民の経済的な不平等が、問題になっています。

国連開発計画(UNDP)が、
2007年と2008年に行なった調査では、
世界における貧富の差が大きい国の10位以内に、
パラグアイが入っています。

国民のたった1割が、国土の半分以上を独占しています。
その一方で、土地を持つことすらできない国民が3割います。

NGOのCAMSATは貧困を減らすため、
資金を流通させる融資事業を行なっています。

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CAMSATの事業方法は、
『マイクロクレジット』から学んだものです。

マイクロクレジットとは、
貧しい人や失業者、資本が足りない起業家など、
通常の銀行からはお金を借りることが難しい人々を対象にした、
資金を貸す事業です。

マイクロクレジットを考え出したムハマド・ユヌスは、
2006年にノーベル平和賞を受賞しました。

その特徴的な方法は、主に以下のものが挙がります。

1.お金が必要な人ならば誰でも借りることができる。
2.集団に対してお金を貸し、
  グループでの連帯責任を生みだす。
3.返済額をとても小さい額にする形で、
  資金を貸してあげることにより、お金を返しやすくする。

CAMSATは、カトリック教の神父が、
貧困の克服と地域の発展のために、立ち上げた団体です。

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CAMSATへの加入者は、毎月3セントを払うことで、
医療を受け、医薬品をもらえたり、
子どもが補習教室や給食施設を利用できること、
大人が職業訓練講座を受講できることなど、
様々なサービスを受けることが可能です。

CAMSATの事業により、
人々の収入は安定し、生活が向上して、
貧しさにおける負の連鎖を断ち切ることが
できるようになりました。



・・・

「あなたの大切なものは何ですか?」

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「僕が通っている学校です。」

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パラグアイでは、
独裁政権が長く続いていました。

当時は、国が教育そのものを普及しなかったため、
学校が機能していませんでした。

1994年から教育改革を行なっており、就学率は上がっています。
一方で、教育の質を上げることが必要です。

生徒が1年間に受けられる授業日数と授業時間数や、
学校と保護者の連携が不足しています。

生徒の学習到達度が中南米諸国の平均を下回り、
その結果、特に低学年においては、
5人に1人が留年してしまうという状況です。

指導者の質を上げること、
また、指導者と保護者が報告・連絡・相談をお互いに行い、
生徒をとりまく学習環境に対する理解を、
指導者、保護者、生徒で共有することが課題です。

国際協力機構(JICA)は、
学校運営における管理能力を改善するプロジェクトを実施しました。

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国際協力機構は、
これまで教員に対する研修や、教材の配布などを行なってきました。

しかし、
教員を指導する立場にある、校長レベルの人々に対する研修を
まだ実施していませんでした。

1.ガイドラインをつくり、
2.研修を行い、
3.計画の進み具合をチェックし、
4.研修が終わった後に経過をみながら改善していく、
ということをしながら、一連の活動を行いました。

これにより、
年間の授業日数と授業時間数が改善されつつあります。
また、対象校において保護者会による支援が大きくなり、
学校と保護者とが協力し合って
学校教育を行うことができるようになりました。

プロジェクトの実施をうけ、
対象になった約100校の学校から、
全国に向けて研修の輪が広がっています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「大きな海くらい、たくさん水があったらなと思います。」

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雨季は、たっぷりの雨に恵まれます。
しかし、乾季になると水が不足するため、
安全な飲み水を確保することができません。

汚染された水を飲むことにより、
人々は病気にかかったり、
亡くなってしまうことがあります。

一般に、
南米は地理的に高い場所に位置するため、
気温があまり上がりません。

ところが、
パラグアイは平地に位置し、海と山がない盆地であるため、
気温が上がります。

乾季になると、雨が2ヵ月近く降らないこともあり、
人々が暮らす地域であっても、
45度というかなりの高気温になってしまいます。

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このような状況のため、
水を手に入れることが難しいのです。

人々は水を確保するために、
川や池まで何時間も歩いて汲みに行きます。
遠く離れた水源まで行くことが困難な人は、
近所の水溜まりにある水を使わなくてはなりません。

しかし、これらの水は衛生状態が悪く、
汚染されていることがあります。
この水を飲むことにより、人々は病気に感染し、
命を落とすこともあるのです。

世界保健機関(WHO)によると、パラグアイでは、
5歳未満の子どもにおける死亡率の10%が下痢によるものです。

国際連合児童基金(UNICEF、ユニセフ)は、
安全な飲み水を確保するプロジェクトを実施しました。

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雨季に貯めた雨水を、乾季にも使えるようにするものです。

まず、家の屋根やその近くの管に流れた雨水を、
専用のパイプを使って集めます。
次に、地中深く掘った井戸に貯めます。
そして、手動式のポンプを用意し、
必要に応じて貯めた水をくみ出せるようにします。

これにより、
人々は安全な水を利用することができるようになりました。

ユニセフは、この仕組みをパラグアイに20ヵ所つくりました。
パラグアイの政府と協力しながら、
他の地域でも、このプロジェクトを広めています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「木と土が大切です。」

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パラグアイでは、
農地における土壌の劣化が、問題となっています。

国民の半数が農村地帯で暮らしており、
農業で生計を立てる人のほとんどが、
規模の小さい、小規模農家です。

これらの農家では、肥料を使わず、
土地の栄養を補給しない農業を行なってきたため、
農業を行う農地において、
作物を育てる土壌の質が低くなってしまいました。

パラグアイは周りを陸地で囲まれた内陸国であるため、
突然の激しい雨が降りやすく、
質が低くなった土地で土壌侵食が起こります。
これにより、土壌の劣化がますます進んでしまうという、
悪い循環が起きています。

そこで、
土壌劣化が進行した土地へ植林活動を行なっています。

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三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社は、
国際農林水産業研究センターと、
パラグアイ政府国家森林院、国立アスンシオン大学などと協力して、
このプロジェクトを支援しました。

このプロジェクトは、
100戸以上の農家における、
劣化が進行した耕地(東京ドーム40個分以上の土地)に、
成長が早くて病気に強いユーカリなどの木を植え、
土の保全と、土地の生産力を回復させるものです。

2007年から2027年まで、
20年間という期間をかけて行う予定です。

今回の計画により植える木々が、
地球上の二酸化炭素を約3万トン吸収すると、
国際農林水産業研究センターは予測しています。



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「あなたの大切なものは何ですか?」

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「いろいろ大事なものがあるんですよ。」

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この絵は、
ある靴屋のおじいさんが描いたものです。

絵の左上から順に、ハート、木、手紙、オレンジの実、です。
おじいさんは、次のように説明してくれました。

ハート:「人間が生きていくのに一番大事なのは、ハートです。」
木:「木がないと人間は生きられません。」
手紙:「人から気持ちをもらう手紙は大切なものです。」
おじいさんの家になっているオレンジの実:「私はオレンジが好きです。」

多くのものを失いながらも、
温かい心を持ちつづけ、力を合わせて歩んできたパラグアイは、
2011年に建国200周年を迎えました。

受け継いできた大切な糸を、
新しい命へこれからもずっと紡いでいきたいという、
パラグアイの願いがあります。





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絵と写真を集めた人:
赤枝裕美
馬場桃子

画像データを編集し、文章を書いた人:
渡部香織

編集完了日:
2011年10月14日

監修・校正:
山本敏晴

企画・製作:
NPO法人・宇宙船地球号
http://www.ets-org.jp/

posted by お絵描きイベント at 08:32| 日記